――予想以上だった。

 何がといえば、ヘリオンの不調っぷりがだ。
 キロノキロを発つ前、俺は部隊編成を変更していた。俺とエスペリアの隊にヘリオンを組み入れる、という形で。
 ヘリオンは不調であるが、現状で戦場に出さないわけにはいけない。だから防御、回復、そして状況・戦術判断の全てを完璧にこなすエスペリアと同じ隊にした方がいい、というのがその理由だ。加えて、仮にもエトランジェである俺が一緒ならフォローにすることもできるだろう、というのもまた理由の一つでもある。
 提案した時、エスペリアには微妙な……反対ではないが何か言いたそうな……そんな顔と共に「過保護ではないでしょうか」って言われたのが何気に心に刺さったが。
……それは以前光陰と今日子にも言われた言葉だからな。あの時はもちろんヘリオンじゃなく、佳織の為に色々奔走して言われたんだが……
 いや。義妹と、どこか妹みたいに思ってる娘、ということなら、あながち共通点がないわけじゃない、のか?
 いや、それはこの際考えないでおこう。
 ともあれ、そうした意図でヘリオンを俺と同じ部隊にしたわけだが……
 確かに、少し気をまわし過ぎだって感が無いわけじゃなかった。
出発前にヒミカが言ってた、

「正直に言って……目も当てられません」

 という少々言い過ぎの言葉も、あの大怪我を近くにいながら防げなかった引け目からきてると思ってた。
 ……それが、まさか本当に言葉通りとはな。
 イースペリア領内での幾つかの交戦。その中でヘリオンと同じ部隊で戦って、すぐ傍で見て、確かに確認した。
 彼女の動きは……俺の記憶にあるものよりも、明らかに精彩を欠いていた。
 特に、思い切り――決断力っていっていいかもしれない――が悪くなっていたのが致命的だ。
 一動作を開始してからは、確かに速い。相変わらず目で追うのがやっとの速度だ。だけどそれまでの間が大きくて、折角の速さを台無しにしてしまっている。
 結果、それが全てに悪影響を与えて、行動が敵に見切られてしまっていた。
 これが……これがヘリオンの悩みが引き起こした事態っていうんなら、本当になんとかしなくちゃいけないな。ヘリオンに聞いても言葉を濁すだけで答えてくれないけど……でも、力になりたいと思う。
 ……………………いや、ヘリオンのためでもあるけど、フォローで疲労困憊しきってる俺のためにも。
 正直心労で倒れそうだ…………










黄昏に望む――


/ 存在に惑う 3rd










「……やっと、ここまで来たか……」

 イースペリア領に入ってから五日。
 断続的な戦闘による肉体の疲労よりもむしろ心労を抱えながらこうして無事に首都イースペリアに辿り着けたことを、俺は今だけは神に祈ってもいいと思った。
 イースペリア城周辺、及び城内の敵の排除は他の仲間に任せ、俺の部隊は真っ直ぐにエーテル変換施設に向かった。
今回の作戦の最優先項目である施設機能の停止――その為の詳細な操作を、スピリット隊の中ではエスペリアしか知らなかったためだ。
 そして辿り着いた施設の中心部。頑丈な鉄扉を無理矢理叩き壊して中に入ると、

「…………うわ」

 その中の光景に、俺は圧倒されてしまった。
 壁一面に不可思議な……どこか配電盤を思わせる、奇妙な模様が刻まれている。しかもその模様が、微かに光を放っていた。だがそれ以上に驚いたのは部屋の中央に浮かんでいる物体だ。
 巨大な……なんだろう、RPGでよくあるクリスタルみたいな結晶体に、バカでかい永遠神剣が突き刺さっている。なんとも異常な光景だった。
 だが、それはこの世界の皆にとっては見慣れたものなんだろうか。一緒に入ったエスペリアは全然驚いた様子を見せず、あれがこの施設の中枢だと普段と変わらぬ口調で教えてくれた。
 そうして、立ち尽くす俺の脇を通りすたすたと歩いていく。
 じゃあヘリオンはどうなんだろうと思って首を回して後ろを見ると、

