でぼこのお散歩



掲示板はここをクリック
戻る
続きは こちらをどうぞ
12月×日
立教大学のクリスマスツリーを見物しました。
立教大学の正門には 形の良い大きなモミの木が2本植わっています。
クリスマスシーズンになると 毎年このモミの木に イルミネーションが灯ります。 色とりどりの電球のイルミネーションで シンプルで落ち着いた感じが良いです。 毎年 ずーっと同じです。





ちょっと離れた 付属小学校のほうは 最近ド派手な イルミネーションが灯るようになりました。




4月○日
またまた イッチャンさんの書き込みに刺激されて カタクリの花を見たくなりました。
どこか近くで見られるところはないかと探してみたら 23区内唯一のカタクリ群生地というのが 練馬の清水山 というところにありました。光が丘の先です。 今が見頃ということで 早速行ってきました。

これは見事な群生です。一面カタクリです。








カタクリはユリ科の多年草で その根からとれるでんぷんは良質で これがいわゆる片栗粉 ですね。 (現在では片栗粉はほとんどジャガイモからつくられています。)
純正片栗粉は超貴重品で漢方薬として高値で売られているらしい。
種が地に付いて花が咲くまで7〜8年かかるらしい。 地面に落ちた種は アリに運んでもらって 版図を広げるらしい。 光合成の期間が短く 1年のうち ほとんどの期間 地中で休眠しているらしい。
なかなか デリケートな植物のようです。

ここで 例によって古典のお勉強。
万葉集に 大伴家持の歌として

もののふの やそおとめらがくみまごう てらいのうえのかたかごのはな

というのが あります。
この「かたかご」は 「堅香子」 と表記されていて カタクリのこと だということです。 万葉集で「かたかご」を詠んだのは この一首のみだそうです。
それにしても とても美しい花なのに あまり古典には出てこないような・・・。 そにどり・・・。

カタクリの群生を眺めていると 家持さんの気持ちがわかるような気がしますね。

3月△”日
2008年お花見シーズン開幕
今年は 東京地方の満開が南の方より早いらしい。 桜前線北上に異変がおこっているらしい。ヒートアイランド?

その1 上野公園 花見でどんちゃん騒ぎといえばここ。
今夜は 東京文化会館で開かれた フルート室内楽の演奏会にお食事つきでご招待されたので  ちょっと早めに行って 花見の様子を見物しました。


満開

名物 場所取り
場所取りに金銭授受をしてはダメという張り紙がしてあります。
上野といえば西郷どん
でも 何故 上野に西郷?
名物猫
何かいわく付きの猫らしい。 木の枝と一体化してます。
自称 猫使いが手を出しても 全く無視。

フルートの調べ とてもすばらしかった。

その2 千鳥ヶ淵の夜桜 東京の桜の名所といえばここ。

毎年 人が少ない深夜に花見に来ますが いつも名物ライトアップは終了してます。 今年初めて ライトアップされた桜を見ました。
すごい人出です。九段坂下の駅出口から ながーい行列が出来ています。 ボートじゃま。

その3 中野通り
商店街の桜まつりが 1週間後の土日となっていました。 ここは いつも満開の時期をはずします。
見物渋滞

ここも満開

その4 小石川播磨坂
ここは 桜祭りをやっていました。
道路の両側と中央の3列の桜並木が見事です。
歩行者天国





3月△’日
浜離宮を散策しました。
いま通っている歯医者さんが築地にあるのですが、
歩いてすぐのところに浜離宮があることが判りました。
ということで 歯医者さんの帰りに ちょっと寄って見ました。
園内はちょうど 菜の花が満開でした。



3月△日
お彼岸恒例の墓参りに行きました。
霊園の奥に しだれ桜の並木があります。
ソメイヨシノより一足早く咲きます。
今日はちょうどソメイヨシノの開花日でしたが こちらは すでに4〜5分咲きです。平年よりやや早く去年よりは遅めです。

ここは桜の穴場です。

2月△’日
新聞を見ていたら 品川の荏原神社で寒緋桜が満開と出ていました。
荏原神社は江戸時代は貴船明神(貴布禰大明神)といわれていたらしい。
となると 貴船明神は そう「鬼平」に出てきます。(5巻 「乞食坊主」)
出だしのところに
「場所は品川宿のちょうどまん中、目黒川にかかった[中ノ橋]の南岸で、宿をつらぬく東海道から右 へ外れたところに貴船明神の社がある。」
とあります。
この社の縁の下で かつては平蔵と道場の同門 今は乞食坊主に落ちぶれた井関録之助が  昼寝をしていて 盗賊たちの密談を・・・。 

