第7章
過去、そして未来
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「ん…あ…」
息苦しくなったのか、酸素を求めて開かれる唇に、寛也は舌を滑り込ませた。身体の芯まで冷えきっているのか、温度を感じさせない杳の口中を、舌でなぞっていく。逃げようとする舌を捕まえて、絡み付かせる。自分の唾液で杳の口中を全て浸して、それでも尚足りないと、角度を変えては深く求めた。
「杳…愛してる…」
なのに、杳は囁く言葉にも首を振る。
「どうして…だ?」
「オレ、ヒロにはふさわしくないから」
消え入りそうな声で返してきたのは、思ってもいなかった言葉。
「何言ってんだ。そんなこと言ったら、俺なんか…」
杳に近づく資格もないのだ。それでも、それでも、この腕は放したくなかった。何があっても。それなのに。
聞き入れようとしない寛也に、杳の小さな声が聞こえた。
「昨日の夜ね…翔くんと寝たの」
杳の言葉に寛也はまさかと思いつつも、頭の中で全否定する。一緒の家に住んでいるし、布団を持ち込めば一緒の部屋で寝ることもあるだろう。そう思い込もうとする寛也の表情から、その考えを読み取ったかのように続く言葉。
「抱かれたって言った方が分かりやすい?」
「な…!?」
愕然として緩む腕の力。その腕のから杳はするりと抜け出した。
「まさか無理矢理…」
「違うよ。ちゃんと合意のうえだから…」
「そんなこと…」
昨日、翔は寛也にあんなことを言っておいて、その夜に杳に手を出すなど、寛也からすれば卑怯としか言えなかった。それを杳が同意したことも信じられなかった。
「だからオレ、翔くんとそういうことだから、ヒロとはもう…」
「バカ言うんじゃねぇよっ!」
怒鳴って寛也は杳の腕をつかんで引き寄せ、再び抱き締める。
「アイツに何言われたんだ? 合意なんてウソだろ? 本当は嫌々だったんだろ?」
「ちが…」
「ウソをつくなよっ」
怒鳴って、抱き締める腕に力をこめた。多分杳には苦しいだろうとは分かっているが、それでも緩める気にはならなかった。
「そうやっていつも自分を犠牲にしてんだ。こんなに身体も弱くして、心の傷つけられて。それなのに、何で我慢してんだよ? 痛いって言えよ。辛いって言えよ。じゃなきゃ、お前また…」
綺羅のように、あみやのように、心も身体も傷ついて――。そんなことはもう嫌だった。絶対に失いたくない。
「ばかヒロ…」
ポツリと言われた言葉に顔を上げると、杳の指先が寛也の頬に伸ばされる。ひんやりとしたその指先が、寛也の熱を冷ますようで心地よかった。
「痛くも辛くもないよ。だって…翔くんのことも、みんなのこと好きだから…だから、望むならオレは…」
わずかに笑んでから、少し顔を伏せる。寛也の胸元をギュッと握り締めて。
「でもね、ホント言うと、ここが一番好きかな…」
言って杳は寛也の旨に頭をもたせかけるように預けてくる。その重みがひどく心地よかった。
「ヒロ…ありがと…」
小さくつぶやく声とともに、杳の全身から力が抜けるのを感じた。慌てて抱きとめてみて、今更になって気づく頬と身体と手の冷たさ。
気を失ったのだと知って、寛也は慌てて辺りを見回した。駅のタクシー乗り場に1台だけ、停車中のタクシーを見つけた。
* * *