夕刻。
 既に日は傾きかけ、黄昏時に移ろうかという時刻。
 その中で、俺たちは行軍を続けていた。目的地はラキオスの東に位置するエルスサーオだ。
 今朝ラキオスを出発してから、昼食時に小休止を取った以外はずっと歩き通しだった。
 現在ラキオスと表立って戦争状態にあるバーンライトが、軍をリーザリオ方面に集中させて進軍してきているとの情報が入ったからだ。
 その為、エルスサーオで迎撃するということになった。
 ここまで歩きっぱなしだとさすがに疲れたけど…… 

「……もうすぐ、か」
「はい。日が完全に落ちるまでには到着できそうですね」

 一日歩いて、既にエルスサーオの街並みが視認出来る距離にまで来ていた。エスペリアの言う通り、夜までには十分に間に合うだろう。

「しかし……またエルスサーオか」
「バーンライトとの国境沿いに位置している以上、どうしても前線基地になってしまいますから」

 そうだ。少し前……二ヶ月前のことを思い出す。
 前回……サードガラハムを討伐する為に出撃した時も同じだった。バーンライト兵が攻めてきたという情報を受けて、本来の進路を変更してエルスサーオに向って……
 そういえばあの時も、こんな夕暮時だった。










黄昏に望む――


/ 邂逅に誓う 1st










――二ヶ月前。

「ユート様、急いで下さい!」
「分かってるっ!」

 俺たちは、エルスサーオに向って全力で走っていた。
 既に人間の出せる限界の速さを越えているが、それでも全くへばることはない。
 『求め』の加護があればこそだ。

「はっはっはっ……くそっ! 間に合えよ!」

 これ以上速くならない自分の足にもどかしさを感じながらも、俺は走り続けた。



――話は、三時間ほど前に遡る。

 俺とアセリア、それにエスペリアとオルファの四人は『リクディウスの魔龍』討伐の為、ラキオス街道を東に向かっていた。
今は、丁度後少しで街道の分岐路にさしかかるというあたりだ。北に向かえば目的地のリクディウス山脈、東に向かえばエルスサーオという国境の街があるとエスペリアから聞いていた。
 その時だった。

「……ユート、何か来る」

 前方から一頭の……何だろう。多分俺たちの世界で言うところの馬だろうか。そんな生き物に乗った兵士が土煙を上げて、一直線に走ってきた。
 その飛ばし具合から見ると、相当に急いでいるようだ。
 少し警戒するが、あの兵士が身につけてる鎧は……

「エスペリア、あれは」
「はい。あの鎧、確かにラキオスの兵士が身につけるものです。アセリア、剣を収めて」
「……ん」
「そうか。じゃあ、とりあえず敵じゃないんだな」
「はい。ですが……気にかかります」

 エスペリアは思案顔になると、微かに顔を傾けた。

「何かあるのか?」
「いえ……その、国境の方からあれほどの速度で馬を走らせるということは……」

 そこまで話した時点で、兵士は既に俺たちのすぐ前にまで迫っていた。
 そのまま素通りするかと思ったが、彼は俺たちに気付くと速度を緩め、俺たちの前に立ち止まった。
 そしてスピリットがいるからだろう、馬から降りることなく騎乗したまま、当然のように彼は口を開いた。

「貴様等、何故こんなところにいる!」
「な……!」

 開口一番でそれかよ!
 あまりの態度に腹が立ち、文句を言おうと俺が一歩前に出る。しかし、その俺を遮るようにエスペリアが先んじて俺の前に立ち、この兵士に返事を返した。

「私達は、国王陛下直々の御命令により『リクディウスの魔龍』討伐に向うところです」
「む……そ、そうか。陛下の……」

 国王の名を出されたからだろう。兵士はさっきまでの勢いを無くし、口篭ってしまった。
 王の命令を遂行中のスピリットを邪魔すれば、自分に何か不都合が起るかもしれない。
 そう思ったからか。
 しかしその沈黙は数瞬で、兵士はすぐに元の勢いを取り戻し口を開いた。……いや、さっきと同じじゃない。どこか、焦っているようだ。

「……と、とにかくその任務は後だ! 火急の事態ゆえ今すぐエルスサーオに向かえ!」

 早口で兵士がまくし立てる。だが、言ってることは理解できた。
 ……けど、だからといってもな。

「おい。俺たちは任務があるって言ってるだろ。勝手なこと」
「いいから行け! バーンライトが……敵が襲撃してきたんだ!」



 こうして、俺たちは目的地を変更し全速で移動する羽目になった。
 聞けば、突然国境を破ってバーンライトが攻めて来たということらしい。それも、大軍と呼べるほどではないにしても、かなりの数の部隊が。見廻りに出たスピリットが襲われた為、敵発見の報告が遅れたということだ。
 勿論、エルスサーオにも警備のスピリットが常駐しており、さらに訓練中のスピリットも幾人かはいる。しかしそれら全てを動員しても撃退するどころか、拠点をしばらく保たせることが精一杯らしい。
 攻撃が始まれば、もって一日。
 その為見張りが最初に敵の数を確認した時点で、あの兵士がラキオスまで応援を頼みにいこうとした。そして、その途中で俺たちに出くわしたということだった。
 俺たちはその話を聞くやすぐに走り出し、そして今に至る。

