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湘南軌道を歩く  二宮側へ再訪2

 「分校らしい建物は、一色分校跡であるが、湘南軌道とは時代が合わないと思われる。」とのご指摘について

 まず、湘南軌道跡沿いにある、一色分校の建物について調べました。
結論からすると、現在残っている分校の建物は、湘南軌道の時代の物ではありません。
 簡単に歴史を記すと、
1890(明治23年):一色村字中南に吾妻小学校一色分校が開校。
(現在の一色公民館があるところ)
1923(大正12年):関東大震災で倒壊
1924(大正13年):一色村字前田に移転・新改築。
(これが現在地と思われる)
1954(昭和29年)1月まで使用され、改築され、
1965(昭和40年)に閉鎖。百合ヶ丘に移転。

ということで、現在の建物は昭和29年から昭和40年に使われたもののようです。
けれども、関東大震災後に小学校が現在地に移転したのは確かで、昭和12年まで存続した湘南軌道沿いに小学校がある、という風景は実際に見られたと思います。

 分校跡は、「すみれ遊園地」という名で児童館になりましたが、校庭は遊べるようになっているものの、建物の中は荒れ果てていて、ガラスは破れ、活用されているようには見えません。