第1章
巣立つ雛
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部屋へ戻ろうと背を向ける杳に、潤也は声をかけてみる。
立ち止まって、明かに答えに詰まる間があった。しかし、振り返って答える杳の声はいつものそれだった。
「勉強しに行くつもりだけど?」
大学に行くのだ。当たり前だと言わんばかりの口調だった。
普通の人ならばそれで納得もしようものの、相手は杳である。他人が苦手な杳が、人の多い都会になど好んで行くにはそれ相応の理由があるように思えてならなかった。
「それだけじゃないよね? 東京に何があるの?」
「大学」
さらりとかわしてしまう杳に、潤也はこれ以上問い詰めても無駄だと悟る。
「だったら、約束して、杳」
潤也はゆっくり杳に近づく。
窓から差し込む月明かりに慣れた目に、柔らかく浮かび上がる杳の奇麗な顔が自分を見上げてきた。
「自分を大切にして。何があっても自分を犠牲にしようなんてことだけはしないで。じゃないと、今度こそ本当に翔くんが…天竜王が正気じゃなくなるよ」
潤也の言葉に、杳は少しだけ驚いたように目を見開いたかと思うと、すぐにくすくす笑い出す。
「心配症なんだから。大丈夫だよ。オレ、そんな正義感なんてないし」
それから、ふと笑いを止める。
「でもね、オレにだって大切だと思うもの、あるよ。潤也がヒロや翔くんのことを思ってるのと同じくらいに。それを守る為なら、潤也、何でもするよね? それと同じ」
その答えにハッとする。
「杳…東京って、もしかして…」
思い当たる不吉な予感の潤也に、杳はさっと背を向ける。
「もう少し寝るよ。また救急車で運ばれたくないから」
「杳っ」
名を呼ぶ潤也の声は、あっさりと無視された。
自分の予感に、潤也は握った拳が震えるのに気づいた。
* * *