「はぁ……」

 物憂げな表情で溜息一つ。自慢のツインテールを萎れさせ、ヘリオンは思い悩んでいた。
 何をしている時であろうとふと気付けば物思いに耽っている自分がいる。そんな状態がバーンライト制圧以来ずっと続いていた。
 そのように意識下無意識下を問わず彼女を苛んでいる悩み、それは、

「あの時……ユートさまとアセリアさん、あんなに見つめ合って……手まで握っちゃって……」


 サモドア落城時に目撃してしまった、悠人とアセリアの姿が起因だった。










黄昏に望む――


/ 存在に惑う 2nd










 ヘリオンは悠人の事が心配で、気が逸るあまりいつの間にか仲間まで振り切ってしまうほどにサモドアに急いでいた。その上で最初に見た、というか見せつけられてしまったのが、いい雰囲気で真剣に見つめ合う――あくまでヘリオン主観ではあるが――二人の姿だったのだ。ヘリオンに衝撃を与えるには十分であった。

「いいなぁ……」

 ……いや、彼女も分かってはいる。
 あれは自分が想像しているような、自分とあの人がそうだったらいいな、と思うような……そんな甘い時間でなかった、と分かってるはいるのだ。一応は悠人がアセリアに話したことは聞いていたのだから。もっとも、彼女が聞いたのは途中からではあったし、そもそも見た瞬間の衝撃で断片的にしか聞いていなかったのだが。
 その上でヘリオンは後になって冷静に考え、『あれは、いつものように危険な戦い方をしたアセリアさんを真剣に諭していたんだ』と自分の中で強引に結論づけていた。事実、それは大方間違ってはいない。

「でも……ユートさまがあんな顔をしてるの、初めて見た……」

 だが、それでもヘリオンの心は静まらない。
 彼女の眼が捉えたのは、アセリアを真剣な目で見つめる悠人。
 彼女の耳が捉えたのは、アセリアを想って心の底から搾り出されたような悠人の本気の言葉。
 それらを聞いたヘリオンは、分かって、いや、思ってしまった。悠人は本当にアセリアを想っているからこそ、あんなに真剣に、必死に諭していたんだと。
 ならそれに比べて自分は? 自分はあんな風に真剣になってもらったことがあっただろうか。
 彼女は思い出す。
 初めて会った時は、ユートさまはわたしを救おうと駆けつけてくれた。エルスサーオから脱出する時も必死になって戦ってくれて、皆を護れなかった時は慰めてくれた。
 だけど、それは『わたし』だったからじゃない。ユートさまはお優しいから仲間の為に必死だったというだけで、助ける相手が『わたし』であってもなくても関係なかった。
 ――当然、なのかな。
 アセリアさんはわたしより前にユートさまと会ってて、というより、この世界に来たユートさまを見つけて助けたのはアセリアさんだって聞いた。それからも、ずっとアセリアさんはユートさまと一緒に戦ってきて、多分何度もユートさまを助けていると思う。
 だから……ユートさまがアセリアさんを大事に思うのは当然のこと、なんだろう。
 じゃあわたしは? ……改めて思い返してみたけど、ユートさまに何もしてさしあげられてない。最初に助けられてから、今度はユートさまのお役に立てるようにってずっと頑張ってきたのに、結局やる気だけが空回りしてた。
 ……わたしは、何も出来ていない。

「うぅ……もっと強くなってお役に立てれば、アセリアさんみたいに想ってもらえるのかなぁ……」

 だが、強さはそう易々と手に入るものではない。永遠神剣に心を呑まれるということでもなければ。しかしそれは到底許されることではない。特に、現在のラキオススピリット隊においては。ヘリオンもその事は重々心に留め置いている。
 しかしだからこそ、どうにもならない現状を憂いて嘆くのだ。

「はぁ……」


◆  ◆  ◆


「はあ……」
「……ねえ、ヘリオン?」
「はぁああぁ…………」
「ちょっとヘリオン! 聞いてるの!?」
「ふえっ!? は、はいっ、なんですかっ!?」
「……聞いてなかったみたいね」
「はぅっ! す、すみませんヒミカさんっ!」

