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湘南軌道を歩く  秦野側へ(その3)


 右端の木が、前ページに出てきた命徳寺前。そこから左の方へ、水無川の岸から少しずつ離れながら台町駅へと向かっていた。 写真左端から下の写真の右端へ続きます。(ちょっと途切れていますが)
 常盤橋の向こうに軌道跡を臨む。『秦野の近代交通』7ページには、この場所、この方角からの明治時代末期の写真があります。それによると、橋のすぐ向こう側に湘南馬車鉄道株式会社・営業部の建物が見えています。

 当時の数枚の写真を何遍も眺め、虫眼鏡で眺め、写真の中に入ってしまうくらいに眺めてみました。現在、この常盤橋を渡って、左へ曲がりながら上ってゆく途中に、右側へはいる路地があります(下・左の写真)。そこはちょっと風変わりな印象の段差がある場所です。平行した道のうち、左の道を奥へ歩いてゆくと、左へカクンと折れ、狭い坂を登ります。登り切ったところが、いくつかの本や他の方のサイトで紹介されている、台町駅跡(初期はここが終点の秦野駅だった、とされる)だというトラックの車庫があるところなのです(下・右の写真)。

 ところで、『秦野の近代交通』の16ページに抜粋されている当時の新聞記事を読むと、当初はこの場所が終点だったのに専売局前まで延長することになった理由として「現在の秦野駅は町の低地で、専売局までの道のりの大半は急坂なので、馬車や手車で荷物を運び上げる手間と人件費がばかにならない」ことをあげています。
 しかし、いま台町駅跡とされる場所は、坂を登り切ったところで、かつ、この先の延長区間にあまり急な坂はありません。
(ただし、人力が主な輸送手段だった時代には、今ではたいしたことのない勾配でも「坂」と認識されていたそうなので、現代の感覚だけでは測れませんが・・)

・・というわけで、以下は私の推測!です。
・下左の写真の付近が、明治末期の写真にある軌道の当初 の営業部建物跡であり、終点でもあった。
・専売局前まで路線を延長することになり、 今までの終点(秦野駅)より少し小高い地点を台町駅とした。
・ 今までの終点より標高の高い地点へとスムーズに 二宮方面からの路線をつなぐため、大正10年に水無川の鉄橋を高くする必要が生じた。


(中央の奥から手前にかけてが軌道跡なのですが、奥に建物があり、勝手に入っていける様子ではないので、残念ながらたどることはできませんでした。手前が秦野方面です。)