「…………」

 相変わらずの沈んだ顔。参考にならなかった。

「では作業を開始しますので、しばらくの間警戒をお願いします」

 エスペリアは部屋の様子を一通り見て確認すると、そう言って俺達に軽く頭を下げて操作盤に向かった。手帳を見て何かを確認しつつ、作業を進めていく。
 ……こういうものだ、って受け入れるしかないのか?
 どうしてもこの部屋の様子には納得がいかないが、かといって質問責めにしてエスペリアを邪魔するわけにもいかない。結局黙って待つことにした。
 そうなると作業中何もすることがない俺達は、エスペリアの言葉通り警護に徹するしかない。『求め』を構え、静かに周囲の気配を探り続けた。
 だがそうして数分が過ぎると、何も起きない状況じゃさすがに暇になってきた。
 ……話すくらい、いいか。

「なあヘリオ……」
「!! ユートさま!」
【契約者よ、来るぞ!】

 が、話しかけようとした途端、ヘリオンと『求め』の強い声が響いた。
 どうした? と聞き返す間もなく、部屋の入り口から黒い何かが飛んで――

「――!?」

 金属音。
 反射的に構え直した剣が、その『何か』の攻撃を受け止めていた。

「ユートさま!?」

 直後、攻撃を防がれたとみるや、斬撃を放ったソイツは即座に俺の前から離れた。十数歩の距離を瞬時に移動し、間合いを取られる。
 そこではじめて、俺はギリギリのところで死を免れたんだと気付いた。ドッと冷や汗が噴き出て、心臓の音が早くなる。
 今の……もしヘリオン達の声がなければやられてた。

「ほう。手前の初太刀を凌ぐとは」

 ソイツは、居合の構えをとりながらも悠然と話しかけてくる。警戒心を剥き出しにしている俺達とは対称的だった。

「……イースペリアのスピリットか? だったら俺たちは敵じゃ……」
「ユート様! その者は」
「いや。手前は、サーギオスのウルカ」

 エスペリアが何か言おうとしたのを遮るように、眼の前の――ウルカといったな――ウルカが名乗った。
 サーギオス? どうして帝国がここに……

「し……『漆黒の翼』……?」
「知ってるのかヘリオ……ど、どうした!?」

 横目で見遣ると、ヘリオンは身体を僅かに震えさせ、顔面蒼白になっていた。その顔に浮かぶ表情は、恐怖と、怯え……?
 ウルカを見て……こうなったのか?

「……ユート様。あれは『漆黒の翼』ウルカ。サーギオス遊撃部隊の隊長にして、大陸最強の一体にも数えられるスピリットです」

 エスペリアの言葉を聞いて、納得した。
 さっき一度剣を受けただけで伝わってきた強さ……なるほど、確かに最強クラスだ。多分……アセリアより強いと思う。
 その事を知っていただろうヘリオンが震えるのも無理はないか。
俺だって怖いし、出来るなら今すぐ逃げ出したい。こんなところで死ぬわけにはいかないからな。
 だが……

「――では、参る」
「ちぃっ!」

 名乗り終えれば会話は不要とばかりに、残像を引きながらウルカが矢のような速度で迫ってきた。
放たれた居合を辛うじて受け止め――と思った瞬間には二撃目が放たれていた。受け止めたバカ剣から、強い衝撃が手首を通じて伝わってくる。

「ぐ……! ヘリオン下がってくれ!」

 この力……この強さじゃ、ヘリオンだと相手にならない。速さはあっても力が圧倒的に足りなくって、すぐに押し負けて終わりだ。彼女本来の力を発揮できれば速度による攪乱も期待できるけど……今のヘリオンの調子じゃ危険すぎる。そう思ってヘリオンを下がらせた。
 ……そうだ。逃げようたって、ウルカがそれを許さない。なんとかして倒すしか……いや、せめて追い返せれば。

「ユートさま……でも、わたし、わたしは…………分かりました……」

 ヘリオンは俺の言葉を聞いて何か躊躇ったみたいだけど、自分の力ではウルカには到底敵わないと分かったんだろう。最後には聞き入れてくれた。諦めたように呟いて、壁際まで下がったようだった。
 俺はその事を確認する余裕なんて無かった。ウルカの攻撃を防ぐのに、いや、致命傷を避けるので精一杯だった。

