それは、突然のことだった。
 突然バーンライト兵が国境を破り侵攻してきて、あまりの敵の多さにまだ訓練中のわたしまで戦うことになった。
 だけど圧倒的な戦力差はどうしようもなくて、眼の前で、同じ部隊のスピリットたちが死んでいった。
 わたしに居合の基本を教えてくれた人。
 中々上達しないわたしを叱っても、遅くまで一緒に訓練に付き合ってくれた人。
 そしてついさっきわたしを護って死んだ彼女は、同じ頃にこの街で訓練を始めた人だった。
 みんなみんな……わたしの眼の前で、マナの塵に還っていった。
 ……そして、わたしも彼女らと同じ運命を辿ろうとしていた。
 わたしを囲む敵兵。
 わたし一人に対して、敵兵が三。一対一でさえ勝てるかどうか怪しい相手が、三人だ。
 しかも既に左手に深手を負い、居合もままならない。
 一方、敵はほぼ無傷。
 ……どうあっても、勝てるはずがない。
 腕から伝わってくる激痛。
 時をおかず訪れるだろう死の恐怖。
 それらに苛まれながら、わたしは心の中で叫んでいた。
 痛い。
 怖い。
 死にたくない。
 ……助けて……
 ……助けて……
 …………助けて!
 そんな思いが、わたしの心中を支配した時に……

 あの人が、助けてくれた。

 あの人は……ユートさまは、いきなり現れて、瞬く間に敵兵を倒してしまった。
 僅かな恐怖と、でもそれ以上に強い憧れを抱かせる、見惚れてしまうほどの強さ。助けてくれた時に見せてくれた、優しい笑顔。
 それを見た瞬間、わたしの中で何かが変わった。そんな気がした。
 その、わたしが気になって仕方の無い人は……
 ……………………。

「ユート様! お一人で向かわれるなんて……危険じゃないですか!」
「い、いや、だってさ。味方が倒されそうだったから思わず身体がいえなんでもありませんごめんなさい」

 ……今、ちょっと格好悪いです。










黄昏に望む――


/ 邂逅に誓う 2nd










 夕闇に包まれた、エルスサーオの街中。
 あの後――ヘリオンを助けたすぐ後に、エスペリアとオルファが俺に追いついてきた。
 …………そして、すげー怒られた。
 まあ確かに危険な行動をしたのは事実だし、いつもアセリアに注意してる俺が単独行動をするのは駄目だとは分かっていたんだけど。
 だけど、仕方なかったんだ。眼の前で味方が、しかも佳織とそう歳も変わらなそうな娘がやられそうだったんだから。気がついたら飛び出していた。
 そうしてひとしきり怒られた後で、エスペリアにヘリオンの怪我の治療をしてもらっている。その間に、今後の行動について皆と話し合うことにした。

「さて……じゃ、とりあえずはこの四人で行動するとして」
「はーい」
「は、はいっ」
「ええ、そうですね。では、具体的な行動方針は如何しましょう」
「ああ、それだ」

 ちらり、と横目でヘリオンを見遣る。
 さっき少し聞いたところによると、ヘリオンはまだ訓練中の身らしい。
 今回は彼我の戦力差から戦闘に参加することになってしまったが、それでも未熟であることを考慮して、敵を迎撃する際の配置は最後衛だったそうだ。当然、そこには部隊を組んだ仲間もいた。
 そのヘリオンが、俺が見つけた時は既に単独で戦っていた。しかも街中で、だ。つまり、守備陣はとっくに寸断され、ほぼ壊滅状態。敵はもう殲滅戦に移り、部隊毎に散開して生き残ったラキオスのスピリットを探索し、殺して廻っているということだ。
 ヘリオンの話と状況を総合すると、そういうことになる。剣戟と怒声が、街中から分散して聞こえてくるというのも、そうなっているからじゃないか。
 だったら。