ということで 天気も良いので お花見がてら品川宿あたりを散策しました。
品川宿は現在の京急北品川駅あたりから青物横丁駅あたりまでです。
京急線をはさんで第一京浜と反対側(海側)に旧東海道があります。
旧東海道 品川宿
江戸時代は このあたりの 左側(東側)はすぐ海岸がせまっていたようです。 東海道五十三次 品川

旧東海道商店街をトコトコ京都方向に歩いていくと お、懐かしい山手通り。(?)
これを横切ってさらに少し行くと 「鬼平」にあるとおり 目黒川に架かる「中之橋」があります。 現在は 品川橋という名前になっています。
品川橋(中之橋)

橋の右手を見ると 確かに 神社がありました。まさに荏原神社(貴船明神)です。
でも 「鬼平」にあるのと違って 現在は目黒川の北側に位置してます。 昭和初期に 目黒川改修で川筋を 南の方に変えたらしい。
荏原神社
鳥居のところに 寒緋桜が咲いています。

寒緋桜
満開をちょっと過ぎていますが まだいけます。 花の色の濃い桜です。 沖縄では 桜といえば この寒緋桜のことらしい。九州南部では 元日(旧暦)に咲くので ガンジツザクラともいうらしい。
ソメイヨシノばかり見慣れていると こういうのが とても美しいく感じますね。

荏原神社の狛犬は日本一美しいと自慢しているらしい。
 吽
たしかに 地元の氏神様(山手通りのそば)の狛犬より かなりリッパです。


2月△日
このところ晴天続きで 今日は特にポカポカ陽気です。
ということで 突然思い立って 野川にカワセミ観察に出かけました。
イッチャンさんの書き込みに刺激されて 一度カワセミを見てみたい と思っていたのです。
あらかじめ 野川に近い と、読むさんからも情報を仕入れて 出かけました。
成城学園前から 野川に下りて 川沿いの遊歩道を ブラブラと調布方面に歩きます。

野川
野川はコンクリートの護岸工事をしていないので 自然がいっぱいです。
野鳥の種類も豊富だそうです。
休日ともなると カメラの放列が出来るそうですが 今日は  望遠をつんだ三脚が一つだけです。

さて 肝心のカワセミには会えたのでしょうか? 続きは こちら をどうぞ。

2008年1月△日
江戸東京博物館に北斎展を見に行った帰りに 本所辺りをぶらりと散策しました。
このあたりは 時代小説によくでてくる場所ですね。


両国駅から 国道14号(京葉道路)を越えた裏通りの一角に 本所松坂町公園という 白い塀に囲まれた 猫の額ほどの公園があります。忠臣蔵の 吉良邸跡です。
中に入るとお稲荷さんと 首洗いの井戸なるものがあります。 上野介の首を洗ったということのようです。
本所松坂公園 吉良邸跡
実際の屋敷は この公園のあたりが 北東の角で 南側は手前の道路から竪川の方と 西側は回向院の方に 広がる2500坪くらいの屋敷だったらしい。



公園から西に1〜200mくらい離れたところに 回向院という大きなお寺があります。
吉良を討った後 大石蔵之助の一行は 回向院まで行って 休ませてくれと交渉したけど お寺は ビビッて門を閉じたまま 一行を中にを入れなかったらしい。 ここで 入れてといてあげれば 回向院も後世に名をあげたでしょうに。
やむなく そのまま泉岳寺に向ったということです。

吉良邸跡から南に少し行くと竪川(たてかわ)にぶつかります。
全く偶然ですが、両国までの電車の中で読み始めた 藤沢周平の「花のあと」のなかの「鬼ごっこ」ではちょうどこの辺りが舞台となっています。 (最近こういう偶然が重なってます)
主人公の吉兵衛は竪川に架かる二之橋をわたってすぐの常盤町に住んでいて 女おやえを回向院裏の 裏店に住まわせています。
吉兵衛が 東両国のほうから家に帰る途中何者かに尾行されているのに気づいて 二之橋を渡らずに 竪川沿いに緑町から入江町の方に歩いていく場面があります。 それと思しき道を歩いてみました。町名はだいぶ変わっているようですが  緑町は残っています 二之橋もあります。(松坂町とか入江町は無くなっているようです。)  町並みに ほとんど江戸の面影はありません。竪川の上は首都高です。

