第 1 章
竜神目覚めるとき
-4-

6/9


 潤也は杳を抱えたまま後ずさる。

「どうしたんだね。気分でも悪いのかね」

 鬼はゆっくり近づいて来る。潤也は入り口のノブを後ろ手で回す。

 カチャリとドアが開き、潤也は外へ飛び出した。

「杳、走れるか?」

 お茶の中に入っていたのは多分弛緩剤のようなものだと思われる。四肢が萎えて立てなくなる。その杳に向かって「走れるか」とは少し間の抜けた台詞だと、言った後で潤也は気付いた。

 潤也は杳を抱えて駆け出した。

 後方で叫ぶ鬼の声が、呪いのように潤也の耳に届いてきた。

「ここから逃げ出せるものか」


   * * *


 まともな道など通れなかった。そのような所を行けばすぐに見つかってしまう。そう考え、潤也はあえて道のない中へと入って行った。

 生い茂る樹木をかきわけ、蔦の這う上を踏み越え、奥へ奥へと進んだ。しかし次第に追い詰められているのではないかという思いは強くなるばかりだった。

 背後から近づいて来る気配が感じられるわけではない。むしろ追っ手はきれいにまいたばかりだ。にもかかわらずである。

 ふと杳が呟いた。

「置いていっていいよ」

 潤也は思いがけない言葉に杳を見返した。

「多分この先は行き止まりになっている。崖があるんだ。逃げるんだったらその崖づたいに山を越えるか、引き返すしかないよ。どっちにしてもオレを連れていたんじゃ、逃げられないよ」

 杳は力なく言う。
 あの高慢で小生意気な口調は、すっかり影をひそめていた。その代わりに、頼りなげで儚げな瞳がそこにあった。

 ふと何かを思い出せそうな気がした。潤也の記憶の底、生まれ出づる以前の記憶のように深い、手繰り寄せることのできない所に眠るものが目覚めかけた、そんな気がした。

「ばかなこと言うんじゃない。そんなことできるわけないだろう」
「だけど…」
「君なら…君が僕だったら、置いて行くかい?」

 杳はややあって、強い口調で答える。

「置いて行く。足手まといになるヤツなんていらない」
「それでも、守りたいと思うことだってあるよ」

 潤也は言って、杳を支えていた手に力を込めた。


   * * *



次ページ
前ページ
目次