でぼこのお宝



でぼこの家の押入れの奥から出てきたお宝の数々です。

7. 古いお札

浜さんから 古銭の写真を送ってもらったのに刺激されて (なんでも すぐ刺激されます)家捜ししたところ 古いお札が出てきました。

このへんのお札は 未使用品なら 買えば1000円〜3000円くらいするらしい。
でもほとんど ヨレヨレだから やっぱりガラクタだな。

二宮1円札
昭和21年3月発行 現行
同一組番号6枚 これだけは 結構ピンとしてるからお宝かな?
番号 197922 の最初の1は日本銀行を表し 最後の22は印刷工場を表して 真ん中の979が ロットのシリアル番号を表しているらしい。
1ロットの枚数は良くわからないらしい。 おそらく100万枚くらいかな?

議事堂10円
昭和21年2月発行 現行

彩紋5円
昭和21年3月発行 現行

板垣50銭
昭和23年3月発行 28年12月廃止

鳩10銭
昭和22年9月発行 28年12月廃止

梅5銭
昭和23年5月発行 28年12月廃止

板垣100円
昭和28年12月発行 現行


6. まぼろしの作品

60年前に書かれた未発表の原稿発見!! 
まぼろしの作品はこちらです。

5. 100年前の葉書

100年くらい前に じい様が豪州から出した葉書のようです。


5%位しか読めません。 でも何となく時候の挨拶程度のような・・・。
ところが こんな達筆?でも 完全に読める人がいます。全く驚きです。

其後者鳥渡御無沙汰仕候處愈々御多祥奉大賀候桜花之
期節とも相成御地方到る處賑々敷事与奉拝察候 當地
方近年稀なる暑さ尓候得共無籠勤續罷在候間
乍恐御放念可被成下存候
先頃俊さんより御葉書被下難有正ニ拝誦仕候
先者右まで 餘り御無沙汰と相成らぬ内ニ一寸御通
信申上候草々不一
                    タウンスビル○○商会
    三十六年三月七日             ○○○
      ○○様 御中

<読み下し>
その後はちょっと御無沙汰仕り候ところ、いよいよ御多祥大賀奉り候。
桜花の季節とも相成り、御地方到る處賑々しき事と拝察奉り候。
當地方近年稀なる暑さに候えども、こもり無く勤めつづき罷り在り候間、 恐れ乍ら御放念なしくださるべく存じ候。
先頃俊さんより御葉書下され有難くまさに拝誦仕り候。
まずは右まで 餘り御無沙汰と相成らぬ内にちょっと御通信申上候。草々不一

「鳥渡」が「ちょっと」とは・・・。でも辞書を引くとちゃんとのってますね。
後の「一寸」とちょっと使い分けてますね。
最後の文字が「不一」なんてどっから読めるんでしょうかね。
それにしても 本当に単なる時候の挨拶です。(仰々しい・・・)


4. 外食券



昔はこれがないと外でご飯を食べられなかったらしい。
調べて見ると、
戦争による食糧事情の悪化から 1941年 米穀通帳による米の配給制度が実施され 同時に 職場の食堂などで 米を食べる人のために 外食券制度が実施された。
役所に米穀通帳を提示して外食券の交付を受け、それを職場に提出して 職場の食堂のほうで 米の配給を受けるという仕組みらしい。
しかし さらに食料事情が逼迫し 戦争末期の1945年7月には  旅行者外食券制度が実施され、駅弁にも外食券が必要 となり さらに 外食券食堂が指定されて、これ以外の飲食店ではお米はいっさい配給されないことになったらしい。
食糧事情が好転した 1950年(昭和25年)ごろからだんだん形骸化して 使われなくなったらしい。
たしか デパートの食堂では 食券売り場で外食券も売っていたような気もする・・・らしい。
1969年(昭和44年)までこの制度はあったらしい。意外と最近まであったんですね。

3. 給料袋

昭和21年頃の給料袋です。



袋の下部に内訳として 現金 封鎖 とあります。
封鎖って何だろう? と調べてみました。
昭和21年(1946)2月に金融緊急措置令などが公布され 預金封鎖 新円切替が行われた。
これは 国民の持っている お金を使えなくすることで 食料の買いあさり等を防止し戦後インフレを抑えると共に  国民の資産をあぶり出し その一部を徴収することで 国の財政破綻を防ぐ というかなり荒っぽい手が使われたらしい。
ということで 当時の給料は現金の支払いは500円まで 残りは封鎖預金で支払われたらしい。 給料袋の下部に封鎖とあるのが 封鎖預金の分ということらしい。

2. 検閲スタンプ



戦後 駐留軍による 民間人の手紙の開封検閲が行われたらしい。
検閲済みの手紙には スタンプを押して セロテープでシールしたようだ。
セロテープに印刷されている OPENED BY の後には U.S. ARMY EXAMINER と印刷されているらしい。
ちなみに、この手紙の中身は 某出版社からの きわめて事務的な内容です。
検閲は東京の中央郵便局内で行われたらしい。8000人位の日本人が 検閲業務に携わったらしい。 ほとんど 学生アルバイトで 結構な額がもらえたらしい。昭和23年ごろまで行われたらしい。
同じ 駐留軍が 日本国憲法に
「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」
としているのは なんとも いやはや・・・。

1. 広告付き消印

昭和25年ごろのハガキを眺めていたら おや? 消印に何か書いてあるのを発見。


  大東宝が放つ
  佐々木小次郎
  完成迫る!
とあります。 昔の郵政省はこんなことをしたんだぁ
今でも 何かの記念スタンプのようなものは見たことがありますが・・・。
どうやら 限られた期間実施されたらしいが 良くわかりません。
もしかして 本当にお宝かも・・・。


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