1.クラーク (17F、19F) キ-61×6 (4) キ-21 目的地またはルート、出発数(かっこ内到着数)、誘導・支援機の順。以下同 | |
7/21〜7/27 試験・時間飛行 7/28 小牧→新田原 7/31 新田原→那覇 (1機油漏れのため那覇残留、1機ベーパーロックのため離陸時事故大破) 8/1 那覇→屏東 (その後4機クラークへ) 8/4 那覇→小牧 |
2.クラーク キ-61×5 (3) キ-21 | |
8/6 各務ヶ原→小牧 8/10〜8/15 試験・時間飛行 8/15 小牧→新田原、その後3機クラークへ (2機とキ-21は不具合のため小牧に帰投) |
3.クラーク キ-61×7 (6) キ-21 | |
8/16 小牧→新田原→那覇→屏東 (1機着陸時事故大破) 8/17 屏東→クラーク (6機着) 8/17 クラーク→屏東 8/18 屏東→小牧 |
4.クラーク キ-61×6 (5) キ-21 | |
8/20〜8/23 試験・時間飛行 8/24 小牧→大正 (天候不良のため着陸) 8/25 大正→新田原→那覇(1機離陸時事故) 8/26 那覇→屏東→クラーク (5機着) 8/26 クラーク→屏東 8/27 屏東→小牧 |
5.クラーク キ-61×6 (6) キ-21 | |
8/29〜8/30 試験・時間飛行 8/31 小牧→新田原→那覇→台北 9/1 台北→屏東→クラーク (6機着) 9/1 クラーク→屏東 9/2 屏東→小牧 (直行2200粁/6時間) |
6.クラーク キ-61×6 (5) キ-21 | |
9/5〜9/7 試験・時間飛行 9/8 小牧→新田原→那覇→台北 9/9 台北→屏東 (着陸時、作動油漏れのため1機事故) 9/10 屏東→クラーク (5機着) 9/10 クラーク→屏東 9/11 屏東→小牧 |
7.アンへレス キ-61×5 (3) キ-21 | |
9/13〜9/18 試験・時間飛行 9/16 試飛行中事故、1名殉職 9/19 小牧→新田原→那覇 9/20 那覇→屏東 9/21 屏東→アンへレス (3機着) 着陸時キ-21、キ-61×2機グラマンにより撃墜さる (4名戦死) 9/24 別働のキ-61×6機着 9/25 クラーク→屏東 (2個編隊14名搭乗) 9/27 屏東→小牧 |
8.クラーク キ-61×6 (5) キ-21 | |
10/4 試験・時間飛行 10/5 小牧→新田原 (1機徳島県勝浦町に不時着、5機でクラークへ) |
9.アンへレス (17F) キ-61×5 (4) キ-21 | |
10/16〜10/19 試験・時間飛行 10/20 小牧→新田原 (1機不具合残留) 10/21 新田原→屏東 10/22 屏東→アンへレス 10/23 アンへレス→屏東 10/24 屏東→台北 10/25 台北→小牧 |
10.調布 (244F) キ-61丁×10 MC-20 | |
10/27 小牧→調布 10/27 調布→小牧 |
11.アンへレス (17F) キ-61×5 (5) キ−21 | |
10/21〜10/31 試験・時間飛行 11/1 小牧→新田原→那覇北 11/2 那覇北→台北→屏東 11/3 屏東→アンへレス 他に別働のキ-61編隊も着 (5機?) |
12.アンヘレス (17F) キ-61×18 (16) キ-21×3 | |
11/6〜11/9 試験・時間飛行 11/10 小牧→新田原 11/12 新田原→那覇北→那覇中 11/13 那覇中→宮古→嘉義 (途中2機不時着水) 11/15 嘉義→屏東 11/16 屏東→アンヘレス (16機着) 11/17 アンヘレス→屏東 11/18 屏東→台北 11/19 特攻勤皇隊の出発を見送る 11/20 台北→南大東→新田原 (偏西風に流されて意図せず南大東へ) 11/21 新田原→小牧 |
13.アンヘレス キ-61×5 (4) キ-21 | |
