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西沢森林軌道を歩く 28

 ハイキングコースの終わりの方に、「トロッコの由来」についての案内板が立っていた。
 ・今ずっと歩いてきた勾配を、ブレーキの加減だけで下り、登りは馬でトロッコを引き上げていたこと。
 ・ 木材搬出は、木の伐採をする人、丸太をトロッコに運ぶ人(積子・つみこ)、トロッコで運ぶ人(運在夫)と、分業で行われていたこと。木材搬出の合間には、炭・薪・繭・米など、あらゆる生活物資の搬入に利用されていたこと。
 ・条例によって、荷重と距離により切符が発行されたこと。
 ・国道が整備されると衰退し、中土場(現在は広瀬湖となっている付近)から塩山駅間のレールが撤去されたこと。
 ・最後まで行われていた鶏冠山からの珪石(けいせき)運搬も、昭和43年で幕を閉じたこと。
 地名についての案内板が軌道跡にはいくつもあった。どれも森林軌道を敷設するに際して名付けられたものばかりだ。
           

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