第1章
いのちの闇
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 その夜、優はなかなか寝付かれなかった。枕が変わったせいか、それとも――。

 優がやっと寝付こうかとうとうとしかけた頃、カタリという音がした。そして優は当然不機嫌になる。訳の分からない怒りが余計に頭の中を掻き乱し、目が冴える。

 優は起き上がり、トイレにでも行こうかと思った。そのとき、夜闇をつんざく悲鳴が聞こえた。

 優は声のする方向へと駆け出した。

 この家は昔ながらの日本建築で、長い廊下と同じような障子が延々と続く迷路のような所だった。昔ここでよく迷子になったものである。

 その長い廊下の奥が浅葱の部屋になっていた。声はこの方向から――ここから聞こえた。

 優が部屋の障子を開けると同時に、窓から庭へ飛び出して行った黒い影があった。そして部屋の隅で勾玉を握り締めて震えている浅葱の姿が目に入った。

 優はその浅葱を無視して今しがた怪しい奴の出て行った窓へ駆け寄る。東の空に浮かぶ半月に照らし出された庭には、すでに人影はなかった。

 優は舌打ちして、浅葱の無様ななりを見遣る。

「何があったんだ?」

 しかし浅葱は、首を左右に振ってみせるだけだった。

 まったく見かけだけではなく中身まで女みたいだ。優はそう思って、仕方なく浅葱に手を貸し、立ち上がらせた。

 落ち着いて座布団の上に腰を据えて、優は改めて浅葱を見る。浅葱はうつむいたまま優の方を見ようとはしない。

「さっきのヤツ、一体何者だ?」

 警察へ連絡しようという優をきつく制した浅葱であったが、どうやら何かあるようだった。

 先程聞いた悲鳴は浅葱のものだったし、優が駆け付けたとき、浅葱は脅えていたのだ。とすると何者かに襲われたのだろうが、いくら問い詰めてみても浅葱は口を割ろうとはしなかった。

 そしてうつむいて、このことは誰にも言うなとつぶやくだけだった。

「なら、お前が狙われた理由を教えろよ」
「それは……」

 また渋る。どうやら信用されていないらしいと感づいた。

 優は気分が悪くなってきた。

「分かった、お前の好きにするさ。俺は関係無いようだから」

 そう言って立ち上がろうとした優の袖を浅葱は慌ててつかんだ。

 優を見上げる大きな目が潤んでいた。

 ――ああっ、鬱陶しい! こいつはこれでも男かっ。

 苛々として、込み上げる怒りを抑えながらも、優は浅葱の手をふりほどく。

「まさるちゃん、あの……」

 再び優の腕をつかむ浅葱を優は睨みつける。

「その『まさるちゃん』っての、やめてくれないか」
「えっ?」
「お前に言われるとむしずが走る」
「ごめんなさい……」

 そしてまたうつむく。

 昔から浅葱の悪い癖だった。気分が落ち込むとすぐ下を向く。いつもおどおどと脅えた目をして人の顔色を伺う。

 まだもの心つく前に両親を事故でなくし、祖父の手で育てられてきたのだが、田舎のこと結構つらい目にもあってきたのだろう。だからと言って下ばかり向いて歩いていたのでは、いつまでたっても先へは進めない。

 そんな浅葱に、優はいも苛立ちばかり覚えていたような気もする。

 そして優は浅葱を残し、部屋を出た。






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