11/23〜11/26 試験・時間飛行 11/27 小牧→新田原 11/28 新田原→那覇→屏東 (1機不具合、屏東残留) 11/29 屏東→アンヘレス (4機着) 11/30 アンヘレス→ラワグ (キ-21不時着) 11/30 ラワグ→台南 (海軍DC3に便乗)→屏東 (陸路) 12/7 屏東→小牧 |
14.太田 (キ-84未修教育のため) | |
12/10 小牧→太田 12/11〜12/18 キ-84未修教育を受ける |
15.サイゴン キ-61×5(0) キ-21 | |
12/24〜12/29 試験・時間飛行 12/27 23FB指揮下で邀撃実施 12/30 小牧→新田原 12/31 新田原→雁ノ巣 昭和20年 1/7 雁ノ巣→那覇北 1/8 那覇北→台北 1/14 台北爆撃によりキ-61破損 1/16 サイゴン行き中止決定 1/18 屏東→新田原→小牧 (陸路) これ以降、小牧からの空輸は台湾までとなる 1/23 対B29邀撃実施 |
16.台中 キ-61×14 (13) キ-21 | |
1/22〜1/31 試験・時間飛行 2/1 小牧→新田原 2/3 特攻隊のキ-45×10機、新田原着 2/4 新田原→那覇北 (23fcs安西為夫大尉機同行) 2/8 那覇→新田原 (敵空母出現による緊急待避) 2/9 後続2個編隊と合流、キ-61×14機となる 2/10 新田原→那覇 (那覇に1機残留) 2/16 那覇→屏東→台中 2/17 台中→台北 (13機着) 2/20 台北→新田原→小牧 |
17.柏 (18F) キ-61×5 | |
2/25 小牧→柏 2/25 陸路小牧へ(帝都夜間空襲あり) |
18.台中 キ-61×6 (5) | |
3/1〜3/7 試験・時間飛行 3/1 名古屋幼年学校生徒見学。同時に映画ロケ(松竹映画『必勝歌』?)が行われる 3/4 対B29邀撃実施(戦闘に至らず) 3/8 小牧→新田原 (1機小牧へ帰投、5機で台中へ) |
19.新田→小牧 キ-51×1 | |
20.台中 キ-61×4 (3) これ以降重爆随伴なし | |
3/21〜3/26 試験・時間飛行 3/27 小牧→大刀洗 3/28 大刀洗→済州島 (大刀洗に1機残留、3/31空襲で破損。3機で台中へ) |
21.台中 (空輸中止) | |
4/13〜4/17 試験・時間飛行 4/16 キ-61-U初めて小牧着 |
22.北京 キ-61×12 (12) | |
4/21〜4/25 試験・時間飛行 4/27 小牧→米子→大邱→平壌 4/28 平壌→錦州→北京 (帰路は陸路平壌へ) 5/3 平壌→群山→小牧 5/10 キ-100未修飛行実施 |
23.調布→大刀洗 (244F移動応援) キ-100×8 キ-21 | |
5/17 小牧→調布(キ-21) 5/18 調布→加古川→大刀洗(キ-100) 5/19 大刀洗→小牧 |
24.芦屋 (59F) キ-100×6 キ-21 | |
5/25〜5/27 試験・時間飛行 5/28 小牧→芦屋→大刀洗→知覧→雁ノ巣 (知覧にキ-61を空輸した隊員を収容した) 5/29 雁ノ巣→小牧 キ-100は、シリアル3千番台の水滴風防型だった |
25.伊那 キ-100×5 (4) キ-54 | |
6/3 各務ヶ原→伊那 (伊那着陸時1機事故大破) 6/3 伊那→小牧 決号作戦に備えた分散秘匿目的と思われる |
26.台北 (17F) キ-100×12 | |
6/11〜6/15 試験・時間飛行 6/16 小牧→加古川 6/17 加古川→雁ノ巣 6/18 雁ノ巣→済州島 (主力) 6/19 雁ノ巣→済州島 (残留の2機追及) 6/20 済州島→上海 (大場鎮) 6/21 上海→台北→八塊 (上海、台北、八塊それぞれで大歓迎を受ける) 6/22〜6/23 17Fへ未修教育実施 6/28 台北→上海 (日航重爆に同乗) 6/29 上海→小牧 |
27.芦屋 (59F) キ-100×4 キ-54 | |