「敵との戦闘は極力避けよう。敵の眼をかいくぐりつつ、まだ生きている味方を探す」

 俺の言葉に、エスペリアは満足げな笑みを、オルファは不満気な顔を、そしてヘリオンは顔を輝かせるといった反応をそれぞれ返す。

「それがよろしいかと。では、その後は? 私は、ある程度味方が集まり次第、部隊を組んで順次ラキオスに撤退するという方策を提案致します」

 ……しまった。
 味方が増えた場合のことまで考えてなかった。
 確かに仲間が増えれば敵に見つかり易くなるし、しかも負傷してるからあまり戦力として期待できない。反面、人数だけは多いから仲間を護るのも、撤退の速度にも難が出る。だったらそれよりも早い段階で負傷兵の部隊を切り離して、俺たち無傷の人員を誰か一人護衛に配置し、敵が手薄だったラキオス側の門から撤退した方がいい。どの道、この状態じゃまともに戦うのは不可能なんだから。
 ……その上で状況を判断し、戦闘可能な人員でエルスサーオを奪回できるなら奪回する、か。確かに、これが一番犠牲の少ないやり方だと思う。
 全く、流石エスペリアだよ。……味方を助けた後のことを考えてなった俺も俺だが。
 
「判ったよエスペリア。それでいこう。オルファ、ヘリオンもそれでいいな」
「はいっ、ユートさま」
「えー……パパ、敵さん倒さずに逃げちゃうの?」

 二人の返事は、好対照だった。
 まあ、オルファならこう返事するだろうと予想してはいたが……。

「ああ。味方の救援が最優先だ」
「ぶー」
「オルファ! ユート様に対してその態度は……」
「いや、いいんだ。それより、ヘリオンの治療はどうだ?」

 俺の問い掛けに、エスペリアは微笑して答える。

「後少しです。骨まで達してはいませんでしたから……と、はい、終わりましたよ」

 エスペリアはアースプライヤーを終えると、ポンポンと軽くヘリオンの左腕を叩いた。傷が本当に癒えたのか確かめる為だろうか。その行動に対してヘリオンは全く痛がる素振りを見せず、腕を数回上下させたりして、思い通りに動くことを確認して見せた。
 うん、大丈夫そうだ。

「すっかり治りました。ありがとうございます、エスペリアさん」
「どういたしまして」

 二人微笑み合い、和む。

「よし、じゃあ行くか」
「はい」
「は、はいっ」
「…………はーい」

 一人だけ、不満気な返事。
 まあオルファのことだ。すぐに機嫌は直るだろ。それより味方の方が心配だ。
 ……それに何より、一人で突っ走っていったアセリアが気にかかる。
 だから……

「急ぐか」
「はい。…………アセリア、無事でいて」

 エスペリアが不安げに漏らす。
 しかし、その不安の色が滲んだ言葉に返す返事は何も…………

「……呼んだか?」

 いや、あったよ。

「えっ?」
「この声!?」

 突然響いてきた、聞き慣れた平坦な声。
 すぐさまその声のした方向を向くと、そこには、

「あ、アセリアお姉ちゃんだー」

 少しばかり先、この街路の交差点の中央で。

「………………」

 アセリアが、相変わらずの無表情で立っていた。
 背後に、数人のスピリットを連れて。


◆  ◆  ◆


「……で?」
「拾ってきた」
「短いわ!」

 思わず突っ込んでしまう。
 で、そんな端的な返事と共に、アセリアは自分が連れてきた数名のスピリット達を指差した。その先では、

「皆さん……っ!」
「ヘリオン! 無事だったのね……」
「良かった……」
「はいっ! 皆さんも、ご無事で何よりです……ぐす、本当に……」

 ヘリオンが、件のスピリット達との再会を喜び合っていた。
 ヘリオンと既知の仲である事、そしてラキオスの紋章を着けたスピリット隊の服を着ているところを見ると、彼女らは仲間であると思っていいだろう。その光景を尻目にアセリアが淡々と語ってくれた事も、それを裏付けるものだった。
 まとめると、こういうことらしい。
 敵を何人か斬り倒した後、アセリアは敵部隊と相対してる彼女らを見つけた。加勢して、すぐに敵を倒した後、彼女らはアセリアに、何故ここにいるのか尋ねたそうだ。そこで、俺たちが応援に来たことを知った。すると彼女らは既に満身創痍だったこともあって俺たちへの合流を希望し、それまではアセリアと行動を共にすることを望んだらしい。
 で、面と向かって頼まれたアセリアは、彼女らを連れて、俺たちが来た方角に向かって歩いてきたというわけだ。

