昭和20年5月 天号航空作戦 知覧ヘ 2019.6.24

5月1日 風強し
 午前、田所少佐、航空総軍藤田少佐来訪。
 午後は柴崎分院に案内する。

5月2日
 午前、診断。

5月3日
 1030出発。北中尉(主計)と松山を偵察に。PM2.30着。夜7時調布に帰着。

5月4日 晴
 夜、分院日直。

5月5日
 家で、夜ピアノをひいていると矢野少尉、次いで小原中尉来る。22時、(情報の)電話で帰隊し待機するも敵襲なし。

5月6日
 朝、池谷伍長、岩間軍曹と飛行場わきの防空壕まで行ってみる。
 夜、帰宅。熱海の渡辺家の別荘番のおばさんが来ていて、踊りを習う。

5月7日 晴
 休み。朝、自室とピアノの部屋も掃除をして文野さんと家を出る。私は神田に本を見に。

5月8日 曇
 夜、総軍から第8研究所の少佐来隊。隊に泊る。

5月9日 午後雨
 AM.8.布田天神。友寄さん(渡辺家書生)の出征の祈願。
 AM.9.診断。夜は帰宅、大勢でにぎやか。

5月10日 晴
 応召身体検査あり。
 午後、慰問演芸。田中絹代踊る。
 夜、分院当直。

5月11日 曇
 師団軍医将校集合教育。9時、神田如水会館に集合。兄の家に泊る。

5月12日
 同、第2日。電話にて帰隊。
 天号作戦に参加。鹿児島に部隊は転進命令!

5月13日
 午後から師団田所少佐へ。山内伯邸にて、おそくまで送別の宴。

5月14日
 隊では出動準備。夜は送別会。渡辺家に帰って、又送別会。小原中尉、富永少尉と文野さん、あとで矢野少尉も。

5月15日
 朝は記念撮影。先発隊は、午前、午後に分れて出発。

5月16日
 部隊感状授与さる。B29撃墜73撃破92、F6F撃墜10撃破2、SB2C撃墜1、合計178

5月17日
 曇後晴 午後P51来襲。14時、離陸。全機出発。

5月18日
 午前、航空総軍へ。阿部閣下に挨拶。午後は隊で

5月19日
 B29来襲。AM10、東京駅、1430の列車で兵達と西へ。有楽町の高架から「銀座もこれで見納めだ…」誰言うとなく。

5月20日 曇
 9.30大阪駅着。14時再び乗車、西へ。夜、警報発令。暗闇の中を西へ。

5月21日
 小倉にて乗換。福岡にて芥川少尉の連絡により予定変更、知覧へ。暗くなって伊集院着。私鉄事故不通の為、線路の上を徒歩で知覧に向う。

 風強し。鉄橋も流れを睨み乍らまくら木の上を歩いてわたる。強い風の為、ほたるが沢の木の枝にとまっている。クリスマスツリーのイルミネーションの様。
 途中貨車があらわれ、飛行場大隊長が迎えに来て、それに乗り、飛行場着は午前2時。

5月22日 小雨
 飛行場大隊の医務室に連絡。大隊長小野崎大尉に申告。彼は昨年、調布で2ヶ月間教育を受けているので、大歓迎して下さる。将校も三角兵舎に寝る。

5月23日 曇時々晴
 北中尉(主計)と岩間曹長(衛生)池谷伍長(衛生)を連れて知覧の町に出る。
 夜は、戦隊長、本部中野少尉、北中尉と将校の休養所とした町の内山旅館で夕食。読売新聞の宮本特派員も共に。泊る。

5月24日
 本日は天候不良の為、攻撃延期となる。夜は早く寝る。

5月25日
 朝、第8次攻撃。特攻機約60機。6時出発、涙して送る。
 戦隊機は掩護に出撃するも徳之島で落下タンクを落とし帰還するので、敵とは遭遇せず。

 海軍機と遭遇し、あわや同士討ちの出来事があったが、全機無事帰還。
 診断、小手術。夜、大隊会食。二次会は内山旅館で。

5月26日 晴
 1230より離陸開始。と号10機出撃。血風隊
 昨日受診した可愛らしい顔の伍長、淋病で男根より膿を流しながら出撃したことと思う。
 3機は離陸方向を誤り事故、1名死亡。飛行場の黒い畠土を赤く血まみれにして。
 戦隊は全機帰還。

5月27日 曇後晴
 0530臨時出動。特攻機10機出撃。1機は事故。
 古賀中尉、出発の際事故。分院に入院。
 0930我隊は全機帰還。戦隊長は地上滑走中に事故、唇を切り、3針縫合。あと診断。

5月29日 雨
 午後、月例身体検査

5月30日
 夕方、北中尉、佐藤少尉と散歩。斎藤少尉到着。

5月31日
 加治木、国分方面に事故機ありとの報に、トラックで1300、鈴木、北中尉、佐藤少尉、権田見習士官と共に出発。鹿児島より桜島を見乍ら湾を北上、国分の海軍基地まで。
 青沼伍長殉職しあり。重富村。国分の大正旅館に泊る。



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