1 全国的な公共事業の見直し @ バブル経済が破綻した以降,一方では相変わらず公共事業によって景気回復を図ろうとする声が絶えないが,他方では無駄な大型公共事業こそ経済の破綻を招いた元凶ではないか,という冷静な分析による指摘が合い拮抗してきた。しかし,国・地方合わせて700兆円にもなろうという借金体制のもとでは,政官業癒着の根本でもある公共事業の見直しをしないとどうにもならないというのが客観的な評価になりつつある。それにもかかわらず,いったん行政が決めて着手した公共事業については,なかなか止まりにくいということも指摘できる。 1999(平成11)年1月25日発行の米誌「フォーブス」グローバル版は,日本の公共事業について,利用率の低い大規模プロジェクトなど無駄ばかりで,日本経済の弱体化を招く一因になったと指摘し,「日本の納税者だけでなく,世界中の問題だ」と批判した(朝日新聞1999(平成11)年1月25日)。残念ながらこの批判を率直に受け止めなければならないのが相も変わらぬ日本の現状である。 無駄な公共事業の指摘は,これまで多くの市民団体,学者,研究者,マスコミなど幅広い層からなされてきた。各地の市民が問題提起をして,長良川河口堰,諫早湾干拓事業,中海干拓事業,川辺川ダムなどを全国的な問題へと押し上げた。 学者,研究者らで結成された「二一世紀環境委員会」は1998(平成10)年5月,「緊急に中止・廃止すべき無駄な公共事業100」を明らかにしており,これはマスコミでも大きく取り上げられた。これには川辺川ダムや諫早湾干拓事業も含まれている。 九州弁護士会連合会は2002(平成14)年10月25日,熊本市において第55回九弁連シンポジウムを開催し,「川と海を考える〜環境保全と住民参加〜」というテーマで議論し,川辺川ダム建設計画の見直しと諫早湾干拓事業の工事中止を内容とする提言を決議した。なお,川辺川ダム建設事業認可については,その取消を求める行政訴訟が進行中であり(熊本地方裁判所平成13年(行ウ)第4号川辺川ダム建設に係る事業認定処分取消請求事件),諫早湾干拓事業差止訴訟(佐賀地方裁判所平成14年(ワ))第467号諫早湾干拓西工区前面堤防工事差止等請求事件)も2002(平成14)年11月26日に第一陣が提訴されるなど,すでに訴訟が始まっている。 A 政府は1998(平成10)年度から公共事業の再評価システムを導入し,公共工事の見直しに着手してきた。採択後5年たっても未着工の事業と,10年経過しても継続中の事業とを見直し対象にし,事業の継続や休止,中止を判断した。それでも1999(平成11)年度予算では旧建設省分の再評価対象事業5724件のうち,中止が10件,休止が29件にとどまった。 このため,自民,公明,保守の与党3党は2000(平成12)年8月に効率に疑問のある事業や,時間の経過とともに意義の薄れた事業を対象とした大規模な見直しを行い,合計233件,約2兆8000億円の公共事業見直しリストを公表した。2001年の新省庁体制移行後,各省庁は政策評価担当部局を新設して,事業や政策を必要性,優先性,有効性などの観点から客観的に評価し,社会経済情勢の変化などで不必要になった事業は廃止するなど,随時見直すことにしている。 この見直し自体については,かなりの部分が実際上,ほとんど進んでいない事業をリストアップしたに過ぎないという批判もありうるが,それでもいかに多くの公共事業を見直ししなければならないか,という現状を明らかにしたものである。いうなればこれまで,いかに多くの公共事業が政官業癒着のもとで立案され実施されようとしてきたかを露呈したものであろう。 B そのうえ2001(平成13)年1月,政府活動の透明性を向上させ,国民に対する説明責任を徹底し,行政の質を向上させるため,全政府的に政策評価制度が導入された。その結果,各府省は政策評価担当組織を設置し,必要性・効率性・有効性などの観点から政策の評価を行うことになった。総務省は,政策評価制度の管理機関として各府省が行う政策評価の総合性および厳格な客観性を担保するための評価を行い,各府省に対して必要な勧告を行うことになった。