「成程……話は分かりました」

 アセリアの話を聞いて、エスペリアが真剣な表情で頷く。

「では、アセリアへのお説教はひとまず後にするとして……」
「……ああ」

 俺とエスペリア、二人して横目でアセリアを睨む。

「??」

 肝心の、単独行動で突っ走りやがった本人は何故睨まれてるのか分かってないみたいだが。相変わらずの無表情で首を傾げている。
 まあ、それは今はいい。

「まずは彼女たちを逃がさないとな」
「はい」

 さっき決めた方策を早速実行することになった。
 さて、じゃあ彼女らにはこのままラキオス側の門から逃げてもらうとして……

「付き添い、というか護衛を誰にするか、だけど……」

 総合的な能力では、やはりエスペリアだろう。もしくは俺か。
 というか、戦闘ならいざ知らず、撤退しつつ護衛という任をアセリアやオルファにやらせるほど俺はチャレンジャーじゃない。二人ともいざ敵を見つけると、仲間があまり見えなくなるから。
 それで、俺たちの内どっちが護衛につくかだけど……これからまた味方と合流できた場合の事を考えると、この戦況だ、そいつが負傷していない可能性の方が少ないだろう。その時はエスペリアの治癒の神剣魔法がどうしても必要になる。
 だったら、誰が護衛役をやるかは決まってる筈だ。

「はい。ではユート様、お願いします。ヘリオンも一緒にね」

 同じ事を考えのか、先を続ける前にエスペリアが俺を推してきた。

「わ、わたしも、そ、その、ユートさまとっ!?」

 途端、ヘリオンがこっちが驚くほど焦った声をあげる。傷は治してもらったとはいえ体力とマナは消耗してるんだから、ヘリオンも一緒に逃げるのは当然だと思うのだが。

「ああ、分かった」

 ヘリオンの行動に首を捻りつつも、俺は素直に頷いて返した。


◆  ◆  ◆


 そして、数分の後。
 変わらずに、未だ聞こえ来る剣戟の音。
 その音に背を向け、エスペリア達と別れた俺は先程走って来た道を引き返していた。ヘリオンと負傷したスピリット達を連れ、護るべきものを持った責任を、しかと背負いながら。

「………………」

 来た時以上に慎重に周囲に注意を向けている為、無言になる。
 何せ、今いるメンバーでまともに戦えるのは俺とヘリオンだけだ。他の奴は、マナの消耗が激しすぎる。多分全員ひっくるめて、スピリット一人分の戦力になるかどうかというところだろう。
 出来れば敵と遭遇せずに門の外に出たい。こいつらを、無事に逃がしてやりたい。
 ……だけど、いつだってそうだったように。
 現実は、思うようにいかないものみたいだ。

「全員、止まれ」

 門まで後百メートルかという地点。そこで足を止め、皆に制止をかける。

「ユ、ユートさま……」

 ヘリオンが、不安げに俺の名を呼ぶ。
 俺達が目指してた門。その前に、スピリットが三部隊――九体、待ち構えていた。青、赤、緑と、各色のスピリットが三体ずつだ。
 味方ならばよし、しかし敵だったら、今の俺たちにとっては倍以上の戦力だ。

「……出来れば味方であって欲しかったんだけどな……」

 神剣に強化された身体能力のおかげか。こんな夕暮時の薄闇の中でも、あの距離にあるスピリット達の表情や装備がはっきり見える。バーンライト兵の装備だった。
 しかもまずいことに、奴らも既に俺たちに気付いたみたいだ。まっすぐにこっちに視線を合わせ、神剣を構えて向かってくる。