「は!」

 空気を裂くような鋭い呼気。その声と共に常識外れの連撃が襲いかかってきた。
 腹のあたりを狙う横薙ぎの一閃を受け止めたと思ったら、今度は首へ刃が迫ってくる。『求め』を引き上げ、辛うじて弾いた。下から強く突き上げられたウルカの神剣が大きく逸れる。
 そこを隙と見て刃を翻して反撃……しようとしたが、その時にはもうウルカは俺の眼の前にはいなかった。斬撃を弾かれたとみるや、流れるように間合いの外に移動していた。

「は……くそ」

 速過ぎて反撃に移る暇が全く無い。防戦一方だ。
 だけど……見えないわけじゃない。辛うじて、ではあるが、ついていけている。
 なんで俺はあんなのが見えるんだ、と疑問を感じたところで、思い至る。
……多分、ヘリオンを間近で見てきたからだ。特にイースペリアに入ってからは、出来る限り近くで戦うようにしたし。
 だからだろうか。感覚的にだけど、わかった。
 斬り返しも連撃もウルカが段違いに洗練されていて強く速いけど、居合の太刀の一撃目……その踏込みと抜刀の速さだけは、ヘリオンは同じものを持っている。……いや、多分単純な速度だけなら、ウルカよりヘリオンの方が速い。
 ウルカの攻撃を受け続けてみてはじめて、その事に気付いた。
 ヘリオンと同じ部隊で戦ってきたことで、俺はあの領域の速度に知らず知らず慣れてきていたのか……。
 これは……ヘリオンに感謝かな。

「ふむ、手前の技をこれほどまでに防ぐか」

 距離を置いた先で、ウルカが感心したように呟く。
 ち……そう言う割には余裕の表情じゃないか。
 俺が心中でそう毒づくと同時。ウルカは腰を一層低く落とした。

「ならば……!」

 低く呻くと同時に、再びウルカが残像をひいて迫ってきた。
 放たれた居合の太刀の剣筋を辛うじて読み、防いだ。そうしたらすぐに二撃目が――来な、い?
 ウルカは抜き放った刃を戻さず、駆けて来た勢いのまま俺の左側をすり抜けた。なんだ、と思って振り向くなり、

「マナよ、黒き衝撃となれ。彼の者に破壊の力を――」

 距離を取ったウルカが詠唱を……神剣魔法!?

「まずっ! バカ剣、レジス――」
「ダークインパクト!」

 防護の神剣魔法を使う間もなく、黒い塊が俺を襲った。

「が……!」
「ユ、ユートさま!」

 全身に衝撃が駆け抜けた。手足のあちこちが裂ける。
 こらえきれずにふらついてしまった。その拍子にちらりと視界に入ったヘリオンは、今にも泣きそうな顔をしていた。
 だが、心配かけたか、と思う余裕すら与えられない。
 体勢を崩している俺へ瞬時にウルカが間合いを詰め、居合を放ってきた。この状態であの速度の連撃……
 受けきれるか?
 そう思う間に、銀閃が襲いきた。
 一撃目――
 太刀筋を辛うじて読み、剣で受ける。が、さっきの神剣魔法が効いていた。衝撃に負けよろけてしまう。
 二撃目――
 目で追うが身体がついていかず、無理な姿勢で防御。バカ剣が弾かれそうになるのを無理矢理堪えた。
 三撃目――
 鞘に戻された刃が即座に放たれ……え、来な、いや、納刀したままウルカがさらに間合いを詰めて……!?
 なに? と思った直後、その答えが身体に示された。
 踝に鋭い衝撃――足払い!?

「おわっ!?」
「せっ!」

 踏み出していた足を外側に強く払われ、一瞬身体が宙に浮いた。そこに居合の太刀を喰らってしまう。
 なんとか『求め』で防ぐが、地面に踏ん張れない。受けた勢いのまま後ろに吹き飛ばされた。

「が、は……!」

 受身も取れず、無様に倒れこんだ。
 むせて一瞬目を閉じてしまう。そうして、次に目を開いた瞬間にはウルカがすぐ眼の前で居合の構えを取っていて……

「はぁっ!」

 何も出来ない俺に、居合の太刀が抜き放たれた。


◆  ◆  ◆


 悠人とウルカの壮絶な剣戟。
 眼前で繰り広げられているソレをどこか虚ろに見ながら、ヘリオンの思考は沈んでいた。
 口に出しているのかも自分で気付かず、ボソリ、と呟く。

