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はしらのはなし・61


(錆び付いて、心なしかグラグラしていた歩道橋も、モノレールと同時期に撤去された)

 モノレールが出来る前、豆汽車・豆電車があったことはご存じですか?ああ、すでに52番がお話ししていますね。
 その豆電車は、私たちモノレールのように二ヶ領用水をまたぐことはなくて、ちょうど私61番が立っているあたりが終点だったらしいです。人々は、豆電車を降りると「鶴橋」という名前の橋を渡って遊園地の正門をくぐりました。

  鶴橋は、今私のそばにある歩道橋のように、府中街道をまたいではいませんでした。ただの平らな橋でした。「豆電車を降りて、橋を渡った途端に府中街道を走る車にはねられてしまうのでは?」と思いますよね? 現在の車の交通量を見ると当然の疑問ですけれど、当時はまだ車は数えるほどしか走っていなかったのです。だから、桜のシーズンなどは、鶴橋を渡って遊園地に入る人たちと、府中街道をのんびり歩いてやって来た人たちとで正門前付近は大混雑、そこへ車が走ってきたりしたら、かえって人々に睨まれるような有様だったそうです。

 

(2006年1月・記)