「ちっ、仕方ない! 皆っ!」
「は、はいっ!」

 俺は敵から眼を逸らさず、背後のヘリオン達に叫んだ。

「まず俺が突っ込んで敵部隊の陣形を崩す!」
「!! そんな! それじゃユートさまが……わたしも一緒に!」
「だめだ! その後ヘリオン達は全員で、敵を一人づつ倒していってくれ!!」

 そこまで言うと俺はヘリオン達の返事を待たず、神剣を構えて駆け出した。

「ユートさま!」
「ちょ、お待ち下さい!」
「それなら我々が!」
「貴方がそのようなことをなさる必要は……!」

 直後、そんな声が背後から響いてきた。ヘリオンの心配げな声に混じって、他の仲間達の制止の声も聞こえてくる。人間である俺より、スピリットである自分達が行くべきだと言いたいようだ。
 あー、くそ! エスペリアと同じ事言いやがって!
 今自分達がどういう状態かくらい考えろっ!!

「うおおおおおおおっ!!」

 スピリット達のそんな考え方、それが常識であるこの世界。それらに対する怒りが、身体の奥から湧いてくる。
 その、どうしようもない怒りを神剣に込めて。

「っああああっ!!」

 ありったけのオーラフォトンを注いだバカ剣を、俺は突進してきた敵部隊に向かって全力で叩き付けた。その一撃で、敵前衛のブルースピリット三体を薙ぎ払う。
 一体は神剣ごと身体を叩き斬り、その勢いのまま、神剣でガードしようとした残りの二体を弾き飛ばした。

「「「「「「な!?」」」」」」

 驚愕の声と共に、残りの敵スピリット達の眼が見開かれる。俺の……エトランジェの力が、予想以上だったからだろうか。
 まあ、一度に三体も吹っ飛ばせばそう思うか。
 だが、チャンスだ。

「今だ!!」

 返す刃で続いて来る敵スピリット達に斬りかかりながら、後方にいるだろうヘリオン達に叫んだ。

「は、はいっ!」

 返ってきたのは、慌て気味なヘリオンの声。
 直後。
 俺の脇を黒と白の塊が凄まじい速さで通り抜けた。それがヘリオンだったと気付いたのは、彼女が、俺が弾き飛ばした敵スピリットに居合を振るった後だった。
 抜刀の踏み込みの為に足を止めて、はじめて彼女の容貌が視認出来る程の速度。

「なっ!? マジか!?」

 単純な速度だけならアセリアと同等以上……いや、間違いなく上じゃないか?

「わ、わっ!」

 だが……彼女にあったのは瞬発力だけだったようだ。
 俺が弾き飛ばしたもう一体の敵ブルースピリット。戦闘の緊張でその存在を一瞬忘れていたのか、ヘリオンがそいつに向けて構えるまでに数瞬の隙があった。
 そのほんの僅かな隙は、敵が体勢を立て直すのに十分な時間だったようだ。敵プルースピリットは咄嗟に水の防御壁を創り出す。それは、このバカ剣なら問題にせず切り裂ける程の微弱なものだと見て取れた。
 しかし。

「え、あ、あれ?」

 ヘリオンの神剣は、その小さな防御壁に阻まれていた。

【……あの妖精、マナがあまりに弱すぎる……】

 響いてくるバカ剣の声。
 体格か経験不足か、もしくはその両方に起因するヘリオンの斬撃の威力は弱く、あの小さな壁すら突破出来なかったということらしい。
 そこで動きを止められたヘリオンに、敵ブルースピリットが反撃する。

「わ、きゃっ!」

 ヘリオンの胴を薙ぎ払おうとした敵の斬撃。それを、なんとかヘリオンは後方に跳んでかわした。その彼女に向かい、敵はなおも追撃を加えようと突進する。
 が、今度は逆に敵の斬撃がマナの防御壁によって止められた。ヘリオンに追いついた味方が、三体がかりでシールドを張っていたからだ。

「あ……皆さん、ありがとうございますっ」

 ヘリオンが無事であったことに、心の中で安堵の溜息をつく。
 ……よし、これで、一応数の上ではヘリオン達が有利だ。
 とりあえず、当初の思惑通りの展開には持ち込めた。これで後は、残りの敵スピリット達六体を、ヘリオン達に近づけないようにするだけだ。
 そいつらの位置は、ヘリオン達と俺を挟んで反対側。
 よし……こいつらを、抑えきってみせる!

