かくれた名作30 2002/9/7

 朝まで生テレビ!(テレビ朝日)

 田原総一朗の煽りがすてき!

 1987年4月に開始した「朝まで生テレビ!」は今年15周年を迎え、2002年8月30日放送の「「劇場型政治」の功罪」で、放送回数185回を数える。
 1988年、89年の頃は頻繁に単行本化され、テレビ朝日出版社から刊行されていたのだが、その後はどういうわけかほとんど活字化されることはなくなり、2001年に出版された田原総一朗責任編集『日本はなぜ負ける戦争をしたのか。』は、テレビ朝日ではなく、アスキーから出版されている。

 この本の魅力は、司会の田原総一朗の煽りにある。「今、重要な問題はこれだ」、と一方的に決め付けておいてから、「あれか、これか」で迫る。発言者が説明している途中で遮っておいて、自分の意見を言う、別の質問をする、別の者に発言を求める、などやりたい放題だ。

 さて、 「朝まで生テレビ!」開始に先立つ1984年、KBS京都企画、田原総一朗司会の「5時間闘論 平和 なにを、いかにして守るのか」は、テレビ開闢以来初めての、「5時間ぶっ続け生討論」であった。この番組が「朝まで生テレビ!」の前身であることは間違いないだろう。
 そこで、その単行本化である『5時間闘論 平和 なにを、いかにして守るのか』(1985年4月未来社)を番外としてとりあげておく。

No タイトル
出版年月
放送日
出席者
   
1 原発
1988年12月
1988年7月29日
田原総一朗、渡辺宜嗣、美里美寿々

<推進派> 逢坂國一((財)省エネルギーセンター専務理事)、石川迪夫(日本原子力研究所・動力試験炉部長)、加納時男(東京電力(株)原子力本部副本部長)、近藤達男(日本原子力研究所・燃料・材料工学部長)、竹内榮次(中部電力(株)原子力計画部長)、田中紀夫((財)日本エネルギー経済研究所研究理事)、沼宮内弼雄(日本原子力研究所・保健物理部長)、舛添要一(東京大学・教養学部政治学科助教授)、森雅英(関西電力(株)原子力本部副本部長)、渡辺昌介(元・動力炉・核燃料開発事業団環境資源部長)

<是々非々派> 西部邁(評論家)、コリーヌ・ブレ(フランス「リベラシオン」特約記者)、山口令子(ニュースキャスター)、栗本慎一郎(明治大学法学部教授)

<反対派> 石沢善成(青森県南津軽郡常盤村農協組合長)、大島渚(映画監督)、小原良子(大分県主婦。著書「原発いらん、命がだいじ」ほか)、小中陽太郎(作家、評論家)、槌田敦(理化学研究所研究員)、暉峻淑子(埼玉大学教授)、中島哲演(福井県明通寺福住職)、平井孝治(九州大学工学部助手)、広瀬隆(著書「東京に原発を!」ほか)、室田武(一橋大学経済学部教授)

<コメント>
 テレビ朝日で1987年4月から始まった「朝まで生テレビ!」の初の活字化。
 1986年4月のチェルノブイリ原発事故以後、原発の安全性が問われている時期に、原発推進派、反対派が一堂に会して行われた長時間討論。
 「日本の原発に故障はあっても事故はない!」と断言する推進派の主張は正しいのか? 
 その無責任さは、最近明るみになった東電のトラブル隠しなどにもつながっているように感じられる。
2 原発2
1989年3月
1989年10月28日
田原総一朗、渡辺宜嗣、美里美寿々

<推進派> 石川迪夫(日本原子力研究所・動力試験炉部長)、板倉哲郎(日本原子力発電(株)取締役技術開発本部副本部長)、加納時男(東京電力(株)原子力本部副本部長)、住谷寛(日本原燃サービス(株)常務取締役)、鈴木雄太(日本原燃サービス(株)取締役調査部長、宅間正夫(東京電力(株)原子力業務部長)、橋本寿(青森県六ヶ所村原子燃料サイクル施設対策協議会会長)、堀紘一((株)ボストン・コンサルティング・グループ日本担当副社長)、舛添要一(東大助教授。国際政治学者)、大和愛司(動力炉・核燃料開発事業団東海事業所安全対策課長)、山本正男(動力炉・核燃料開発事業団環境資源部長)