「わたし……どうしてここにいるんだろ……」

 ユートさまが『漆黒の翼』と戦っている。……すごく、苦戦してる。
 それなのに、なんでわたしはここで何もせずに見てるだけなんだろう。
 なんでわたしはあそこで一緒に戦ってないんだろう。
 ……分かってる。
 わたしは、ユートさまと並べるほど強くない。
 ユートさまの力になれるほど強くない。
 あんなに、アセリアさんみたいに強く想ってもらえるほど……わたしは、強くない。
 だからわたしはこうして、イースペリアに入ってからもそうだったように、危ないときには戦ってもらって、守ってもらうだけ……。

「…………ユートさま」

 そんな、心底に渦巻く靄を抱えながら、ヘリオンは戦闘の行方をじっと見守り続けた。
 ウルカが神速の連撃を放ち、ただ悠人は防ぐのみ。そんな一方的な戦いを、ヘリオンは人形のように見つめ続けた。
 だが、その様子にやがて変化が生じる。
 悠人が押される度、傷を負う度に、ヘリオンの腕に知らず力が込められていく。本人も知らぬ間に、左手は力強く鞘を掴み、右手は柄に添えられていた。
 ヘリオンがそんな自分に気付くと同時に、戦況に大きな変化が訪れていた。
 悠人がウルカの神剣魔法をまともに喰らう。致命傷にはなり得ないが、見逃すには大きすぎる隙を作ってしまった。そこにウルカが迫る。
 それを見たヘリオンは、咄嗟に周囲に視線を巡らせた。そして、気付く。

「………………あ、れ」

 今、わたしは、なにを?
 なんで周りを見て……誰かを、ユートさまを助けられる誰かを……探そうとした?
 いない。今は誰もいない。エスペリアさんも、まだ操作盤で作業を続けている。
 そんなことは分かっていたのに、どうしてわたしは誰かを探そうとするんだろう。わたしが、ここにいるのに。
 ユートさまが危ない時に、わたしは、どうして――!
 誓ったのに。もう二度と眼の前で仲間を喪わないように、強くなるって。
 なのに……こんな自分、情けなくて涙が出そう。
 …………そうだ。
 今、少しでもユートさまをお助けできるのはわたししかいない。
 だから、だから……

「……ぇ」

 ヘリオンは腰を落とし、居合の構えをとった。高速をもたらす脚に力が籠められ、収束されたマナがウィングハイロゥを眩く輝かせる。
 だがしかし、それでもまだヘリオンは踏み出さない。
 悠人とウルカを見る彼女の眼には、未だに怯えの色。それが自らの力への不信感、足手纏いになるだけではという思いと入り混じり、一歩を踏み出させずにいた。
 その時、一際大きな金属音が響いた。
 居合の二連撃を受けた悠人は後方に飛ばされ、地に倒れ込んだ。完全に体勢を崩した彼に止めを刺すべく、ウルカが柄に手を添え、神速で駆ける。おそらく数瞬後には悠人の首が飛ばされるだろう。
 あの日もエルスサーオで見た、約束された仲間の死の光景。
 それを見た瞬間、ヘリオンの頭の中は白で埋め尽くされ――
 気付けば、叫びと共に彼女は全力で飛び出していた。
 今のヘリオンにはもう恐怖も、畏怖も、自分への不信も無く。
 あるのは全てが入り混じった唯一つ。
 ――ユートさま、と。


◆  ◆  ◆


「させませんっっっっ!!」

 城内全てに響き渡りそうなヘリオンの叫び。それが、突然背後から聞こえてきた。

「ヘリ……!?」

 驚いて彼女の名を呼ぼうとするが、言い切ることは出来ない。甲高い金属音に遮られた。
 叫びが聞こえたと思った瞬間には既に俺の眼の前にいたヘリオンが、ウルカの攻撃を阻んでいた。
 ウルカの居合に合わせ、同じく居合の太刀で迎え撃った完全なカウンター。神速の斬撃同士が真っ向からぶつかり合う。
 瞬時に壁際から俺の前まで移動した速度もさることながら、ウルカの攻撃を見極め、力で遥かに劣るヘリオンが完全にタイミングを合わせて止めたというその事実が俺を驚かせ、言葉を失わせた。