「おおおおおおぉっ!!」

 ヘリオン達がさっきの敵ブルースピリットを倒すまで、ここは通さない!
 その想いを込め、気合と共に俺は最も間近にいた敵グリーンスピリットに斬りかかった。敵はシールドハイロウで防御の構えを見せる。だが俺はそれに構わず、マナを集中して全力で押し切った。その衝撃に耐え切れず、シールドハイロウは砕け散り霧散する。
 続けて、俺は返す刃で敵を斬ろうとした。これなら敵は避けようがないというタイミングだ。
 だが、その時。
 視界の端に、ヘリオン達に向けて神剣魔法を放とうとしているレッドスピリットの姿が映った。
 まずい、と思った次の瞬間。

「ファイアボルト!」

 声と共に、そのレッドスピリットの掌から幾つもの炎の礫が射出された。
 ヘリオン達は……あの敵一体を相手にするので精一杯か。こっちを見てる余裕なんてないようだ。
 くそっ!

「くっ!」

 俺は敵を切り裂く筈だった神剣を、身体を軸に回転させ別の方向に逸らした。その先には、数瞬後に炎弾が通り抜けるであろう空間。

「だあああっ!」

 気合と共にオーラフォトンの防御壁を、神剣を中心に展開させる。そして、手首から伝わる衝撃。炎の礫は防御壁に全て激突し、ヘリオン達に届くことなく消え去った。
 ……よし。


◆  ◆  ◆


 ――だけど、その行動がいけなかった。

 いや、多分遅かれ早かれそうなったのかもしれない。
 あの行動で敵に気付かれてしまったようだ。俺が、傷ついた味方を庇って戦っている事を。数人がかりなのにヘリオン達がいまだ敵一体すら倒せないのも、その事を確信させる判断材料になったのだろう。
 すぐに敵は戦法を切り替えてきた。
 まず、敵グリーンスピリットが2人がかりで俺に向かってくる。しかしその攻撃は槍の長さを利用しての牽制攻撃ばかりで、深く突きこんで来ない。そこで俺が反撃に転じようとすると、距離を取っている敵レッドスピリットが同じく2人がかりですかさず神剣魔法を放ってくる。受けるにしろかわすにしろ、どうしても僅かばかり動きが止められる。その隙に、またグリーンスピリットが抑え込んで来る。
 俺を封じにきている。
 完全に手詰まりだった。
 何回かこのやり取りを繰り返し、この方法で俺をしばらく抑えられると判断したんだろう。距離を取って様子を伺っていた残りの敵スピリット、緑と赤の2体が、俺に目もくれずにヘリオン達に向かった。
 くそ! 確実に倒せる敵を先に減らすつもりか。

「おい! そっち」
「く……い、居合いの太刀!」

 そっちに行った、と俺が言い終わる前に、ヘリオンの高い声が響いた。いち早く新たな敵の接近に気付いたヘリオンが応戦したのか。
 だがヘリオンの斬撃は、グリーンスピリットのシールドハイロウに完全に阻まれてしまう。それでもその防御を崩そうと、彼女は続け様に二撃目を放とうとした。

「居あ……きゃあっ!」

 が、抜刀する前に敵レッドスピリットに刺突を放たれ、やむを得ずバックステップで敵と距離を取る。
 ち……攻撃の暇すら与えないつもりか。
 これじゃヘリオンは敵にかすり傷を与えることすら出来ない。
 せめて、もう一人……他の味方は……
 いや、ヘリオンが欠けてしまっては、残りの奴らじゃ敵一体相手にするだけでも手一杯か。
 それでも、ヘリオンの加勢を、誰か……
 そう思い、残りのラキオススピリット隊の方に目を向けたその時だった。