<反対派> 石川好(作家。ジャーナリスト)、大島渚(映画監督)、生越忠(地質学者)、久保晴一(青森県核燃阻止農業者実行委員会委員長)、高木仁三郎(原子力資料情報室代表)、槌田敦(理化学研究所研究員)、暉峻淑子(埼玉大学教授)、西尾漠(原子力資料情報室会員)、野坂昭如(作家)、室田武(一橋大学経済学部教授)、山本コータロー(ミュージシャン。タレント)

<コメント>
 第一弾が主に技術論に終始したことに伴い、第二弾では文明論として、原発は必要なのか。原発をなくしたらライフスタイルをどう変えるべきなのかを論じる。
 原子力は石油・石炭よりもきれいなエネルギーだと論じる推進派に対し、反対派は人類が生き残るためには脱原発が唯一の選択だと主張する。
3 生テレビ熱論天皇
1989年8月
1988年12月31日
<どうする日本人 世界は警告する> コリーヌ・ブレ(リベラシオン特派記者)、ルベン・アビト(上智大学助教授)、高坂正堯(京都大学教授)、西部邁(評論家)、野坂昭如(作家)、石岡瑛子(アートディレクター)、大島渚(映画監督)、黒川紀章(建築家) 司会/田原総一朗、美里美寿々
<どこへ行くニッポンと日本人> 猪瀬直樹(ノンフィクション作家)、舛添要一(東京大学助教授)、西部邁(評論家)、小田実(作家)、野坂昭如(作家)、野村秋介(民族派右翼)、大島渚(映画監督)、デーブ・スペクター(ABC放送番組プロデューサー)江田五月(社民連代表)、池田満寿夫(版画家、作家)、富野暉一郎(逗子市長)、石川好(作家)、小中陽太郎(評論家) 司会/田原総一朗

<コメント>
 大晦日恒例の朝生だが、この年(昭和63年)は天皇の容態が悪化。崩御(昭和64年1月7日)1週間前に行われた討論。
 自粛ブームの中で、魚屋が道で大きな声で、「もうそろそろなんとかしてくれないと困ります」
 天皇の象徴性は曖昧なままでいいとする高坂正堯に対し、西部邁は、天皇は「象徴に過ぎない」のか、「象徴であらせられる」のか、はっきりさせるべきだと反論する。
 1989年1月7日放映「激動の昭和史・天皇語録」、1月8日放映「新天皇と開かれた皇室」も併録。
 
4 日本人とプロ野球
1989年10月
1988年8月26日
武上四郎(プロ野球解説者)、大島渚(映画監督)、本阿弥清(コミッショナー事務局)、野崎靖博(日刊スポーツスポーツ部長)、青田昇(プロ野球解説者)、西川のりお(タレント)、江本孟紀(プロ野球解説者)、高橋三千綱(作家)、梅田香子(作家)、新宮正春(作家)、江夏豊(プロ野球解説者)、石川好(作家)、マイティ・キーナート(プロ野球解説者)、若林正人(ニュースステーションキャスター)、斎藤禎(Number編集長)、有本義明(プロ野球解説者)、ねじめ正一(詩人、作家) 司会/田原総一朗

1989年3月31日
江本孟紀(プロ野球解説者)、江夏豊(プロ野球解説者)、稲尾和久(朝日放送野球解説者)、東尾修(テレビ朝日スポーツキャスター)、本阿弥清(コミッショナー事務局)、大島渚(映画監督)、佐藤直子(プロテニスプレイヤー)赤瀬川準(作家)、水本義政(日刊スポーツ編集委員)、デーブ・スペクター(アメリカABCプロデューサー)、岡崎満義(文藝春秋編集委員)、石川好(作家)、太田真一(テレビ朝日スポーツ部野球担当部長)、水野尚美(スポーツレポーター) 司会/田原総一朗
<コメント>
 江川問題から巨人の横暴がクローズアップされた。
 また、ドラフト制や外人枠を定めるコミッショナー制についても是非論がある。
 12回で試合をやめるのは新聞の締め切りに合わせるためか?
 ホントの「害人」はダレなのか?
 