7/3 小牧→芦屋 7/4 芦屋→小牧 |
28.芦屋 (59F) キ-100×4 キ-54 | |
7/9〜7/10 試験・時間飛行 7/11 小牧→芦屋 7/11 芦屋→小牧 |
29.伊丹 (56F) キ-61-U×2 キ-55 | |
7/13〜7/14 試験 (兼慣熟)飛行 7/15 小牧→伊丹 7/15 伊丹→小牧 |
30.芦屋 (55F) キ-61-U(水滴風防型)×4 キ-21 | |
7/23 小牧→加古川→芦屋 7/24 芦屋→小牧 |
31.小牧→高松→佐野 (111F) キ-100(無塗装)×3 | |
7/25〜7/27 試験・時間飛行 7/28 小牧→高松 (111Fは既に佐野に転進) 7/28 高松→佐野 7/31 小牧帰隊 (陸路) |
33.所沢 キ-43朝鮮水原への応援空輸 キ-21 | |
8/11 小牧→所沢 8/16 所沢→小牧(終戦のため任務中止帰隊) 8/17 書類焼却 キ−21×2機大陸へ (残存隊員収容のため) 8/18 前記キ−21帰投 8/18 地上勤務者、雇員等の体験飛行実施 8/19 厚木航空隊海軍機が徹底抗戦のビラ撒きに飛来 8/21〜8/23 武装解除実施 9/4 復員帰郷 |
その他−ブースト計 | |
三式戦の場合、ブースト計(吸入圧力計)の指針は、離陸時+230mmHg、離陸上昇中+120mmHg、水平飛行時−150mmHgだった。 計器の左半分は黒く、右半分は橙色に塗られてあり、ブースト圧プラス(過給状態)の時は指針が右に振れる。この状態をオーバーブースト(または赤ブースト)と呼んだ。 |
その他−プロペラピッチ | |
可変ピッチプロペラでは低ピッチで出発し、速度が増すに連れて高ピッチになる。ガスレバー(スロットル)はブースト計の指針を見ながら操作し、ブースト圧の増減でエンジン回転数も変化するが、ブースト圧=回転数ではない。 回転数を抑えるほど燃料節約になるが、振動の発生にも繋がるので、程度問題である。また戦闘時にはダッシュ力が必要なので、低ピッチ気味での操作が肝要。 |
その他−三式戦と五式戦の印象 | |
三式戦は重い(パワー不足)ために離陸滑走距離が長く、緩上昇しかできなかった。落下タンクまで燃料満載の離陸上昇は楽ではなく、3千メートルで水平飛行に移るまでは不安があった。 三式戦の操縦席は視界がよく、冬も暖かく快適だった。高々度ではない通常の飛行なら夏物の飛行服で十分だった。 五式戦は短い滑走で離陸、急上昇も可能。三式では不可能な垂直面での特殊飛行も難なくこなせた。ただし、ハ112には不具合が多い印象があった。 出典 三飛会誌「蒼空」 |
命日 | 官 | 氏名 | 特業 | 備考 |
3月19日 | 少尉 | 木村哲大 | 操縦 | 台湾花蓮港東北方約100粁海上、行方不明 キ−61空輸中 |
3月28日 | 軍曹 | 羽村邦寿 | 操縦 | 台湾恒春東南方約3粁海上、行方不明 キ−61空輸中 |
3月31日 | 少尉 | 傳 松男 | 操縦 | 台湾東方約100粁海上、行方不明 空輸帰還飛行途中 重爆11名搭乗 |
少尉 | 坂本三郎 | 機関 | ||
准尉 | 大滝正行 | 操縦 | ||
准尉 | 沓名敏雄 | 操縦 | ||
准尉 | 村岡正満 | 通信 | ||
准尉 | 中島松男 | 操縦 | ||
曹長 | 川原敬一 | 操縦 | ||
曹長 | 森 重成 | 操縦 | ||
軍曹 | 佐藤三郎 | 操縦 | ||
雇員 | 野原 勇 | 整備 | ||
雇員 | 日比野茂男 | 整備 | ||
4月2日 | 准尉 | 野上国雄 | 操縦 | バシー海峡東経120度北緯20度海上、空輸中雲中で行方不明 |
7月4日 | 曹長 | 梅田信治 | 操縦 | 名古屋陸軍病院 小牧飛行場で事故 |
9月16日 | 軍曹 | 延澤安男 | 操縦 | 名古屋市北区庄内橋上流300米 試験飛行中事故 |