 溜息と、叱責と、謝罪。
 バーンライトを制圧してからというもの、何度か聞いたような会話が背後から聞こえてきた。
 最近よく見られる、ヘリオンとヒミカ、もしくはセリアとの光景だった。

「……ヘリオン、何かあったのかな」
「はい? 何か仰いましたか?」

 俺の呟きに反応して、エスペリアが小首を傾げ訊ねてくる。

「いや、その、気になるなって思って」

 そう言いつつ、軽く振り向いて視線を後方に向ける仕草をした。それだけで意味が通じたのだろう、エスペリアも「ああ」と納得顔になった。

「そう、ですね……今はともかく、戦闘中にまであのように上の空だったらと思うと心配になります。あの娘は生真面目ではありますが……その、良くも悪くもおちょ、あ、いえ、マナの制御が精神状態に大きく左右される娘ですから」

 ……最後、多分「お調子者」って言いかけたな。それとも、おっちょこちょい、か?
 でも、確かにエスペリアの言う通りだ。ヘリオンの速さがあればそう易々と致命傷を受けることはないだろうけど、集中力を欠いた状態ならどうなるか分からない。ダーツィと交戦が始まってから既に何度も戦闘を行っているが、確かに動きに精彩を欠いているようだし。
 それに、戦闘に支障が無ければ問題ないなんて俺は思っちゃいない。何か悩んでるんなら力になりたい。
 俺で、力になれるんなら。

「んー……それにしても、ヘリオンのアレ、一体何の悩み事なんだろうな。アセリア、何か知ってるか?」
「ん? 知らない」

 言葉少なに、首を左右に振って返事を返すアセリア。
 まあ、そうだよな。アセリアがそんなこと気にするわけないか。

「エスペリアはどうだ?」
「はい、あ、いえ……」
「うん? 結局どっちなんだ?」
「あ、その……申し訳ありません、わ、私にも分かりません」
「そっか」

 エスペリアの様子に少し不審を感じたが、特に追求せず頷いておいた。
 ただ、俺が話を振った時のエスペリアの表情が少し気になったけど。最初に一瞬驚いたものになって、その後すぐに……なんだろう。光陰や今日子が「仕方ないヤツだなお前は」とか「ホント悠って、もうなんていうか、ねぇ?」とか言う時みたいな、微妙に生暖かい視線を含む苦笑いに変わったから。

「――ユート様」

 と、不意に、背後から声がかけられた。固い声だ。この声は、と。

「セリアか。どうした?」
「探索が完了しました。周囲に伏兵が潜んでいる様子はありません」

 セリアは俺を未だ信用していないようで、事務的に報告を行ってきた。そのことを多少苦々しく思いつつ内容を聴く。
 彼女にはネリーとシアーを連れて、空から偵察を行ってもらっていた。キロノキロを攻めるにあたり、背後から奇襲を受けないよう伏兵の存在を探る為だ。

「アト山脈の方はどうでしたか?」
「ざっと見渡して神剣の気配を探ったくらいだけど、見当たらなかったわ。少なくとも大人数は潜んでないと思う」
「そうですか。ご苦労様でした。では、ユート様」

 エスペリアに促され、「ああ」と短く返すと俺は『求め』を抜き放った。

【契約者よ……さあ、敵を屠れ……マナを集めよ……】

 うるさい! 俺はお前にマナをやる為に戦うんじゃないからな。
 佳織と……仲間の為だ。

「皆行くぞ! これからキロノキロを制圧する!」

 バカ剣から伝わってくる強い思念を無理矢理抑え込みつつ、俺は号令をかけた。
 その時にはもう、さっきまで考えていたことは頭から消え去っていた。


◆  ◆  ◆


 ダーツィ大公国首都、キロノキロ城内。
 王族と彼らを護衛する一部の兵士を除いて殆どの人間が逃げ去ったその場所では、スピリット同士の苛烈かつ惨憺たる戦闘が繰り広げられていた。

「とどめ!」

 ザク、と肉が裂かれる音と共に『赤光』の先端がダーツィのスピリットの額を刺し穿った。脳漿を撒き散らしながら敵がマナの霧へと還っていく。
 その様を見届ける間もなく、ヒミカは周囲を見渡した。