(それからー1) 藤沢周平の「夜の橋」の橋は この二之橋ですね。
「ささやく河」でも 二之橋は重要な場所となってます。

(それからー2) 現在の町名ですが、竪川の北側 松坂町や相生町は両国に、入江町は緑になってます。 竪川をはさんで 緑町の反対側の林町のあたりは立川になってます。 本当は竪川なんでしょうけどね。 立川にするくらいなら 林町とかにしたらよかったのに・・・。
ところで 昔の町名は 町屋についているので 武家地には町名は付いていないのですね。
だから 例えば 入江町の長谷川邸というのは正しくなくて  正確には 入江町近くの ということになるのですね。

このあたりは 鬼平犯科帳でも主要な舞台です。
しばしば登場する 軍鶏鍋の「五鉄」も この二之橋の付近にあったのかな。
鬼平犯科帳では 長谷川平蔵の生家のあったところは入江町となっていますが 史実では 三つ目通りに沿って 竪川を渡ったもう少し南の菊川町で  現在の地下鉄菊川駅そばの一角らしい。 入江町にも 長谷川という名前の邸があったが 平蔵とは別人だったのを 池波正太郎が取り違えたらしい。
長谷川邸は平蔵死後孫の代に売りに出され (平蔵が火盗改役遂行のためにかなりの私費を投じ、大きな借金を残したらしい。)  それを買ったのが かの遠山金四郎です。
菊川駅の近くの歯科医院の入口のところに モニュメントが建っています。
長谷川平蔵 遠山金四郎 屋敷跡

鬼平犯科帳では 平蔵が本所で過ごしたのは 青春時代までで 父の転勤にくっついて京都まで 行って、父の死後 江戸に戻ったときは 目白台に移ったことになっています。
でも、史実では 平蔵の屋敷は江戸に戻ってからも ずっと元の菊川のままです。
これも 平蔵が率いる 先手組組屋敷が目白台にあったのを 池波正太郎が平蔵の 私邸と勘違いしたらしい。
それで 小説では 四谷にある別の先手組屋敷を長谷川組の組屋敷とし、 四谷では 私邸の目白台から遠いので、 四谷に近い清水門付近に 火付盗賊改役の役宅を別に置いたということらしい。
史実では 役宅は組頭の私邸つまり菊川の長谷川邸。私邸=役宅です。
そうだとすると 不思議なのは 目白台の長谷川組の与力同心は  目白台から本所菊川までかよったということかなぁ。 これは結構遠いですよ。 それとも ほとんど泊り込みかな。 よくわかりません。

モニュメントのあるブロックを一周してみました。 100m×40m位あるので 1000坪以上ありそうです。役高含めて2000石くらいだったらしいので こんなもんですか。

ということで 本日の本所散策は終わり。
そうそう 北斎展はなかなか良かったです。

4月△日
久し振りに分倍河原に行きました。
今も循環バスが巡っているようですが 閑散としていて 往時の賑わいは全くありません。

分倍河原は その昔 新田軍と北条軍の決戦の場でした。 分倍河原の合戦で 新田軍が勝利しこれを境に 鎌倉幕府が滅んでいくことになります。
駅前には 新田義貞の騎馬像があります。


分倍河原でKさんにひろってもらって あきる野のいっちゃんさんご夫妻の「絵手紙とやきもの夫婦展」 を観に行ってきました。
秋川のほとりにあるしゃれたギャラリーです。
秋川は新緑が美しいです。

釣人がいます。

良く見たら なんと案山子です。 

川の案山子を初めてみました。魚を狙う鳥のための案山子でしょうか。


3月△日
哲学堂まで ウォーキングしました。
哲学堂は 明治時代に 東洋大学の井上円了が開いた 精神修養のための公園です。
だから ちょっと変わってます。難しい公園です。

入り口にある 哲理門。
哲理門
普通はこういう門の左右には仁王様がいるものですが、 ここは なんと左側に幽霊 右側に天狗がいます。
幽霊と天狗がそれぞれ 精神界 物質界の根底にある不可思議を象徴しているらしい。
井上円了は妖怪学の権威でもあったらしい。
それにしても 何故 天狗なのだ? 不可思議だ。
幽霊     天狗
実際には 中は暗くて こんなにハッキリ見えません。 こわ〜。
子供の頃よく 夜に肝試しが行われました。

瓦には 哲の字が・・・。細かいところまで こってます。


門をくぐると 「時空岡」(じくうこう)という 広場があります。公園の中心です。
時間と空間を表現しているらしい。
天気の良い日は 時空岡のベンチでは いつも何組か 将棋をさしている人々がいます。
広場のまわりに いくつか建物があります。
四聖堂
正方形の建物です。
釈迦・孔子・カント・ソクラテスの4人を世界の哲学者の代表 「四聖」として祀っています。
人選はすべて円了先生のこのみです。

