第1章
予兆
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「俺だって知ってるぜ。2Kの葵杳。夜更かし朝寝坊で、遅刻欠席はやりたい放題。朝は8時に起きられなきゃ、ずる休みする怠け者の問題児」

 意趣返しのつもりだったが、思った以上の効果で、杳はムッとしていた。それがまた事実な所と、寛也は気づかず口走ってしまったが、本来、知る筈のないことまで知っていることを、サラリとばらしてしまっていた。

 杳が何も言い返さないことをいいことに、寛也はつい調子に乗ってしまった。

「趣味はバイク。16になる前から無免許やってただろ?」

 途端、杳の顔色が変わったのが、はっきりと分かった。まずいことを言ってしまったのかと、うろたえる寛也に、杳はポツリと言った。

「バイク乗ってない、今は」
「は? 何で?」

 聞き返すが、杳は黙ったままだった。横顔が、どこか辛そうに見えた。

「事故った…?」

 なるべく穏やかな声で聞いてみた。杳はわずかに首を振る。

「じゃあ、親に取り上げられたとか?」

 杳はまた首を振る。

「だったら…」
「うるさいな。乗りたくなくなっただけだよ。ほっといてよ」

 寛也は眉の根を寄せる。

 一度だけ後ろに乗せてもらったが、杳は運転している時はとても生き生きして見えた。バイクもきちんと整備されていて、余程好きなのだろうと思っていたのに。

「何かあったのか?」

 聞いてみて、思いっきり睨まれた。思わず身を引く寛也。

「結崎くん」
「はい?」
「ちょっと右手を挙げてみて」

 不機嫌そうな杳に逆らって、ろくな目に会った記憶がない。寛也は言われるままに右手を上に挙げた。

「じゃあ、2A結崎寛也」

 突然、壇上から名を呼ばれた。慌てて見ると、教師がニッコリ笑っていた。

「この問題が解けるとは、ちゃんと予習をしてきたんだな。感心、感心。じゃ、前へ出て解いてもらおうか」

 パンパンと黒板を叩いてから、教師は寛也に手招きした。

「え? え? えー?」

 何のことか理解できない寛也に、杳がボソリと呟く。

「ばーか」

 このやろうっっ。

 握りこぶしに力を込める寛也。これが他の奴だったなら、殴ってやるところだった。惚れた弱みと言う言葉を思いっきり知らされた寛也だった。

 解ける筈もない難解な因数分解を前に、寛也はガックリと肩を落として、できないと告白しなければならなかった。学年全員から笑われながら。


   * * *



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