第7章
過去、そして未来
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「…うん」
腕の中で小さくうなずく杳。その顎を取り、上を向かせる。
「愛してる…杳…」
囁くように、しかし一言ずつ大切な宝物であるかのようにそう告げて、そっと唇を重ねた。
重ねた唇がまだ少し冷たかった。
寒空の下に一日中いたのだから、少し温かいものでも食べさせて、薬を呑ませておいた方が良いのだろうか。病弱だった頃の潤也を思い出してそう考えた時。
「あみやね、自殺したんだ…」
ポツリと杳が言った。
「竜達がいなくなった時に侵入してきた賊にね、乱暴されて。それでもう、巫女として生きていけなくなったって思ったんだ」
「な…!」
想像だにしていなかったことを告げられ、寛也はギョッとする。
「だから竜王が…天人が暴れたのも、竜族が滅びてしまったのも、全部、自分の責任を放り出して逃げたオレの所為なんだ」
震える声。震えている肩。
杳があみやのそんな悲しい記憶を取り戻して、どれくらい経つのだろうか。その間、ずっと一人でそんな思いを抱えていたのか。
いや、思い出す前、ずっと幼い頃から人が怖いと言っていた。あみやのことを思い出す以前から、ずっと脅えていたのだ。その理由がこの所為かと、初めて思い至った。
それなのに、竜の宮の巫女を守れなかったのは、竜自身の責任でもあったのに、自分だけを責めて。
「違う、杳。お前のせいなんかじゃねぇよ」
抱き締めていた腕の力をゆっくり緩めると、寛也を見上げてくる杳。悲しげに揺れる瞳。
「竜王は人を生き返らせることくらいできるんだ。それをしなかったのは、あみやを生き返らせて辛い思いを味あわせるよりも、そのまま死なせてやろうと思ったんだと思う。それに竜王が暴れたのは、あみやのせいなんかじゃねぇよ」
天人は愛した人に置いていかれることに疲れたのだと、誰かが言っていたのを思い出す。その時は何を甘ったれたことを言っているのかと思ったが、それ程に人に焦がれ、人を愛したのだろう。
今なら、分かる。
「あれは、自分の中にある弱さのせいだ。竜王は辛いことを乗り越えていく力をなくしていたんだ」
誰もみな、越えられない悲しみに直面すると、つい逃げたくなってしまう。立ち向かうことができればたやすいだろうが、それすらもできないくらいに傷つき、病んでいると、逃げることを先に考えてしまう。
心の傷の深さなど他人の誰も計ることはできないから、それを誰が責められよう。
「だけど、それでも、俺達は同じ時代に生まれ変わった。お前も含めて。これはチャンスだと思う。取り戻せなかったものを取り戻す為のものじゃないかって、俺はずっと思ってた」
それが、杳なのではないだろうか。
失ってしまった小さな命。その命が、今この目の前にあることこそが、その証拠だ。
「俺は今度こそ逃げねぇ。だからお前も…もう逃げるな」
杳は、寛也の言葉を黙って聞いていた。
自分でもかなり臭い台詞だとも思って、照れ隠しに思わず口づけて。
「つか、逃がさねぇけど」
小さくつぶやいた言葉が聞こえたかどうか。
身を預けてくる杳の肩が震えた。
抱き締めた腕の中で、漏れてくる嗚咽を耳にしながら、何度も何度もその背中をさすった。
* * *