バーンライトとの戦に向けてラキオスを出発してから、既に二週間近い時が流れていた。
 その間に俺達はリーザリオ、リモドアを続けて制圧。俺を含め戦闘に未だ不慣れな者が隊に数名いる状態ではあったが、死線をくぐりつつも誰一人欠けることなくここまで来れた。
 でもそんな俺たちの事情なんか、ラキオスの人間達にとっては知ったことではないんだろう。碌に休む間もなく、このまま一気にバーンライト首都サモドアを陥落させよと昨日命令が下された。
 そして今日、不満を持ちつつも手早く準備を整え、リモドアを発とうとしていた時だ。

「ユート様! バーンライトがラセリオへ向けて進行を始めたとの報せが!」

 俺たちの行動の裏をかくような敵襲の報告を受けたのは。










黄昏に望む――


/ 存在に惑う 1st










 サモドアから少し南下した場所には小さな森がある。リモドアとサモドア、及びその二拠点を結ぶ街道に囲まれるようにこの森は存在していて、豊かに生い茂った木々の葉に陽の光は遮られて中は常に薄暗い。
 その南端、木立が途切れるギリギリのところで、俺とエスペリア、アセリアは茂みに紛れ、息を殺して潜んでいた。交代で休息を取りつつ、森を抜けた平原の先にあるサモドアの様子を伺いながら。
 今はエスペリアが見張りの時間。俺とアセリアは今後の為に、少しでも身体を休めておかなければならない。
 ……でも。

「すー……すー……」
「………………うぅ」

 …………眠れない。
 『存在』を胸に抱いて穏やかな寝息を立てるアセリアの横で、寝付けない俺はずっとごそごそと身じろぎを繰り返している。そんな俺を見かねたんだろう、エスペリアが心配げな表情で話しかけてきた。

「ユート様……ご心配なのは分かりますが、少しでもお休みになって下さい」
「ああ、分かってるんだけど……」

 エスペリアに生返事を返しつつ、だけど心配になる心は抑えられない。こうしていると、どうしても皆の身を案じて出発前を思い出してしまう。
 知らず知らずの内に俺の心は、この作戦を立てた時――皆を送り出した時へと飛んでいた。


◆  ◆  ◆


「な、ラセ……!?」

 いざ出発というところで受けたバーンライト侵攻の報告は、俺達に衝撃を与えた。
 ラセリオ――確か、ラキオス南部にある街だ。エスペリアの話では……バーンライトやイースペリアとの国境沿いに位置し、その為小規模ではあるが防衛目的に堅牢な塔が建てられている要所、だったか。
 だが、そうであるにも関わらず現在ラセリオには守備のスピリットが殆ど残っていない。今回のバーンライトとの交戦地域は専ら東部に集中しており、両国とも戦力の大半をそっちに割いていたからだ。……少なくとも、ラキオス側はそう見ていた。
 だが、今回バーンライトがラセリオ側に出立させたのはかなりの兵数らしい。少なくとも、現在見積もられている敵残存戦力の三分の一……大体五部隊ほどはあるだそうだ。

「くそ……バーンライトに裏をかかれたってことか」
「私達をラセリオに向かわせ、その間に体勢を立て直そうという腹積もりでしょう」

 リモドアとラセリオの間は遠いからな……街道をラキオスまで戻ってぐるっと迂回しなきゃいけなかった筈だ。

「ち……それでも考えてなんてられないか。急いでラセリオに向かわないと」
「そ、そうです! 一刻も早く向かいましょう!」

 ヘリオンが同意を示してくれ、俺の意思はさらに固まった。
 ああ、そうだ。後少しでバーンライトを落とせるところだろうが、敵の策通りに動くことになろうが、知ったことか。ラキオスが落ちれば……佳織はどうなる? エトランジェという立場のあいつが、無事でいられるとは思えない。

「あの、ユート様、それが……」
「なんだ? まだ何かあるのか?」

 逸る気持ちの任せるままに出発の号令を皆にかけようとしたところで、エスペリアの声がかけられた。急がなきゃならない時に、と思わず文句を言いそうになる。が、エスペリアは辛そうに視線を伏せていて、その姿に気勢を削がれてしまった。同時に、悪い予感も湧き上がる。

