2002年11月20日(水)ガンビア8日目
スクタスクールに到着
朝、一緒に住んでいるエブライマが勤めているSukuta Schoolを訪問することになっ
た。
学校の図書館で里子の面接 手前の赤いシャツはエブライマ
エブライマはこの中学校で教師をしているのだ。
タクシーで学校へ行き、約30名と面接。
男の子が多い。
ここでJawo Musaという12歳の子の里親になる。これで私の里子は2人目だ。
明日の1時に自宅を訪問することにした。
右端の子がEさんの里子。生徒会長をしているらしい 里子宅の近所で・・
面接している間、Eさんの里子宅を私と2人で訪問することとなった。
Eさんはまったく英語が話せない
今回は徒歩のためおまけに案内はいない。私とふたりだけである

学校を出て、男の子を先頭に住宅街を進む。
住宅街と言っても、結構貧しい家が並んでいる。墓地
のある道を通り、人の家の庭を近道し、どんどん進む。
果たして自分達だけで皆のところまで戻れるんだろうか?。何度も何度も来た道を振り返りながら風景を頭に叩
き込む。
里子の家に到着。正面の長屋の一室が自宅だ
数十分歩いてやっと里子宅に到着した。
自宅を見せてくれた。
暖簾のような長いカーテンをくぐると小さな部屋があった。奥から父親が出てきた。
電気が無く窓もないため暗い上に相手は黒人である。服しか見えない。
身振り手振りで会話し、記念写真を撮った。
貧しい子の家は、皆同様に暗く部屋が小さい。
日本でいう4畳半くらいの部屋の床に家族が雑魚寝の状態で生活しているのだ。
一夫多妻のためか子供がすごく多い。
小さな子がどこの家にも沢山いた。
この国の貧しさは、生計をわずかな農業と漁業に主に頼っていることによると思う。
大きな工場もない。
会社らしき会社も無い。
道に人があふれてはいるが、イスラム教のラマダン(断食)のせいか、どこを見ても家の前に大人がゴロゴロ
寝ていたりしているのをよく見かけた。
道端で売っているスイカも輸入品だ
店で働く人、車の運転手、メイド、わずかな農産物を道端で売る人、皆が働けるだ
けの仕事が無いのだ。
スーパで食料品や日曜品は売っているが大部分が輸入品で、買っているのは金
持ちか金持ちの家で働いているメイドか、観光や政府の関係で来ている白人なのだ。
スイカでさえ輸入している状態である。
キャンディひとつ買うお金を持っていない。
物が裕福にある日本で暮らす私達は、キャンディくらいなんとも思わないが、この
国の多くの子供達は親に買ってもらったりさえしていない。買うお金を持ってないのである。
里子を決めたとき、また手紙でも書いてねと言うつもりだったが何も言わない事にした。
あらかじめ聞いていたのだが、理由はこの子達に切手を買うお金が無い(わずか5ダラシ=22円)から。
日本人の感覚で物事を言っちゃだめだと。ここはアフリカなんだから・・・・。


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