「セリア! ユート様は!?」
「この廊下の先! ダーツィ王を押さえに向かったわ! エスペリアとアセリアも一緒! く、このっ!」

 答えつつも、セリアの神剣を操る体捌きに寸毫の淀みも無い。先の僅かな会話の間にも敵の攻撃を受け逸らし、反撃を行っていた。

「よし。だったらもう少しでここも落とせるわね!」

 後は敵をこの先に行かせないようにして、しばらく持ち堪えるだけだ。エスペリアとアセリアがいるなら大した時間をかけず王を捕らえ、戦闘を終わらせられるだろう。
 そう思い、僅かに精神的な余裕が出来たヒミカは、戦闘の次に気にかかっていたこと……不調であるヘリオンに眼を向けた。その先では、

「あ……! あの娘やっぱり、もう!」

 調子が悪いにも関わらず単独で敵に突撃し苦戦してしまっているヘリオンの姿があった。

「やあっ!」

 ヘリオンの得意技である居合の太刀――彼女が現在唯一まともに使えるのがこの基本技のみなので、厳密にはこの表現は間違っているのだが――が、敵ブルースピリットの防御壁に阻まれた。攻撃を弾かれ体勢を崩したところに、二体のグリーンスピリットが左右から襲いかかる。
 気付いたヘリオンは、槍の穂先が自分の両脇を貫こうとした瞬間、即座に上方へ跳んだ。勢いあまって天井にぶつかりそうになると慌てて体を反転させ、上下逆となった世界で床となった天井を蹴りつけて斜め下方に跳び下る。重力による加速も利用して、先程自分を襲ったグリーンスピリットにすれ違い様の居合の太刀を叩き込もうとした。

「てやっ……あ!?」

 が、敵の脇腹を切り裂く筈だった刃は、引き戻された槍の柄によって阻まれた。鈍い金属音だけを後に残し床を滑るように駆け抜けたヘリオンは、二十歩程度の距離を取ると再び居合の体勢で敵に向き直る。

「はぁっ……はぁっ……」

 致命傷こそ受けていないものの、次々と襲い来る敵の攻撃を先程のようにかわし続けたヘリオンの息は上がっていた。腕や脚、四肢のいたるところにかなりの数の傷も負っている。
 その様子を見て、ヒミカは思った。
 まずい、と。

「あの娘、全然集中できてないじゃない……」

 読みが甘い。各動作間の隙が大きい。神剣に込められたマナが少ない。しかし彼女の最大の長所である『速度』――他の要素を排除した、単純なソレだけは未だ健在、否、むしろ僅かに以前より増しているといえる。が、その他およそ先頭に必要な要素の大半が、今のヘリオンには足りていなかった。
 普段のヘリオンなら、また他のラキオスのブラックスピリット――例えばファーレーンなら、先程は敵が体勢を立て直す前に攻撃を打ち込めただろう。
 ヘリオンが未熟であることを差し引いても、今の彼女の動きはあまりに拙過ぎた。

「どうして……く、やああぁっ!」

 ヘリオンは自分の攻撃がうまく通じないことに歯噛みした。自らの不調、そして、サーギオス帝国の協力を得ているダーツィのスピリットがバーンライトより強力であることがその原因であろうが、彼女はそのことに思い至らない。
 ヘリオンは次こそはと先程以上の力を込めて、再び突撃した。敵グリーンスピリットとの間合いを瞬時に詰め、抜刀……と見せかけ、柄に手をかけたままその脇を駆け抜けた。
 フェイントをかけられた、と気付いた敵は身体を動かすよりも先にシールドハイロゥを背後にまわそうとする。

「やあっ! 居合の太刀!」

 が、その時には既にヘリオンが抜刀を果たそうとしていた。放たれた刃は敵の胴を横薙ぎにせんと迫る。
 しかし、辛うじて背面へまわりかけていたシールドハイロゥに『失望』の切っ先が当たり、刃の向かう先を逸らされた。敵の胴を真一文字に斬り裂く筈だった刃は上方へと向かい――

