第1章
予兆
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「逃げるなよ。いつでも逃げ場所があるとは限らねぇんだぜ」

 そう言った寛也をじっと見て。

「別に逃げてるわけじゃない。あんたがウザいだけ」
「う…」

 寛也は返す言葉を失う。そんな風に思われていたのかと。

 がっくりと肩を落とす寛也の背を、パンッと力いっぱい叩く手があった。

 思わず咳き込んで、叩いた相手を見やると、潤也が通り過ぎていく所だった。振り向くこともせずに、意味深なオーラを放出させながら。

「あのヤロー」

 その一瞬の間に、杳は一席隣へ移って、寛也との間を開けた。

「おいっ」

 寛也は慌てて追いかけようとして、すかさず間の席にカバンを置かれた。

 近づくなと言う、余りにも分かりやすい意思表示だった。

 何もそこまで嫌がらなくてもいいのにと思いながらも、寛也は負けずにそのカバンを取って、座り込む。

 それから、カバンを杳に押し付けた。

「これ、そっちに置けよ。ここは俺が座るから」

 多少の意地悪も加わっている寛也に、杳はムッとして立ち上がる。

「じゃあ、そこに座れば? オレは別のところに…」
「はい、そこっ」

 いきなりマイクから声がした。

 驚いて見やると、既に壇上には教師が立っていた。時計の針は授業開始時刻を差していた。

「早く座って。授業を始めます」

 杳はチラリと寛也を見る。勝ち誇ったような顔の寛也に、ふて腐れたまま座った。

 まずは一勝。そんなことを思って見やると、杳はプイッとそっぽを向く。

 勝ったからの余裕からか、杳の態度が妙に可愛く思えてしまった。

 教科書を開きながら、この位置では壇上から丸見えで間食のパンもかじれないことすら忘れて、寛也は満足そうにニヤついていた。



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