第 2 話

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 冷たい雨が天からこぼれ落ちるようにして降っていた。

 これで三日目。数えて耶邦(やくに)は引き戸を押し開けて戸外へと飛び出した。

 一人家に居ると気が滅入る。せめてしとやかに打ちつける天の恵みにその身をさらすことで、内にこもる闇の僅かでも解放できたらと思って。

 耶邦は空を見上げた。

 針のように顔を突き刺すように降る雨の滴が、熱く流れるものを洗い流してくれた。

「……やえ……」

 つぶやいて、また溢れ出すもの。

 あの小さく痩せた手が、自分の手の中で次第に冷たくなっていったことを、つい今しがたのことのようにはっきりと覚えている。弱々しくほほ笑んだ瞳が静かに閉じられていく様が目の奥に焼き付いている。

 守れなかった小さな命の消えていく瞬間がまざまざと蘇る。

 耶邦は降りしきる雨を拭おうともせず、そのまましばらく雨に打たれていた。

 妹のやえが、死んだのはほんの三日前のことだった。

 その二日程前、夕方頃外から帰って来た幼い妹は、帰るなり高熱を出して倒れた。それから二日間、一向に熱は下がる事なく、彼女はそのまま息を引き取った。

 まだ十になったばかりだった。


   * * *


 千間川は昨夜から続いている雨に、いつもより水嵩を増していた。

 比較的下流のこの村ではそれほどの流れもなかったが、川上の方では何かしらの被害も出たことであろう。川辺には家屋の残骸らしきものが散らばっていた。

 と、耶邦は自分の立っている場所よりも川上の方、木々の破片に埋もれた人影らしきものを見付けた。身体半分、水に浸かるようにして倒れているのだった。

 耶邦は慌てて水に入る。既に雨に濡れた身体は冬の初めの川の水さえ冷たさを感じさせなかった。

「大丈夫か? おい…」

 近づき、助け起こしてみると、それは自分とさして年の変わらぬ少女――いや、少年だった。

 川の水に流されて来たのであろう。とすると上の里の者か。

 耶邦はその少年を川から引き上げた。

 重く水を含んだ白い着物は、彼が神に仕える身であることを示していた。

 まだ僅かに赤みの残るその白い顔には、しかし生気はまるでなかった。助けたとて長くは持つまい。

 耶邦の頭の中では冷めた思考が舞っていたが、そのままにしておけない性分と、そしてもう一つの強い感情が彼をつき動かした。

 ――助けてやりたい。

 それは、幼い妹を失ったばかりの彼にとって些細な希望だったのかもしれない。


   * * *



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