「…………あ?」

 敵ブルースピリットの神剣が、味方の首を薙いだのは。
 彼女の首が、胴に別れを告げ、ドッと音を立てて地面に落ちる。断面から噴出す血飛沫もすぐに金色のマナへと変わり、霧散していった。
 そして、瞬く間に。
 彼女の身体も、頭部も、全てが光に包まれマナの霧となって消えた。
 その光景を、その全てを、俺は目を見開いて凝視していた。
 ……ああ、彼女は、ついさっきまでは動いていた。ヘリオンと無事再会できたことを喜び合っていた。
 俺も、少しだけだけど話をした。
 彼女の名前なんか知らない。
 聞きもしなかった。
 だけど、確かにさっきまで生きていて、俺たちと一緒にいた。
 ――生きて、いたんだ。

「あ、あ、あああああああああああああああっっ!!」

 突如、辺りに響き渡る絶叫。
 ヘリオンの声だった。
 何か信じられない光景を見たかのように目を見開いて、この現実を忌避するように、叫び声をあげている。
 悲痛な叫び。
 その声が……その姿が……俺を憤らせる。
 敵に――そして、それ以上に俺自身に。
 ……確かに、俺は戦いたくなかった。
 だけど、戦うしかないなら、敵を倒すしかないなら、せめて仲間だけでも護りたかった。
 だから俺は剣を取ったはずだ。
 それが、このザマか。
 何がエトランジェだ。何が伝説に謳われる戦士だ。
 敵にあっさりと足止めされて、それで味方を殺されて。
 ちくしょう……ちくしょう……

「――くそおおおおおおおおおおおぉぉっ!!」

 天を仰ぎ、どうしようもない怒りとやるせなさを込めて――
 俺は、叫んだ。
 肺の空気を全て吐き出すような叫び。
 喉が枯れるかと思うまで声を出し続け……それが途切れると、眼前の敵グリーンスピリットを睨みつけた。
 そいつは、余裕の笑みを浮かべていた。
 ――気に食わない。
 その感情が、神剣を握る掌に力を込めさせる。そして、今感じてる無力感、哀しみ、怒り……全てを叩きつけるように。

「でやああああああああああああああっっ!!」

 神剣を構え、地面を蹴って、俺を足止めしていた敵に向かった。

「ファイアボール!」

 今まで同様、すかさずレッドスピリットが牽制の神剣魔法を放ってくる。
 グリーンスピリットに辿り着く前に、側面から迫り来る火球。
 ……それが、どうした。
 俺は、避けなかった。受けることもしなかった。オーラフォトンは、神剣に集中したままだ。
 炎が直撃。最低限全身に纏っているオーラフォトンを突き破り、俺の身体を焼く。身を焦がす灼熱を感じた。
 熱い。
 痛い。
 辛い。
 だけど、だけど、それが……!

「それがどうしたぁぁぁっ!」

 怯まない。
 怯んでいる時間なんてある筈がない。
 俺がこの攻撃を避けていて仲間が殺されたんだから。
 俺がこの攻撃を避ける時間だけ仲間が殺されていくんだから。
 だから……俺は、怯んでなんていられない!

「っあああああああっ!」

 痛みをこらえ、歯を食いしばり、それでも俺は神剣を振りかざし。
 全力で、刃を敵に叩き付けた。


◆  ◆  ◆


 それから数分の時が過ぎた後。

「ううぅ……ぐす……うえ、うええええ……」

 静かだった。
 その静けさの中で、ヘリオンの嗚咽だけが響いてくる。今のこの場に、動くものは俺とヘリオンしか残されていなかった。
 ああ、そうだ。護れなかった。
 俺を抑えていた敵スピリットを全て倒した時……既に、仲間は皆マナの塵へと還っていた。
 残っていたのは、涙を流しながら、しかし三体に増えた敵の攻撃を必死で凌いでいたヘリオンだけ。身体に幾つもの傷を負いながら、それでもひたすら動き続けていた。
 その敵も俺が斬り伏せ、敵も、味方も、いなくなった。
 そうして初めてヘリオンはぺたんと地面に座り込み、声を上げて泣き出した。親しかった仲間を喪った哀しみを込めて、ただ泣いていた。

