奈良のお寺巡り

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2009年5月
長谷寺
室生寺
春日大社 その2
白毫寺 その2

2008年4月
白毫寺
新薬師寺
春日大社
春日大社神苑
元興寺
秋篠寺
西大寺
薬師寺
興福寺


2009年5月

長谷寺
8世紀前半ごろ創建されたお寺で はじめは東大寺の末寺、次に興福寺の末寺となり、 16世紀に真言宗のお寺になったらしい。
長谷寺は 昔から 「初瀬詣で」で有名です。 ご本尊の十一面観音の霊験あらたかということです。
枕草子にも源氏物語にも出てきます。
でも 「古典は百人一首」のでぼこが 思いつくのは
  うかりける 人を初瀬のやまおろしよ
        はげしかれとは祈らぬものを

ですね。 なんか受験の歌かと思ってましたが、 「憂かりける」だとは・・・。

まあそんなこんなで 初瀬詣でをします。
仁王門

登廊(のぼりろう)
399段 二間おきに長谷型灯篭

本堂(国宝)の懸造り

       
本堂の舞台から眺めた五重塔が木々に囲まれて美しい。

長谷寺は牡丹でも有名です。 登廊の両側は 牡丹の花が ちょうど盛りです。見事です。






緑の牡丹。 まだ蕾です。

室生寺
室生寺は室生山の山中にあり 女人高野として知られてます。
でも 元々は 奈良時代末期に始まったお寺で 興福寺と関係の深いお寺だったのが  鎌倉時代以降 真言宗の寺として栄えるようになったらしい。。
仁王門

金堂(国宝)

五重塔(国宝)
屋外の五重塔としては最小らしい。 800年ごろのもので法隆寺の五重塔に次ぐ古さらしい。 美しいです。

室生寺は また石楠花の名所としても知られてます。 こちらも ちょうど 見頃です。








春日大社 その2
去年 撮りそこなった風景です。
灯篭
本殿の横で灯篭に火が灯っています。

イチイガシ
倒れた木が皮一枚でつながって大木になっています。

ムクロジ
木の真ん中から 竹が生えてます。

白毫寺 その2
こちらも 去年の続きです。
本堂

五色椿
樹齢400年でこの寺の名物ですが、3月ごろが見頃らしい。 わずかに二つ三つ出遅れがいました。


2008年4月

白毫寺
白毫寺は高円山の麓の高台にあるこじんまりとしたお寺です。 高畑ビバリーヒルズから歩いて行けます。20分くらいです。




境内から 奈良の町が一望できます。


4月初めごろに来れば 椿がいいらしい また秋の萩もいいらしい。
ご本尊の阿弥陀如来坐像 閻魔王坐像(いずれも重文)がなかなかいいです。

白毫寺は天智天皇(在位661-672)のころの創建らしいがはっきりしない。 鎌倉中期に真言律宗を興し、西大寺を再興した名僧興正菩薩叡尊が 同時期に真言律宗の寺として、 この寺も再興整備したということらしい。
白毫(びゃくごう)というのは 仏の眉間にあり光明を放つといわれる白い毛のことです。 渦を巻いていて 伸ばすと4mくらいあるらしい。

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新薬師寺
白毫寺から一旦ビバリーヒルズの方に戻って 新薬師寺に向います。
新薬師寺は 聖武天皇(在位724-749)眼病平癒祈願のため光明皇后により建立されたということです。
西ノ京にある 薬師寺との関係が気になりますが、 時期的には 確かに新薬師寺の方が薬師寺より何十年か新しいようだけど  二つの寺は関係ないらしい。
宗派も違います。薬師寺は法相宗(興福寺と同じ) 新薬師寺は華厳宗(東大寺と同じ)。
新薬師寺の新は「あたらしい」という意味ではなく「あらたかな」という意味らしい。 (こじつけ?)
なんかこちらのほうが霊験あらたかですよと対抗している感じがしますが・・・。
建立当時はかなり大きな寺院だったようですが 間もなく落雷による火災で ほとんどの建物が焼失 本堂のみが残ったということらしい。
本堂(国宝)
左側の赤い花は菊桃というらしい。もう終わりかけてますが 花びらが菊のようです。
菊桃 

ご本尊の薬師如来坐像(国宝)がすばらしい。
でもなんといっても すごいのは薬師如来像を囲む十二神将像(国宝)。
バサラ アニラ ハイラ ビギャラ マコラ クビラ ショウトラ シンタラ サンテラ メイキラ アンテラ インダラ
怒髪のバサラが有名ですが どれも迫力満点です。
十二神将の役割は薬師如来を信ずる者を守ることです。
後に 十二支の守護神にもなったらしい。
ちなみに アタイの守護神はハイラ。
クビラは金毘羅さまのことらしい。