「ぐぅっ!?」
「うきゃっ!?」

 一瞬の交差の後、真っ向からぶつかり合った反動で二人はそれぞれ逆方向に弾き飛んだ。俺は慌ててヘリオンに飛び付き、床に叩きつけられる前に抱き止める。

「っと! 大丈夫か!?」
「あ……ユートさま……えへ……へ? へあっ!?」

 俺の腕の中でヘリオンは顔を赤らめて頬を緩める。
 が、すぐに弾かれたように慌てて俺から離れた。
 はい?
 と、ウルカを見れば……あっちはもう体勢を立て直してる。腰を落とした姿勢で、油断無く俺たちを見据えていた。
 なるほど、すぐに離れもするか。こんな、すぐにでもまた攻撃がきそうな状況じゃあな。
 安堵に緩んでいた頬を引き締めると、ヘリオンに手を差し伸べ、二人で立ち上がった。
 それぞれの神剣を構え、ヤツを睨みすえる。

「まさか手前の技をあの距離から止めるとは……」

 そう言いつつも、何が楽しいのかウルカは口の端を吊り上げて愉快そうな顔をみせる。
 くそ……俺たちは楽しむどころか、寿命が縮む思いでこの場に立ってるっていうのにな。

「次はお二方で手前の相手を?」
「………………ああ」

 ヘリオンの身を思い、一瞬答えに詰まった。が、既に彼女もこの戦闘に参加してしまった以上戦うしかない。もうウルカもヘリオンを敵と認めてしまったようだしな。

「ヘリオン、いけるか?」
「は、はいっ!」

 返事を受けて、覚悟を決めた。
 ……バカ剣、力を貸せ。本気以上の本気でいくぞ。でないと、負ける。

【あの黒き妖精、確かに並ならぬ力を持つようだ……いいだろう……】

 思念と同時に、今までより遥かに強い力がバカ剣から流し込まれてきた。かつてないほどのマナの奔流を感じる。
 ……これなら、いけるか?
 いや……できなきゃ死ぬだけだ!
 気合いを込め、『求め』を振りかぶった。
 勢いを持ってウルカに打ちかかろうとしたその時。

「ユート様! 終わりました。後は急いで撤退を!」

 言って、操作盤の方からエスペリアが走ってきた。滑るように駆けて俺達の近くに来ると、『献身』をウルカに向けて構える。既に展開されているシールドハイロゥが淡い光を放っていた。
 助かる……これで、三対一か。それでも勝てる自信が殆ど無いんだけどな……

「…………」

 数秒、無言で睨み合う。一瞬が無限にも感じるほどの緊張。
 が、突然ウルカが構えを解いた。
 ――どうした?

「そろそろ頃合か――手前の任は終わったようです。これ以上戦う気はありませぬ」
「…………何?」

 突然襲ってきておいて何を言い出すんだこいつは。
 疑問符を頭に浮かべる俺達に構わず、ウルカは言葉を続ける。

「最後に、名をお聞かせ願えませぬか。ラキオスのエトランジェ殿、貴殿の名は?」
「……悠人。『求め』のエトランジェ、悠人だ」
「感謝を。では」

 戸惑いつつも答えた俺にウルカは涼しげな顔で礼を返すと、今度はヘリオンに視線を向けた。瞬時にヘリオンがビクッと震える。

「そちらのブラックスピリット。貴殿の名は?」
「……へ? わ、わたしですかっ!? ヘ、ヘリオン、ですけど……」
「ヘリオン殿か。先程の一撃――手前を上回る速度を秘めていたと見受けました。『蒼い牙』の他にもこれほどの剣士がラキオスにいようとは……さすがエトランジェを擁する国」
「へ? あの、ちょ!?」
「たった一合しか剣を交えられなかったのは名残惜しいが……次にまみえた時の楽しみとしておきましょう。では」

