うめのひとり言



掲示板はここをクリック
戻る

第七回秘湯巡り 糸魚川方面 2014.10

第六回秘湯巡り 魚沼方面 2014.7

第五回秘湯巡り 南アルプス方面 2014.5

伊豆湯ヶ島温泉 2014.4

熱海 2014.4

第四回秘湯巡り 伊豆方面 2014.3

第三回秘湯巡り 房総方面 2013.12

第二回秘湯巡り 穂高方面 2013.10

第一回秘湯巡り 諏訪方面 2013.9

伊豆湯ヶ島温泉 2013.4

伊豆方面 戸田 2012.11

瀬戸内方面 福山 2012.10

四万温泉 2012.5

静岡方面 焼津 2011.5

関西方面 大阪 2010.5

奈良その5 2009.5
奈良のお寺巡り

飛騨高山 2008.5

奈良その4 2008.4
奈良のお寺巡り
春日大社神苑

会津・三春滝桜 2008.4

博多 2007.7

米沢・置賜桜回廊 2007.4

岡山・倉敷・津山 2006.11

奈良その3 2006.6

奈良その2 2006.3

駒の湯 2005.10

奈良 2005.6

山中湖 2005.5

信州 2005.4

戸田 2005.3

那須 2004.10

高遠 2004.4

箱根 2004.1

花貫渓谷 花園渓谷 2003.11

京都 2003.5

*******************

    TOP    NEXT

2009年5月○日
今年もまた奈良へ行きました。
今回は 高速道路どこでも1000円を使いました。(帰りだけですけど)
往きはGW中とは言え平日なので 道路は比較的すいています。  富士山が良く見えます。

富士川SA

8時間くらいで奈良に到着。去年と同じ高畑のビバリーヒルズの宿に入ります。
ここの 住人ちろる君は ほとんど不在で 世の中が連休中ということも知らされずに 酷使されているようです。
それでも 去年にくらべ リビングにソファやテーブル、液晶TV、DVDRなどが新調されていて パソコンも新しくなっています。  やっと人が住んでいるのがわかるようになっていました。

今回も お寺巡りと奈良町散策です。
お寺は 長谷寺 室生寺 春日大社 春日大社神苑 興福寺宝物殿 白毫寺  元興寺と廻りました。
お寺巡りはこちらをどうぞ

ところで 奈良では例のキャラクター騒動がありましたが、 商店街ではは 「せんとくん」と「まんとくん」の両方を使っているようです。

右が「せんとくん」でお上が作った方ですね。やっぱつちょっとキモイですね。
ところが この二つだけだと思ったら なんと「なーむくん」というのもあるようです。

聞けば この外にも シカの何とかクンというのもあるらしい。

その他 奈良町散策で見つけた風景いくつか
時々霧がかかる。

イタ飯屋のディスプレィ

何やさん?

チェリーセージ
民家の庭先に咲いていました。どうしたらこんなに沢山の花をつけるのだろう。
密かに花つきを競っている Sさんちもこんなには咲かないですね。

葛菓子で有名な 天極堂
特にお奨めなのが ロールケーキ。 葛だけで出来ています。
全ての車やさんが ここで ロールケーキの宣伝をしていきます。
でも これはいけます。

帰りは 渋滞を避けて深夜に高速を走りました。1000円とはいえ大きな渋滞もなく 走れました。 ただ SAはどこも満員。 車の中で寝ている人が沢山いました。

BACK        TOP    NEXT

2008年5月○日
飛騨高山へ行きました
4月下旬から5月初めにかけて 会津 奈良 高山と立て続けに旅をしました。
この2週間で 東京にいたのは 歯医者さんに行く3日だけというハードスケジュールでした。
今回の旅の目的は 荘川桜を見たいというのと もう一つは アルプス山々を眺めたい あわよくば 新穂高ロープウエイで上がって眺めたいというものですが 実は温泉第一です。
ということで 荘川と新穂高の中間の高山の温泉宿に泊まることにして出発。

荘川桜は御母衣ダム建設にともなって 湖底に沈むこととなった二つのお寺 の桜を移植したものです。昭和30年代のことで、樹齢400年以上の老木の 移植ということで知られています。 移植の指揮をしたのが 笹部新太郎という東大法科出身の在野の桜研究家。 確かに こんな冒険は大学の先生には出来なかったでしょう。
水上勉の「櫻守」はこの笹部新太郎がモデルになっていて この移植の話も出てくるのですが、 昔 これを読んでから 一度荘川桜を見たいと思っていたのです。
ネットで荘川桜の開花情報を調べたら まだ見頃に何とか間に合いそうです。 (この辺はかなり寒いところのようです)
渋滞にも会わず順調に来たし 翌日の天気も心配なので  高山を通り越して 一気に荘川に向かいました。
御母衣湖を見わたせる高台に2本の桜がありました。


エドヒガンザクラ

あいにくの曇り空で夕暮れも迫っていましたが かえって落ち着いた雰囲気でいい感じです。
移植のときは太い幹のところでバッサリ丸坊主状態だったらしい。根もずいぶん切り詰めて それでも 重さ40トン。 それを この場所まで 高低差200m、1kmの道のりを ダム建設機材を使って 曳きずり上げたらしい。まさにプロジェクトXものですね。

ついでながら 「桜守」に出てくる桜が もう一つ 奥琵琶湖のほとりの海津にある清水の桜です。 これもいつか見に行きたいですね。

ところで 荘川までは 高山から 国道158号を東海北陸道 飛騨清見ICまで行って  次の荘川ICで降りるのですが、清見ICまでが結構かかるのです。
でも後で聞いたら 清見ICから高山市内まで中部縦貫道が出来ていて  しかも今なら無料で通行出来るらしい。 これを使えば 高山〜荘川は2〜30分くらいで行ける。
ちなみに中部縦貫道というのは長野道松本ICから高山経由で東海北陸道と結ぶ計画らしい。 現在の158号に沿うものですね。
そのうち 清見〜高山間と安房トンネルだけが開通しているということのようです。

