第5章
性徴
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「エッチすんだよ」
「ば…っ!!」

 途端に寛也は持っていた盆を取り落とす。部屋中にその音が響いて、杳もこちらを向いた。

 慌てて拾い上げ、寛也は小早川を睨みつける。

「お前、何言ってんだっ」
「なーに、しらばっくれて。考えたことくらいあるんだろ?」
「…」

 返せない寛也に小早川はまた笑って言う。

「誘えよ。部屋に連れ込んで押し倒したら、もうこっちのモンだろ」
「できるか、そんなこと」

 そんなことをしようものなら先程の上級生の話と同じ結果になりそうだった。それよりも何よりも、大切にしたい存在だから、傷つけたくなかった。

「はーん。なかなかの紳士だな」
「悪かったな。これが俺のやり方だ」

 そう。自分は杳を守る為にいる。何者からも守って、そして――。

 その先にあるものに、自分の欲望に気づかない訳ではない。それでも、杳を守りたい。

「ま、それでお前がいいなら、いいけどな。でもな、結崎、幻滅させるようなことを言うけどな、杳ちゃんだって男なんだから、そっちの方に興味ない訳ないんだ。お前とやりたいって思ってるかもな」

 言われて寛也は小早川を睨むよりも、思わず杳の方を振り返ってしまった。

 潤也と話をしている杳。奇麗で清潔そうな外見からは、彼の言うようなものは、とても伺えなかった。

 それでも自分と同い年の男だと言うことは事実なのだ。いや、杳にそんな下世話な欲望があるなんて思えない。翔を取り戻す為に、自分の身すら顧みなかった杳。

 そう言えば、杳の口から自分の為に何かをしたいとか、何かが欲しいなどと聞いたことがなかったように思う。いつも寛也が自分の思いばかりを押し付けていたし、真意に近づこうとすれば身を引くばかりだった。だからこそ余計に小早川の言葉が信じられなかったのだ。

 多分、今、潤也と一緒にいるのも潤也の方から誘ったのだろう。さもなければ、杳は今頃一人で学校の隅で何もすることもなくぼーっといていることだろう。

「結崎が誘わないんなら、俺、誘おうかなぁ」

 杳の方を見つめたまま返事をしない寛也に、小早川は意地悪そうに言う。驚いて目を剥く寛也を笑う。

「冗談だ。睨むなよ」

 そう言って小早川は仕事に戻った。

 と、杳と潤也が席を立つ気配がした。振り返ると、杳は一度だけ寛也を振り返ってわずかに笑んだように見えた。そして、そのまま潤也について出て行ってしまった。

 先にちゃんと誘わなかったことを、その時になって、かなり後悔した。


   * * *



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