「…………バーンライト侵攻の報と共に伝えられた、本国からの命令です。『エトランジェはサモドアに向かい、ラセリオ侵攻により敵戦力が減少している隙を突き、陥落させよ』と……」
「え? な、なんだよそれ!? だったらラセリオは、ラキオスはどうするんだ! 誰が護るんだよ!!」
「そうよ! 現状で誰が…………あ、まさか?」

 告げられた命令の理不尽さに、思わず食って掛かってしまう。ヒミカも同じ気持ちなんだろう、俺と同じ行動を取った。が、何かに気付いたように瞳を大きく広げると、一転して黙ってしまう。
 何だ? と疑問に思ったが、エスペリアにはすぐにヒミカの懸念が理解できたようだ。沈痛な面持ちで頷き、言葉を続けた。

「……『ラセリオにはセリア、ナナルゥの両名を派遣。二名が時を稼ぎ、その間に呼び戻したファーレーン、ニムントールをラキオス防衛にあたらせる。故に後方は気にせず敵城陥落に注力せよ』と命令は締められています……」
「そんな! それじゃセリアは、セリアはどーなるんだよっ!」
「ナナルゥも危ないの……!」

 重い声音で告げられた命令にヒミカは言葉を失って後ずさり、今度はネリー達がエスペリアに詰め寄る。
 俺も今の話に出たスピリット達は知らないが、その意味は痛いほど理解できた。……その裏にある、ラキオスの人間達の意図も。
 たった二人で敵戦力の半分なんて相手に出来る筈が無い。奴ら、ラセリオに向かわせた二人、いや、ラセリオすらも捨石にする気だ。
 俺達がサモドアを落とし、他のスピリットがラキオスの守備体勢を整える時間稼ぎ……それだけの為に、命を捨てさせようとしてやがる。
 多分、スピリット二体と街一つでバーンライトが落とせるなら安いもの、とでも考えてやがるんだろうな……くそ、あのクズどもが……!

「ユ、ユートさまぁ……こんなの、こんなのって……これじゃ、あの時みたいに……」

 ヘリオンが俺の服の裾を掴み、訴えかけてくる。顔面蒼白で身体は僅かに震え、見上げる大きな瞳には涙が浮かんでいる。
 あの時みたいって……ああ……確かに似てるな。ラセリオの状況と、あの日のエルスサーオ。
 あの時は、悔やんだ。護りきれなかったことを悔やみ、ヘリオンの慟哭で胸が掻き毟られそうだったよ。でも、だからこそ今度はあんなことにさせてたまるか!

「ああ! そんな命令聞けるか! 全員でラセリオに向かうぞ!」
「いけません! 本国からの命令を無視すればユート様に処罰があります!」
「そんなのいくらでも受けてや」
「――カオリ様が処罰を受けてしまう可能性もあるのですよ!!」

 瞬間。
 その言葉が俺の動きを止めた。エスペリアの一言が瞬時に俺の勢いを失わせ、言葉を失わせた。
 そんな俺を前に、まるで自分がその命令を下すかのようにすまなそうな表情で、彼女は続けた。

「……え? 佳織……が?」
「申し訳ありません……ですが、ユート様に対する最も効果的な罰を、きっと王は分かっておいでだと思いますから……」

 分かる。その言葉は嘘じゃない。
 俺が命令を聞かなければおそらくエスペリアの言った通りになるだろう。それくらいには、あのラキオス王とかいうクズヤロウのやり口を理解しているつもりだ。

「くそっ!」

 行き場のない思いが募り、手近にあった机に力任せに拳を振り下ろした。ドンと鈍い音が部屋に響きわたり、それを合図にしたかのように皆が静まり返った。
 ……その静寂がどれくらい続いたのだろうか。何十分も続いたようで、その実1分も経っていなかったのかもしれない。
 静けさに耐え切れなくなってきた頃。
 突然、静寂と周囲に漂う絶望感を粉々に打ち砕くような、間延びした穏やかな声が響いた。

