第27話 「”筋”」
ウソップの決意にルフィ達が加勢を決意する回。
銃で撃たれたウソップが、ウソップ海賊団の子供達に会ったとき、さりげなく撃たれた左腕を後ろに隠している演技が、細かい。
こういう演技まできちんと描いているところが、話にリアリティを生み、また、特にそういう動作を強調して描かず、
よく見ないと気づかないようにしておくことで、何度も読めば読むほど味が出て来る、深い作品になっていくのである。
第28話 「”三日月”」
この回の表紙イラスト、ルフィ達の乗ってる牛車の、牛に乗ってる農夫のオッサン、サンジに見えるのだが…
白黒なので髪の色が分からないのだが…どうなのだろう?
この回、クラハドールの本性露見・メリー惨殺(に見えた…)からジャンゴ出撃への場面転換の妙など、
ストーリー運びが上手い。シリアス→ギャグの微妙なバランスである。
しかし、カヤはカーテン明けっぱなしで寝るのだろうか…それじゃ、朝日が出てきたら明るくてすぐ目が覚めてしまう気がするが。
体が弱いのだったら、じっくり睡眠とった方がいいし、夜は窓を通して寒さが来ないようにする筈だと思う。
気候にも寄るけど。まあ、こういう細かいツッコミが入れたくなるくらい、そういう細かい所にも目が行き届いた描写が多いってことで。
北斗の拳やらドラゴンボールでは、アホらしくてそんなことまで突っ込む気も起きないわけだから。
第29話 「”坂道”」
題名の通り、坂道のシチュエーションをフルに利用した戦闘が繰り広げられる。
また、相変わらず尾田氏の絵の構成がよく、2次元の絵の中で坂道を見事に表現している。
坂の下の方に向かって吹き飛ばされる海賊達(Ex ウソップの鉛星攻撃)はかなり遠くに飛び、
逆に上に向かって攻撃された海賊は(Ex ナミの棒攻撃)ほとんど倒れるだけ。
当たり前のように思えるが、こういう描写によって、無意識のうちに読者の中に各キャラクターの位置関係や、
そこが坂道であることを刷り込ませるのだ。
第30話 「”GREAT”」
尾田氏の絵は、動きを表現するのに、その動く対象に効果線をあまり使わない。
この回で言えば、ジャンゴの催眠術の時のチャクラや、ルフィがもぎ取った船首、クラハドールのメガネ上げ、
ゾロの退屈凌ぎに刀をトン、トンと動かす動作の、刀そのもの、など、動きを効果音や一点への集中線だけで現している。
効果線が増えると、画面は見苦しくなる。ましてや背景や大量のキャラクターなど、
書き込まなければならないものが多いほど、ゴチャゴチャして、絵が濃いだけでどこを強調したいのか分からない状態になってしまう。
絵に動きと迫力、それと逆の見やすさ、シンプルさをいかに同居させるか。
これを本作では下手な効果線を排除することで調和させているわけである。
第31話 「”真実”」
メリーは何時間倒れていたんだろうか。これだけ長い間放置され、それでも息がある。
(それどころか結局一命を取りとめる)作戦は完璧を期すキャプテン・クロらしくない失敗である。
それはともかくとして、メリーのような、主役にならない、しかし自分の分をわきまえて、
自らの役目と責任を忠実に果たして社会を形成して行く大人のひとの描き方も、さすがであり、作品世界を支える存在である。
私の密かなお気に入りキャラである。
しかし、メリーって羊なのだろうか?それとも人?「ヒトヒトの実」を食べた羊か、または「ヒツヒツの実」を食べた人間とか…?
多分フィーリングで書いたのだろうが、人でなく羊に近いとすれば、クロが殺すつもりであったのに助かるのも納得が行く気がする。
臓器や骨格の違いから、人なら致命傷になる傷も致命傷にならなかったと解釈できるわけだから。
第32話 「”大凶”」
ニャーバンブラザーズ…なんだかただゾロに見せ場を作るだけのやられキャラッぽい感じであり、実際その通りであった。
しかし彼らやメリーは作品世界ではどういう位置づけなのだろう…悪魔の実の能力者とは思えないが、人間なのだろうか?
まあ魚人とかいるし、そういう類の生物なのだろうか…??
シャムの腹はスカスカだったとの説明がされるが、それなら切った感触で分かりそうに思える。
何か別のものを入れていて、その残骸がそこらへんに飛び散る…くらいの描写はして欲しいように思える。
ところで、「大凶」って題名は何を表すのか…クロにとっての大凶か、ジャンゴらにとっての大凶か…?
最後に一つツッコミを。坂道の描き方のうまさを前述したが、最後のページの前で、ナミがゾロの刀に向かって走るシーン、
さすがに遠近感おかしいように見えるのだが…どうだろう?
第33話「”音無き男”」
キャプテン・クロの強さを表すのに、ゾロでなくニャーバン兄弟を利用する。
敵の強さを表現するには味方だけでなく、敵をかませ犬として扱うというのも一つの方法である。
ここでゾロを利用するとルフィとの戦いの前に展開が無駄に長引いてしまうし、ゾロも簡単には引き下がらないだろう。
でも、ニャーバン兄弟は話の展開上、本当に必要だったのか?結局、この回にゾロの前に破れ去っている。
本当にただのやられキャラである。ゾロと戦うのはジャンゴでも良かったのではなかろうか…
そしてクロはジャンゴとの戦いで傷ついたゾロと戦い、ゾロをピンチに陥れた所で、ルフィ登場。
ジャンゴはカヤを追って行き、ゾロは置き上がってウソップを連れて行く…これでもいいような?
まあ、あまり登場キャラクターが少ないと話が小さくなってしまうので微妙な所では在るが。
第34話 「”執事クラハドール”」
カヤが舞台に登場する。そこでクラハドールの目論みが明白になるわけだが、
3年間も一緒に泣いたり笑ったりしておきながら、それをずっと屈辱だと思って耐えて来た、とまで言い切る。
普通ならここで少しは情がわきそうなものだが、ここまで悪人として描き切るのは、なかなか凄い徹底の仕方である。
私ならここまで悪人にはできないだろう。
(カヤを殺そうとして猫の手を振り上げた瞬間、一瞬躊躇してしまい、そこをルフィに倒される、とか…のパターンになりそうなもの)
これによって、ルフィの戦いが純粋にカタルシスを楽しめるようになるわけであるが。
そんなに屈辱の日々だったのなら、そりゃあ、カヤ以外の相手(ウソップとか)にはきつくあたって少しはストレス解消したくもなるだろう…
以前の執事時代の、クロにして万全を欠くような冷たさの表現にはそんな意味もあったのだろうか。
第35話「”ネオ坂道”」
なんだろ、ネオ坂道って。最初の坂道の形勢(ルフィ達が、敵が坂道を上がるのを防ぐ)と逆になった
(クロ達がルフィらが坂道を上がるのを防ぐ関係になった)ことを意味するのだろうか。
たまねぎ、ピーマンら、少年達再登場。「せえばい」「みだす」など、前述した子供っぽさの演出がここでも行われている。
さて、演出上ちょっと気になるセリフが一つ。
ジャンゴの「俺のチャクラムを食らって立っていられるのはどういう理屈だ?」というもの。これに対し、結局答えは明示されていない。
おそらくルフィのタフさによるだけだと思われるが、それならそれと、ゾロにでもセリフで「タフだからな…あいつは」
くらい言わせておけばいいわけで、こういう、無駄な疑問だけを投げかけるのは、読者に消化不良を起こさせ、望ましくない。
このセリフはいらなかったように思う。以前のカバジとプードル村長の会話に近い。
|