第 1 話

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 少年はまるで水先案内人のように、適確に逃げ道を指し示した。敵の目を斜めにかい潜りながら、セフィーロはその数の多さに驚かされた。不穏な空気がこのところやたらと生じているらしいことは気付いていたのだが、その矛先が自分に向いていることに恐怖せずにはいられない。
 古くからこの国は王制を敷いていた。先々代の頃までは近隣諸国とも争いを繰り返していたと聞くが、現在は多くの国と交友を結び、交易も盛んであった。が、その一方で異国の者も簡単に足を踏み入れることができるようになり、日の当たらない町の闇の部分では、不穏な空気もたちこめていると聞く。
 セフィーロを狙った者達は、肌の色からしても恐らくこの手の類いの者に違いないだろう。何れにせよ、王太子である自分を狙ってくるということはこの国の権力、または金品を手に入れたいのであろう。
 事が実際に降り懸かって初めて、その身分の危険さを知った。
「エドガー様っ」
 ふと、先頭を走っていた少年が立ち止まり、後方の赤毛の男を振り返る。何事かと思ったセフィーロの目に、つい先程彼を襲った男達と同じ装束の集団が、そこに待ち構えていた。
 赤毛のエドガーと呼ばれた男は、小さく溜め息を漏らす。
「やれやれ、このエドガー様の剣の錆になりたい奴がこうも多いとは」
 言って右手で前髪をかきあげる。その仕草があまりにも気障ったらしくて、横で聞いていたセフィーロは、知らずに嫌悪感に顔を引き釣らせる。
 エドガーは腰に携えた長剣に手をやり、ゆっくりと鞘からその光るものを差し抜いた。途端、エドガーの目付きが変わる。それはあたかも血に飢えた獣のような鋭さを持って、それでいて芯の奥の冷静さは統一されたその身より自ずと感じられた。
 戦いの為に生まれて来たモノ  そんなふうにセフィーロの目に映った。
 ぼんやりしているとセフィーロは、いきなり手首をつかまれた。
「逃げるぞ、こっちだ」
 言い終わらないうちに、引っ張られるようにして駆け出した。


   * * *

少年は風を思わせる程、身軽に駆けていた。その背中を見ながら、自分でもかなりすばしっこいと自負していたが、こいつも負けず劣らず俊敏だと思った。
 どれくらい駆けただろうか、さすがのセフィーロも息を切らせる程に走った頃、ようやく彼はつかんでいたセフィーロの手首を放した。
「もう大丈夫だろう」
 辺りに慎重に目をやって、安堵の溜め息をもらす。息つくセフィーロの横で彼は涼しい顔で立っていた。こいつはどんな心臓をしているのかと思って見遣ると、ふと視線が合った。青く、晴天の空を思わせる瞳が、わずかに細められる。
「な、何だよ」
 セフィーロは一瞬ドギマギしてうろたえていた。そのセフィーロに彼は明るい笑みをこぼした。
「無事でよかったな」
 明け透けなその表情に、セフィーロはどこかホッとするものを感じた。と同時にむくむくと沸き上がってくる疑問。こいつは一体何者で何故あの場所に居合わせたのか。襲われた後だっただけに疑い深くなっていた。そんな複雑なセフィーロの心中にまるで気付くふうもなく、彼は笑顔のままセフィーロに右手を差し出して来た。
「オレ、ライム。よろしくな」
 人を疑うことを知らないような無垢な少年。疑った自分の方が恥ずかしくなるような気がして、それを打ち払うようにセフィーロはそっぽを向いた。そのセフィーロに彼  ライムと名乗った少年はムッとしたようにセフィーロの前に立った。
「人が名乗ってやってるのに、知らん顔はないだろう」
「うっせーなっ」
 今まで何度となくリオンに注意を受けて来た。王太子という地位に誰もが逆らうことをせず容認してきた横柄な態度である。その彼に初対面のライムはまともにぶつかってきた。いや、もともと頭に血が昇りやすい性格だったのかも知れない。
「何だよ、その態度はっ」
「気に入らなきゃ、助けなきゃよかったんだろっ」
「何だと?」
 自分も元来愛想の良いとは、お世辞にも言えない性格をしている。事、人とやりあうことがなかったのは、一重に王太子という地位にあったからである。だから殴られるなど思ってもいなかったセフィーロは、とっさに逃げられなかった。頬に拳の痛みを覚えて初めて殴られたことを知る。
 途端、一気に頭に血が昇った。


   * * *



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