「あの〜。要するにぃ〜、ユート様がサモドアに向かえばいいんですよねえ〜?」

 誰だ、と見渡すまでもない。ハリオンだった。

「え、ええ……そうですけど」

 突然の質問にエスペリアは動転しつつも答えて返すと、ハリオンは笑みを浮かべて胸の前で手を合わせ、

「それなら〜ユートさまたちはぁ〜サモドアに行ってください〜。わたしやヒミカが〜、ラセリオに行きますから〜」

 さも名案を思いついたという風に、自信満々に言ってくれた。

「え……? そ、それって……え? いいのか?」
「さ、さあ…………あ、でも確かに命令書の内容を考えますと」

 エスペリアがそこまで言った時点で、俺は彼女が手に丸めて持っていた書簡を奪うように手に取った。すぐに広げると眼を皿のようにして視線を文面に落とし、

「……………………ごめん。読めない」

 素直に書簡をエスペリアに返した。

「パパ、読めないの?」
「ユート、頭わるいのか?」
「うるさいよ!」

 途端に周囲から忍び笑いが洩れる。ネリーなんかは大爆笑だ。
 あーもう、文字はまだ全部覚えてないんだよ。というかアセリアに言われたくはない!

「くすっ……あ、申し訳ありません。それで、命令の内容ですが、ええと…………確かに、スピリット隊全員でサモドアへ向かえ、とは記載されていませんね」
「だったら!」
「はい。おそらくは、隊長であるユート様の現場の判断ということにすれば、隊を二分しようとも最終的にサモドアを落とせば問題は無いと思われます」
「結果を見れば、ラセリオが守られてるだけマシってことだからね」
「よし、じゃあそれでいこう! 助かったよハリオン!」
「いえいえ〜。お姉さんですから〜♪」

 いや、ハリオン。相変わらず意味わからないから。

「じゃあ……ハリオンの意見通り、彼女とヒミカが向かうってことでいいのか?」
「いえ。おそらくそれだけですとラセリオを守るには戦力不足です。且つ、サモドアを制圧する部隊からも二人が抜けて戦力、特に攻撃力が減りますから……攻略できる可能性は低いと思います」
「そう、か……」

 単純に戦力を分けるわけにはいかないってことか。
 さて、と。じゃあどうすればバランスのとれた編成に……………………。
 どうすれば……………………。
 どう……………………
 むぅ……?

「ユ、ユートさま? なんか頭から煙が出てますっ!」
「あらあら〜?」

 ……駄目だ。いくら考えても無理。
 どの編成にしても、ラセリオかサモドアのどちらかは諦める羽目になってしまう。…………く、こうしてる間にも時間は過ぎてるっていうのに!
 苛々して思わず頭を掻き毟りそうになってしまう。が、その時だった。

「あの、ユート様? 僭越ながら、私に考えがあるのですが」

 控え目ではあるが、確りとした自信をもった態度でエスペリアが進み出た。

「な、なにか良い案があるのか?」
「はい。低くない確率で現状を打開できる程度には。聞いて頂けますか?」

 エスペリアがそう言うなら、悪い作戦の筈が無い。
 俺は即座に頷き、エスペリアは穏やかな口調で話し出した。

「では……まず私達がどう行動するかですが、基本はハリオンの提案の通りサモドア攻略とラセリオ防衛の二方面に分かれます。人員編成は、サモドア側にはユート様とアセリア、及び私の三名。ラセリオには残りの全員で向かってもらいます。尚、ラセリオへ移動の際は時間短縮の為、リーザリオまで進んだ後は街道を西側に外れ……」

 そこで言葉を切ったエスペリアは地図を取り出してテーブルの上に広げると、リモドアを指差した。その指は地図を滑ってリーザリオまで動き、その北西にある湖で止まる。見ると湖からは一筋の河が流れ出しており、その先には……なるほど、ラセリオか。

「……この湖より流出する河沿いに下流へと移動して下さい。街道を進むよりも大分早くラセリオに到着する筈です。河という目印がりますから、道が無くても迷うことはないでしょうし。そうして到着後はセリア、ナナルゥと合流して敵を迎撃、迅速に殲滅してもらいます」
「え、あの、それじゃわたしユートさまと別行ど……あ、いえそうじゃなくて! ……その……それじゃラセリオはよくても……」
「ああ。サモドアを攻めるのは無理じゃないか? 戦力が偏り過ぎてる」

 ヘリオン、続いて俺が疑問の声をあげた。ヘリオンは最初に何か言いかけてたけど……まあ、今は気にしてられないか。
 そんな俺たちの質問に対して、予想済だったのだろう、エスペリアは「ええ」と淀みなく答えるとすぐに言葉を続けた。