そして政策評価制度の実効性を高め,行政の説明責任をさらに徹底するため「行政機関が行う政策の評価に関する法律」が2001(平成13)年6月に成立,2002(平成14)年4月から施行されている。これまた公共事業を見直しの一環として,各府省が襟を正していかなければならないことの現れでもある。 C こうした動きを受けて2001(平成13)年6月,国土交通省は,公共事業を抜本的に見直す具体的な取り組みを発表している。その骨子は,@大規模ダム事業は実施計画調査の新規着手を凍結,A高速道路の未事業化区間の整備手法を見直し,B新たな地方港湾の整備を抑制,C地方空港の新設は離島などを除き抑制,D道路特定財源は2002年度予算編成の過程で見直し,E長期継続中の約800の事業については再評価を実施,F公共事業の長期計画は2003年度以降の在り方を総合的に見直し,などであり,いよいよ公共事業の中心を担ってきた国土交通省も公共事業の抜本的見直しを迫られている。 熊本県も2002(平成14)年12月,球磨川の下流域に設置している荒瀬ダムについて,2003(平成15)年3月に迎える水利権更新に関して10年という短期更新に止め,完全撤去を決定している。 もはや公共事業は,これを推進する一部官僚やゼネコンと反対する一部市民だけの問題から,全国民的な関心を呼ぶ全国レベルの問題になってきているし,事業によっては世界的な関心すら寄せられる事態になっている。 2 住民の声を活かした手続の必要性 @ 公共事業を考える場合,何が必要であるのかを決めるのは,官僚でもゼネコンでもない。まさに最終的に判断するのは主権者である国民であり,当該地域に居住する住民でなければならない。現実に影響を受ける住民が,当該事業は不要である,費用負担は拒否する,環境破壊をもたらすからやめてほしいという声が多数を占めるようであれば,率直にその声に応えるべきである。 従来は,ともすれば,国が決めたことであるから,どうせ国の予算が大部分を占めるからなどという理由で肝心の住民の声は無視されたまま推進されてきたきらいがあった。例えば,球磨郡内の元首長は,「ダムが必要かどうかの議論より,反対すれば,国の他の補助事業に影響が出ると思った。」と国に依存する体質を語っている(甲157)。しかし肝心な点は,地域住民の意見の尊重であり,中央官庁が地元の真の声とは別に決定した事業を押し付けてはならない。この観点から,例えば原発の是非や,産業廃棄物処理場や河口堰の建設などで,近時,住民投票が実施されていることは十分評価されるべきである。 A 2000(平成12)年1月23日に,吉野川第十堰の可動堰建設の是非を問う徳島市の住民投票が実施された。投票率は条例で成立要件とされた50%を超えて55%となり,また反対が約9割という投票結果になった(甲187)。中立の立場をとっていた小池正勝徳島市長も反対を表明するに至り,結局,吉野川第十堰の可動堰は建設中止ということで,住民の立場に沿って決着するようになってきている。 また島根・鳥取両県にまたがる中海・宍道湖の淡水化事業について,島根県知事は2002(平成14)年12月2日に事業中止を表明し,着手40年にして終結することになったが,これも住民の意向を反映したものであった。 いずれにせよ地域住民の真意に即した事業を実施しなければならないことには全く変わりはないし,公共事業に関してはますますこうした要請は強まっていくものと思われる。 B 潮谷義子熊本県知事は,国は川辺川ダム建設について,地域住民に対し十分な説明責任を果たしていないと,国の姿勢を厳しく指摘し続けている。その結果,川辺川ダムを考える住民集会が2001(平成13)年12月9日を皮切りに開催され,現在まで4回にわたって熊本県内各地で熱心な討論が実施されてきた。この集会は毎回数千名にものぼる参加者で,極めて熱のこもった討論がなされているが,今もって熊本県知事は,国の説明責任は不十分であるとして,この住民集会の開催の継続を主張してきている。 