9月21日 | 中尉 | 青木 功 | 操縦 | ルソン島アンへレス北方5粁 敵艦載機攻撃により重爆搭乗の5名戦死 |
少尉 | 成田正人 | 機関 | ||
軍曹 | 黒石勝徳 | 操縦 | ||
雇員 | 可児義長 | 整備 | ||
技手 | 近藤早苗 | 通信 | ||
10月6日 | 曹長 | 升岡二良 | 操縦 | 台湾屏東東方約30粁付近 空輸中行方不明 |
10月13日 | 少尉 | 市山政義 | 機関 | 那覇南方約 80粁付近海上、重爆にて器材空輸中敵機と遭遇 2名戦死 |
准尉 | 奥野郁次郎 | 操縦 | ||
11月9日 | 軍曹 | 篠岡 勇 | 操縦 | 那覇北方320粁宝島東方20粁海上 空輸中行方不明 |
11月13日 | 軍曹 | 細山田安男 | 操縦 | 那覇148度130哩海上 空輸中行方不明 |
12月11日 | 中尉 | 西村好雄 | 操縦 | 沖縄読谷村北飛行場北端 空輸中事故 |
12月15日 | 中尉 | 清野孝親 | 操縦 | アンへレス西飛行場付近、空輸帰還離陸直後敵機と遭遇 重爆搭乗7名戦死 |
中尉 | 澤 貫一 | 操縦 | ||
少尉 | 河野毅史 | 通信 | ||
准尉 | 金重鉄雄 | 機関 | ||
准尉 | 村上敏雄 | 操縦 | ||
軍曹 | 黒野有明 | 操縦 | ||
軍曹 | 田嶋恵忠 | 操縦 | ||
昭和20年 | ||||
1月9日 | 曹長 | 堀 廣治 | 操縦 | 愛知県東春日井郡勝川下屋敷 試験飛行中事故 |
1月11日 | 中尉 | 浜松初夫 | 操縦 | ルソン島エチァゲ北方30粁付近 重爆、P51により撃墜さる。4名戦死 |
少尉 | 田辺義夫 | 通信 | ||
准尉 | 遠藤 満 | 機関 | ||
曹長 | 高橋 保 | 整備 | ||
1月11日 | 中尉 | 坂井将博 | 操縦 | ルソン島エチァゲ北方30粁付近 空輸中キ-61×9機、P51に撃墜さる |
中尉 | 久保武夫 | 操縦 | ||
中尉 | 天野七十六 | 操縦 | ||
中尉 | 秋吉 稔 | 操縦 | ||
中尉 | 赤池東吉 | 操縦 | ||
准尉 | 難波儀造 | 操縦 | ||
曹長 | 菊永富男 | 操縦 | ||
曹長 | 吉谷森男 | 操縦 | ||
曹長 | 河田精市 | 操縦 | ||
3月5日 | 曹長 | 殿木栄一 | 操縦 | 台北北方300粁付近海上 空輸中行方不明 |
3月22日 | 曹長 | 内藤健児 | 整備 | 都城陸軍病院 戦死 都城飛行場空襲による戦傷 |
3月24日 | 曹長 | 大西 実 | 操縦 | 仏印ツーラン付近 空輸中行方不明 |
4月17日 | 中尉 | 榊 重雄 | 操縦 | 揚子江崇明島上流70粁付近 重爆、器材空輸中行方不明 2名搭乗 |
准尉 | 田畑富男 | 機関 | ||
4月22日 | 曹長 | 瀬尾芳見 | 操縦 | 済州島西南方約200粁海上 空輸中行方不明 |
4月24日 | 准尉 | 飯塚徳次郎 | 操縦 | 海南島東北方約200粁海上 キ−61×3機、空輸中行方不明 |
准尉 | 大楠俊賢 | 操縦 | ||
曹長 | 山本正夫 | 操縦 | ||
5月26日 | 准尉 | 江崎鉄造 | 操縦 | 台湾新竹西北方約130粁付近 キ−61×2機、空輸中行方不明 |
曹長 | 芹沢吉太郎 | 操縦 | ||
6月3日 | 中尉 | 坂元 肇 | 操縦 | 新潟県松ヶ崎村新潟飛行場 訓練飛行中事故 |
6月16日 | 准尉 | 浅野建夫 | 操縦 | 滋賀県蒲生郡市辺村字大平 空輸中事故 |
7月16日 | 中尉 | 加藤正治 | 操縦 | 済州島西 東経123度北緯32度海上 空輸中行方不明 |
8月6日 | 中尉 | 小島嘉一郎 | 操縦 | 済州島飛行場 キ−100×3機、空輸中P51に撃墜さる |
准尉 | 松本 博 | 操縦 | ||
曹長 | 井上秀雄 | 操縦 | ||