第1章
巣立つ雛
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「まだ日にち、あるんだろ? もう一度考え直してくれよ」

 玄関口で、未練がましいと思いながらも寛也は言った。その言葉に杳は、今度はまっすぐ見上げてきた。

「もう決めたんだ。オレは行くよ」
「杳っ」
「ヒロともこれっきり会わない。元気でね」

 早口に言って、杳は玄関の開いたドアから寛也を突き飛ばした。その弾みでよろけながら、寛也は庭先に飛び出した。何とか転ばぬように足を踏ん張ったその一瞬の間に、玄関のドアが閉められた。

 カチャリ、カチャリと二重ロックの音が聞こえた。

「おい、杳っ」

 寛也はノブを引いても開かないことを知ると、ドンドンとドアを叩いた。

「会わねぇって…卒業しても会わねぇなんてこと、あるかよっ。第一お前、卒業式どうするんだよっ」

 同じクラスである。嫌でも顔を会わせることになる。そう考えると、嫌な予感がした。すると、ドアの向こうから帰ってくる言葉。

「行かない。出席日数、足りてるから。欠席でも卒業できる」
「ふざけるなよっ!」

 高校生活最後の日にわざと欠席だなんて、寛也からすれば考えられなかった。それに、たった今、楽しかったと言ったばかりではないか。その最後の日に、来ないなんてこと、有り得ないと思った。

「来いよ。絶対、来いよ。待ってるからな」

 ドアの向こうに気配は確かにあるのに、杳はそれ以上何も答えなかった。本気で来ない気だと分かった。それでも、来させたかった。

 修学旅行も参加できなかった。体育祭も、色々な大会も全て不参加のままで、肝心な思い出が何一つないのではないか。そんなことは絶対に嫌だと思った。せめて最後の卒業式くらい、参加させてやりたかった。

「お前が来るまで待ってるからな。日が暮れても、夜中になっても、次の日になっても。だから絶対来いよ。絶対だぞ」

 言って、寛也はしばらく杳の返事を待つ。返ってくることなどないと、分かっていた。

 寛也は大きく深呼吸して、それからドアに背を向けた。

 庭先に置いたままになっている自転車を引いて門を出てから、一度だけ振り向いて、そのまま自転車に飛び乗った。


   * * *


「絶対来いよ」

 ドアの向こうで怒鳴っている寛也の声が聞こえなくなってから、杳はほっと息をついた。

 門の閉まる音がして、自転車の遠ざかる音を聞く。

 実を言うと、寛也とはもう二度と会うつもりはなかった。会えないと覚悟していたつもりなのに、その決心を揺るがそうとする人。

「ばかヒロ…」

 このまま何も気づかないでいて欲しいと思った。そしていつか自分のことも忘れてくれたら、それでいいと。

 もう長くないと知っているから、その間に自分の犯した罪を償うのだと、そう決意した。そんな、揺るがない思いを持っていた筈なのに。

 杳は振り返りそうになる気持ちを何とか振り払って、部屋へ戻ろうと玄関の上がり間に足をかけた。

 途端、ゴポリと胸の奥から込み上げてくるものがあった。喉を逆流してくるものが、目の前を赤く染めるのを目にした。

 それだけで、身体の力が抜け落ちると同時に、意識が暗転した。

 ――まだ、もう少しだけ…。

 薄れ行く意識の中で、何とか手を伸ばそうとした先に見えたのは、切ないくらい恋しい人だった。


   * * *



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