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春日大社
新薬師寺から すぐ近くの 奈良市写真美術館を見学します。 写真美術館は奈良を撮り続けた写真家入江タ泰吉の作品を展示してます。

そういえば 写真館の入場券を買おうとしたら 売り場のおねえさんが 「白毫寺、新薬師寺には行きますか?」 と聞くので 「もう行ってきたよ」と答えたら 「共通割引券があったのに」と言われました。  「写真館だけで扱っているのね?」と聞いたら 「それぞれのお寺で扱ってます」だって。 そんなん聞いてないよー。
写真館は市立だからちゃんと教えてくれるけど お寺は教えてくれないようです。セコイ。
写真館のおねえさんが お寺によく言っておきますといっていた。 これから行く人要注意ですよ。

写真美術館から 志賀直哉旧邸の横を経て春日大社の森の ささやきの小径を通って 春日大社に向います。
志賀直哉旧邸
多くの文人が集まって 高畑サロンとよばれたらしい。
このあたりは土塀が続いてます。


ささやきの小径

鹿の出迎え









青丹よし

砂ずりの藤
下の砂をするほど垂れ下がるということでしょうか。まだまだですね。

春日大社神苑で藤が咲き始めているということなので 入ってみます。
まだちょっと早いようでしたが いろいろな種類の藤を愛でることが出来ます。
苑内には 藤の花のほかにも万葉植物などが数多く植えられています。
神苑の藤などはこちらを見てください。

苑内を歩いていたら コゲラを発見。
コゲラの仕事の様子はこちらを見てください

春日大社から 奈良公園の鷺池にある浮見堂を見ながら 元興寺に向います。
浮見堂

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元興寺
元興寺はちろる君オススメです。「あ、こんなところに 世界遺産が」って感じがいいそうです。
元興寺は奈良町にありますが 地図で見ると 何箇所も元興寺というのがあります。
それもそのはず 元興寺は天平時代には 東大寺に次ぐ大寺院だったのです。 今の奈良町全体が元興寺の境内だったらしい。
元々元興寺というお寺は 仏教伝来後初めて 飛鳥の地に建てられた 仏教寺院 法興寺を平城遷都とともに 奈良に移したお寺で 由緒あるお寺なのです。
それが時代とともに 衰退して ほとんど 住宅地となりわずかな部分が分散して 残っているということらしい。
一番大きく残っているのが 元興寺極楽坊で ここが世界遺産に登録されています。 しかし 正確には 極楽坊は元興寺衰退の過程で 元興寺から分離独立した寺で 真言律宗西大寺の末寺となって 生き残っているということらしい。最近になって元興寺を称するようになったらしい。
本家の元興寺はわずかに 東大寺の末寺として塔跡と小塔院が分散して残っているだけという状態です。
極楽坊には 元は元興寺の僧坊だったのを改修した本堂と禅室が建っています。
建物の一部には奈良時代の部材が残っていて いずれも国宝です。
屋根は古い行基葺屋根が一部残っています。 瓦も1400年前の飛鳥の法興寺時代の瓦も一部使われています。
収蔵庫には五重小塔(国宝)があります。 小型の塔で室内に置かれていたため 傷みが少なく 当時の五重塔の構造を知るうえで貴重だということです。
本堂
中央に柱がある珍しい本堂。元々本堂ではなく 僧坊だったためらしい。
本堂 行基葺屋根 
左手前の建物は禅室

赤い瓦が飛鳥時代のものらしい
禅室の屋根は途中で葺き方が変わってます。
違いが判るかな?
新しい本瓦葺では重なりに段差が無いので 見てくれがよくなってます。

極楽坊の庭には墓地があります。
墓石群
古代の大寺院には墓地は無いのが普通。そういえば無い。
そもそも当時の仏教では葬式の法要というものが無かったらしい。
お墓があるということは 元興寺が国家鎮護の寺院から極楽坊として庶民信仰のお寺に変わったことを示しているとですね。
極楽坊という名前からしてそうですね。

地図を頼りに 本家?の元興寺塔跡を探します。 うっかりすると通り過ぎてしまいそうな場所にありました。


五重塔の礎石だけが残っています。東寺五重塔(57m)より高い塔だったらしい。
壮大な五重塔を偲ぶ。

今日はこれで終わり。

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秋篠寺
次の日は 電車で西大寺駅まで行って 秋篠寺まで歩きます。
秋篠寺も落ち着いた良いお寺です。




奈良時代末期のお寺で 平安末期にほとんど主要伽藍のほとんどを焼失。  残った講堂を鎌倉時代に本堂として再建したということです。
本堂(国宝)

本堂には 本尊の薬師如来像 左右に日光月光菩薩像 さらに十二神将像。
でも このお寺の目玉はなんと言っても 諸伎諸芸の祈願を受納したまう伎芸天です。 伎芸天の前だけ お賽銭が山のように積まれてます。
頭部乾漆造が天平時代で体部寄木造は鎌倉時代のもの。 わが国唯一の現存する伎芸天像ということらしい。