 ウルカは目礼を一つ返すと、現れた時と同じようにもの凄い速度で去っていった。
 それを俺達は見送り…………
 えっと、助かった、のか?
 首を傾げつつそんな疑問を含んだ眼をエスペリアに向けてみると、

「おそらくは……」

 と、エスペリアはエスペリアでやはり納得できないと思っているようで、歯切れの悪い声で返してくれた。
 一方ヘリオンは、

「な、なんかわたしすっごい誤解をされた気が……つ、次会ったらわたし真っ先に狙われませんか!?」

 去り際にウルカが残した言葉を気にして、一人顔色を目まぐるしく変えながら……うん、多分、怯えていた。
 そんなヘリオンを苦笑しつつ、頭を撫でた。さっき俺を助けてくれた感謝の気持ちを込めて、落ち着いてくれと思いながら……。
 あ、相変わらずヘリオンの髪はサラサラしてて撫で心地がいいな。佳織はちょっとクセっ毛だから。

「うぅ、偶然斬り込みのタイミングが合っただけなのに……ってふぇあぁっ!?」

 と、ビクビクしてたヘリオンが何かに気付いたように視線を上に向けるなり、素っ頓狂な声を上げた。
 どうしたんだ、って、あ。

「あ、わるい。いきなり撫でたりして……嫌だったか?」
「滅相も無いっっ!」
「そ、そっか」

 ヘリオンの勢いに圧されながらも、嫌がれてなかったことに安堵する。
 そんな俺たちの様子を見て微笑を浮かべながら、エスペリアが言った。

「でも、ヘリオンはよくやりましたね。あの場でユート様を助けてみせるなんて」
「ああ。そういえばお礼も言ってなかったな。サンキュ、ヘリオン」
「あ、いえ……あ! そ、それじゃあその、わ、わたし、ユートさまのお役に立てましたか?」
「へ?」
「あ、す、すみませんっ! 命令無視して勝手に割って入っておいて……図々しすぎましたよね」
「いやそうじゃなくて」

 危うく死ぬところだった俺を助けておいて、この娘は何を言い出すのか。
 それで呆気に取られた顔をしたんだけど、何を勘違いしたのか、ヘリオンは即座に謝ってくる。そして凹んだ。戦闘前までみたいに。
 マズイと思い、すぐにフォローを入れる。

「い、いや、すごく役に立ったさ。大助かりだ。ヘリオンが割り込んでくれなきゃ殺されてた」
「……はい?」

 すると今度はヘリオンが呆けた顔に。

「だから言ったでしょう。貴女は立派に戦えたんですよ」
「そうそう。これなら最初からヘリオンと二人でやるべきだったよ。心配して下がらせたけど……逆に俺が助けられるなんてな」
「わたしが……心配?」
「ああ。最近調子悪かっただろ? あいつが相手じゃ絶対にタダじゃ済まないと思って。いつものヘリオンなら一緒に戦うとこだったけど……わるい。結局俺が気を遣いすぎただけだったな」

 ボゥっとした顔だったヘリオンは、俺が言葉を続けるにつれて表情が――待て待て、その嬉しいやら恥ずかしいやら混乱してるやらを全てミックスしたような顔はなんだ。
 顔全体がレッドスピリットもかくやとばかりに真っ赤に染まった以外は、うまい表現が思いつかなかった。

「はぅっ!? わ、わたしホントにユートさまのお役に立てましたかっ!? 心配までして頂いてっ!?」
「あ、ああ。それは、もちろん、どっちも充分すぎるくらいに」

 どっちかっていうと気を揉んだ割合の方が大きいが。特にここにくるまでに間。
 そんな俺の内心の呟きなど無論知ることもなく、ヘリオンは小動物みたいにわたわたしてる。
 何事と今までとは別の意味でちょっと心配になったけど……
 ここ最近の暗い様子はなんだか消えてしまったみたいだから、まあ、いいか。

「ふふ。ヘリオンとユート様はいいですね、単じゅ……いえ、心根が真っ直ぐであられて」
「おいさっき何言いかけた」

 とりあえずは、ヘリオンの調子が戻ったのが一時的なものじゃないと祈ろう。
 生き残れるよう、皆で生きていけるよう、今はそう願うことにした。

「そ、そうなんだ、わたし、ちゃんと、ユートさま…………あはっ!」






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