第1章
巣立つ雛
-2-
3/11
「これ、銀のチェーンに合うわね」
ふと気づいたように言う母の言葉に、杳も初めて気づく。そう言うことかと。
「遠回しなことを…」
言いながらも、うれしい気持ちは隠せなかった。
「お礼、言わなきゃね」
「うん…そうだ、今日、何日?」
目でカレンダーを探すが、そんなものはある筈もなかった。
「3月1日」
返ってきた母の言葉に、大きく息をつく。
3月1日――卒業式、当日だ。とすると倒れたのは誕生日の前日だから3日も眠っていたことになるだのだろう。
多分、その間ずっと病院へ通っていたであろう母は、しかし疲れなど一向に見せることなく、少しだけ楽しそうに言った。杳の心情を見透かしたように。
「卒業式、行きたい?」
行くつもりは最初からなかったのに、がっかりしている自分がいた。
「母さんね、卒業式の日までにはるちゃんが目を覚ましたら困ると思って、ちゃんと用意しておいてあげたのよ。ほら」
そう言ってロッカーを開けて見せる。その中に吊るされていたものは、きちんとクリーニングされて返ってきた制服だった。
もう着ることもないと、最後の授業のあった日にクローゼットの奥に押し込んだのに、いつの間に。
「起きられるんなら行きなさい、卒業式」
「でも…」
きっぱり言う母に、杳は少し苦笑を浮かべる。
カレンダーはなくても、時計は置かれていた。もう、昼を回っている。とうに卒業式は終わっている時間だった。
「間に合わないよ…」
「何言ってるの」
母は、ロッカーから取り出した制服を杳に押し付けてくる。
「卒業式が終わっても、待っていてくれる人、いるんじゃないの?」
はっとして顔を上げる。その杳にウィンクひとつ寄越して。
「行かなきゃね。間に合わなかったと諦めるのは、行ってからでもいいんじゃない?」
「母さん…」
この前向きな言葉がひどくうれしかった。
昔からそうだった。
人付き合いが下手で友達を作ることもしない杳に、いつも両手を差し伸べてくれていた。特にこれと言った問題を起こさないが、問題だらけだった杳に。
そして今も。丈夫に生んでくれたのにこんな身体になってしまって、何と詫びたら良いものか。
杳はその制服を握り締める。
そして、謝罪の言葉の代わりに選んだ言葉。
「オレ、今度生まれ変わっても、母さんの子どもでいたいな…」
少しだけ浮かべた笑顔に、彼女は満面の笑みを返してくれた。