六賢臺 ろくけんだい
六角形の二重の塔です。
聖徳太子・菅原道真(日本)・荘子・朱子(中国)・龍樹・迦毘羅仙(印度)の六人を 東洋の「六賢」として祀ってあります。

三學亭 さんがくてい
正三角形のあずまやです。築山の上に建ってます。
平田篤胤(神道)・林羅山(儒道)・釈凝然(仏道)の三人を 日本の碩学代表として祀っています。

園内は  この他にも 哲学にちなんだ施設が沢山あります。
概念橋 唯物園 主観亭 倫理淵 等等・・・。(全部で77あるらしい)  

2007年2月×日
春のような陽気が続く今日この頃、愛宕山に登りました。

地下鉄神谷町から 愛宕方面に歩いて行くと いきなり 愛宕山山頂までガラス張りのエレベータがありました。
山頂行きエレベーター。利用する人少なそう。
背後の高層ビルは 愛宕フォレストタワー
山頂には NHKの放送博物館と愛宕神社があります。 眺望は全くありません。
放送博物館では 「勅命が発せられたのである。すでに天皇陛下のご命令が・・・」などが聞けます。

愛宕神社

神社の正面に 曲垣平九郎が 馬で上り下りしたという急な石段があります。 見下ろす。超急!!
本当にこんな急な階段を馬で登れたのか と思うほど急です。
でも その後も何人かの人が挑戦して成功しているらしい。  何年か前 TVでもやったらしい。
見上げる。本当はここから登らなければいけなかった・・・。
トレーニング禁止の立て札があります。

愛宕山<25.7m>は東京都の最低峰と思っていましたが
実は 最低峰は浅草にある 待乳山(まつちやま)<9.8m>ということらしい。
是非踏破しないと・・・。
ちなみに 日本の最低峰は大阪にある天保山<4.53m>

5月○日
土浦方面をお散歩していたら 豪邸発見。

これがうわさの豪邸だ!
誰だ 覗いているのは。

4月○日
小山田緑地、小野路あたりを散歩しました。

アサザ池
アサザは水生植物の一種で 絶滅危惧種だそうです。
6月頃から 黄色い花がさくらしい。

ハリギリ
かなりの大木ですが 幹にトゲトゲがあります。
こんな大木なのに トゲがあるなんて ちょっと性格 悪そう・・・。

つり橋

一本桜
東京とは思えない とてものどかな風景です。
わら積みがなかなか風情があります。
この辺りは 映画「蝉しぐれ」のロケに使われたそうです。

小野路
雑木林の新芽が美しい。

小町井戸
その昔 小野小町がこの井戸で目を洗って病を治したということらしい。
今なお 湧き水がちょろちょろ出てます。
小野路というのも 小町からその名がついたのだろうと思います。

今回は この辺りを庭にしている山の英ちゃんさんに案内していただきました。
散歩の最後は 英ちゃんさんの菜園と埋蔵文化財センターを見学しました。

第一菜園(第四菜園まであるそうです。)
ほうれん草 小松菜が収穫時期。手前はジャガイモが植わっているそうです。

多摩センター桜並木
ここはちょうちんもなくて 桜のトンネルがなかなか良いです。

4000年前の竪穴住居
埋蔵文化財センターの縄文の村には 3棟の竪穴式住居が復元されています。
茅葺を燻蒸するなど手入れが行き届いて 保存状態がとても良いです。
埋蔵文化財センターは東京で発掘された出土品などの展示館もあります。
立派な建物です。

縄文の村に咲いている野草です。
浦島草
花の先の長いひげを浦島太郎の釣り糸に見立てているらしい。
ひげのないのが「まむし草」ということになるらしい。
二輪草
  一本の茎に花が二輪咲くので 二輪草というらしい。
一輪だけの一輪草というのもありました。
このほか カタクリなども咲いていました。

英ちゃんさんどうも有難うございました。

3月○日
都内某所の庭でタケノコを掘りました。
隣の家の竹林から侵入してきたものです。
これは合法です。




早速味噌汁にしていただきました。
初物。美味。

2006年2月×日
浅草見物をしました。
長年 東京地方にいながら 浅草へは ん十年前に行ったきりです。

まづは おなじみ 雷門のデカちょうちん。
雷門

雷門(風雷神門)は 江戸末期に消失後 昭和中ごろに松下幸之助の寄進で再建されたらしい。
どおりで ちょうちんには 台のところに松下電器とかいてあります。

雷門に向かって右手を見ると おっ こんなところに!
いつも 高速道路から眺めている あのあれが・・・・。
あれが落ちてるあたりが浅草だったのか。


平日にもかかわらず 仲見世は結構人通りが多いです。
仲見世

仲見世の裏側は 赤色で統一されていて 形も規格化されています。
ショーウインドウらしきものはどの店も すべてシャッターが下りていましたが 一斉に開く日がきまっているのでしょうか?
裏通り