高山〜清見ICまで158号を行ったお陰で 途中 小鳥湿原というのがあって  思いがけずミズバショウを見ることが出来ました。
ミズバショウ

ザゼンソウ
発熱する植物らしい。熱で雪を溶かして いち早く顔をだすらしい。

高山の宿は 町が一望できる高台にあります。
$500の夜景

晴れていればアルプスが眺められるらしいが 春は霞でダメかも。
最上階に見晴らしの良い温泉があるけど 夜景は女性専用だって。 一日交代か?と聞いたら ずーっとだって。男性は朝だけだって。 でも 部屋の風呂から夜景が眺められるし 露天風呂もまあまあで ま、イッカ。 料理は量も適当でうまい。ということで 高山の夜はふけます。

次の日は 高山の町を散策しました。
宮川の朝市
例によって 買いまくる人がいます。

古い町並み(三町)
カイマス、カイマス。

車屋さん

古い町並み(下二之町)
ここは お店が少なく静かなたたずまいです。

高山陣屋跡

中橋

宮川

夜の古い町並み
夜8時 人っ子ひとり・・・いた。でも お店は全て閉まってます。

高山へは 3回目ですが 古い町並みもだんだん ごみごみしてきた感じがします。 以前(20年くらい前)は もっと美しかったような・・・。

アルプスの眺望は 予想通り春霞でイマイチです。
それでも 3日目の朝は ややくっきりアルプスが望めました。
南のほうから北のほうに 順に
乗鞍岳 剣が峰3026m

焼岳 2455m

穂高岳 奥穂高3190m
右から西穂高 奥穂高 北穂高 左隅が槍ヶ岳のはずですがトンガリがはっきりしません。 さらに左に笠ヶ岳ですが 山の影で見えません。
黒部五郎岳 2924m

この天気なら 新穂高ロープウェイで上がれるかも
ということで 高山での買い物(飛騨の酒と飛騨牛)もそこそこに 新穂高へ向いました。

ロープウイェイで上がること7分で西穂高口 2156m 気温10℃ 防寒不要。
絶景です。 北東方向の笠ヶ岳から時計回りに
笠ヶ岳 2898m

槍ヶ岳 3180m 手前は南岳3032m

西穂高岳 2909m

焼岳 2455m
噴煙を上げている? 右奥は乗鞍岳。
遥かに白山山系 御前峰 2702m
白山は岐阜、石川、福井の県境にあって これより西に2000m超の山はないらしい。

ここで ちょっと位置関係をおさらいしておきましょう。


アルプスの眺望を満喫した後は 例によって 清里3点セットを目指します。
清里へは 長坂ICからすばらしくいい道が出来ています。知りませんでした。しかも無料。
帰りは何時ものように須玉ICに向いました。
途中 国道脇の谷の両岸にロープを渡して 鯉のぼりをメザシのように泳がせている谷間の村 があります。そこも いつのまにか 道の駅なんか出来ていて観光用に整備されてます。
昔は 気が付かないと通りすぎてしまいそうな もっと素朴な感じでしたが・・・。
長沢の鯉のぼり

今回は 一応所期の目的は全部達成したということで 良い旅でした。
飛騨牛うまかったぁ・・・。

飛騨高山の地酒と地ビール

純米大吟醸 奥飛騨  飛騨の華
飛騨高山麦酒 ピルスナー  吉里吉里の国

BACK       TOP    NEXT

4月△’日
またまた奈良に行きました。
実は ちろる君が博多から奈良に舞い戻ったらしい。
今度の宿も築30年らしいが 風呂はカンカンではないらしい。
ということで 奈良に風呂の様子を見に行きました。

なるほど リフォームの跡も生々しく 最新型の風呂釜が付いているようです。
ボタン一つで点火、追い炊きも出来るし 音声応答などもしちゃいます。

2年前の奈良の宿は繁華街のど真ん中でしたが 今度は 静かな住宅地で 新薬師寺や白毫寺にも近く 環境良好です。 高台の一番端の一棟で、高畑のビバリーヒルズとよばれているらしい。
木立に囲まれたビバリーヒルズ。

部屋からは $100の夜景が眺められます。


折角奈良に来たので 奈良のお寺巡りをしました。
お寺巡りはこちらをどうぞ

ところで 最近話題の奈良のキャラクター 仏様の頭に角が生えてるやつは どこにも 全く見かけませんでしたね。 あれは いただけませんね。
こちらの方がましですね。


BACK       TOP    NEXT

2008年4月△日
今年も山形県は会津方面へお花見に行きました。
去年の今ごろは 米沢方面の置賜桜回廊を巡りましたが 今年は 三春滝桜を目指します。
三春滝桜は樹齢1000年以上と推定されていて、 国の天然記念物に指定されています。
だれが決めたか 日本三大桜の一つです。
ちなみに あとの二つは山梨の山高神代桜と岐阜の根尾谷薄墨桜。
種類はエドヒガン系のベニシダレサクラ。
何時もながら 遠出のお花見は見頃にあわせるのが難しいです。 今年も一喜一憂しましたが なんとか見頃に合わせられました。

おぉー さすが三春滝桜 これは見事です。






平日というのにインターを下りたらすぐ渋滞

桜そばの駐車場まで1時間40分待ち。 休日は4時間以上待ちらしい。
桜までの道は1本道で 途中横道から割り込む車も無いのですが
不思議なことに 反対車線を帰りのタクシーがどんどん走っているのです。 駐車場にもタクシーが何台もいるのです。 一体このタクシーは何処から来るのだろう・・・。
どうやら 地元の人しか知らない道があるようです。
帰ってからネットで調べたら、 抜け道マップを限定50部1部1500円で売っている怪しげなサイトがありました。 http://takizakura.hanamizake.com/