5 社会主義よどこへ行く
1989年11月
1989年6月30日
小田実(作家)、和田春樹(東京大学教授)、安東仁兵衛(「現代の理論」編集長)、辻元清美(ピースボート主催)、上田耕一郎(日本共産党副委員長)、伊藤茂(日本社会党政策審議会長)、石川真澄(朝日新聞編集委員)、高野孟(「インサイダー」編集長)、西部邁(評論家)、下村満子(朝日新聞編集委員)、勝田吉太郎(京都大学教授)、渡部昇一(上智大学教授)、加藤紘一(自民党衆議院議員)、舛添要一(国際政治学者)、天児慧(琉球大学教授)
司会/田原総一朗、美里美寿々、渡辺宜嗣
<コメント>
 この年、6月4日に人民解放軍が、市民・学生に対して発砲するという天安門事件が勃発。その直後に行われた討論だ。
 この時は、中国の政権はそう長くは持つまいと思われた。
 しかし、その後の展開は、東欧やソ連の社会主義政権が相次いで倒れ、一方、中国の社会主義政権は生き残るという逆説的な結果になる。
6 なるか野党連合
1989年12月
1989年8月25日
上田哲(日本社会党衆議院議員)、高沢寅男(日本社会党衆議院議員)、黒柳明(公明党参議院議員)、塚田延充(民社党衆議院議員)、正森成二(日本共産党衆議院議員)、江田五月(社民連代表衆議院議員)、中村鋭一(連合参議院議員)、宇佐美忠信(連合の会会長代理)、山口敏夫(自民党衆議院議員)、小杉隆(自民党衆議院議員)、大島渚(映画監督)、海江田万里(経済評論家)、舛添要一(国際政治学者)、清水信次(税制国民会議議長)、斎藤文男(九州大学教授)、二木啓孝(「日刊ゲンダイ」記者)、辻元清美(ピースボート主催者)
司会/田原総一朗、美里美寿々、渡辺宜嗣
<コメント>
 消費税を争点にした7月の参議院選挙では、社会党が大勝し、参議院では与野党逆転した。
 続く衆議院総選挙でも与野党逆転が起これば、連合政権も現実味を帯びてくるという状況のなかで行われた討論。
 しかし民社党、公明党は、社会党が安保、自衛隊について綱領を変えなければ連合政権ができないと主張。
 共産党の正森成二が、綱領、党是を変えろというのは新党を作る条件。連合政権の原則は政策で一致すること。大義を捨てて大同につくことをしなければ、とたしなめる場面も。
 結局、社会党は、一番勝って「山が動いた」と叫んだこの時には政権に参加できず、一番負けた1993年に細川政権の下で政権に参加、その後自社連立政権を経て、与党時代の1996年に、民主党の結党により雲散霧消するという数奇な運命をたどる。
 ところで、舛添要一は「平気で嘘をつける人じゃないと政治家として失格ですよ」などと、真顔で発言しているけれど、自分が政治家になった今でもその意見に変わりはないのかな?
7 激論マスコミ&ジャーナリズム
1989年12月
1989年1月28日
天野祐吉(フリー編集者)、藤田太寅(NHKニューストゥディ・キャスター)、西部邁(評論家)、富岡隆夫(朝日新聞「AERA」編集委員)、ばばこういち(ジャーナリスト)、田畑光永(TBSキャスター)、岡崎満義(文藝春秋編集委員)、長谷川直樹(テレビ朝日「天皇特番」総合プロデューサー)、ハンス・プリングスハイム(ロンドン・スタンダード東京特派員)、田川五郎(読売新聞編集委員)、大谷昭宏(ジャーナリスト)、二木啓孝(日刊「ゲンダイ」編集委員)、大島渚(映画監督)、黒木香(タレント)、野坂昭如(作家)、志賀信夫(放送評論家)、下村満子(朝日新聞編集委員)、呉智英(評論家)
司会/田原総一朗
進行/美里美寿々、渡辺宜嗣
<コメント>
 天皇が亡くなって2日間、民放からコマーシャルが消えたのはなぜか。天皇の戦争責任に関する報道の仕方に問題はないのか。
 タブー問題について、呉智英が語る。タブーをなくせ、というのは「新聞の正論」。言ってもしょうがないことだ。全然常識を疑っていない。例えば、タブーが果たしてきた文化人類学的役割について全く目を向けていない。
8 激論!消費税
1989年12月
1989年9月30日
早川勝(社会党衆議院議員)、峯山昭範(公明党衆議院議員)、安倍基雄(民社党衆議院議員)、正森成二(共産党衆議院議員)、小沢遼子(評論家)、安藤実(静岡大学教授)、筒井信隆(税理士、弁護士)、柿澤弘治(自民党衆議院議員)、太田誠一(自民党衆議院議員)、堀紘一(「ボストン・コンサルティング」社長)、石井菜穂子(大蔵省主税局税制改革広報担当)、舛添要一(国際政治学者)、若林正人(「ニュース・ステーション」キャスター)、高野孟(「インサイダー」編集長)、清水信次(税制国民会議議長)、海江田万里(経済評論家)
司会/田原総一朗、美里美寿々、渡辺宜嗣