この中では,治水問題とともに環境問題も論議されることになった。川辺川ダムの水没地域には絶滅危惧種とされるクマタカを始め,九折瀬洞窟には多くの固有種が生息しており,環境影響評価法に基づく環境保全が求められている。 なお念のために指摘すれば,本件の土地改良事業は,単に住民の意見を聞いて公共事業の是非を決めるというものではなく,まさに土地所有権などの権利の制限を正当化しようというものであるから,住民投票などとは違ってより厳しい手続が必要であることはいうまでもない。単に地域住民の真の声を尊重するなどというものではないから,厳格に判断が求められるのである。 3 公共事業の中止 @ 国も地方も現在,膨大な借金を抱えていることは,喫緊の重大な問題として捉えられている。2002(平成14)年度末には,公債残高は国・地方で700兆円にもなるという天文学的ともいえる数字である。残念ながら一方では公共事業配分シェアの見直しの必要性が訴えられながらも,当面の景気対策と称して国債の大増発となっている格好である。小泉首相は2003(平成15)年度予算編成に当たっては,赤字国債発行枠は30兆円を厳守すると公約してきたが,これも守られていない。 熊本県も,県の負債として2002(平成14)年度で1兆2000億円を超え,職員の給与を2%減額せざるを得ない状況にまで追い込まれている。熊本県も川辺川ダム関連で900億円余りの多額の出費を迫られることになるし,大型の「箱もの」建設でも県財政が逼迫されることになっている。 こうした費用の側面から見ても,本件事業には大きな問題点が内在していると言わざるを得ない。 A とかく行政は一旦決定したことは覆さないと言われるが,そうした硬直した姿勢が無駄なものを作ってきた元凶でもあるから,まさに地域住民自らの手によるチェックも重要であるし,また公共事業を遂行する行政側も率直にこれを受け止めるべきである。この意味でも本件では,控訴人らの声に真摯に耳を傾けなければならない。 地方自治体でも,補助金というエサを受け景気対策ということから多くの県債など発行して公共事業を行ってきており,そのため膨大な赤字を抱えているところが極めて多い。 B 現在では,公共事業が見直されて中止になった際,すでに受け取っている補助金の返還を含めた後処理までが問題になってきている。 自治体が公共事業(補助事業)を中止する場合,国への補助金返還が大きな論点となる。2002(平成14)年7月の田中康夫長野県知事の不信任の際には,これまでに自治体が補助金を返還した例がないにもかかわらず,県議会側はダム建設の中止は補助金返還によって県に大きな負担が生じると主張して知事の中止方針を牽制した。 補助金返還は「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律」第18条に規定されており,現在のところは法令違反に対してなど,大臣が「補助金等の交付の決定を取り消した場合」についてのみ返還命令の規定があるだけで,自治体側の事業中止に対しては想定していない。この問題について,政府は地方の財政事情などを考慮し,現在のところ,行政の裁量として返還要求を行った例はない。これは,財務省(旧大蔵省)が1998(平成10)年6月に出した「自治体が事業をやめても合理的理由があれば補助金返還は免除される」という見解にもとづく措置と考えられる。 しかし,この方針は,今後の政治動向によって大きく揺らぐことも考えられ,不要な公共事業の見直し作業が円滑にできるよう,補助金不返還の明確化,業者や地権者への補償の仕組み,さらには税金が無駄に使われたことに対する責任の取り方など,公共事業の撤退ルールを法制化することが求められる。 C 最近では土地改良法の改正などによって,事業を中止する場合の補助金の処理を含めた後始末の法律案が検討されている。すでに農水省でも土地改良法の改正を検討をしていることが報告されている。こうした見直すべき公共事業全体にわたって,基本的には地域住民の声が反映するように,また国がいわば補助金という形で押しつけてきた事業の中止に当たって,その補助金の返還を強制することがないように配慮することも重要である。 