秋篠寺から西大寺まで ほぼ一直線の細い道を行きます。
これ道?って感じです。

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西大寺
西大寺は大きなお寺ですが なんか味気ない感じのお寺です。 創建は奈良時代の終わりごろで 当時はかなり大きなお寺だったらしいが その後 多くの官寺がそうであったようにこの寺も衰退した。(元興寺もそうでした) しかし 鎌倉時代半ばに 名僧興正菩薩叡尊が西大寺を真言律宗の寺として 再興し ほぼ今の姿に整えたということらしい。ということで どちらかというと鎌倉時代のお寺かな。 この坊さんは 大変なやり手で さきに書いたように白毫寺を再建したのですが  他にも 般若寺や海龍王寺など沢山の寺を再建しています。
西大寺では建物だけを眺めます。 本堂
壁面に白壁を使わないで 木だけで出来てるのが珍しいらしい。

聚宝館にだけちょっと入って お宝を見学しました。 金銅宝塔(国宝)が目玉です。

西大寺駅は近鉄のターミナル駅で 近くにデパートなどもあります。 デパートの屋上から平城京跡が一望できます。
平城京跡

西大寺から電車で西の京の薬師寺に向います。

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薬師寺
薬師寺も最初は天武・持統天皇の時代に飛鳥の地で建立されたものを  遷都にともない この地に移されたものです。
屋根を二重にした裳階(もこし)構造の塔や金堂など 他に例を見ない壮美な大伽藍で 龍宮造りと呼ばれていたらしい。
それも戦国時代の戦火で 東塔、東院堂以外全て焼失。
昭和42年から 高田好胤が頑張って伽藍の再建に取り組み 平成15年に ほぼかつての白鳳伽藍が蘇ったということです。

   
東塔(国宝)                西塔
塔の相輪の頂上の水煙
   
水煙は火炎の形ですが 火災を嫌って水煙というらしい。
水煙には24体の飛天が彫られている。
飛天

回廊

東堂院(国宝)鎌倉時代

金堂
確かに龍宮城のようですね って見たことないけど。

白鳳伽藍の北に最近新たに建立した玄奘三蔵院伽藍から白鳳伽藍を眺めるとなかなか良いです。


ここで 二つの塔の屋根の傾きを比べて見ると 東塔より西塔の方が傾きが少ないのがわかります。
初期の五重塔の屋根は傾きが小さくフラットな屋根だったのです。 傾きが少ないと雨に弱く 腐りやすいので だんだん改良してその後は屋根の傾きを大きくするように なりました。
そこで 東塔は 屋根の傾きを変えることで 白鳳時代の塔を保存してきたというわけです。 それに対して 西塔は現代の技術で 塔の原型である傾きが少ない屋根で再建した  ということです。
実はこれ 元興寺の収蔵庫の壁に貼ってあった小さなメモに書いてありました。 元興寺の五重小塔の屋根は正に傾きが少ないフラット屋根なのです。でも室内にあったから保存できたのですね。 屋外の古い五重塔で屋根がフラットのものは残っていないということです。

ところで 玄奘三蔵伽藍には 大物絵描きの平山某が描いた大壁画のための 壁画殿というのも新しく出来ていて、 その壁画を公開中ということでお寺の拝観料が何時もより高い。壁画は別料金にしてほしかったね。

お寺の入口は 牡丹が見事でした。


薬師寺から 唐招提寺へ向ったのですが 本堂大修復中ということで 入らずに 本日はこれで終了。

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興福寺
奈良に行けば 必ず 興福寺の五重塔が目に入ります。 東大寺とならんで 奈良のシンボルですね。 いつも さらっと通り過ぎるだけですが 今回はちょっと入念に散策しました。
三重塔(国宝)
平安末期 鎌倉時代に再建
北円堂(国宝)
奈良時代 鎌倉時代に再建
ちょうど公開中だったので 入ってみました。 運慶作の 弥勒如来像、無著・世親菩薩像 平安初期の四天王立像 (いずれも国宝)などが安置されています。 いいですね。

五重塔(国宝)
奈良時代 室町時代に再建 二番目の高さらしい(50.1m)

五重塔と東金堂(国宝) 奈良時代 室町時代に再建
興福寺には金堂が 東、中、西と三つあって 残っているのは この東金堂だけ。現在、中金堂を再建中。
南円堂(重文)
平安時代 江戸時代に再建

国宝館にも入ってみましたが それこそお宝がゴロゴロ。
これはすごい。 阿修羅像いいですね。 もう一度行ってみたいですね。

ということで 今回の奈良のお寺巡りは終わりです。


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