<コメント> 消費税は廃止か見直しかを論じる。
 社会、公明、民社、社民連が消費税廃止を主張し、「税制再改革案」、「代替財源案」を提出。
 では、野党の出している税制再改革案のビジョンは何かと問われると、急にしどろもどろになってしまい、海江田万里に助けられる一幕も。
9 激論!!外国人労働者
1990年2月
1989年10月28日
大島渚(映画監督)、グレゴリー・クラーク(上智大学教授)、西部邁(評論家)、辻元清美(ピースボート主催)、舛添要一(国際政治学者)、石川好(作家)、内山安雄(作家)、陸培春(シンガポール聯合早報コラムニスト)林義郎(自民党・外国人労働者問題検討小委員会委員長)、大石正光(自民党・衆議院外務委員会理事)、手塚和彰(千葉大学教授)、山口令子(ジャーナリスト)、小野五郎(信州大学教授)、郷宗親(東京商工会議所)、デーブ・スペクター(米・ABCプロデューサー)
司会/田原総一朗、美里美寿々、渡辺宜嗣
<コメント>
 まず、石川好が問題提起。
 外国人労働者問題という言葉を使うと、出てくる画が全部アジア人になっている。ところが、白人が観光ビザで英語学校などをやっている。われわれは、アジア人は労働者で白人はビジネスマンというような見方をしているんじゃないか、というところから議論をしないと始まらない。
10 どうする?どうなる?90年代日本
1990年5月
1989年12月31日
野坂昭如(作家)、小田実(作家)、石川好(作家)、江田五月(社民連代表・衆議院議員)、下村満子(朝日新聞編集委員)、辻元清美(ピースボート主催)、清水信次(税制国民会議議長)、高野孟(「インサイダー」編集長)、舛添要一(国際政治学者)、大島渚(映画監督)、西部邁(評論家)、西尾幹二(電気通信大学教授)、柿澤弘治(自民党・衆議院議員)、福島瑞穂(弁護士)、八幡和郎(通産省国際研究協力課長)、呉智英(評論家)、猪瀬直樹(ノンフィクション作家)、デーブ・スペクター(米ABCプロデューサー)
司会/田原総一朗、美里美寿々、渡辺宜嗣
<コメント>
 1989年、ベルリンの壁の崩壊を初め、東欧社会主義国の崩壊があった。
 法的手続きなしに行われたチャウチェスクの虐殺は人権問題ではないのか。
 呉智英が、人権は自然権ではなく決断として選ぶものと主張し、議論をリードする。
11 激論!日本の右翼
1990年6月
1990年2月24日
大島渚(映画監督)、野坂昭如(作家)、西部邁(評論家)、小田実(作家)、小中陽太郎(評論家)、高野孟(「インサイダー」編集長)、高木将幸(朝日新聞編集委員)、舛添要一(国際政治学者)、小沢遼子(評論家)、浅沼美知雄(時局対策協議会代表)、岸本力男(全日本愛国者団体会議理事長)、箱崎一像(日本青年社情宣局長)、松本効三(民族革新会議副議長)、鈴木邦男(一水会代表)、四宮政治文化研究所代表)、木村三浩(統一戦線義勇軍前議長)、須藤久(新浪漫派評論家 映画監督)
司会/田原総一朗、美里美寿々、渡辺宜嗣
<コメント>
 本島長崎市長が天皇の戦争責任について言及し、右翼に銃撃される事件が起きた。
 これに関し、右翼でもテロ行為を肯定するものと否定するものに意見が分かれる。
 右翼は何を考え、何をしようとしているのか。
 