「はっ……はっ……はっ……!」

 息を弾ませながら、正面だけを見て走る。
 その視線の先には、既にエルスサーオが間近に見えていた。日の落ちかけた薄闇の中、その街並みを紅く染めて。
 既にところどころに飛び火している炎が、闇に鮮やかな彩を与えていた。

「そんな……もうあんなに攻められて……!」
「……敵。もう、近くにいる」

 エスペリアがその表情を哀しみに染めて叫ぶ。一方アセリアは、こんな状況にあっては少し憎たらしくなるくらいの無表情で、小さく呟いた。
 かと思えば、次の瞬間には『存在』を握り締め、純白のウィングハイロゥをその背に広げた。

「アセリア!?」
「――倒す」
「ちょ、おい、待てっ!」
「アセリア、待ちなさい!」

 俺たちの制止の声も聞かず、アセリアが飛び立つ。薄闇の中に輝くハイロウを羽ばたかせ、一直線にエルスサーオに向かっていった。
 見る間にアセリアは街に辿り着き、そのハイロウの光が街の防壁の中へと消えていく。

「わぁ。アセリアお姉ちゃんはっやーい! ね、パパ」

 オルファは無邪気に言う。
 くそっ! なんなんだよアセリアもオルファも……敵の中に一人で突っ込むことがどれだけ危険か分かってないのか!

「ユート様、とにかく急ぎましょう」

 憤る俺に、エスペリアが息を弾ませながらも静かに声をかけてくれた。その冷静な声で、少し心が落ち着く。
ああ、もう。こうなったら今怒っても仕方ない。

「……く! 急ぐぞ、二人とも!!」
「はい」
「うんっ!」

 俺は既に全力を出している足に鞭打って、さらに速度を上げた。
 程なくエルスサーオに辿り着く。周辺を見渡してみるが、敵の姿は無い。
だが……味方の姿もなかった。
 既に、門は破られていた。剣戟の音は門の奥から、街の内部から聞こえてくる。戦いの中心は、既に街の中に移っているようだ。

「くそっ! もう街の中まで!」
「ユート様!」
「パパ、いこっ」
「おう!」

 防壁の上に敵がいないことを確認し、それでも用心の為にオルファを門の外で待機させた。もし伏兵がいれば神剣魔法で迎撃してもらう為だ。エスペリアの提案だった。
 そうした上で俺とエスペリアはマナの気配を探りつつ、慎重に門を通ろうとする。
 マナの気配は……門の近辺には感じられない。
 安心して通ろうとすると、

「――ユート様」

 俺のすぐ後ろに立ったエスペリアが、小声で話しかけてきた。

「一体います」

 そう耳元で呟くと、左手で門左側、崩れた門扉の残骸の辺りを指差した。
 それを受けてもう一度集中して、バカ剣を通じて気配を探ってみると……確かに一つ、微かにあった。無理矢理押し殺そうとしたような、不自然なマナの流れ。あまりに微弱すぎて、さっきは気付かなかった。
 エスペリアに視線だけで感謝を伝えた。そうして、頷き合う。
 まずエスペリアがシールドハイロウを広げつつ、門をくぐった。俺は、その十歩ほど後ろで神剣を構えて待機する。

「……やぁっ!」

 途端、さっきの気配の主が神剣を唐竹割りに振り下ろしてきた。しかしそんなことは承知の上だ。エスペリアが難なくハイロウでその攻撃を受ける。
 不意打ちを弾かれ、相手の流れが一瞬止まった。
 その隙に、俺は相手の所属を確認する。もし味方だったら大事だ。さて、このスピリットが身につけている装備は……違う。ラキオスのスピリットに与えられる装備じゃない。
 逆に、見覚えの無い紋章がこのスピリットの服に見受けられた。これは……

「ユート様! バーンライトです!」

 エスペリアが、攻撃をハイロウで受け止めた体勢のままで叫ぶ。
 それを聞いて、俺は弾かれたように地面を蹴った。一切の遠慮も無く刃を振りかざす。それで俺の存在に敵も気付いたようだ。神剣を引き後方に逃げようとする。
 が、遅い。
 まさか不意打ちを受けられるとは思っていなかったのだろう、最初の一撃に全力を傾けていた敵は、すぐに逆方向へ移動のベクトルを向けられない。
 そこへ俺の斬撃が襲いかかる。