「敵部隊を早々に殲滅すれば、それが可能であるラキオスの主力――つまり私達全員が、既にラセリオに移動したものとバーンライトは判断するでしょう。そうなれば敵はラセリオ側に戦力を集中させる筈です。ラセリオの部隊は、その敵主力に対しても攻撃を仕掛けて下さい。但し敵が打撃を受けたとして篭城しないよう、適度に攻撃した後は苦戦していると見せかけ、少しづつ後退するように」
「なるほど……つまり、囮になって敵の主力をサモドアから引き離せってこと?」

 意図を察したヒミカが確認を取り、エスペリアは「その通りです」と首肯して返した。

「それまでユート様と私達は、ここより南にある森に潜みサモドアの様子を伺いつつ待機。一応目安の時間も設けますが、敵主力が不在となった機を見計らって奇襲、制圧します」

 そう締めて、エスペリアが説明を終えた。
 話を聞き終えた俺は……ただ感心していた。いつも思うけど、よくエスペリアって咄嗟にこんな凄いことを考え付くもんだ。
 素直に、凄いと思う。

「そっか。サモドア攻略をその編成にしたのは、少数精鋭で電撃戦を仕掛ける為ね」
「ええ。まだ作戦的全体を見ると穴はありますが……」
「仕方ないんじゃない? 何せ時間が無いんだし」

 ……え、ちょっと?
 エスペリアにとってはこの作戦でまだ穴があるの? ヒミカもそれを認めてるし。
 うう。自覚してるとはいえ、さっきアセリアに言われた頭悪い発言が気になってきた。
 と、微妙に気不味くなって彼女達から視線をずらすと、不意にヘリオンと眼が合った。俺を不安そうに見上げて……いや、この眼は確か佳織が俺を心配してる時と同じような…………って、ああ、そうか。
 ヘリオンの言わんとするところが分かった俺は、笑ってヘリオンの頭を撫でた。

「大丈夫。心配しなくても、今度はきっと街や皆を護れるさ。ヘリオンも強くなったし、ヒミカ達もいるんだから」
「あ……」

 さっきエルスサーオを思い出して泣きそうになってたからな。励ましてやらないと。
ヘリオンって最初に会った時のことがあるせいか、なんか気にかかっちゃうんだよな。オルファとは違った感じで懐いてくれてるし、佳織とはまた別の……妹って感じがするっていうか。
 そうして撫でられたヘリオンは一瞬何故かぽーっとして……その後、すぐに慌て出した。

「あ、い、いえ! わたしが心配だったのはラセリオじゃ!」
「あれ? 違ったのか?」
「あ、その……全く違ったわけでは……でも……それよりも……いえ、それでいいです」

 慌てたり否定したり俺をチラチラ見たりとヘリオンは色々忙しく動いた後、結局溜息と共に自己完結してしまった。……何なんだ?
 まあ、いいか。それより、作戦が決まったなら早く動かないと。
 俺は意識を切り替えると皆を見渡して、

「よし、じゃあこの作戦で行くぞ! 皆……必ず無事にサモドアで会おう!」

 皆の無事を願いながら、命令を発した。


◆  ◆  ◆


 ……あの時は皆を信じて送り出したわけだが、やっぱり不安な気持ちは消せない。いくら迎撃体勢を整えていても、バーンライト兵の大半を相手にするんだから。
 でも確かに、心配だからって身体を休めないわけにはいかない。ヘリオン達の奮闘に応える為にも、万全の状態で攻城戦に臨まなきゃいけないからな。

「…………そうだな……分かった、休むよ。ごめん、俺の事まで心配させちゃって」
「いえ、そんなことは」

 くすりと微笑んで優しく否定してくれたエスペリア。
 彼女の心遣いに応える為にも休もうと思ったが、やっぱり不安になる気持ちは抑えられず、眼を瞑る前に一度だけ視線を西方に向けた。その先には高くそびえる山々があり、さらに越えた先にはラセリオがある。
 間を置かずそこで戦闘を始めるだろう、いや、もしかしたらもう戦っているかもしれないヘリオン達を思い、俺は何度目になるか分からない言葉を呟いた。

