第18話 「海賊”道化のバギー”」
バギーとルフィの戦闘オンリーの回。悪魔の実能力者同士の戦闘。特にルフィのゴムゴムの能力満開で、
絵的にも面白いものに仕上がっている。この回はそれだけを楽しめば良いだろう。
第19話 「”悪魔の実”」
バギーとシャンクスが同僚だったころの過去が明らかになる回。
こういう風にメインキャラクター同士に繋がりを付けるのは、ドラマを盛り上げる際に良く使われる方法ではあるが、
使い方を誤ると物語を小さく感じさせる危険性がある。
ストーリーが主人公の周りだけで進んで行き、世界がせまくなってしまうのだ。
その点、この作品はスケールが大きく、また脇役に至るまでしっかり生き生きと書いているため、
まだ登場していない場所にもいろんな人がいて、それぞれの生活をしているだろうことが想像できるまでに、
世界がしっかり形成できているので、何の遠慮もなくこういうことが出来るわけである。
それにしても、バギーの鼻はナイスデザインである。
昔のシーンで髪型もコスチュームも全然違うのに十分過ぎるくらいバギーである事を主張して来る。
この鼻の印象で、実は本作の敵の中で一番キャラ立っているようにも思える。
口癖の「ハデ」も、町長の「さながら」のように外しておらず、バギーのキャラクターをうまく形成する一助になっており、成功といえよう。
第20話 「”泥棒道”」
この回でバギーとの戦いは終了する。最後の見所はクルクル変わるバギーの表情であろうか。
総論でも述べたが、表情の核になっているのは各キャラクターの「口」である。それを痛感させてくれる回である。
ところで、ゴムゴムのバズーカは、ゴムゴムの鎌やゴムゴムの鞭と比べると、どうも表現し切れていないように思える。
というのも人間の体の構造と違う動きをしているからだ。
人間の腕は、体に対し垂直に後ろに持って行くことと、前に突き出すことは可能だが、
後ろから前にまっすぐ突き出すことは不可能である。必ず体の横か、上下を回さなくてはならない。
それがきちんと書かれていないので、イマイチ説得力のない技になってしまう。
同じ構造上不可能であるゴムゴムの槌は絵で説得できているのだが…
「ゴムゴムの実」の能力だから、というのだけは、やはりアクションに説得力を持たせるのには無理があるのである。
想像力の範疇を超えてしまっている。
不可能な動きをギャグでやってしまうことも、表現方法としてはないではないが、
ここはきちんと見せて置かないといけない、真剣なバトルシーンの筈である。
第21話 「”町”」
バギー編のラストである。ルフィの、ボケボケでありながら何かしら一本のポリシーというか、
考え方を持っているらしきセリフが印象的な、すがすがしい回である。
町長の「さながら」はもはや忘れられたのだろう、セリフから消滅している。
第22話 「”あんたが珍獣”」
ガイモン登場である。
こんな無茶苦茶なデザインのキャラクターを使いながら、感動を与えられるエピソードを作り上げる手腕に感服。
しかも、グランドラインなどの世界設定をここでやってしまう。
横道のエピソードでありながら、完成度は高い。
また、話のエッセンスだけを凝縮するために、敢えてゾロを寝かせてしまうのも、うまい。
短く話を詰めるためには登場人物を減らすのも、一つの手なのである。
第23話 「”キャプテン・ウソップ登場”」
ウソップ登場である。立て続けにギャグを並べて、ウソップのギャグキャラクターっぷりを強調している。
ウソップの「〜〜したくない病」ネタは、基本的に大して面白くないのだが、それが逆にウソップのダメっぷりを表現していて、悪くない。
(ウソップのギャグがあまりに面白かったら、それはそれで「一流の芸人」になってしまい、
ウソップがダメキャラクターにならないので、かえって好ましくない。)
まあ、カヤに喋ってるウソ話は面白いみたいだけど。この話は24話で。
で、ここまでダメっぷりを発揮しておきながら、ラストで美少女(カヤ)が「わたしウソップさんに会いたい…」という意外な展開。
落としたり上げたりでキャラクターの描写を深める方法である。
上げて落とすか、落として上げるか、手法は二通りあるが、後者の方が全体イメージは良くなる。
ウソップは後にルフィの仲間になるキャラクターなので、全体的には良いイメージに持って行こうとしているのが窺える。
第24話 「”偽れぬもの”」
この回はストーリーに特に見るべき所はないので演出の話を。
一つ目はセリフの字体による演出。1ページ目で村の子供・ピーマンが
