第 5 章
息づく大地
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 五月の風がそよぐ。

 木立の中、木漏れ日がかざした手のひらで踊っていた。真夏の陽光に比べるとはるかに柔らかいものであるのに、きらきらときらめく新緑の中に立つ人は、ひどく眩しく思えた。

 このままでいてもいいと思った。見つめるだけの自分。あこがれるだけの自分。そして、手の届かない人と、心の底で何故か確信している自分がいた。

 ずっとずっと思っていた。手に触れることさえ怖くて出来ないくらいに。だけど。

 翔は一歩、足を踏み出す。わずかな音を立てて、靴の下で枯れ枝が鳴った。

 その音に気づいてか、振り返る人。

「…翔…くん」

 杳の深い色をした瞳が、翔を捕らえた。一瞬、強ばる体。しかし、翔は小さく息を吐くと、全身の力を抜いた。

「また、妙な所で会うものだね」

 わざとふざけた物言いに、相手はむっとしたように返して来た。

「しらばっくれるなよ」

 つかつかと速足で近づいて来る。

「紗和はどうしたんだよ。無事なんだろうな」
「随分なあいさつだね。僕の心配はしないんだ?」
「元気そうにしか見えないけど、聞いてほしいの?」
「…そうだね」

 苦笑がもれる。心配して探しに来てくれている筈なのは知っている。素直じゃない所は相変わらずだと思った。

「それよりも、誘拐騒ぎになって警察が出て来る前に解放しろよ。あいつ、修学旅行中だって言うんだから。学校の責任問題で大騒ぎになるぞ」
「変なことを気にするんだね。だったらその修学旅行の団体ごと消してしまえば目立たなくて済むね」

 冗談とも本気とも取れない翔の物言いに、杳はきれいな眉をしかめる。それが何故かおかしくて、翔は小さく笑いをこぼした。

 その翔に、杳はあからさまに嫌悪の色を浮かべる。

「杳兄さん、僕が怖い?」

 一歩近づいて、聞く。

「そんなわけないだろ」

 ふと、変わった話題に多少戸惑いの表情を見せながらも、杳はきっぱりと返してきた。

「僕が竜になっても?」
「関係ないだろ。前にも言ったけど、オレは気にしないよ」
「そう…」

 それは多分、真実なんだろう。だけど、分かっていないだけなのだとも思う。人ではない物を。

 ずっとずっと、人になることに憧れていた。愛し、慈しんだ人を失って、長い時を生き続けることに疲れて、終わりにしたいと思った。

 出会う度に、失って。それでも、自分は求めていた。

 人を、愛しい人を。再び失うと分かっていても。

「じゃあ、キスしてよ」

 ゆっくりと杳に近づいて、翔はささやくように言う。杳の瞳が驚いたように見開かれる。


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