「……頼む、俺達が作戦を終わらせるまで無事でいてくれ……」


◆  ◆  ◆


「うわーん、もうっ!! こんなに倒してなんでまだ来るんだよぉー!」
「きりがないの……」
「二人とも愚痴ってないで動きなさい! 死にたいの!?」
「――焼き払いますか?」
「ちょ、ナっ、ナナルゥさん!? あの一帯はさっきヒミカさんが突撃していったばかりですっ! ……あ、戻ってきました」
「手当ての準備が必要ですねぇ〜」

 バーンライトとの国境近くに位置している街、ラセリオ。その拠点を防衛しているヘリオン達は、波状攻撃を仕掛けてくるバーンライトの大部隊を前に苦戦を強いられていた。
 最初の頃こそ敵の進軍速度も遅く一度に襲撃してくる敵数もラキオス側と同等以下であった為、さして苦も無く迎撃できていた。ヘリオン達が早々にラセリオに辿り着き、敵兵の侵攻までの間十二分にセリア達と迎撃準備を整えられたということもある。
 だが問題はその後。悠人達の奇襲を成功させるべくサモドアから引き付けた敵の数だ。
 それが狙いだったとはいえ、出撃してきたバーンライトの兵数は自軍の三倍はあろうかという大部隊。結果だけ見れば、なるほど確かに囮の役割は果たせている。大成功だ。
 しかしそのおかげで戦況は悪い。ラセリオまで退却したはいいが、有利である筈の防衛戦が兵力差によって逆転してしまっていた。

「よーしっ! じゃあ行くよっ。オルファが敵さんみんな燃やしちゃんだから!」
「――炎の雨を、降らせます」

 オルファリルとナナルゥが詠唱を終え、天空に召還された炎の飛礫が豪雨の勢いで敵に降り注ぐ。
 それで数体は焼き尽くされマナの霧へと消えた。が、まだ一角を潰しただけに過ぎない。神剣魔法を耐えた者、攻撃の範囲外に居た者の数は未だ多数。それらが群を成して襲い来る。

「う……く!」

 振り下ろされる白刃をかわしながら居合の太刀を放ちつつ、ヘリオンは思った。どうしても思い出してしまった。
 圧倒的不利な兵力差。
 攻め込まれ破壊される砦と街並。
 これは、この戦況は。

「これじゃ……あの日と同じ……」

 ――あの日。
 まだスピリット隊に正式配属になる前、エルスサーオの街が奇襲を受けた時。
 ……ユートさまと、初めてお会いした時。
 そう、わたしが何も出来なくて……眼の前でお世話になった先輩方が、共に訓練に励んだ友達が殺されていった時と同じなんだ。
 現在のラセリオの様子が、あの日のエルスサーオとダブって見える。
 黄昏時の暗い空が街を焦がす炎で赤く染まる中、仲間を護れなかった……いや、そんな言葉すらおこがましいくらいに、自分の無力さを痛感したあの日と。
 あの時と……同じ?

「…………ううん、違う……だって……」

 そうだ。同じなんかじゃない。
 だって、ここにユートさまはいない。来ない。
 わたし達よりずっと厳しい状況で、サモドアを落とそうと戦っているんだから。
 だからわたしは出発前に心配したんだから。
 そうだ。
 そんなユートさまの為に、わたしは早く援護に向かわなきゃいけない。
 ユートさま達がサモドアを落とすまで耐えるんじゃない。ここを切り抜けて進むんだ。
 決めたんじゃないか。わたしは。
 ユートさまの励ましに、一緒に強くなろうって言ってくれた言葉に応える為に、絶対にお役に立ってみせるって。
 その為には何をすべき?
 少しでも迅く斬らなくてはならない。
 その為には何をすべき?
 少しでも速く鋭く動かなくちゃならない。
 仲間を護る為に、ユートさまを助けるために。
 迅く、速く、もっと速く!
 その為に、わたしはあの日からずっと訓練を重ねてきたんだから!

