■ 遠い約束 ■
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卑怯な言い方だと思った。苦しんだのは自分よりもセレムだと知っているのに。それなのに。
一度忘れてしまえば、残された者の方が苦しいに決まっている。マキアスの言った通りだった。
「そんなに忘れたいなら忘れちまえばいいだろっ、俺のことなんて…!」
「…フェザン…」
「うそ…だったのかよ、何もかんも…」
好きだと言った言葉も、忘れたくないと言ったことも。
胸の奥が苦しくなる。息がつまる。本当につらいのは誰なのか。
そんなフェザンに静かな声でそっとセレムが声をかけた。
「フェザン、お願いがあるんだけど…」
振り向いたそこに、吸い込まれそうなくらい深く澄んだまっすぐな瞳があった。
厚く閉ざされた幕の隙間からこぼれる光だけがうすぼんやりと照らす室内。粗い息遣いが作られた闇の中に聞こえる。
まだ少年のすべらかな柔らかい肢体。縋り付くように腕を伸ばすセレムに、フェザンは優しく口付けていく。
見上げてくる碧い瞳が潤んでいる。熱い吐息が頬をかすめていく。
抱き締めても抱き締めても愛し足りない。
自分は誰と、怯えながら震えながら問い続けていた姿。自分の存在の不確かさを恐れながら。ずっとずっと、今も苦しんだままなのに。
本当に記憶を取り戻したいと思っているわけがない。それはフェザンが一番よく分かっている筈だった。
切なくて、苦しくて、触れ合う肌さえもひどく痛い。心が悲鳴をあげそうだった。
ただできるのは、その存在を感じることだけ。抱き締めた腕の中で、フェザンの名を呼ぶ愛しい人を手放したくはない。
それがフェザンの出した答えのすべてだった。
「一緒に逃げないか?」
セレムの髪を手で鋤きながらフェザンは口付ける。紅潮したままの潤んだ瞳を上げてくるセレムに、フェザンは僅かに笑みをこぼす。
「何があっても守るから。だから二人で誰も知らない所へ行こう」
ただの現実逃避に過ぎない。そんなことは百も承知だった。しかし、フェザンは失いたくなかった。こんなにも苦しんでいるセレムを守りたかった。
「前の僕なら、しないよね、絶対」
「お前はお前だろ。昔のことなんか関係ねぇよ。俺は今のお前を――」
言葉の代わりに口付ける。
胸が裂けてしまいそうなくらいの熱い思いが広がる。
フェザンの強く抱き締めてくる腕に縋り付いて、セレムは頷いた。
逃げ切れなくてもいい。もう少しだけこの人と一緒にいたい。
そう、心で呟いて。