三春滝桜を見た後は 那須まで戻って 温泉で一泊。
翌日は 大内宿を経由して会津若松へ行きます。
大内宿は日光から会津若松を結ぶ会津西街道の宿場で 江戸時代の宿場の姿を残しています。

茅葺の建物が並んでいます。
名物は高遠そばのねぎそばです。 太いねぎ1本を箸代わりにそばを食べます。 ねぎもむしゃむしゃ食べます 結構いけます。


ネギまるごと1本は厳しい。
何故 会津なのに高遠そばというかというと 信州高遠から 移封された初代会津藩主保科正之が 高遠のそば職人を会津に連れてきて 高遠のそばを広めたということらしい。

場違いなオートバイがいました。
ギンギラリン

大内宿を散策した後は 会津若松の鶴ヶ城へ向います。 鶴ヶ城の桜は まだまだ見頃でした。






最後に白虎隊の飯盛山を見物しました。
飯盛山から鶴ヶ城を望む。
白虎隊は天守閣に火の手が上がるのを見て最後をさとった。

ここにも 太夫桜という名木があります。エドヒガンですが花の色が白いのが特徴です でも ほとんど葉桜でした。
太夫桜
昔この場所で死んだ売れっ子のなんとか太夫を弔うため 太夫の弟の某が植えたということらしい。

螺堂という変わった造りのお堂があります。
螺堂
三層で内部は一方通行で上まで上がって降りてくることが出来るらしい。

クラシックなタクシーがいました。
何故か London Taxi

今年もKさん 900kmのドライブ有難うございました。

BACK     TOP    NEXT

7月×日
九州は博多へ行ってきました。
気になっていた「カンカンカン」風呂の正体を確かめて来ました。
白いハンドルを回すとカンカンと音がする。
慣れてくると カン一発で 点火するらしい。

カンカン風呂の宿は 元祖長浜ラーメンの店と屋台の通りに囲まれてます。 実に良い環境です。
観光客がタクシーでやって来ます。夜遅くまで 盛り上がってます。
元祖長浜ラーメン
いつも行列が出来てます。

屋台の列

昼間は屋台は姿を消します。
でも 歩道のコゲ具合に年季がはいってます。
この道路の向こう側は すぐ漁港と魚市場になっていて、新鮮な魚が食べられます。

ところで 博多といえば 祇園山笠
700〜800年前から続く 歴史のある祭りです。
祇園山笠といえば でっかい山笠を大勢でかついで 街中を疾走して タイムを競うらしい
ということぐらいしか知らなかったのです。
そこで 博多で 祇園山笠について 研究しました。
山笠には 2種類あります。
一つは 飾り山笠 もう一つは舁(か)き山笠
もともとは このような区別は無く 山笠は舁くものだったのです。
時代とともに 山笠がだんだん派手に 高くなって 明治に入って 道路に電線が張り巡らされる様になると 電線を切る事故が頻発したらしい
そこで 飾るだけで 舁かない でかい山笠と  高さ制限をもうけた 小ぶりの舁き山笠にわけたらしい。
山笠には 番号がつけられていて 一番から十七番くらいまであります。 このうち 一番から七番までが 舁き山笠で 八番以降が飾り山笠です。 飾り山笠は 企業のスポンサーがついたりして かなり豪華な山笠のようです。
舁き山笠のほうは その昔 博多の町が七つに分かれていたときの  名残りが今も強く残っています。 この 山笠を運営する 七つの組織を、 「流」と言って 土居流 大黒流 東流など 昔の七つの町の名前がついてます。
一番山笠は毎年持ち回りで、今年の一番山笠は土居流です。 流れのメンバーは 先祖代々の世襲で 新たに流れに参加するのはかなり難しいらしい。
祭りのクライマックス は何といっても 7月15日の追い山です。
追い山は15日 早朝に櫛田神社前の道路に 一番から七番プラス1の八番までの山笠 が 列をつくって集合します。
4時59分 太鼓の合図で まづ 一番山笠が猛ダッシュでスタートし神社内に設けられた 桟敷席のある広場を一周して 再び神社を出て 街中の約5kmのコースに走り出します。 二番山笠は5時5分 以下5分ごとにスタートします。
一番だけ1分長いのは 場内で 祝い唄をうたうかららしい。(一番山笠だけの特権)
この 神社に入ってから出て行くまでの時間が櫛田入りタイムとして競われます。 その距離112m。
今年の一位は 六番山笠千代流で 32秒69 ということらしい 
コース全体のタイムも計測されているようです。こちらの今年の一位は二番山笠大黒流29分33秒
ところで 七番山笠までが 伝統的な流れの山笠ですが 最近(といっても40年位前) 八番山笠が 「走る飾り山笠」として追い山に参加しています。
八番山笠については また のちほど・・・。

ところで ところで 何故追い山というかというと その昔は 山笠は街中を ゆっくり練り歩いていたのですが、
あるとき 一番山笠が一休みしている間に 二番山笠が 追い越してしまって 一番山笠が 慌てて追いかけたのが始まりとか・・・。
一通り祇園山笠の研究をしたので いよいよ追い山見物に 
その前に 飾り山笠の見物と舁き山笠のコースとビユーポイントの下見に
まずは 祭りの中心となる 櫛田神社へ
櫛田神社
境内には 山笠の櫛田入りを見物するための桟敷が設けられていますが  桟敷席を確保するのは至難の業らしい。
櫛田神社内の常設飾り山笠