「やああぁっっ! 居合の太刀っ!!」

 深く腰を落として居合の構えを取り、マナを込めて純白のウィングハイロゥを輝かせる。
 心底に漲る信念を以って、ヘリオンは裂帛の呼気と共に神速ともいえる速度で敵陣に吶喊した。
 その、総てを貫き通すが如き想いが込められた彼女の剣は、

「ちょっとヘリオン! あんただけで突っ込んじゃ! ……あー……やっぱり防御壁に弾き返されてるわ」
「いくら速くても真正面からいけばああなるって分からないのかしら……」
「あらあら〜。また手当ての準備が必要ですねぇ〜」

 初撃をあっさりと敵グリーンスピリットに阻まれ、反撃に遭っていた。

「わきゃーーっ!?」


◆  ◆  ◆


 この乱戦が一日ほど続いた頃――サモドアより敵を誘き寄せてから丸二日以上経って、ようやく戦闘が終結を迎えた。
 バーンライト兵を全滅させたラセリオ防衛組は最低限の回復と休息だけ取ると、即座にサモドアに向かって移動を開始した。未だサモドア陥落の報告は受けておらず、であるならば、まだ交戦を続けているであろう悠人達の援護を行う為だ。

「いやー。でも、まさかサモドア陥落より早く敵を全滅できるとは思わなかったわ」
「作戦と変わっちゃいましたねえ〜」
「悪い方向に変わったわけじゃないんだからいいと思うわ」
「そうね。ま、結果的にヘリオンのおかげかな」
「――ヘリオンの突進は、敵の攪乱に非常に効果的でした」

 ナナルゥの分析に、セリア達はその通りだと言わんばかりに頷く。
 先の交戦。確かにヘリオンの斬撃の多くは防御壁に阻まれたものの、凄まじい速度で縦横無尽に駆け巡り矢継ぎ早に居合を繰り出すその姿を捉えきれる敵はいなかった。結果、敵はヘリオンに注意を向けざるをえなくなり、混乱をきたしてしまった。

「ヘリオンが敵を掻き回し、混乱したところをナナルゥとオルファが焼き払い、その討ち損じを私達が叩く、か……単純だけど、確かに有効な戦術だったわ」
「ヘリオンがいつも以上の速さで動けたから、だろうけどね。いやホント速過ぎよあれ」
「それだけ〜ユートさまが心配だったんでしょうねえ〜」

 ハリオンがにこにこと言った一言。その言葉にセリアは眉をぴくりと動かして反応する。

「ユート様、ね。今はアセリア達と一緒にいるっていう……そのエトランジェ、信用できるの?」

 セリアが警戒心を隠そうともせず皆に訊ねた。

「セリア……気持ちは分かるけど、大丈夫、だと思うわ。剣技はやっと素人を卒業できたってレベルだけど、『求め』の力が半端じゃなく強いから。多分ユート様の力が無かったら、今頃はリモドアすら落とせてなかったんじゃないかな」
「ヒミカも負けちゃいましたからねえ〜」
「あ、あれはチーム戦だったから!」
「そうね。その話は聞いてるわ。エスペリアの助力があったとはいえ、貴女とハリオンに勝ったって。だから、確かに戦闘力的には信用はおけるでしょうね」
「うー……なんかネリー忘れられてない?」
「ヘリオンもなの」
「だってネリー、パパたちに比べたらよっわいし」
「総合的戦力で判断した場合、ネリー、ヘリオンの両名は他の四名に著しく劣っているものと思われます」
「うわーん! オルファもナナルゥもひどいー!」

 騒ぐ子供達と冷静に酷い事を言うナナルゥを意図的に無視して、セリアは続ける。

「でもね、私が気にしてるのは性格的なところよ。人間の隊長なんて……人間なんて、信用出来る? そのあたり、ヒミカには一応頼んでおいたと思うんだけど」
「性格ねえ……私はそれこそ信用できる点だと思うわ。セリアくらいの厳しい見方で見てきたつもりだけど、それでもそう信じられる。ユート様は、私達スピリットを仲間として見て下さっているから。他の人間みたいに……使い捨ての道具として、じゃなく」
「それに〜、この娘たちもとっても懐いていますしねぇ〜」

 そう言って、ハリオンはネリーとシアーの頭を優しく撫でた。
 突然の行動にネリーは「わぁ、なにっ!?」と大きく振り返るが、シアーは気持ちいいのか目を細めて静かに受け入れている。今は行軍中なのだが。

「そうそう。オルファも慕ってるし、誰かさんは既にそんなレベルじゃないしね」
「…………そうね」

 ヒミカは苦笑気味に言って、視線を前方に向けた。つられてそちらを見たセリアもすぐに状況を理解したのか、小さく嘆息して同意を示す。
 彼女らの視線が示す先。そこには、悠人を心配してか単純に早く会いたいからか、気が逸って歩幅が広くなってヒミカ達から大分先行してしまっている、一心不乱に歩を進める『誰かさん』――ヘリオンがいた。