「えやあっ!」

 空を裂こうとする攻撃をヘリオンは強引に方向修正。僅かに軌道を下方向に向けた刃は敵のうなじへと吸い込まれ、首を半ばまで斬り裂いた。
 硬い頚椎まで届かせた、確かな手応え。
 ようやく一体仕留めた感触をヘリオンが感じたその時、

「ヘリオン後ろ!」

 そう叫んだのは誰だっただろうか。
力みが過ぎていた為に攻撃の隙を大きくしてしまっていたヘリオンは、声に咄嗟に反応できない。
 その彼女を、背後からブルースピリットが斬りつけた。
 冷たい刃が背中を――、と感じた直後、

「あうっ!?」

 焼けつくような激痛が背中に走る。右肩から背骨の辺りまでを、大きく袈裟掛けに斬られていた。深手である。
 あまりの激痛に意識が遠のき、『失望』を握る手から段々と力が抜けていく。それでも、戦意がそうさせたのだろう、半ば反射的にヘリオンは振り向いた。敵の在る方へ。
 そんな彼女の視界には、先程彼女を斬ったスピリットが、何故か追撃を加えようとせず斜め後方に跳び退く姿が映り――

「……!」

 どうして、と疑問に思う間もなくその答えが晒された。
 ブルースピリットが退いたそのその先では、レッドスピリットが神剣魔法の詠唱を終えようとしていた。ヘリオンに向かって真っ直ぐに突き出された掌の前に回る赤い魔方陣。幾重もの紋様がマナを得て輝き、灼熱の火球が生み出されていた。
 そのことに、ヘリオンは、いや、彼女の様子を時折見る程度には余裕のあったヒミカ達もまた戦慄を感じ。

「――ファイアボール」

 詠唱が締め括られると共に、神剣魔法が放たれた。

「な、く、セリア! ネリーでもシアーでもいい! バニッシュを!」
「ダメ間に合わな――」

 ヒミカ達の叫びは届かず、火球はヘリオンへと放たれ、

「――――あ」

 直撃。
 視界一杯に広がった炎の光景と肉を燻る熱の感覚を最後に、ヘリオンの意識は途絶えた。


◆  ◆  ◆


「ヘリオンが重体!?」

 キロノキロ制圧後、味方の損害報告をしにきたナナルゥにヘリオンの容態を知らされた。

「背中に深い裂傷、及び正面に重度の火傷を受けています」

 ナナルゥらしい、淡々と語る口調。いつも通りの筈なのに、俺はその事に不安を感じてしまう。
 最悪の事態を想像して、掌に嫌な汗をかいてしまう。
 嫌だ……またあんな思いをするのは……仲間を、ヘリオンを喪うのは!

「だ、大丈夫なのか!? ヘリオンの様子は……ああ、くそ! 今どこに」
「パ、パパ落ち着いて! 助かるから!」

 ナナルゥについてきたオルファが、袖を引っ張って宥めてくる。
 それで、少し落ち着いた。ホントに少しだけだけど。

「現在ハリオンが治療中、間もなく完了すると思われます」
「そ、そうか……。じゃあ、助かるんだな?」
「傷はちゃんと塞がるけど、体力やマナの回復には丸一日くらいかかるって。ハリオンお姉ちゃんが言ってたよ」
「そっか……」

 良かった……。
 知らず知らず緊張してたのか、治るって聞いて思わず溜息をついた。
 ああ、本当に、よかった……。

「ダーツィのことは一段落着いたし、ヘリオンにはしばらく安静にしてもらうか」

 安心した途端出てしまった、そんな呟き。
 ……でも。
 …………事態は、そんな願いさえ、許さなかった……



 ――二日後。

 サルドバルトによるイースペリア侵攻の報告を受けていた俺達は、本国からの命令でイースペリア救援に向かうことになった。
 最優先が人命救助じゃなくエーテル変換施設を使用不能にすることだと聞かされて激昂しかけたが、今の俺に従う以外の道は残されていない。
 憤りを無理矢理押さえつけ、嫌々ながら受け入れた。
 急を要する為全軍で向かえ、とのことで、ヘリオンの快復を待たずの出発となった……。






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