第 5 話

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 言われて、ライムは背後の少女を振り返る。
「走れるかい?」
 しかし少女は首を縦には振れなかった。すっかり脅えて腰が立たなくなってしまった様子だった。
「馬鹿野郎、こんなのはな、引きずって行きゃ、いいんだよっ!」
 飛び込んできたセフィーロがそう叫んで、少女の腕を乱暴に掴みあげた。
「死にたくなかったら走れ!」
 怒鳴って、セフィーロは少女の腕を引く。半分泣きながら、少女はセフィーロに言われるままに駆け出した。
「おめぇも、来いっ」
 セフィーロに声をかけられてライムは、そのままついていこうとして、ふと立ち止まる。振り返るそこに、モンスターと対峙するエドガーの姿があった。
 セフィーロとのやり取りの一瞬の間にも、エドガーはモンスターに幾度か剣を突き立てていたが、その全てが相手を貫くことはおろか、かすり傷ひとつ与えることはできないでいたのだった。
 剣の通じないモンスターなのである。エドガーが最初に逃げようとした理由に、その時になって初めてライムは気が付いた。
「何をしている。お前も逃げろっ!」
 エドガーが怒鳴る。しかしライムはそれに従うつもりはなかった。
「エドガーさま、剣が通じないなら魔法を使うしかないでしょう」
 ライムは小さく呪文を唱え、風の精霊を呼び出す。小さな、小さな森の息吹に潜んでいたそれらは、呪文をつぶやく主の元にさわさわと集まり、柔らかに風を呼び起こす。そしてライムの命令に従って、風を刃に変えてモンスター目がけて繰り出した。
 いくつもの小さな刃は、エドガーの太刀ですら傷つけることはなかったその鋼鉄にも似た皮膚を切り裂いた。
「――!」
 悲痛な声を上げてモンスターが身をよじる。そして、魔法を繰り出したライムに、鈍く光る目を向けた。大きく口を開けて牙を剥き出すとともに、ライムに襲いかかろうと身を翻した。その動きは大きな体に似合わずひどく敏捷で、あっと思った瞬間にライムの眼前にその爪が振り下ろされていた。とっさに、逃げられるだけの時間がないことを悟ったライムは、無駄と知りながらも受け身を取ろうとする。しかし、そのライムの身に降りかかってきたのはモンスターの爪ではなかった。
 モンスターの腕が振り下ろされるよりも一瞬先に、ライムの視界を遮ったものがあった。
 見慣れた赤い髪がゆれた。少しだけ、アイスブルーの瞳が緩んだ気がした。
 その直後、身を引き裂く鈍い音と、生暖かい液体がライムの頬に飛び散った。
「エドガーさまっ!!
 エドガーの重い身体が、ライムの腕の中に倒れかかる。それを受け止めて、エドガーの身から流れ出る血の赤にライムは全身が震えた。苦痛の声も上げずに、ライムの腕の中に身を沈めるエドガーは、自分の名を呼ぶライムの声に少しだけ瞳を上げて、それからゆっくりまぶたを閉じた。
 傷口からとめどなく流れる生ぬるい血がライムの手のひらを濡らしていく。
 呆然とするライムの背後に、怒声が飛ぶ。
「おめぇも死にたいのかっ!早く逃げろっ!!
 セフィーロだった。その声に顔を上げるライムの目に、再び来るモンスターの攻撃。それを躱すということすら忘れてしまったように、ライムはその場を動かなかった。
 セフィーロがそれを見て飛び出して行こうとする。が、それよりも早く、その脇から鋭い光の矢が突き抜けて行った。幾筋ものそれは、モンスターの巨体を容易く貫いて千々に引き裂き、あっと言う間に巨体のモンスターの息の根を止めた。
 何者の仕業かと振り返るセフィーロの目に映ったのは、淡い光を身に漂わせてそこに立つ、マルスの姿だった。
「ライムッ!」
 マルスはセフィーロの横を擦り抜け、ライムに駆け寄る。その身から、人ならぬモノの匂いがした気がした。


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