「ユートさま、ユートさま、ユートさま……お願いです、無事で、無事でいて下さいっ!」

 この後、ヘリオンは焦るあまり全力で走って皆をぶっちぎってしまうことになる。


◆  ◆  ◆


「ていやあぁっ!!」
「が……!」

 鋭い声と共に突き出された『存在』が、サモドアを守備していた最後のブラックスピリットの喉元を貫いた。刃はそのまま横に薙がれ、首を飛ばされた敵スピリットは断末魔の悲鳴をあげる間も無くマナの霧へと還っていく。

「………………は」

 敵が消えたのを見届けると、アセリアはへたりとその場に座り込んだ。

「アセリア!?」

 傷を受けたのかと心配して駆け寄る。だが近くで見てみると、幾つもの切り傷や火傷はあるものの深手は負っていないみたいだ。呼吸が整わないらしく、肩を大きく上下させて息を荒げてはいるが。よかった……疲れてただけか。
 ……無理も無い。敵戦力の大半をラセリオ側に切り離したとはいえ、まだ数が残っていた守備のスピリットを俺達だけで倒してきたんだから。しかも、その半分以上をアセリアが倒してる。俺やエスペリアの制止を聞かず突撃を繰り返した結果だ。
 くそ、何でだ? 何でアセリアは……いや、程度の差はあっても他の仲間達も……こんなにも自分の身を省みないんだよ……。

「なぁアセリア……」

 やるせない思いが昂ぶって、思考が勝手に言葉となって口から出て行く。

「確かに俺達は、戦う事が出来る。でも、それだけじゃないはずだ。アセリアの手だって、剣を握るためだけにあるんじゃないと俺は思う」
「…………わたしの、て?」

 アセリアはぼそりと呟いて、自分の掌に視線を落とした。
 その姿があまりに悲しく思えて、俺は心のままに言い続けた。アセリアに、皆に死んで欲しくないと。戦って死ぬ、それ以外にも自分の生き方を見つけて、生きてくれと。
 そんな、祈るように吐き出された俺の言葉を聞いたアセリアはじっと俺の眼を見て……

「………………じゃあ……わたしは……何をすればいい?」

 しばらくの沈黙をおいて、そう問いかけてきた。その口調は、さっきまでの鬼気迫る戦いぶりからは想像できないほどにあどけない。
 俺は、そんなアセリアの反応を受けて、思った。アセリアや他の仲間達の未来に、希望を持てるんじゃないかって。
 だって答えるまでに間があったのは、俺の言葉の意味をアセリアなりにちゃんと考えてくれたってことだろうから。俺に問いかけたのは、自分の意思で何をすべきか探そうとしたってことだろうから。

「……それは俺にもわからない。きっと、アセリア自身にしか解らないことなんだと思う。……でもアセリアにはアセリアの何かがきっとある。――――だから、簡単に命を捨てるようなことはやめてくれ」

 言って、座り込むアセリアに手を差し伸べた。アセリアは、動物のように無垢な瞳でその手を見て、

「……ん。わかった。ユートがそういうなら――――わたしは、生きてみる」

 おずおずと、ではあるが、しっかりと掴んでくれた。俺よりも小さな手から、確かな温かさが伝わってくる。
 この瞬間……何だろうな。さっき俺が感じた希望みたいなものが、やっぱり間違いじゃないんだって、ふと思えた。
 アセリアも、ある意味アセリア以上にスピリットであることに頑ななエスペリアも、他の皆も……ヘリオンも。スピリットとかは関係ない、自分自身としての何かを掴める日がきっと来る、って、今はそう信じられた。



 ――こうやって、アセリアと話すのに必死になっていたからだろうか。
 この時、俺達を離れて見守るエスペリアの傍に来ていた存在に、俺は気付いていなかった。

「あら……ヘリオン? もう到着したので……ヘリオン?」

 急いで来たんだろう、艶のある黒髪は汗で額や頬に張り付き、肩はわずかに上下して呼吸の乱れを示している。そんなヘリオンが呆然とした表情で、

「ユート、さま? ……アセリアさんと……なに、して?」

 そう呟いていたのを、俺は知らなかった。






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