第 9 章
守るべきもの
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 寛也の飛ぶ早さはジェットコースター程度で、杳にはすこぶる快適だった。

 つるつる滑ることと、でこぼこしている頭は居心地悪いが、振り落とされる心配はなかった。

 それだけ寛也が気を使っているのだが、そんなことは気づいて気づかぬフリの杳だった。

『杳、気を付けろ』

 どこからか声が聞こえた。人の口から出たものとは違うその声に、杳は赤い鱗をポンと叩く。

「大丈夫。ヒロが守ってくれるだろ?」

 舌打ちが聞こえたような気がした。

 杳はそんな寛也に肩を竦めてから、目の前に迫った巨大な竜を見やった。

 はるか悠久の昔に語られた竜達。

 悲しみのうちにその命を終わらせ、再び蘇ってきた。

 ひっそりと暮らせればそれで良い。きっと竜達もそう思っていたに違いない。

 長い長い時を生きて、失うものばかり増えて。

 だが、それでも失う者達と一緒に生きたいと願った。

 それ程に悲しみに満ちて生まれてきた彼らに、本当はこんなちっぽけな人間である自分なんて、何の癒しも慰めも与えられはしないのだけど。

 でも、何となく分かる。どうすれば良いのか。

「ヒロ、もう少し近づけないの?」

 ポンポンと竜頭を叩く杳に、それはやめろと首を振る。

『吹き飛ばされるぞ』
「平気」

 風は突風ではなく、常時一定の強さで逆巻いている。その動きが読めていれば大丈夫だと思った。

 ポケットの中の勾玉が、少し熱を帯びたように感じられた。

 多分、竜王の力に反応しているのだろう。これは使わないに越したことはない。

 剣はどこをどうしたものか、今は必要ないと思った途端、手のひらの中に消えた。これも使わない。

 元から存在したものはこの身ひとつ。

 あの時もそうだった。

 あの時、自分は何を感じたのだろうか。息を吹き返したばかりで天を泳ぐ白い竜に。

 ――潤也。

 そう、名を呼んだ。今の名前。

 違う。もっと、ずっと昔の、本当の名前。

 この世界に生まれ出でた時に与えられた名前だった。

 炎竜は戦、風竜は凪、水竜は瀬緒、石竜は鎖鉄、天竜王は天人。そして地の名を頂く竜の王は――。

「ちのと…」

 雷鳴が轟き、暴風が吹き荒れる中で、呟いた名が本人の耳に届くとはとても思っていなかったが、一瞬、竜王は動きを止めた。

 ああ、そうかと思った。呪文も知識も必要ないものなのだ。

 杳は炎竜の身の上で、ゆっくり立ち上がる。

「帰ってきて、地人」

 両腕を延ばした。

 その腕に、ヒュルヒュルと絡まってくる竜王の気。

 わずかずつ、気の強さが弱まったと誰も思った次の瞬間。

「えっ?」

 杳の身体は竜王の懐へ引っ張られた。気に取り込まれるかのように、その竜身に取り込まれていった。

『杳っ!!』

 間近にいた炎竜が飛び出すが、再び、先程以上の突風が吹き抜けた。その風に、あっけなく吹き飛ばされた。


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