いずれにしても,本件川辺川土地改良事業は,時のアセスメントの観点からも,地域住民の声の反映といった観点,また費用対効果の観点,環境保全の観点からしても中止すべき公共事業の筆頭にあげられるものであり,中止後の処理を含めて国民的な焦眉の課題である。 川辺川ダムは,九州中央部を流れる一級河川球磨川の最大支川である川辺川に建設される予定の多目的ダムである。 1 川辺川の概要 @ 川辺川の流域 川辺川は,熊本県八代郡泉村国見岳に水源を発し,泉村や,五木村を貫流し,相良村柳瀬で球磨川本川に合流する。川辺川は流路延長61キロメートル,流域面積533平方キロメートルあり,球磨川本流の流路延長41キロメートル,流域面積485平方キロメートルを上回り,流量も球磨川本流より低水時で約4割多いのであり,実質的な球磨川本流であると評されている。 A 川辺川の水質 川辺川の水質は,環境庁がまとめた1997年度の河川水質調査によれば,全国2524水域のうち,川辺川下流が環境基準満足度で日本一だった。 同年度のBOD(生物化学的酸素要求量)は1g中0.5 r未満であり,透明度の指標であるSS(浮遊物質量)の年間値も1g中1rと検出限界に近い数値で,ろ過による簡易な浄水操作をすれば,水道水に使用できるくらい良質な水質である。 B 川辺川流域の環境 川辺川流域の石灰岩層には鍾乳洞や洞穴が存在し,このうち上流の左岸にある九折瀬(つづらせ)洞は最大の鍾乳洞で,地球上でこの洞くつにしか存在しない生態系が水没により失われる危険性がある。固有種のツヅラセメクラチビゴミムシ,イツキメナシナミハゲモが発見されているが,川辺川ダムで水没する危険性のため,環境庁のレッドデータブックで絶滅危ぐ種に指定されているのである。 また,ダムサイト予定地には付近には絶滅危惧種のクマタカが生息していることも確認されている。さらに,川辺川の清流には長さ1尺を超える尺鮎がまさに香りの魚にふさわしく生息している。 C 球磨川本流 川辺川と合流する球磨川本流は,熊本県球磨郡の銚子笠に水源を発し,川辺川等の支川を合わせつつ球磨・人吉盆地を貫流し,中流狭窄部を過ぎ,八代平野に出て前川,南川を分れて不知火海に注いでいる。球磨川は日本三大急流のひとつとして知られており,球磨川下りは古くから有名である。 なお,球磨川本流の上流には市房ダムがあり,球磨川下流には電源開発を目的として建設された荒瀬ダム,瀬戸石ダムがあるが,熊本県は荒瀬ダムを撤去する方針を明らかにしている。 現在,球磨川と川辺川の合流点より下流の水質は,流れ込む川辺川など支流の清流によって保たれているのが実情である。 2 川辺川ダム建設計画の概要 川辺川ダムは,1963年から65年にかけて起こった球磨川流域の洪水を契機に建設省により調査がなされ,その後多目的ダム法により計画が進められ,治水(洪水防止)・利水(かんがい)・電源開発(発電)・流水調節の4つの目的がある。その諸元の概要は次のようなものである。 本件利水計画は,川辺川ダム建設計画の中の利水目的に基づくものである。 @ 所在 左岸:熊本県球磨郡相良村大字四浦字藤田 右岸:熊本県球磨郡相良村大字四浦字堂迫 A ダムの形式 アーチ式コンクリートダム B 規模 堤高 107.5m ダム天端標高EL. 282.5m 基礎岩盤標高EL. 175.0m 総貯水量 1億3300万トン(九州第2の規模・東京ドーム107杯分) 湛水面積 3.91平方キロメートル 現在川辺川ダム建設計画は,1998年12月にダム本体工事をするために造った仮排水路は貫通したが,1999年4月以降ダム本体工事の予算はついているものの,工事を着工できないまま現在に至っている。 3 川辺川ダム建設事業の問題点 流水調節機能はダムが出来たことを前提にする目的であるから特に論じる必要はないが,次のとおり問題点が指摘されている。 @ 治水目的 問題となった1960年代前半の洪水の原因は,戦後の森林乱雑による山林の保水力の低下と,球磨川本流の市房ダムの緊急放流とする指摘がなされている。 これは1965年の2日間の雨量が365mmであったが,1995年には447mmにもかかわらず被害が軽微であったし,人吉地区では最大7000トンの水が流れるはずが,実際には3900トンしか流れなかったことからも裏付けられた。その理由としては,山林が回復し緑のダムが出来たこと,河川改修が進んだことがある。 そこで,河川改修等による洪水対策という代替案が出されている。 A 利水目的 これはまさに本件訴訟で指摘されているところである。 あえて付け加えると,この本件変更計画が公示された1994(平成6)年は100年来の大旱魃であったが,本件の対象地区では被害はほとんどなく水は確保されていたし,豊作も伝えられた。まさに,この地区は球磨川本流南部が平野であるのに対し,山の斜面でありこれまでの土地改良事業の成果で水は足りており,足りないのは日照時間すなわち太陽の光であった。 B 電源開発 ダムが出来たときの発電量は16,500キロワットであるが,ダム建設前の発電量よりも下回る量である。 4 川辺川ダム建設事業の現状 建設大臣は,2000(平成12)年12月土地収用法に基づき,川辺川ダム建設について事業認定をした。しかしながら,2001(平成13)年2月,11月に球磨川漁協は漁業補償契約の締結を二度にわたり否決した。 これを受けて,熊本県知事は建設省に対し,川辺川ダム建設をめぐって住民に対する説明義務が尽くされていないと指摘し,「川辺川を考える住民集会」を行った。ところが,建設省は2001(平成13)年12月に土地収用法に基づいて球磨川の共同漁業権などの強制収用裁決申請を行ったのである。これに対し,日弁連会長は,2002(平成14)年3月,国土交通省(旧建設省)に対し,収用裁決申請を取り下げるよう会長声明を出した。 2002(平成14)年12月21日第5回住民討論集会が行われ,第6回が本年3月16日に開かれる。また,熊本県土地収用委員会での審理は現在も続けられており,国土交通省は2003(平成15)年3月まで3回にわたりダム本体工事の予算を確保しながら,着工できないと報道されている。 川辺川ダム建設計画は,現在中止の瀬戸際にある。その最大の理由は,必要もなく,流域住民の意思にも反したものだからである。 1 当初計画 @ 当初計画の概要 国営川辺川土地改良事業は,熊本県人吉市外2町4村にまたがる球磨川北部の3590haの農地について,畑地かんがい用水の安定供給を行う「農業用用排水」,経営規模の拡大を図る「農地造成」,生産性の向上を図る「区画整理」を目的として計画されていた事業であった。 なお,あわせてこの国営土地改良事業の関連事業として,ダム本体との接続は国土交通省が,支管敷設作業は熊本県が,そして細管敷設作業は新たに設立される土地改良区が行うとされている。したがって,この関連事業の費用負担の問題が存在するばかりでなく,国営事業について言えば,ポンプアップ設備なども含めた施設を維持管理するための管理運営費用の負担の問題も生じることになるのである。 A 当初計画の経緯 ところで,この国営川辺川土地改良事業の当初の計画は1983(昭和58)年10月12日,土地改良法に基づき,農家の申請事業という形式で施行申請されたものである(以下「当初計画」という)。 しかし,そもそもかんがい用水計画は,昭和30年代末ころに遡る。球磨郡相良村,深田村,錦町の3ヶ町村にまたがる高原台地約1700haを水田化する計画から始まった。高原台地では,戦後入植した農民が,甘藷や陸稲を栽培していたが,経済的に困窮していたことから,水田化して収益を上げようとするものであった(甲119,梅山究本人調書)。この計画は,1963(昭和38)年から1965(昭和40)年の球磨川水系の連続水害を契機に,1968(昭和43)年9月,建設省が川辺川ダムを治水ダムから多目的ダムに計画変更したのにともない,補助率の高い国営事業とするために,その基準である3000haを満たすように,7ヶ町村にまたがる3590haという広大な計画となったのである。 