年 | 月 | 所属部隊 | 機種 |
18 | 7 | 襲第2379部隊 | ロッキードハドソン |
11 | 岡第9326部隊 | ダグラス | |
〃 | 第1航空軍司令部 | ダグラス | |
〃 | 第18飛行団 | ダグラス | |
19 | 1 | 第1航空軍司令部? | ダグラス |
〃 | 立川飛行部 | ダグラス | |
〃 | 毎日新聞社 | ダグラス |
■ エアタクシー 08.5.3 パイパーアローJA4128のオーナーパイロット、箱崎さんのブログを紹介します。当方は最近の航空事情には疎いので、勉強になります。 箱崎さんは日本にも自家用機の普及を夢見ておられるとのこと。現実問題として自家用は無理でも、軽飛行機がタクシーのように手軽に使えるようになれば、航空への理解も進むのではないかと私は思いますが、悉く失敗だった過去の事例を見ると、それも道遠いような気がします。 飛行機ではなくヘリコプターの例ですが、244戦隊整備隊長をされた茂呂豊さんが社長に就任されていたシティエアリンク羽田−成田路線も、大航空会社の経営にも拘わらず短期間で挫折してしまいました。 ここで思い出すのは、「エアタクシー」という言葉です。日本で最初にこの言葉を使ったのは、調布の三ツ矢航空だったはずです。遊覧飛行で乗ったときにパンフレットを貰い、大いに夢を感じました。 パンフレットには調布と関東各地を結ぶ路線図が書かれていましたから、認可を受けていたはずですが、実際にどれほど運航されたものかは知りません。ルートには自衛隊の飛行場もあったと思いますが、当時は自衛隊も汪洋だったのでしょう。 あの頃は映画スターの間に飛行機ブームがあって、三船敏郎が国際航空輸送のセスナ172でトレーニングしていたのも知っています。 真新しいセスナから降りてきたその人は、顔は確かに似ていますが、スクリーンのイメージとは違って小柄で腰が低く、いかにも商店の主人然という風貌。なので、後々まで「本当に世界のミフネ?」という疑念が消えませんでしたが、10年ほど前だったか、彼が逝去されたときの新聞を読んでいたら、私の印象と同じことが書かれていて納得しました。 因みに、三ツ矢航空は、特撮テレビ映画「ウルトラQ」の舞台になっていましたので、その点でも知られているようですね。 | |||||
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■ モデルグラフィックス 6月号 08.4.26 『モデルグラフィックス』6月号は飛燕の特集。『飛燕戦闘機隊』から菊池俊吉氏撮影の写真も20枚ほど再掲されています。 今更ながら、飛燕は魅力のある飛行機だと思います。244戦隊が人気なのも、「飛燕」の命名自体が244戦隊の活躍をきっかけとしているように、この飛行機あらばこその面が否定できません。果たして他の機種であったらどうだったでしょうか。 大東亜戦時の少年たちにも飛燕は憧れの的でした。現在の東京大田区、品川区辺りは調布から東京湾上での演習に向かう飛燕の通り道になっており、しばしば頭上を通過する飛燕の機影は今も瞼に焼き付いている…と、かつて同地にお住まいだった二人の方から、期せずして同じ思い出を伺ったこともあります。 南方戦線でのエピソードなどから、戦記では飛燕の欠陥振り、悲劇性ばかりが強調されています。また、それを逆手にとって書かれた娯楽小説『秘めたる空戦』が、堂々と「ノンフィクション」と銘打って売られたりもしていますが、従来、常識の如く流布されてきた飛燕のイメージは、実像とは乖離しているのではないかと、私は感じています。 | |