第6章
羽化
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「ばかっ、走るなっ」
「だって、あのままじゃ、落ちて死んでしまう」

 寛也の腕から逃れようと身をよじる杳を、寛也は何とか押さえ込もうとする。

「お前の身体の方が大切だ」

 怒鳴った途端、頬を打たれた。

「ばかヒロッ。助けられる命なのに、知らん顔して見捨てる気?」
「そんなつもりじゃねぇよ。俺は…」

 睨み上げてくる目が本気で怒っていた。

 それでも大切なのは杳だと思ってしまう自分は、間違っているのだろうか。

「分かった。俺が行く。お前はここにいろ」
「でも、ヒロ…」
「俺の勇姿、見とけよ」

 人間の身であの高さから落下すれば、コンクリートの上ならば確実に即死である。それを受け止めようとして下にいたとしても、相手は上手くすれば助けられるかも知れないが、下敷きになれば自分が圧死する。それが自分であろうと、杳であろうと変わりはない。それならばせめて、竜である自分の方が、運が良ければ再生できるかも知れない。そう思って駆け出そうとして、後ろからストップがかかった。

「今のヒロじゃ、無理だよ」

 振り返ると、潤也と翔が立っていた。

「杳、僕にかけた封印、解いてくれない?」

 言われた杳は、黙って潤也を睨む。それに苦笑で答える潤也。

「封じられた者相手に、戦う気はないから」

 潤也の言葉に、何も言わず杳は右手を差し出した。その手を掴む潤也は、途端に風竜の気を膨れ上がらせる。

 こんなにも簡単に封じたり解いたりする技量を、杳はいつの間に身につけたのだろうかと、寛也は目を見張る。

「ありがとう」

 それだけ言って、潤也は落下寸前の佐渡の方に目を向けた。彼も彼で、一瞬の間に風を操る。コンクリートに打ち付けられる筈だった佐渡の身体は、突然巻き起こった突風に煽られて、軽く宙に浮いて落下速度を完全に消失させた後、寛也達のいる場所から少し離れたコンクリートの上に転がった。

 潤也が真っ先に駆け出した。慌てて後を追おうとして、寛也は腕の中の人が重くなるのを感じた。

「杳っ!?」

 そのまま寛也の腕の中、崩れ落ちていった。寛也の声に、同じように駆け出していた翔も立ち止まって、すぐに顔色を変えてとって返した。

「杳兄さんっ」

 翔は慌てて杳の腕を取って、その表情を凍りつかせた。それを伺うような目で見やる寛也。

「救急車を呼びますから…」

 それだけ言って、立ち上がる翔。

「おいっ」

 翔を見上げて呼び止めようとして、腕の中の杳に目をやる。顔色がなくて、浅く早い呼吸を繰り返していた。危険な状態なのだろうと、寛也にすら分かった。


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