B 当初計画の問題点 この1983(昭和58)年10月12日に施行申請された当初計画当時は,1970(昭和45)年ころから実施されていた減反政策によって,当初考えられていた水田化から,畑地かんがいへと目的が変更されていた。しかし,畑地かんがいでは,水田化ほどの水の必要性はなく,また高原台地でも,水を必要としない茶の栽培が主となり,昭和40年代後半には,経営基盤を確立できるようになっていた。また各地域で地域ごとのかんがい事業がすでに行われていた。そのため,本来,この段階で計画を見直すべきであったが,建設省による川辺川ダム建設計画が進行し,また大型公共事業で地元の経済活性化を図ろうとする「推進派」が対象農家に対し「受益者負担はないからとりあえず同意して事業実施の段階で抜けてもかまわない」などという無責任な働きかけもあって,1984(昭和59)年8月14日には,当初計画は確定した。 2 本件変更計画 @ 本件変更計画の概要 その後,農林水産省においても,農産物の自由化,農業従事者の高齢化,後継者不足などの農業情勢を無視することができず,また当初計画の対象地には,3000ha以上という国営事業の採択基準を充足するため,もともと農地に適さない岩山や崖などの土地も含まれていた。そのため当初計画をそのまま実施することができず,当初計画の規模を縮小する変更計画概要が1994(平成6)年2月8日に公告された。以下変更計画の骨子を当初計画と対比して記載する。 当初計画骨子 変更計画骨子 農業用用排水 3110ha 2820ha 水田 1180ha 1230ha 畑 1930ha 1590ha 事業費 177億7500万円 244億0400万円 農地造成 480ha(畑) 190ha(畑) 事業費 99億8000万円 86億4800万円 区画整理 560ha(畑) 50ha(畑・水田) 事業費 71億4500万円 9億4800万円 面積合計 3590ha 3010ha 総事業費 349億円 340億円 A 本件変更計画の問題点 この変更計画のうち用排水事業をみれば,対象面積が減少しているにもかかわらず事業費は増加しており,単位面積当たりの負担額が増加する事態に至っている。 また,用排水事業の国営事業採択基準は3000ha以上であるところ,3110haから2820haに,農地造成の同基準は400ha以上であるところ,480haから190haに,区画整理の同基準は200ha以上であるところ,560haから50haに,それぞれ国営事業とされる基準を下回る規模に変更されている。 さらに,土地改良法が適合することを要件としている費用便益性(投資効率)について言えば,1.00(1.0036)と基準ぎりぎりの数値となっていたが,後述するように宮入興一証人の尋問の結果,実際には,投資効率は最小で0.8521,最大でも0.9180となることが指摘され,この基準を下回ることが明らかになった。 B 本件変更計画の経緯 1994(平成6)年11月7日,土地改良法に基づく3分の2の同意があるとして農林水産大臣が本件変更計画を公告し,これを強行しようとしたことに対し,1160人の対象農家は,同年12月21日までに,変更計画に対する異議申し立てをした。 しかし,農林水産大臣は,わずか3回の口頭意見陳述を実施したのみで,ほとんどの農家の声を聞かずに審理を打ち切り,1996(平成8)年3月29日,異議申し立てを棄却(一部却下)する決定を下した。 そこで,同年6月26日,対象農家866名が,この決定の取り消しを求めて,熊本地方裁判所に提訴したのである。この裁判には後に補助参加人が加わり,原告・補助参加人は合計約2100名に及び,対象農家の過半数を超えている。 1999(平成11)年9月7日,熊本地方裁判所は一審原告の請求を棄却したが,一審原告の9割が控訴し,現在に至っている。 1 広範な裁量を認めた原判決 原判決は,土地改良事業の計画変更においても,当該事業の必要性が要件となり,司法判断の対象となることを肯定しており,その意味では評価できる。 