「この戦いはウソップ海賊団”けっせい”以来の”そうぜつ”な戦いになりそうだ」と喋る。
結成、壮絶、程度の単語なら漢字にしてもジャンプ読者の子供に意味は通じるであろうが、
あえてひらがなにすることで、子供っぽさを強調しているわけだ。
ただ、この演出は一貫しておらず、その後あえてひらがなにする演出はあまり見られないのが残念。
次に、絵の演出である。コミックス153ページを見て欲しい。
ここでカヤが「ウソップさんに謝って!」と凄い剣幕でクラハドールに食ってかかるわけだが、
よく見ると窓の枠などが、カヤを中心にして湾曲している。真っ直ぐの時と比べると、カヤの迫力が違って見える。
尾田氏はこういう空間の歪みも結構効果的に使いこなしており、ウソップがクラハドールを殴り付けるシーンも、
ウソップの足元の影の方向もバラバラだし、よく見ると右足の方が左足より手前側に突き出ている。
しかし、その分画面に迫力が出ているのである。
漫画は所詮絵である。感情を表すためには写実だけにこだわると上手く行かない、
むしろこのような良く見ると無茶な絵を、感情で成立させる方が高度だし、効果的なのである。
最後に、ウソップのセリフから。
巨大金魚の話をするが、実はその金魚は、巻十五の129話、”まっすぐ!!!”でルフィ達の前に登場する。
つまり、この時喋っているウソップのウソは、全くの作り話ではないことになる。
次から次に創作話で笑わせているなら、それはそれで凄い才能なわけだが、そうではなかったわけである。元ネタがあるのだ。
23話でも言った、「ウソップをあまり凄い人間として演出しない」という方向性が、十巻も後になって示されるわけである。
この辺が私が「ONE PIECE」 にはまった一因と言える。
しかし一体尾田氏がどこまで計算して書いているのか…全部計算ずくならファイブスターストーリーズ(※)
にも負けない大作だと思うのだが…
(※)ファイブスターストーリーズ…永野護作、アニメ雑誌ニュータイプ連載中の漫画。10000年以上にも及ぶ
とてつもないスケールの設定や物凄い人数の登場人物が繰り広げる、宇宙を舞台にした神秘的おとぎ話(?)。
第25話 「”ウソ800”」
この回で尾田氏の凄さを見せつけるのが、ウソップの父・ヤソップの話である。
ヤソップがシャンクスの船に乗っていた、ということが明かされるわけだが、普通はこういう描写はあとづけ設定である。
ところが第1話を見てみると、しっかりヤソップはシャンクスの海賊団にいるのである。
これに気づいた時に、私は尾田氏の凄さを感じた。約半年後の話の展開のために、伏線を張っておいたのである。
もしここでウソップの父があの副船長やデブの人だったら、ご都合主義としか思えないところなのだが、
(19話も説明した、物語が小さくなってしまう危険性もあり)これには参った。
総論でも述べたが、この壮大な伏線の張り方が「ONEPIECE」の凄い所なのである。
ヤソップをあえて1話の時に活躍させないことで、物語を小さくするどころか、逆に大きく膨らませる。
ここまできちんと描写されていない端の方のキャラクター達も、それぞれに人生があり、
ドラマがあってONEPIECE世界を構築しているのを感じさせるからだ。
未だ書かれていない世界や、人間達の存在可能性を、一気に実感として湧き上がらせるわけである。
実際、端の方に居た、ただのエキストラだったキャラが、ただの記号ではなく、きちんとリアルとして存在しているのだ。
その証明をここでしたわけである。
第26話 「”キャプテン・クロの一計”」
ウソップが狼少年のごとく信用してもらえない、という話。
ストーリー組み立ては別にとりたててどうこういうこともないので、ちょっとキャラの話を。
このウソップ編で登場するキャプテン・クロとジャンゴ。この二人はそのキャラデザインもそうだが、独特のポーズを持っている。
キャプテンクロはメガネ上げ、ジャンゴは手を帽子に掛ける仕草。
尾田氏の上手いのは、キャラクタのこれらの行動に、作中で「理由」をつけるところだ。
キャプテン・クロは”猫の手”で自分の顔を傷つけないため、ジャンゴは自分に催眠術をかけないようにするため。
このように、キャラの行動に理由づけをすることでさらにその行動が印象付けられ、結果的にキャラのリアリティーが増すわけである。
のちに登場するサンジのタバコなども同じである。
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