「ヘリオン……」

 そんな彼女に、俺はどう声をかければいいんだろう。
 言葉が、続かない。
 そんな俺を、ヘリオンは涙で濡れた顔で見上げた。
 ――ああ、俺は……この表情を見た事がある。
 佳織の顔が、脳裏に浮かんだ。……あの事故の後、意識を取り戻した佳織が、両親の死を知った時に見せた顔が。どうしても忘れられない、あの瞬間の顔が。
 その顔が、今のヘリオンにダブって見えた。
 疫病神の俺のせいで、また周りを不幸にしてしまった。
 そう思えてしまうと、もうどうしようもなかった。

「ふえ……ユー、ト、さま……みんな……ひっく……みんな、いなくなっちゃいました……」

 言葉の一つ一つが、彼女の涙の雫の一つ一つが、俺を貫いていく。

「…………ごめん」
「……ひっく……え……な、なんでユートさまが謝るんですか……?」
「……俺が……俺が皆を護れなかったから……無事に逃がすって言ったのに……だから、ごめん」

 そうだ。
 俺がもっとうまくやれれば、仲間を死なせることもなかった。
 ヘリオンをこんなに泣かせることもなかった。

「そ、そんな! そんなの……そんなのユートさまのせいなんかじゃないです!」

 途端、ヘリオンは勢いをつけて立ち上がり、今までの弱々しいものとは正反対の声で言った。
 しかしそれだけ言うと、またヘリオンは肩を落として俯き、今度は小さな、消え去りそうな声音で呟くように語る。

「わたしが……わたしが弱いのがいけないんです……もっと強ければ……早く敵を倒せるくらい、もっと強ければ……」
「ヘリオン……」
「だから……だからぁ……ユートさまは、ご自分を責めないで、くだ、くださぃ……っぇぇええええぇ!!」

 ヘリオンも、自分を責めている。俺と同じように、自分が悪かったと。
深い後悔と無力感を感じているのだろうその慟哭が……俺の胸に突き刺さる。
 ヘリオンの声にならない叫びを聞く間、俺は唇を噛み締めて耐えるしかなかった。

「…………ぐす……ユートさま……」

 泣き叫んだ後は嗚咽を漏らすだけだったヘリオンが、不意にポツリと呟くように俺の名を呼んだ。

「……なんだ?」
「…………ありがとうございます……わたしたちを……護ろうと思って下さって……」
「な……なんで礼なんて言うんだよ! 俺は……!」
「ユートさまっ!!」

 俺の言葉を遮るように、泣き叫んで枯れた声でヘリオンは言った。
 同時に顔を上げた。……涙を流してくしゃくしゃに歪んでいる、悲痛な顔だった。

「わたし……わたし、強くなります!」

 涙声の、宣言。

「これからは……今度こそユートさまが戦われるお役に立てるように、今度こそは仲間を護れるように……強く――もっと強くなりますっ!」

 泣き叫んで枯れた声で告げられた、宣言というにはあまりにみっともない、誓う言葉。
 だがそれでも、掠れた声であっても……ヘリオンの言葉は、その誓いは、強く響いた。
 それは……多分、俺があの日から心に持ち続けている、佳織を護るって思いと同じくらい、いや、きっと同じように重く、強いから。
 佳織を護るって誓った俺だから、それが分かる。
 佳織を護ることを求め続けた俺だから、その決意の重さが、が分かる。
 だから……今俺が言うことなんて、言わなきゃいけないことなんて一つしかない。

「――ああ!」

 強く、強く頷いた。
 ヘリオンの言葉に応えられるように。

「強くなろう! ヘリオンも……俺も! 絶対に、強く!」

 もう二度とこんな思いをしないように。
 ヘリオンにこんな思いをさせないように。
 無力感を胸に、そう俺は、涙を流すヘリオンと誓い合った。






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