| ■ 少飛会の解散 04.10.3 陸軍少年飛行兵出身者の全国組織である「少飛会」が、本年をもって解散となりましたが、このほど発行された会報「翔飛」の最終号を、少飛第11期会会長 関 利雄様からご恵送いただきました。 皇軍関係団体が次々と姿を消していくのは、やはり寂しいことです。244戦隊とともに帝都防空の双へきであった飛47戦隊も、昨年で戦隊会は解散したと聞きます。 また、「翔飛」最終号を拝見して、物故者名簿の中に、平成7年の拙著執筆時にご助力をいただき、上梓の際には大変喜んで下さった13期 小嶋五郎氏(飛55戦隊→第20振武隊→第164振武隊)、甲種15期 上原良雄氏のお名前を見つけ、寂しさは倍加しました。ただ、ご冥福をお祈りするのみです。 時の流れには抗えませんが、陸軍航空の正しい歴史と空の勇士たちの物語は、永久に伝承されなければなりません。そのために、私も微力ながら努力を傾けたいと思っています。 また、最近は出版商売の悪影響か、出版物もネットも、海軍・零戦系は掃いて捨てるほど出てくるにもかかわらず、大東亜戦争の主体であるはずの陸軍系はごくごく僅かでしかありません。実におかしなことです。根拠のない海軍賛美、陸軍蔑視の傾向も目立ちますが、これも是正していかねばなりません。 | ![]() |
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| 昭和19年12月、戦隊長機3295号の前で。前左からョ田、新垣(あらがき)、斎藤、佐々木各少尉。新垣安雄少尉は、 20年2月16日、対艦載機戦闘に於いて戦死。佐々木鐵雄少尉はョ田少尉と共に6月6日知覧出撃、特攻戦死。 |
| 注1=渡辺伍長は、そよかぜ隊の所属。したがって13日に着いたのは、そよかぜ隊。 注2=同日、在八日市は「そよかぜ」一隊のみなので、13個(たぶん撃墜破計)のマークは小原大尉機ではないか。 注3=みかづき隊は15日夜、小牧に宿泊した記録があるので、みかづきは16日八日市着。15日着はとっぷう隊。 | |
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| ■ モデルアート3月号 04.1.24 このたび発売の雑誌『モデルアート 3月号』に244戦隊が特集されています。ファンの立場としても嬉しいことです。 24号機の初期の迷彩を再現した作品なども初めて見ましたが、これがプロの技というものなのでしょう。当方、模型には疎いので、とにかく驚きました。 皆さまにも、ご一見をお勧めします。 | ![]() |
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旧とっぷう隊時代の吉田軍曹。19年春頃と思われる。 |
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防衛総司令官 東久邇宮稔彦王大将から授与された感状。 |
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| 讀賣ニュース昭和20年1月3日号 『醜翼B29の本土来襲いかに相次ぐとも、我に鉄桶(てっとう)の制空陣あり。皇土直衛の重任を帯ぶ○○戦闘隊は基地に怨敵邀撃の陣を張り、敵機いつでも来れと腕を撫して待つ。』 注 この写真は、おそらく昭和20年元旦に浜松飛行場で撮影されたもの |