北欧出張日記
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12日目 アムステルダム
(1)アンネ・フランクの家
1) ホテル朝食時に、皆の予定を確認し、昨夜会えなかったMに連絡をとりました。その結
果、M氏と私は、各々単独行動をとることになりました。
 団長、O氏、S氏、K氏の4人は、風車小屋〜ゴッホ美術館〜ハイネケンビール工場を回
る予定です。ビール工場に後ろ髪を引かれましたが、とりあえず単独行動を決行しまし
た。裏団長とN氏は、過去にアムステルダムに来たことがあるということで、ホテルで休養
をとりながら、付近を散策するそうです。

2) 8:50にアンネ・フランクの家(9:00OPEN)へ行きましたが、既に人が並んでおり、結局9:10
に入りました。(ちなみに、M氏が午後1番に行くと、50分待ちだったそうです)。この家は、
アンネ・フランク一家ら8名が1942〜1944年の間潜伏していた隠れ家で、現在はアンネ・フ
ランク財団が管理し、博物館として公開しているものです。最初に映像や写真などの展示
を見た後に、有名な動く本棚をくぐり抜けて隠れ部屋に入りました。内装や家具はナチス
が持ち去ったため一切残っていませんが、当時の復元図が展示されています。最後に、
日記の原本がガラスケースに厳重に収められて展示されていました。インクの退色が認め
られず、よく保存されています。出口付近には、コンピュータによる3Dシミュレーションや
データ検索が出来る展示物と、ショップがあり、「アンネの日記」の何10ヶ国かの翻訳本が
売られていました。ここで、コンピュータシミュレーションのCD−ROM(英語版)を購入しま
した。

(2) 西教会のタワー・ツアー等
1) 11:00に、アンネ・フランクの家に隣接する、西教会のタワー・ツアーに参加しました。高
さ85mの塔に登り、市内を眺望しました。大きなパイプオルガンの鍵盤や、鐘の鍵盤など
があり、内部も面白い。鐘を鳴らすための「はずみ車」は、3人がかりで廻していたそうで
す。また、教会内には、レンブラントの墓もあり、教会の前にはアンネ・フランクの小さな銅
像もありました。

2) その後、キャナルバスの1日券を買い、とりあえず船に揺られてゴッホ美術館へ行きま
した。もう、ゴッホは一生分堪能しました。ゴッホ美術館に隣接するコンセルト・ヘボーの外
観を見て、これがあの・・・と感激していました。

3) トラム(3両編成の路面電車)で移動し、アムステルダム歴史博物館とペギンホフを見ま
した。歴史博物館では、13世紀から現代までのアムステルダムの変遷が解るような展示
になっており、非常に面白い。オランダの建物の内部が見えるように作成された模型など
は、日本の木造3階建て2世帯住宅のような構造です。この博物館は、修道院や孤児院と
して使用されていた建物を転用しているため、内部はまるで迷路のようになっており、展示
を順に見るための矢印や展示番号を探すのにキョロキョロしていました。ただし、20世紀
後半の電気製品や、見たこともないオランダのテレビ番組などの展示は、横目で通過して
しまいました。
 ペギンホフは歴史博物館に隣接しており、1346年に修道女のコミュニティーとして建てら
れもので、後に見寄の無い女性なら誰でも自由に暮らせる施設となりました。綺麗な中庭
に小さな教会があり、周囲の街の喧噪からは無縁の空間になっています。またここには、
アムステルダム最古の木造建物がありました。

4) 15時頃は、スコールのような雨が降り、ホテルへ一時避難しました。その後雨の中で、
再びキャナルバスを乗り継いでくつろぎました。ニュー・メトロポリス・サイエンス・アンド・テ
クノロジー・センターという、緑の船の形をした建物をぐるっと回り込みます。この建物は、
海底トンネルの坑口を兼ねていました。雨と湿度でぼんやりしながら、公園の多くある地域
の閑静な運河をゆったりと廻っていきました。
 「蚤の市」に付いた頃には、雨も上がっていました。ここでは、怪しいTシャツやトーキング
ドラムなどを、雑多な人種の人々が売っていました。売り物と人種を除けば、京都の東寺
とあまり変わらないナァ。再び別路線のキャナルバスに乗る時、φ50cm程度のブラスの壺
を大事そうに抱えたオヤジが乗り込んできました。何の目的で買ったものやら・・・。

5) 1671年に建造された(その後改装は繰り返されているが)、マヘレの跳ね橋の下を潜り、
キャナルバスは博物館で終着となりました。トラムに無賃乗車したり歩いたりしながら、ライ
ツェ広場経由でホテルへ戻りました。人や多いし、道は曲がっているし、交差点は変則的
だし、歩道の中をトラムが走るし、スリと思われる連中も居るし、結構疲れました。
 トラムは、歩行者天国の狭い道を走る区間は単線となっています。運河に架かる太鼓橋
の上に駅があり、ここですれ違いができるようになっています。黒人の運転手が、橋の上
から次の橋の上を眺め、対行列車がいなければ、歌を歌いながら上機嫌で歩行者の中を
加速していくのが、何とも恐ろしい。
 帰りにホテル横のマグナプラザで、裏団長に会いました。スーツケースが重くなるのを覚
悟で、チーズを購入。今回の旅程で、スーツケースの中に入れたペットボトルが割れたと
いう人が居たため、割れ物は一切買わないことにしました。

(3) 鉄板焼き
 昨夜の打合せで、皆が日本料理が食べたいということだったので、折角だからビルの最
上階にあって展望の良い店を予約しました。予約した日本料理店「オーサカ」は、何故か
電話で日本語が通じません。しかもガイドブックの地図が間違えており、迷ったあげく20時
の予約に10分遅れてようやくたどり着いたその店は、中国人の経営する「鉄板焼き」の店
でした。鉄板焼きのコースを食べ、ビールを飲んで、旅程の無事を祝いました。
 食後、疲れていたため裏団長と一緒にホテルへ帰って、直ぐに倒れてしまいましたが、
元気な残り6人は何処か闇の中へ消えていきました。


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