仲見世は メインストリートの両側の店の裏にも それぞれ裏通りがあって、
結局3本の通りで出来ているのでした。

だんごや

仲見世を抜けると宝蔵門。 ここにもデカちょうちんが。
このちょうちんには 小舟町 と書いてあります。日本橋小舟町からの寄進らしい。
宝蔵門

宝蔵門の先に 浅草寺本堂があります。おぉ ここにも デカちょうちん。
本堂

このちょうちんには 志ん橋 と書いてあります。
東京新橋組合からの寄進らしい。
この 志ん橋と書かれたちょうちんは 昔(江戸時代)は 雷門のところに下がっていたらしい。
つまり 雷門と書かれたデカちょうちんは昔はなくて 昭和からということらしい。

志ん橋

浅草寺には もう一つ 本堂の東にある二天門にも デカちょうちん下がっているらしい。
でも 見逃してしまった。

浅草界隈にはすし屋や鰻やが多いですが ちょっとうま目の洋食やを見つけました。
カミナリ軒



2005年9月×日
お祭り見物をしました。
この町の祭りは 昔から いつもきまって雨が降ります。
晴れていても 途中から雨が降ります。
今年も 午後から雨になりました。
今年も雨です。

この町は1丁目から?丁目まであります。
1丁目には 駅前に この辺り一帯の氏神様の古い神社があります。
2丁目と4丁目は 駅に近く 商店街がありますが 真中の3丁目は 住宅街で ほとんど商店がありません。
神輿は 丁目ごとに 別々に出しているようですが、
やはり商店街があると 神輿の担ぎ手も多く 揃いのハッピで 威勢がいいです。
1丁目(宮元)の神輿は別格です。最終日の夜、 宮元の神輿の宮入りは結構壮観です。(今年は時間が合わず見られなくて残念)

練り歩くコースも各々の丁目内しか回らないようです。
昔は 商店街の威勢のいい神輿が お得意さんのいる3丁目の住宅街にも 練り歩いて来たらしいですが 今は来ません。境界で引き返します。 スーパーのせいですね。
3丁目にも自前の神輿があるようですが なにせ担ぎ手が・・・。

 4丁目の神輿。子供が乗って賑やかです。

 2丁目の神輿。威勢がいいです。
掛け声も三社風にセイヤセイヤ。

 3丁目の神輿。全員参加です。
こうなると掛け声はワッシィワショイとなります。


4月×日
土浦方面の庭で 巨大ボケの花に遭遇。

花の直径は 普通のボケの2〜3倍はあります。
自慢の大ボケだそうです。

2004年 春 お花見シーズン開幕

 千川通り 桜吹雪

 六義園 枝垂桜

 多磨霊園 枝垂桜並木

 中野通り 約1.5Kmの桜並木

 哲学堂 下を流れるのは妙正寺川



2004年2月○日
このところポカポカ陽気です。
小石川後楽園に梅をみに行きました。
東京ドームの隣りにあります。地下鉄後楽園駅の目の前ですが 入口は反対側にあって 園の外周を少し歩きます。
静かな庭園ですが 時々 頭上から時ならぬ嬌声が響き渡ります。
キャーーーアッ
後楽園遊園地のジェットコースターからですね。
梅はちょうど見ごろです。
梅の種類も色々あります。

 めずらしい しだれ梅 「白滝しだれ」

 「蝶千鳥」

 冬の庭園風景の定番 雪吊り。

ちょうど園内は梅祭りというのをやっていました。 後楽園は水戸家の庭園だったということで、 水戸の梅園から ミス梅某が 来るらしいですが 残念ながら今日ではないようです。
その代わり 江戸の大道芸というのをやってました。
 
上の棒を後ろに飛ばして ボールを下の棒で受けます。エイッ


おなじみ傘回し。金属の輪を回して 金まわりが良い。

近くには 通称ポットビルが見えます。



4月○日
東京の桜の穴場はここです。 桜のトンネルがずーと続いてます。 目の仇の提灯も絶対ないし 人も少ないし 静かなお花見ができます。
 静かすぎる。


8月×日
今日は東京湾花火大会を見に行きました。
聖路加ガーデンの前の土手で見ました。

たまやー

ゆかた美人が二人いました。慌てて撮ったので 顔がうまく撮れませんでした。
残念!



掲示板はここをクリック
戻る