第 1 話
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その時、ふわりと風が吹き上げた。
何げなく振り返ると、眼下に遠く広がる山並みが見渡せた。この社は里でも最も高い丘の上にあるため、ここに立つ巨木の上は、いつも幻呂の登る木よりも随分見晴らしが良かった。
「幻呂っ」
ふと、木の下から志津樹の呼ぶ声がした。見下ろすと、小さく見える志津樹がまだ心配そうな顔で見上げていた。
「志津樹も上がって来いよ。いい眺めだぞ」
幻呂の言葉に何か呟いているのが聞こえたが、志津樹は渋々顔で、それでも太い幹に手をかけた。あまり木登りを得意としない志津樹に、少し木を下りて手を差しのべる。
外を駆け回ったり、農作業などすることのない志津樹のほっそりとした白い手が、幻呂の差し出す手に素直に従った。
手頃な太さの枝まで登って、幻呂は志津樹をそこに座らせる。
「志津樹」
幻呂が指をさす。その方向を見やった志津樹は、その景色に眼を見張った。
眼下にはるかに続くのは、豊かに実る大地。収穫の時期を間近に控えて、金色に輝く稲が遠く吹く風にゆるやかに波打つ。
「きれいだね、幻呂」
自然に口をついて出た言葉は、素直な感想だった。
そんな志津樹の横顔に一瞬顔を和ませて、次に、幻呂は表情を曇らせる。
「でも、この果てで戦いがおこってるんだぜ」
いつ言おうか、いつ言おうかと機会を失い続けていた事。幻呂はようやく決心したかのように、重い口調で続けた。
「志津樹、オレ、行くことに決まったよ。報告に来たんだ。この村を守らなきゃ」
――志津樹を守らなきゃ。
決意したのはたったそれだけの理由。そして、最大の理由。
大切な人を守りたい、それだけだった。
里は平和だった。だが、外では戦が長く繰り広げられていた。里の男達は次々に戦場へと駆り出された。幻呂も今年で15になる。一人前に男衆の仲間入りができる。それは、「君」と呼ばれる者であっても同じだったのだ。
志津樹はそんな幻呂に、ただ、悲しそうな表情を向ける。
「いつ?」
「あした」
見返す瞳が震えていた。
「そんな顔するなよ。帰ってくるから」
幻呂はそっと手をのばす。志津樹の頬に触れ、不安な色を映すその顔に向けて、ゆっくり笑みを浮かべて見せた。
「絶対に帰って来るよ。だから、待っていてくれるよな。オレが帰るまで」
手を取り、そう言う。繰り返し、繰り返し、誓うように。志津樹が待っていてくれるなら、絶対に自分はここに戻るのだと。
――きっと、きっと。
どんな姿に成り果てようとも、この場所に、この手の中に帰って来る事だけを支えにして。