しかしながら,その判断の方法としては,次の通り行政に対し極めて広範な裁量権を認めている。 「地域の自然的,社会的及び経済的諸条件を基に,当該事業による効用を多角的に評価しながら総合的見地より決すべきものであり,専門技術的かつ政策的なものであるから,行政庁の広範な裁量に任されているものといわざるを得ない。したがって,裁判所は,この点に関する行政庁の判断が全く事実の基礎を欠くとか社会通念上著しく妥当を欠くなどその裁量権の範囲を超え又はその濫用があったと認められる場合に限って違法と判断すべきものというべきである。」(原判決P110〜111) この原判決の判断基準は,行政法学における伝統的理論によれば,いわゆる「自由裁量の限界」として学説・判例において確立されたものである。その意味では,原判決が事業の必要性について,それが自由裁量行為であるとの理解を前提としたことがうかがわれる。 2 本件は覊束裁量行為である 確かに事業の必要性,費用対効果の問題は,いわゆる行政裁量論の妥当性とその司法判断のあり方が問題となることは原判決指摘の通りである。 この点について中川義朗熊本大学教授(行政法)は,次の通り指摘する。 「行政訴訟における,国民の権利利益の保護及び行政の法的・民主的コントロールという司法の役割に照らし,」「個別行政の特質をふまえつつ,適切な,かつ積極的な司法の役割を果たすことが,特に重要となる。」「現在の行政法学界における主流的な考え方は,行政計画の中にも直接国民の権利義務に関わらない計画で法的拘束力のないものと,直接国民の権利義務に関わる計画で法的拘束力のあるものとがあり,その両者において裁量の枠,したがって司法審査の範囲が異なるというものである。」「利水事業変更計画は,国民の財産権,営業の自由,生存権など直接国民の権利義務に関わる計画であり,その法的性質としては司法審査が原則として排除される広い裁量行為(自由・便宜裁量)ではな」く,「『覊束裁量』行為に属することは明らかである。」(以上甲1050P2〜3) 本件計画変更が覊束裁量行為であるとすれば,伝統的行政法理論によれば,事業の必要性という不確定概念についても,「その法規の趣旨・目的からして,本来その場合毎に客観的に定まるはずなのであって,行政機関がこの客観的な基準に違背する判断をしたならば,それは単に合目的的でない裁量をした,というのみでなく,法律の予定した客観的基準に違背したものとして,違法となる」(藤田宙靖著「行政法T(総論)」P81〜82)ということになる。 3 実質的に見た本件における専門性・技術性の程度 ところで,自由裁量行為か覊束裁量行為かの区別は,「法律による拘束のされ方」という実体的な見地から見てもそうたいてきなものであり,「実践的・機能的に考えて,何を裁判所の判断に委ね,何を行政機関の判断に専属せしめるのが最も合理的か,という考え方」からすれば,その区別は,「当該の行為が行政機関(行政庁)の専門的・技術的知識をまたないでは適切な判断ができないような事柄にかかわる行為であるか,それとも裁判手続という形式的手続により当事者が持ち出す資料に基づき裁判官が判断するので差支えないような内容を持った行為であるか」によることになる(上記藤田著P88〜89)。 そこで中川義朗教授は,原判決の必要性に関する専門・技術性に関する判断の中身を具体的に検討した上で,本件における「専門性・技術性」については,「中学校の教育程度で判断できる」(甲1050P4)ものであるから,司法判断が可能であって,この程度のものについて司法判断を回避することは許されないことを明らかにしている。この点については,内容に鑑み,費用対効果にも妥当することは明らかである。そして裁判所は,「通常人の共有する一般的価値法則に従って」「客観的法則にそった判断を」「通常人としての衡平感に基づいて」「裁判所として独自の判断を形成し」,その判断を示すことが求められるのである(原田尚彦著「行政法要論」P125,127)。 第2 本件事業の必要性