12 激論!!少年凶悪犯罪
1990年8月
1990年3月31日
デーブ・スペクター(米・ABC放送プロデューサー)、杉原美津子(フリーライター)、宮川俊彦(評論家・国語作文教育研究所所長)、須藤甚一郎(芸能リポーター)、佐柄木俊郎(朝日新聞論説委員)、小田晋(筑波大学教授・精神衛生学)、板倉宏(日本大学教授・刑法学)、舛添要一(国際政治学者)、戸塚宏(戸塚ヨットスクール校長)、飯干晃一(作家)、菊田幸一(明治大学法学部教授)、吉峯康博(弁護士)、福島瑞穂(弁護士)、栗本慎一郎(明治大学法学部教授)、はやしたけし(フリーライター)
司会/大島渚、美里美寿々、渡辺宜嗣
<コメント>
 司会は大島渚。1968年に映画「絞首刑」を撮影してから、この問題に取り組んできたという。
 当時話題になっていた事件は、宮崎勤連続幼女誘拐殺人事件や女子高生コンクリート詰め殺人事件。
 本書では、少年法のあり方、少年事件の実名報道の是非、死刑制度の是非、の3つのテーマで論じる。
 
13 激論海外派遣か!?自衛隊
1992年10月
1992年6月26日
大島渚(映画監督)、西部邁(評論家)、田岡俊二(「AERA」スタッフライター)、舛添要一(国際政治学者)、デープ・スペクター(フリープロデューサー)、上田哲(社会党・衆議院議員)、色川大吉(東京経済大学教授)、前田哲男(軍事ジャーナリスト)姜尚中(国際基督教大学準教授)、辻元清美(ピースボート主催)、高野孟(「インサイダー」編集長)、西村六善(内閣審議官)、柿澤弘治(自民党・衆議院議員)、松川正昭(陸上自衛官一等陸佐)、山口昇(陸上自衛官ニ等陸佐)、志方俊之(軍事アナリスト前陸上自衛隊北部方面総監)
司会/田原総一朗、美里美寿々、渡辺宜嗣
<コメント>
 1992年6月15日にPKO協力法が成立し、自衛隊の海外派兵が現実化した。
 反対派の牛歩戦術や議員辞職などのパフォーマンスが目立った国会だった。
 本書は、パネリストとして現役自衛官も出席した討論の模様を伝える。
 自衛官の、従来の国防の任務とともに、新たに非常に厳しい任務を付与されたとの発言の中に不安の色を隠せないところが印象的だ。
番外1 「日本はなぜ負ける戦争をしたのか。」田原総一朗責任編集
2001年8月
(アスキー)
2001年1月
猪瀬直樹(作家)、小池百合子(衆議院議員)、笠原十九司(都留文科大学教授)、姜尚中(東京大学教授)、草野厚(慶応義塾大学教授)、辻元清美(衆議院議員)、土門周平(作家)、中村粲(獨協大学教授)、橋爪大三郎(東京工業大学教授)、秦郁彦(日本大学教授)、山田朗(明治大学教授)
<コメント>
 田原氏の問題提起は、21世紀になって日本も自前の国家戦略を持たなければならなくなった。しかし自前の戦略を持とうと思えば、かつての戦前の日本の戦略はどこで間違ったのかをハッキリさせなければならないというものだ。
 日本はなぜ負ける戦争をしたのか?
 
番外2 「5時間闘論 平和 なにを、いかにして守るのか」KBS京都
1985年4月
(未来社)
1984年6月24日
大久保直彦(公明党国会対策委員長)、松本善明(共産衆議院議員)、秦豊(衆議院議員・無所属)、小沢遼子(埼玉県県会議員)、上田哲(社会党衆議院議員)、島村宜伸(自民党衆議院議員)
司会/田原総一朗
<コメント>
 タイトルでは「闘」論となっているが、誤記ではない。
 「朝まで生テレビ!」が開始する1987年に先立つ1984年に、独立UHFの一つ、KBS京都の企画で、UHFの流れを変える大きなデモンストレーション番組が提起された。
 それが、全国のUHF11局が組んで行う5時間の大討論会だったのである。
 コーディネーターの依頼を受けた田原総一朗は、「5時間ぶっ続けの生ま討論はテレビ開びゃく以来のこと」と、張り切って引き受けることになる。
 この番組が「朝まで生テレビ!」の前身であることは間違いないだろう。



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