第 1 話
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古い、さびれたアパートが目の前にあった。バブル崩壊によって取り壊しさえもできないまま、放置されていた無人の建物だった。
「ったく。こんならしい所に連れ込むなよなぁ」
呟く寛也を見上げて、翔は聞く。
「本当にここに杳兄さんがいるの?」
「葵の方は知らねぇよ。でも多分、ジュンと一緒に…」
「あれっ?」
ふと、翔は物陰に動くものを見た。何だろうかと目をこらしてみるが、もうそこには何もいなかった。
「どうした?」
「今、そこに何かが…」
翔の指さす方向にちらりと目をやって、寛也はすぐに知らん顔をする。
「気のせいだろ? 行こうぜ」
そして、そのまま堂々と入り口の扉をくぐった。
誰も住んでいないとは言え、他人の持ち物には違いない。不法侵入にならないのかと翔が思うも、寛也は意に介した様子もなかった。
「大丈夫ですか?」
「びくびくするな。気が乱れる」
足音を忍ばせて二人は歩いていく。
どれ程も歩かない間に、寛也が立ち止まった。辺りを見回して、舌打ちする。
「どうしたんですか?」
「…分かんなくなっちまったんだよ。誰かが妨害してやがるか…」
言いかけて、寛也は一点に目を向ける。
「まずったな」
呟く声は言葉程には焦った様子はなかったが、寛也はその方向を睨んだままだった。
「坊主、特技はあるか?」
いきなり聞かれて、翔は慌てて答える。
「あ、はい。ソロバンと絵画を少し」
「役に立つか、アホッ」
「だ…だって…」
寛也が何を言いたいのか分からなかったし、それ以外に得意なものなど思いつかなかった。
「いいか。お前は帰れ」
「…え?」
「どうやら罠だったようだ。ジュンはここには…」
つと、寛也の見ていた空間に、影が揺らめいた。それは、あっと言う間に人の形を取る。今まで何もなかった空間に、人が二人現れた。現れたのは、若い男と、翔よりは少しだけ年長に思える少年だった。
「気づくのが遅かったな、寛也」
「お前…っ」