残念ながら 他の街中の飾り山笠は 台風襲来に備え ほとんどの山笠が解体され  見られませんでした。
川端通りのアーケード街で出番を待つ山笠
一番山笠 土居流

八番山笠 上川端通り

初心者のビユーポイントは 大博通りの東長寺のあたりが無難です。 ここは 道幅が広いし 東長寺の前で山笠がUターンしたあと 再び この通りを 今度は反対側からやってくるのです。 ビューポイントのめぼしをつけて 引き揚げます。
当日は 朝の4時半ごろ 駅を下りると 人の波に流されて 櫛田神社の近くまで流されました。 櫛田神社の前の通りに 山笠が出走順に 行列を作っているところです。
どの山笠も すごっく気合が入っていて 行列を作るため 移動するときは  急加速・急ブレーキです。
見物人が押し合いへし合いで 身動きできません。 やっとの思いで 所定の場所にたどり着きます。
台風の直撃が心配されましたが 幸い南にそれ 台風一過の晴れかと思いきや スタート5分くらい前から激しく雨が降り出し  念のため持参したゴアテックスのお世話に・・・。
オイッサ オイッサの掛け声とともに 一番山笠が現れます。 でも 未だ 薄暗く 傘を持ちながらで ほとんどまともな写真は取れません。
やっと 四番山笠あたりで 空も少し明るくなって来ました。 四番山笠 中洲流

六番山笠 千代流

七番山笠 恵比寿流

ということで 祭りのクライマックス追い山は  朝6時過ぎには終わってしまうのでした。

ところが最後になって ハプニングが
そろそろ帰ろうかとしたとき 背後でワーという大歓声が 何事かと 走り寄ってみると なんと 山笠が倒れているじゃありませんか これがなんと 八番山笠の「走る飾り山笠」なのです。
倒壊直後。大歓声の後は 静まり返ってます。
幸い けが人はないようです。

台車にのせて引っ張って 撤収。
みな肩を落としてます。
八番山笠は 昔ながらの山笠を復活させようということで  上川端通り商店街が中心となって運営しています。
飾り山笠ということで 他より大きな山笠で 櫛田入りまでは他と同じですが  神社を出てから走るコースも他とは違います。
流れ的には 上川端は土居流に属しています。
つまり 土居流 は山笠が二つあって 流れのメンバーは一番山笠で手一杯なので 八番山笠のほうは  学生などの応援部隊でまかなっているようです。
だから 倒れちゃったとうわけではないでしょうけど・・・。

博多に来たついでに 県立博物館に行って 「漢委奴国王」の金印を見て
さらに 大宰府天満宮とその隣にある 国立博物館をに行ってきました。
天満宮の本殿の鏡は 磨き上げられていて ちょっと不思議な写りかたをします。
何が写ってる?

国立博物館は ものすご〜く立派な建物ですが 展示はいまいち。

そんなこんなで カンカン風呂の宿をあとにしました。
それにしても 天神にはカワイイ子が多いといううわさは本当だった。

BACK     TOP    NEXT

2007年4月△日
山形県の米沢方面に行ってきました。
米沢へは 10年ほど前に 一度訪ねたことがあります。
米沢牛を食べた記憶しかありません。
今回は 米沢から 車で30分ほど山に入ったところにある 白布高湯温泉で一泊して 翌日 置賜(おきたま)桜回廊を巡る旅です。
初日は ちょっと早めに米沢に着いたので 上杉神社と上杉廟をまわりました。
上杉神社は 米沢城跡にあります。今は松岬公園となっていますが お堀こそありますが 他の城跡のように 反り返った石垣とかはありません 壊してしまったのかと思ったら もともと 無かったようです。天守閣なども無く 質素なお城だったようです。
そのせいか 米沢では 城跡という表示がほとんどありません。 お城のことにはあまり触れたくないって感じ?
上杉神社
上杉謙信が祀られています。
鷹山の銅像
鷹山も上杉神社に合祀されていましたが あとで 隣の松岬神社に分祀されたらしい。

上杉廟は歴代米沢藩主の墓所です

第一代景勝から最後の十一代藩主までの廟屋が中央から左右左の順に並んでいます。
このように整然と藩主の墓がならんでいるのも珍しいです。
謙信廟
真ん中に謙信の廟屋があります 元々謙信の遺骸は越後にあったのを 移封に伴い 米沢城 に移し 明治になって 廃城とともに 上杉廟に移したということです。
謙信の遺骸は 漆で固められて保存されているらしい。

ここで ちょっと 米沢と上杉家の歴史をざっとおさらいしてみます。
有名な 上杉謙信 病死のあと 上杉家は 家督争いのお家騒動(お館の乱)が起こり、そこに 信長軍の侵攻にあって 滅亡寸前まで追い込まれますが 本能寺の変に救われて 滅亡は免れます。
お家騒動に勝利し 謙信のあと継いだ景勝は 名参謀 家老の直江兼続の協力を得て  勢力を盛り返し 秀吉に仕え 越後100万石の大名として 五大老に列せられます。
その後 秀吉から 東北地方のおさえとして 越後から会津に移封されます。 会津といっても 米沢や庄内地方も含む120万石の領地です。 そのとき 米沢は 家老の直江兼続が治めました。
ところが 秀吉亡き後の関が原で 家康に敵対したため 戦後 会津120万石から一気に 1/4の米沢30万石に減封されてしまいます。
このとき 越後以来の家臣を一人も解雇せず このため藩財政は窮乏しました。 家臣が6000人もいたというから大変です。
さらに 三代藩主急逝により 跡継ぎが決まっておらず 改易の危機にあいます。 奥さんの実家の会津藩主保科正之の奔走のお陰で 改易は免れますが  半知減封の15万石になってしまいます。(このとき あの吉良上野介の子が養子に入った。)
このときも 家臣の解雇はおこなわず ただでさえ苦しい財政は危機的となり 八代藩主 重定のときには 幕府に15万石を返納して  藩主廃業宣言を行おうとまでしたらしい。
ここであらわれたのが九代藩主治憲 上杉鷹山です。
ケネディが尊敬する人物と言ったことで 一躍有名になりました。
この人が 米沢の産業を興し 藩を建て直したわけです。
鷹山が偉かったのは 単なる再建屋ではなく 18世紀末のこの時代にあって 民主主義的発想をしていたということですね。
このことは 35歳で隠居の際 次の藩主に心構えを伝えた「伝国の辞」というのに 良く現れています。 ここでは 「国家」「人民」という言葉が使われています。
人民を私してはいけない というようなことを言っています。
(でも このころは 「にんみん」と読んだのでしょうね)
ケネディが尊敬すると言ったのもこのことですね。
上杉鷹山については藤沢周平の「漆の実のみのる国」を読むと面白いですね。
というわけで 米沢では上杉鷹山は神様になっているのです。