「おおおおっ!」

 エスペリアから離れるより早く、俺は敵の肩口を逆袈裟に深く切り裂いていた。
 手応えが、あった。……まだ慣れるものじゃない、肉を斬る感覚。命を奪う感覚。
嫌な、ものだ。

「もう……この近くには敵はいないようですね。ユート様」

 だがエスペリアの声が、俺に沈んだ気分でいることを許さない。
 ああ、そうだ。今、そんな事を気にしてる場合じゃない。
 マナへと還っていく敵の姿から目を背け、俺は外で待機してるオルファに呼び掛けた。

「ああ、先を急ぐぞ。オルファ!」
「はーーいっ!」

 気を取り直し、街の内部へ意識を向ける。
 未だ剣戟の音と怒声は止まず、遠くそこかしこから聞こえてくる。それは、まだ戦っている味方がいるということ。
 ……助けないと。
 改めて心中で呟き、オルファが合流した後に内部へ向かった。


◆  ◆  ◆


 移動に大通りを選び、その中心部分を走る。さっきのこともあり、急ぎつつも周囲への警戒は怠らない。建物の影、それと上方。どれも注意すべき場所だ。
 俺、エスペリア、オルファの順で列を組み、各々が敵……もしくは勘違いした味方の攻撃に備えて、辺りに目を光らせていた。
 そうして幾つ目かの辻に差し掛かろうとかという時。

「や、やああっ!」

 金属音と共に、切羽詰った声が角を曲がった建物の向こうから響いてきた。
 まだ佳織やオルファとそう歳も違わなさそうな、幼い声だった。

「何だ!?」
「ユート様! お一人で行かれては……!」

 その声に突き動かされて、さらに足を速める。後ろからエスペリアの制止が聞こえたが、聞き入れなかった。
 もしあの声の主が味方で、今にもやられそうだったらどうするんだ!
 反射的にそう思い、ただ駆けた。
 そうして角を曲がった俺の視界に、数人のスピリットの姿が飛び込んできた。俺に背を向けたスピリットが三体いて、彼女らが一体のスピリットを取り囲んでいる。
 背を向けている方の所属は……バーンライトか。ブルースピリットが一、グリーンスピリットが二。
 一方、囲まれている側はラキオス所属の小柄なブラックスピリット。
 既に左腕に傷を負っていた。そのせいで居合もままならず、神剣を抜き身にしたまま片手で構えている。
 そんな彼女に、今まさに敵のブルースピリットが斬りかかろうとしていた。
 ……く、させるか!
 俺は状況を認識すると同時に敵に声をかけ、神剣を構えて駆け出す。

「どけええええっ!!」
「!?」

 バーンライト兵は……いや、味方のブラックスピリットもか。突然の俺の登場に驚き、動きを止めて一斉に俺の方に視線を向けた。
そして俺がラキオスの増援と見るや、バーンライト兵は負傷したブラックスピリットを後回しにして、俺に向かってきた。
 よし……敵は味方から離れた。

「そこのっ! 逃げろ!」
「え、あ、は、はいっ!?」

 当のブラックスピリットの少女は、いきなりの戦況の変化に混乱しているのか、素っ頓狂な声をあげる。
 だが、今はそうするしか助からないと思ったのだろう。少女は迷いつつも指示には従い、一足飛びに後方に跳んで敵から距離を取った。
 これで……とりあえず彼女は大丈夫だろう。
 心から少女の事をとりあえず除けて、眼の前の敵に集中した。
 既に敵はもうすぐで間合いに入るというところまで迫ってきている。ブルースピリットが斜め上方から、少し遅れてグリーンスピリット二体が地面を蹴って突撃してきていた。

「でいやぁっ!!」

 仲間に先んじて突出してきた敵ブルースピリット。頭上から振り下ろされるそいつの斬撃に合わせて、突進の勢いを乗せた一撃を横薙ぎに叩き込む!
 火花を散らし、敵と俺の神剣がぶつかり合う。
 だが、敵の斬撃は俺のそれよりはるかに軽い。競り合いになることなく、ありったけのマナを集中した俺の全力の攻撃は、敵の神剣を刃の真ん中から砕いた。
 そして、斬撃の勢いは殆ど削がれることなく。

