NIGHTMARE
 ポーチに置いたテーブルで読書に没頭していると、はす向かいの椅子が引かれ、威勢よく誰かが座った。ナイヴズが関心を払わなかったので、相手は彼から本を取り上げた。彼はうんざりしつつも別の本を取り出した。レムは速やかに2冊目の本も取り上げると、明るく話しかけた。
「そーんな難しい顔するもんじゃないわよナイヴズ。皺が増えちゃうわよ」
ナイヴズは構わず次の本を取り出したが、それもあっさりレムに奪われた。醜い争奪戦が間を置かず繰り広げられた後、手持ちの駒を全て失ったナイヴズは諦めてレムを見た。彼女は呆れるほど極上の笑顔を浮かべていた。
「また貴様か。いいかげんしつこいぞ」
「ナイヴズったら相変わらず勉強熱心なのね。それってとっても素晴らしいことよ。私、うれしい」
彼女にナイヴズの非難は届いていないようだった。亡霊は今夜も耳が遠かった。
「でもねッ、息抜きだって必要だと思うのッ!!」
レムはナイヴズの肩を掴んで無理やり引き寄せると、顔を近づけた。
「あなた真面目すぎるのよ、ナイヴズ。これからは新しい人生を謳歌しなきゃ、ね。まずはお友達からよッ」
意味のつながらないことを一方的に喋ると、レムはナイヴズの頭を無理やり左側に捻じ曲げた。そこにはいつの間に来ていたのか、メリルが座ってお茶を飲んでいた。彼女はナイヴズと目が合うと、ゆっくりとたおやかに微笑んだ。ナイヴズは初めて(そう、よくよく考えてみれば、確かにきちんと近くで顔を見たことが無かった。とナイヴズは後で考えた)至近距離で彼女の顔を見て、何故か軽い動揺を覚えた。そして、そんな自分に気づいてさらに動揺し、怒りさえ覚えた。何故俺が。いや、それよりもこの事態を何とかしなければ。ナイヴズは自由になろうともがいた。
 不可能だった。
「はッ、離せ!!こんなことに何の意味があるんだ!」
ナイヴズはさらにもがいた。
「やだ、ナイヴズったら困った子ね。照れちゃダメよ。ハイッ、まずは挨拶から!」
レムはぐいぐいと彼をメリルに向かって押しやった。小さな手で支えられた白い陶器のカップ越しにブルーグレイの瞳が迫り・・・。

 「ッ!!!」
声を上げそうになって、ナイヴズは思わず口元を押さえた。メリルが、30センチ程の至近距離からこちらを見ている。印象的なその目が大きく見開かれていた。
 「あ、あの、気持ちよさそうに眠ってたから毛布をお持ちしたんですけど・・・、起こしてしまったかしら?」
「いや、起きたくなっていたところだ、構わん」
ナイヴズは動揺を隠そうと躍起になっていたので、口を滑らせた。
「面白いことを言うんですのね。変な夢でも見たんですか?」
咄嗟にナイヴズは詰まった。己の失言も許せなかったが、それ以上に彼女の妙に落ち着いた態度が気に触った。ナイヴズはメリルを睨んだ。彼女はあからさまに面白がっていた。ナイヴズは小さく舌打ちすると、何でもない、と呟いてソファから立ち上がった。毛布をメリルに渡す。大きな輝く瞳とまた目が合った。
 この輝きが、ヴァッシュにとって特別ということなのだろうか。俺も誰かに対して、いつの日かそんな風に感じるのだろうか?
 ナイヴズは立ち去り様、ふと思い立ってメリルに問い掛けた。
「貴様はこのままでいいのか?」

 メリルは目を瞬いた後、まじまじとナイヴズを見つめた。それから目を閉じて、ゆっくりと深呼吸した。
「そうですわね、よくはないと思いますわ」
メリルはナイヴズに真正面から向き合った。
「でも一つだけ、一つだけ決めてることがあるんです。これから何が起こっても、どんなことになっても、後悔はしないって。迷ったりしないって」
メリルは急に何か思いついたかのように首をかしげた。それから悪戯を思いついた子供みたいな顔をすると、愉快そうに微笑んだ。
「もしかして、気をつかって下さってるんですか?」
ナイヴズは急に自分に矛先が向いたので、思わずうろたえた。メリルはそんな彼を楽しんでいる風情だ。その態度には親しみのようなものも込められていたので、ナイヴズは余計に混乱した。彼はわずかに汗ばんでいることに気づいた。
「気など別につかっていない・・・!ただ・・・」
「ただ?」
ナイヴズは躊躇った。俺は何を言おうとしているのだろう。
「ただ、貴様がここにいる理由が知りたかっただけだ」
貴様の何が「特別」なのか知りたい。ナイヴズは声に出さずに付け加えた。貴様の、いや、人間の何が特別なのかを。ナイヴズはメリルを真っ直ぐに見た。
「私がここにいるのは、勿論仕事だからですわ。それに、私がここにいたいから。それだけです。ナイヴズさんに迷惑でも、遠慮はしませんわよ?」
メリルは舌を出した。ナイヴズは酷く驚いた。彼にそんなことをしてみせたのは、彼女が初めてだったからだ。だが、不思議とナイヴズはそんな彼女を好ましいと思った。そんな自分にも驚いた。これがヴァッシュにとって彼女が「特別」な理由なのだろうか。これが答えなのだろうか。
 彼女は驚きと発見に満ちている。

 メリルはナイヴズが急に深刻そうな顔をして黙り込んでしまったので、不安に駆られた。彼はあまり人に慣れていない、とヴァッシュが話していたのを思い出す。
「私、何か気に触る様なことを言ってしまいましたか?」
ナイヴズは急にメリルがしょげてしまったので奇妙に感じたが、すぐにそれが自分の所為だということに思い当たった。そんなことはない、と声をかける。
「・・・・すまなかったな」
ナイヴズは踵を返すと廊下へ通じるドアを開けた。途端に哄笑が流れ込んでくる。キッチンの方角だ。
「まあ、楽しそう」
メリルが隣から声のする方を見やった。俺は寝る、とナイヴズは呟いて階段へ向かった。後ろから小さく、お休みなさい、と言う声が聞こえたが、もう振り返らなかった。彼女がまた小悪魔のような笑みを浮かべているのが分かったからだ。
 俺も毒されつつあるのかもしれない、とナイヴズは思った。一瞬、脳裏にレムの「まずはお友達からよッ」という声が響いた。ナイヴズは思わず顔をしかめると、それを頭から振り払った。
 そういうことはまだ考えたくなかった。

 メリルは毛布をきちんとたたむと、そのままソファに腰掛けた。
 「すまない」だなんて。ナイヴズがそんな言葉を発するとは。
 少しは私のことを認めてくれたということなのかしら。メリルは毛布をぎゅっと抱きしめた。大丈夫、少しずつ上手くいっているわ。・・・確かにあの人のことはまだ少し怒っているけれど、それは些細なことだし、すぐに仲直りできるもの。メリルは毛布に顔を埋めた。

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