ちょうど 松岬公園の一角にある上杉博物館では 直江兼続展が開催されていました。

あまり一般公開されないという 「上杉本洛中洛外図屏風」(国宝)現物の展示がある というので 見学しました。
信長お気に入りの絵師 狩野永徳の作品で 信長が謙信に贈ったといわれています。
金箔をふんだんに使った 絢爛豪華な屏風です。
NHKの「その時歴史が動いた」では 足利将軍邸に向かう謙信の姿が描かれている ということですが良くわかりません。  そのくらい 信長が謙信に気を使っていたということですね。
他に 兼続の書簡類が多数展示されていました。 家康を激怒させたという 「直江状」 もありました。
でもよく読めません。もっとも「直江状」そのものは現存してないらしい。

米沢のの歴史探訪のあとは お花見です。
そうそう 白布高湯温泉もなかなかいい湯でした。
この辺りの桜はちょうど見頃です。
米沢では松岬公園のお堀端の桜がすばらしいです。
米沢の北の置賜地方には 最上川に沿って 桜の名所が何ヶ所もあって 置賜桜回廊と呼ばれています。全長約40kmあります。
この置賜桜回廊の桜を5ヶ所ほど車で巡りました。
前線の通過と重なって 天気は荒れ模様でしたが 移動中は雨でも 桜地点では 雨がやんで薄日がさしたりという 幸運に恵まれました。

米沢松岬公園

米沢松岬公園

ここから 桜回廊の桜です。
伊佐沢の久保桜
樹齢約1200年 国指定天然記念物

最上川堤防千本桜
雨で水かさが増して 最上川の流れが速くなってます。
芭蕉がよんだのは もっと下流の新庄のあたりらしい。

釜の越桜
樹齢約800年 だいぶ弱ってるようです。
遠景の雪山とよくあいます。青空だったらもっとよかったが・・・。
手前の三つの石にも謂れがあるらしい。
釜の越桜
隣に バックアップを植えてあります。

薬師桜
樹齢約1200年 これもかなり弱っているようです。 太い幹に点滴のようなことをしています。
エドヒガン桜
この辺りの古い桜の品種はだいたいエドヒガンです。
萼筒がまるく膨らんでいるのが特徴らしいです。 花の姿や色もソメイヨシノとはだいぶ違いますね。


ふるさとの景色って感じです。

白兎のしだれ桜

十二の桜


十二の桜の隣にあった桜ですが 花がビシリついていて エドヒガン ともちょっとちがうような・・・。

今回は Kさんのクラウン新車による旅でした。
さすがクラウン 後部座席の乗り心地は Lとはだいぶ違いますね。
Kさん 約1000kmのドライブ 有難うございました。


BACK     TOP    NEXT

11月○日
岡山方面に行ってきました。
津山→倉敷→岡山とめぐりました。

津山には ご先祖様のお墓があります。
でも 津山に親類縁者はだれもい(と思う)。
十数年ぶりに墓参りをしました。
津山は岡山から JR津山線鈍行で80分くら奥に入ったところにあります。
津山駅

JR津山線 単線 2両編成です。一時間に一本です。

ご先祖様のお寺 安国寺 屋根修理中。

ご先祖様のお墓

津山城址 備中櫓(再建)

津山城址 切手門跡 石垣などは当時のままらしい。

津山の歴史についてちょっと
美作津山藩の初代藩主は 森忠政で この人は あの森蘭丸 の甥。
この人が かなり大規模なお城を築いたらしい。
森家は3代で断絶。その後を越後高田藩から松平宣富が移封された。(元禄11年 1698年)
この越後の松平は 家康次男秀康(結城秀康)を祖とする家系で 宣富は4代目。

もうすこし細かく言うと、
越後松平3代目光長の嫡子綱賢は子が無くして没し、光長にも他に子が無かったため 光長の甥に当たる万徳丸(綱国)を養子にして 世継ぎと定めた。
ところが ここで 有名なお家騒動「越後騒動」がもちあがり、 1680年、光長は伊予松山に 綱国は備後福山に配流の身となる。
その後 二人とも許され 江戸にはいるが 光長は綱国を病弱を理由に廃嫡。 新たに松平一門から養子宣富をたてて 自分は隠居し 宣富に津山10万石が与えられた。
ということです。
ところで ご先祖様は 光長配流のときにも奉仕した 三十数家の 家臣団の一つ(譜代家臣)だったらしい。
この辺のところは 津山藩の古文書などををつぶさに研究している方がいますので、 そのうち 全貌が判明するでしょう。

こうして、以後明治維新まで 松平家が続いた。
維新で 例によって 天守閣などきれいさっぱり取り壊され、 跡地は1125円で県に払い下げられたということです。

津山の街は いわゆる非戦災都市だったため、一部 再開発で 新しく広い道路や  マンションが出来ているところもありますが、  ほとんどは 古い町並みが残っています。
町並み保存地区などとうたってますが、かべが崩れ落ちたような  ほんとうに古い家が並んでます。
貴重です。写真に撮るならモノクロです。
ご先祖様の住んでいたところ(本籍地)にも行ってきました。
眼科医院になってました。

味のほうは 和菜美(わさび)がオススメです。デザートのシャーベットがうまかったぁ。

津山で一泊して 岡山に戻って倉敷に寄りました。
倉敷を訪れたのは初めてです。
駅前から アーケード街が 大原美術館のある美観地区まで続いてます。
アーケードの入り口近くにある ○ぶ のぶっかけを食べます。 ○ぶのぶっかけは こしが強くうまい。イチオシ。