「が……はっ……」

 骨を絶つ感触を感じさせて、敵の胴すら両断した。

「そこっ!」
「……いきます」

 その直後。
 神剣を振り切ったばかりですぐに動けない俺に向かって、残り二体の敵グリーンスピリットが刺突を放ってきた。
 防御……いや、剣を戻していては間に合わない!
 俺が判断したのかバカ剣が意思を俺に伝えてきたのか。一瞬でそう結論づけ、俺は無理に剣を引き戻さず、刃を振りぬいた方向へ跳んだ。
 数瞬前に俺の身体があった空間を、二条の銀閃が通り抜ける。

「「!?」」

 外すとは思っていなかったのだろう、敵が驚愕の声をあげた。
 一方俺は跳躍の勢いをワンステップで殺して方向転換、今度は逆方向――敵グリーンスピリットが居る方向――へ跳んだ。

「でいっ、やああっ!!」

 敵二人はまだ穂先を突き出したままの姿勢で、俺の行動に反応できていない。
 そんな敵の内俺に近い方のスピリットに、側面から神剣を振り下ろす。

「ぐ……ああぁっ!」

 肉を、骨を断つ感触。
俺の攻撃に敵は最期まで反応しきれず、俺の刃は敵の肩から腹までを通り抜けた。確実な手応え。
 ……これで、後、一体!

「く……このぉっ!!」

 一人残った敵は、突き出したままの神剣をそのまま俺めがけて払ってきた。
 それを、俺は正面から防御する。構えたバカ剣を中心に展開されたオーラフォトンのシールドが、敵の攻撃を防いだ。
 だが、マナを集中する時間が足らなかった。数瞬の後、敵の刃がオーラフォトンを破る。『求め』の横をすり抜けて俺に迫ってきた。
 身体を捻ってかわすが間に合わない。僅かに脇腹を斬り裂かれた。

「ぐぁ!」

 痛みが走る。だが、軽傷だ。
苦痛を気力で押し隠し、神剣を水平にかざして前に踏み込んだ。

「おおおっ!」
「何!?」

 敵は神剣を突き出し払ったままの状態で、まだ構えを戻せていない。その隙が、こいつの命取りだった。
 三度、肉を裂く感触。

「あ……?」

 何かに驚いたような敵の声。突き出した俺の神剣が、敵の胸部を深々と貫いていた。
 敵は、自分の身体に刃を埋めたまま俺の方向に倒れこんできて……俺の身体にもたれかかると同時に、マナの塵となって消えた。

「………………」

 胸に僅かに残された、敵の身体の重さ。一瞬しか感じなかったその重さが、俺のやった事を何よりも如実に俺に伝えてくる。
 殺すしかなかったと分かってても、割り切れるものじゃない。
 だけど……

「あ、あのっ!!」

 途端、響いてくる声。
 その声が、暗い感傷に浸っていた俺を現実に呼び戻した。
 声のした方を向いてみる。そこには、さっき俺が逃げるように言った、ブラックスピリットの少女がいた。
 あどけない顔を……なんだろ、緊張か? そんな感じの表情で強張らせていた。

「ああ、無事だったか?」
「は、はい。貴方のお蔭で、助かりました。あ、あの……その、ありがとうございますっ!」

 緊張を解かせようと俺が笑顔を作って向けると、彼女は余計に緊張したのだろうか。さらに強張った顔を隠すように、礼を言って大きく頭を下げた。

「いや、いいって。味方を助けただけだし」
「あ、味方ということは……」
「ああ、悪い。俺は悠人。ラキオスのエトランジェ、悠人だ」

 ……ラキオスの為に戦ってるわけじゃないけどな。
 内心で王に対する嫌悪を抱きつつ、俺はそう告げた。
 一方、それを聞いたブラックスピリットの少女はといえば……

「…………え?」

 驚きに、目を見開いていた。

「ええええええーーっ!」

 一瞬遅れてやってくる大音声。

「あ、貴方が、い、いえっ、ユートさまが、あの……」

 少女は、慌てるやら顔を紅潮させるやらしどろもどろになるやら大忙しだ。
 それが今の、この戦場にあまりに似合わなくて……
 少し、笑ってしまった。

「はははっ。ああ、だからもしかしたら君と一緒に戦う時もあるかもしれない。えっと……」

 そこまで言って、気付いた。

「あのさ、君、名前は?」
「え? あ! し、失礼しましたっ。わたし、名乗りもせずに……」

 俺の問いかけに、途端に少女は恐縮してしまった。
 ……俺が聞かなかっただけなんだから、そこで落ち込まれるとこっちが悪い気になってしまう。

「いや、いいさ。で?」
「は、はいっ。わたしは、ヘリオン。『失望』のヘリオンと申します」

 そう言って、ブラックスピリットの少女――ヘリオンは、緊張した面持ちで答えた。

 これが、俺とヘリオンの出会いだった。
 戦場の、薄闇の中。炎で空を赤く染める、黄昏時に。






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