第7章
過去、そして未来
-2-
11/14
「ヒロがどれだけ頑張っても越えられなかった一線を、翔くんはいとも簡単に越えてしまった。本当はそのことが悔しいだけなんじゃないの?」
言われて寛也は思わず立ち上がった。
「んな訳ねぇだろっ。俺は杳のことが心配だから…」
「心配なら何でもっと早くに自分のモノにしなかったの? 本当は自分の手で杳を汚すのが嫌だっただけだろ。奇麗なお姫様のままの杳をただ眺めていたかっただけじゃないの?」
「悪いか? 俺は杳を苦しめたくねぇんだ。大切にしてぇんだ」
大きくなる声に、潤也は気を落ち着かせる為にため息を挟み込む。
「でもね、ヒロ」
何とか口調を和らげる。風呂場にいる杳に声が聞こえないようにとの配慮も必要だから。
「杳がヒロの恋人だったら、杳も翔くんに身体を許すような真似はしなかったと思うよ」
「お前は俺に杳を襲えとでも言うのかっ?」
「そんなこと言ってないよ」
呆れた顔で返す潤也をにらみつける。
「いくら言っても分かってくれないみたいだから、もうやめよう。でも、これだけは言っておくよ。自分の懐にしまいこんで外敵を寄せ付けなくすることじゃ、守ることにはならないよ。杳自身が自分の恐れているものに立ち向かう力がなかったら、いつか懐の中で息を詰まらせて死んでしまうことになるよ。覚えておいて」
それだけ言って、潤也は機嫌が悪そうなまま背を向けて夕飯の支度の続きに取り掛かった。言われっぱなしの寛也は返せないままで、立ち上がる。
潤也と話をして苛々するよりも、杳の側にいようと思った。
寛也はキッチンを出て、風呂場へ向かった。
「杳、大丈夫か? 長湯はしねぇで早めに…」
脱衣所の戸を開けて声をかけたところで、寛也はその隅っこに座り込んでいる杳に気づいた。潤也の洗い立てのパジャマ袖を通しているから、風呂は上がったのだと分かった。
「どうした? 具合、悪いか?」
寛也は慌てて側に寄り、その顔を覗き込んだ。寛也の声に杳は少し顔を上げる。
「大丈夫…温まったら眠くなっただけ。ヒロ、ベッド貸して」
「あ…ああ…」
うなずく寛也に、杳が身を寄せてくる。
「…ね、ヒロ…いてよ…」
「え?」
何と言ったのか聞き取れなかった声に、杳は自嘲気味に笑って、目を伏せた。
「…何でもない」
ひどく頼り無さそうな肩を思わず抱き締めた。
力を込めた腕の中で、杳が小さく震えるのが分かった。
* * *