えびす通りアーケード街。 アートの街って感じです。

大原美術館 
めだまの絵画が 何点か東京にお出かけ中だったのは残念。
でも 海外の美術館まで行って おめあての絵が東京出張中なんって話も聞いてますから、 良しとせねばね。

美観地区 
倉敷川に沿って しゃれたお店が並んでます。なんだかんだと買いまくる人がいます。

なんか倉敷って感じがしますね。

アイビースクエア 倉紡の工場跡
ホテルとかレストランになってます。

森田酒造 倉敷の地酒。
お酒の瓶に こったものがいろいろあります。

夜の美観地区。

××かり亭
ままかりの酢漬けや鯛の煮付けなど 料理はとてもうまいけど、 うるさいおばさんがいて ぼられた気になるので要注意。
行くなら 予約せずに行くのが正解。

倉敷の地ビール 白と黒。胡椒豆。
白はたくあん 黒は奈良漬の味がします。一口飲むと 何じゃこれ って言う感じです。 のど越しスッキリとはいきません。
胡椒豆はビールのつまみにピッタリ。いけます。

倉敷で一泊して 次の日は 岡山見物をして帰りました。
岡山は 後楽園と岡山城を見物しました。

岡山市内 路面電車があります。
倉敷で別れて先に帰った(でも のぞみに乗り遅れたらしい。ドジ。) すごっく元気な子が
「後楽園は岡山駅のすぐそばだから 簡単に歩いて行けるよ」
といっていたので 駅から見えるのかと思ったら 遥かかなた 見えません。
ちゃんと路面電車が走ってます。
駅前から 大通り一本道ですが、普通 ここ歩くかぁ?

後楽園

後楽園 唯心山

後楽能
紅葉にはちと早く 時期的にはあまり見る物はなっかたですが、 ちょうどこの日は 園内にある能舞台で後楽能というのをやっていて、 久しぶりに能を観ました。

岡山城
壁が黒いので 烏城ともよばれたらしい。
宇喜田秀家が築城し 関が原で宇喜田が滅んだ後 あの小早川秀秋が城主となったが一代で 終わり その後は維新まで 池田家が続いた。
なかなか姿の良い天守閣です。

天守閣から

岡山駅前 桃太郎像
サルとイヌとキジを連れてます。 キジに引き寄せられて ハトが沢山とまってます。


BACK     TOP    NEXT

6月△日
また 奈良へ行きました。

途中 掛川の小笠SAで そばを食べました。
小笠SA
小笠SAはプロヴァンスから歩いて数分のところにあり、 昔 プロヴァンスの住人さんが 通用口から入って 時々そばを食べにきてたらしい。

ところで 今回は 奈良グルメの旅です。
ならの老舗 とうふ料理のお店 「こんどう」です。
店に入ると 琵琶の音が響きます。

一品目 豆乳
国産大豆 エンレイとフクユタカの豆乳でございます。
まず 一杯いただきます。

二品目 湯豆腐豆乳仕立て
にがり絹豆腐
なかなかおしゃれな鍋でございます。
表面に 湯葉が出来ます。
  藻塩 柚子胡椒 割り醤油 でいただきます。

三品目 三種盛り
大豆含ませ 豆腐の味噌漬 もろこし豆乳寄せ
お豆さんがよく炊けております。

四品目 おぼろ豆腐
最初の一口は何もつけず、次に藻塩をつけて、 最後に 割り醤油で と三種の風味を楽しみます。

五品目 朝汲み湯葉さしみ
汲み上げ湯葉

六品目 栗と蓮の生麩田楽

七品目 白和え
無花果 松の実 防風
いろどりが鮮やかでございます。
緑の葉っぱが 防風でございます(ですよね)。

八品目 焼き生厚揚げねぎおろし添え


九品目 ごまおぼろ

十品目 海ぶどうと豆腐のサラダ
沖縄県恩納村海ぶどう 香酢大豆
海ぶどうというものを 初めていただきました。
ぷちぷちとした食感が なかなか結構でございます。

十一品目 鱧のお吸い物


十二品目 飛龍頭と季節の野菜炊き合わせ

飛龍頭(ひろうす)というのは がんもどきのことでございます。
何故 飛龍頭と言う名が付いたのか 良くわかりません。
そもそも ガンモドキというのも不思議な名前です。
一体 どこが ガンなのか わかりません。

十三品目 黒米入り湯葉雑炊と香の物


十四品目 甘味
豆乳入りゆずゼリー

以上とうふづくしの十四品でございます。 おなかいっぱいになります。
ところどころ 写真が無いのは いただくのが早すぎたためでございます。

どんどんいただきます。
バンバンいただきます。

食後に 東大寺まで散歩して 蛍狩りをしました。
ほたるの写真も取りましたが 割愛します。(闇夜のカラス状態・・・)

そんなこんなで 翌日 奈良を引き上げました。

BACK     TOP    NEXT

3月○日
古都奈良に春を呼ぶ行事 東大寺二月堂の「お水取り」を見に行きました。
正式には 「修仁会」(しゅにえ)というのだそうです。
お水取りの行事そのものは 非公開で見られません。
見られるのは お水取りの前に行われる 「お松明」という行事です。
僧侶が 二月堂の廊下で 巨大な松明を 振り回します。
二月堂は高いところにあって、下のほうから 松明を持った坊さんが 二月堂の廊下に上がって行って、そこで 暫く松明をふりかざした後、 廊下を角までどどどーっと移動します。 そこで 燃え尽きるまでふりかざします。
最後は 松明をぐぁんぐぁんゆすって 火の粉を豪快に散らします。
火の粉がかかると 無病息災ということらしいですが そこまでは近づけません。
なにせ でかい松明です。
炎が二月堂の軒先をなめ 火の粉ばらばら 火事になるのではと心配になります。
(実際火事になったことがあるとかないとか)
松明は全部で11本です。4分くらいの間隔で次々に登場します。







お松明は お水取りの日をはさんで2週間くらい毎晩おこなわれます。
でもお水取りの当日のお松明には どっと人が集まり 見るのに2時間以上待ちます。
しかも 見物は移動しながらになります。<立ち止まらないでください。>
お松明を見るなら お水取りの日は避けたほうがいいです。
警備のお巡りさんも声をからして この日には二度と来るな と 叫んでました。
普段の日なら 早めに行けば 廊下の真下で 存分に火の粉も浴びられるらしい。
やけどをする人もいるらしい 着物に穴は覚悟したほうがいいらしい。

というわけで 古都奈良の春の訪れを見てきました。

せっかく 奈良に来たので 最近よく新聞記事になる 平城宮跡を見てきました。

朱雀門。平城宮の正門です。
平城京の正面入り口が羅城門(羅生門は後世の当て字)で そこから 幅70mの 朱雀大路がのびて この朱雀門に至る。
すぐ前を 近鉄が横切ってます。

朱雀門から 復元工事中の大極殿を望む。
大極殿は平城宮の中心的建物で 政を行うところ。 朱雀門の真北に位置してます。
内裏というのは この大極殿の東側にあったらしい。
このあたりを 夕暮れ時に散策すると なんともいえない気分にひたれるらしい。
1300年前の人々のざわめきが・・・・。

奈良の街中も散策しました。

下御門アーケード街

和菓子の老舗 なかにし

「南無観椿」

再会を喜ぶちろとうめ

立ちこぎで疾走する人がいました。
無謀な疾走で幾度となくコケルらしい。生傷たえないらしい。

帰りに ちょっと京都に寄ってみました。
詩仙堂 雪です。

清水寺 仁王門

清水の舞台

舞妓さん発見

だらりの帯



BACK     TOP    NEXT

10月○日
新潟県の秘境の温泉 「駒の湯」 に行ってきました。
関越小出ICから奥只見方面へ30分位。山の中の一軒宿です。
日本秘湯を守る会会員の宿です。Hさんお勧めの秘湯です。

駒の湯山荘 ランプの宿 正面は駒ヶ岳

携帯電話は圏外です。
部屋にはテレビがありません。夜は石油ランプの下で 囲炉裏を囲んで 団欒します。
鉄瓶で沸かしたお湯(温泉)で入れたお茶が実にウマイ。

ランプと囲炉裏

電気は自家発電で 部屋には豆電球が一つついています。 ドライヤーを使おうとして 全館のブレーカーが落ちるので止めて と 言われている人がいました。

温泉は内湯が4っに露天が3っです。
女性専用は2っありますが、男性専用のはありません。(差別!!)
露天2っは貸切に出来ます。
温泉の特徴は 温度が低いこと(33℃!!くらい)。湯量が豊富。
これに長時間つかります。
横に沸かした温泉の浴槽があり 交互に入ります。
温度が低いため 温泉から出た後汗だくになることはありません。 芯から暖まる感じです。

露天風呂1

露天風呂2

渓流が見下ろせます。
紅葉の時期は絶景かも。

部屋のガラス窓の外側には カメムシが群がってます。だから窓開けは厳禁。 部屋にはカメムシ取り用のガムテープが常備されています。
(室内や 浴室を飛び回っていることはありませんので 安心してください)

窓ガラスに張り付くカメムシ。

宿の食事も美味しいし、ここはお勧めです。★★★★☆

ところで 日本秘湯を守る会会員の宿に泊まるとスタンプを押してもらえます。
スタンプ10ヶで1泊タダになるらしい。Hさんはだいぶ貯めたらしい。

ハーレーで疾走する中(老)年ライダー Hさん

小出から駒の湯の途中に 奥只見シルバーラインの入口があります。
この道路は 奥只見ダム建設のためにつくらられた道路で ほとんどトンネル。
長〜い 長〜い トンネルです。
ここを通って づ〜と前 銀山平まで 釣りに来たことがあります。
そのまたづ〜と前(まだ このルートが 一般に開放されてないころ)ここを通って 奥只見ダムを経由、ボートに乗り継いで 田子倉ダムまで行ったことがあります。 (そこで2週間くらい過ごしたような)
というわけで ついでに 青春を探しに トンネルを走りました。
でも トンネルを出たところは すっかり変わってしまって 昔の面影は全然ありませんでした。
トンネルの中はカーブの電光標識などが整備されていて 前よりずいぶん走りやすくなっていました。

奥只見ダム

銀山平 奥只見湖

帰りは例によって 信州3点セットコースをたどりました。141号(タロチャン街道) も久しぶりに走りましたです。
去年(4月)はソフトクリームを食べはぐれましたが、 今回はバッチリいただきました。

ウマイ!


BACK     TOP    NEXT

6月×日
奈良公園の鹿が気になったので様子を見に行きました

シカです

シカです

興福寺五重塔
申沢の池からの よくある写真です。念のため撮りました。

やすらぎ通り
車だらけ。 やすらぎ? 駐車違反の取締りが厳しいです。
ここから10分位のところにシカがいます。


何故か やすらぎ通りを全力疾走する人がいます。
ちっとも やすらいでいませから。

というわけで奈良にはたしかにしかがいました。

それにしても めっちゃ暑かった。

ちろるたちもいます。

新しい場所で緊張ぎみでカメラ目線のちろる。 そばにいるのは付き添ってきたうめ。 ぷーはあいかわらず呆けてます。

訂正
実は 写っているのはちろるではなくて ぐれクンでした。
このときちろるは別のところにいたらしい。
ちろるクンから 「間違えないでちろ」と抗議がありましたので 訂正します。
再訂正
またまた間違えました。ぐれクンの前で ぐてっとなっているのが まさにちろるクンでありました。
アホクサッ
何ともいやはや 日本のし法の将来は大丈夫だろうか。
BACK     TOP    NEXT

5月○日
山中湖へ行きました。
富士山が目の前です。
1日目は晴れていましたが 春霞みでモヤッとしてました。
2日目は雨で 全く見えません。
3日目も朝のうち雨でしたが 昼頃から雲が消え 快晴。
雨の後で クッキリ。

富士三景

雨上がり

笠雲

飛行機雲



BACK     TOP    NEXT

4月○×日
信州方面に花見に行きました

駒ヶ根の光前寺は 枝垂れ桜が有名です。

見頃まであと3〜4日

駒ケ岳

参道の杉の巨木

形の良い三重の塔
塔の前には伝説の霊犬早太郎の像

光苔
参道の石垣の隙間で緑に光ってます。

駒ヶ根から 今年も高遠へ行きました。
満開です。
明日は雨の予報なので 今日が見頃の最後という感じです。

コヒガン桜

高遠から 諏訪大社に寄りました。
本殿

御柱 次は平成22年?

次の日は雨でしたが 諏訪大社下宮(秋宮)へも行きました。
しめ縄の太さがスゴイ

秋宮の門前にお菓子の老舗 新鶴があります。 塩羊羹が有名です。お土産に一本。おいしいです。
明治初期からの老舗



BACK     TOP    NEXT

3月××日
伊豆の戸田方面に行きました。
富士山と夕日の眺めがとても美しい場所です。
夕日は焼津方面に沈みます。




海の上に富士山が見えます。霞んでます。


夕方





BACK     TOP    NEXT

10月○日
那須へ行きました。
このところずっと雨が降り続いていたのですが、今日は久し振りに晴れました。
茶臼岳もよく見えます。中ほどが紅葉してます。
茶臼岳(1915m)

ケーブルカーで途中まで上がり(山頂駅1690m) 山頂まで登山しました。
ケーブルカーから紅葉のながめがすばらしい。
ケーブルカーの窓越しに

隣りの朝日岳の紅葉を背景に登ります。
朝日岳

これはいい。

山頂付近はガスっていて強風です。
もうすぐ山頂

山頂到着。登り約45分、結構きつい登山でした。
茶臼岳山頂。絶景です。

茶臼岳は活火山で 山頂付近横腹から蒸気が吹き出てます。硫黄の匂いがきついです。


那須で一泊して 次の日は日光方面をまわりました。
塩原までの道はまだ紅葉してませんが 霧降高原あたりは紅葉してました。 霧降高原牧場

霧降高原道路の景色もなかなかいけます。さすが有料道路です。
橋の上から

日光いろは坂もまだ紅葉してません。11月でしょうか。
奥日光は紅葉みごろです。
湯ノ湖の紅葉です。




男体山を望む



今回の旅は若者のグループによる車の旅でした。
若さにまかせて
 東北道→那須→塩原→五十里湖→霧降高原→ 日光→金精峠→沼田→関越道
と強行軍でした。
このコースの前後にさらに掛川までのおまけがついた運転手のHさんお疲れ様でした。

 
BACK     TOP    NEXT

4月×日
突然思い立って 高遠の桜を見に行きました



ちょうど満開でした。
コヒガン桜という種類で ソメイヨシノよりピンクが濃いようです。
それにしても 大変な人出でした。


桜の下の草むらに ちょっと綺麗な花が群生してました。これは何と言う花でしょうか。

帰りは お決まりの3点セットコース
清里 清泉寮ソフトクリーム→ はなみずき むーちん→ 野辺山 びっくり市
をたどりました。 残念ながらソフトクリームはやってませんでした。
はなみずきで 帰りにオオイト桜を見ていけと言われ 立ち寄りました。
既に 7時近くで あたりは真っ暗でしたが オオイト桜はライトアップされていました。
樹齢700年の枝垂れ桜です。 これも 満開で 見事でした。一見の価値ありです。
長坂インターの近くです。


BACK     TOP    NEXT

1月×日
ひょんなことから 箱根の老舗ホテル 富士屋に一泊しました。
あいにく 翌朝は雪でしたが かえって風情がありました。
といっても 箱根全山チェーン規制となり チェーン取り付けに十苦労でした。
くれぐれもチェーンは事前に取り付け確認を(と店員にも言われたっけ)。

 左;本館 明治24年 右;ダイニング 昭和5年
 ダイニングの天井
 1,2号館 明治39年
 花御殿 昭和11年

ついでながら、
箱根方面お出かけの際の夕食は 富士屋ホテルの隣り イタメシ屋 La Bazzaがお奨めです。
リーズナブルなお値段で 結構いけますよ。

BACK     TOP    NEXT

11月○日
紅葉狩りに行きました。久々の秋晴れです。
目指すは茨城県の花貫渓谷。
常磐道 高萩ICを出て 15分位のところにあります。なかなか良い所です。
今年は天候不順だったせいか 一斉に紅葉というわけではないようです。 ほとんど散っているのもあれば 未だ青いままのもあると言う具合です。 もしかしたら いつでもこんなもんかも知れませんが・・・。
 一番の紅葉ポイント 汐見滝橋。





 渓谷に入る手前にある 花貫ダム。海が見えます。

花貫渓谷がちょっと早い感じだったので、花貫渓谷から 40分くらい北上したところにある花園渓谷まで 足をのばしました。 ここもなかなか良い所です。 花園神社辺りがポイントです。




BACK     TOP   

5月○日
京都は嵯峨野のあたりを散策しました。
 祇王寺。新緑がとても美しい。

 

京都の街を散策しました。 女性の車ひき(車夫?)がいました。
ちょっと粋で かっこいいけど これは重労働。

舞妓さんも いました。この日は初夏なみの暑さだったので こちらも重労働?
情緒があります。高台寺さんの前あたりです。

やっぱりかなり厚化粧です。おや?

早々と鴨川の川床が始まってました。本番は6月からだそうです。
 早速 一杯やりました。

BACK     TOP   


掲示板はここをクリック
戻る