1 事業の必要性は土地改良法上の要件である 土地改良事業については,事業の必要性は土地改良法上の要件であり,こ れは本件変更計画の場合においても同様である。本件変更計画は,事業の必要性を欠き,違法である。 2 球磨川右岸(北部)地域農業の状況 @ 農業従事者の減少 この地域の大きな特徴は,農家,農業の担い手の減少ということが指摘できる。本来,計画の受益者となるはずの農家の農業従事者は「減少」「高齢化」「後継者不足」という状況に見舞われている。この事実を見れば,多くの地域農業者が「水は足りているのに何故,今,将来に見る新たな借金をしなければならないのか」という疑問や不満を訴えるのは当然である。 A 農業経営の現状 この地域では水稲を中心的な作物とするも,自給用を多く含む。野菜類は水田の裏作や畑で栽培し,果樹園地では栗が基幹的な位置を占め,一部には肥育牛などの畜産が行われているという全体的な特徴を持っている。 このような全般的な状況の中にあって,施設利用によるメロン,イチゴ,花卉,他の野菜の栽培,桃や梨など比較的新しい果樹栽培,タバコ,お茶などの工芸作物,そして肉牛肥育,酪農など畜産における規模拡大などの「専業的農業」の確立を目指す経営が少数ながら存在している。 しかしながら,自家農業を将来的に拡大することを目指す農家は極めて少数派であり,最も多くほぼ半数を占める農家は「現状維持」を指向している。農業経営は水稲はもちろん,地域に定着してきたお茶やタバコ,小規模畜産,野菜類を中心とするものである。また,「縮小,止める」とする農家の6割近い農家で後継者不足など労働力事情がその理由となっている。 3
アンケート調査(甲1051P2〜P6)の結果 熊本県立大学教授中島熙八郎(以下「中島教授」という)が実施したアン ケート調査によると,事業の必要性についての考え方としては,「必要」が18.5%,「必要ない」が42.3%と3:7の関係になっている。一方,中間的な「どちらとも言えない」「不明」が3分の1強になっている。 事業を必要とする理由については,「地域農業にとって是非必要」が最も多く5割に迫る。「今の水事情では不安」がおよそ4分の1,そして「よく話し合えば良い事業に出来る」が3割と,これらが上位を占めている。ただし,現実の自家農業経営に引きつけた理由が比較的少ないという特徴がある。 事業を不必要とする理由については,1人当たりの選択項目数は2.55 で必要とされる理由をほぼ1項目上回っている。「既存水利権を取られたう え,負担金,水代まで払わされる」「今となっては遅すぎる」「自分の地域には不要」「必要のない地域まで巻き込むのは問題」「実情にそぐわないおそまつな内容」など,切実で厳しい批判のこもった意見が上位を占める。さらに,「ダム作りのだしにされたくない」「公共事業に金を使うことが目的では」「古い農政そのもの」「同意の取り方が信用できない」など行政への不満を理由とするものも多く見られる。これらの回答の多くは裁判にかかわる人たちの意見と多くの部分で一致している。このことから裁判に参加していない多くの農家の人々にも共通した考えがあることが分かる(甲1051P7〜P32)。 アンケート調査自体は,1998年9月からの準備段階を経て,2001 年3月までの間断続的に行ってきた結果である。事業の認知度については 「よく知っている」「大体知っている」というのが合わせて55.8%というものである。言いかえると,現時点における認知度においても,44.2%は事業について認知していないのである(甲1051P23)。とすれば,本件事業変更計画において,同意書取得手続が具体的に取られた平成6年度の時点における認知度の低さは明らかである。 なお,アンケート調査の中立性については,中島熙八郎証人調書(第2回)1項ないし143項において詳細に証言しているところである。又,アンケート調査の手法,調査項目の立て方等についても,より客観性のある考えが出るように工夫した跡がうかがえるものである。その実施主体についても学生を通じて,さらに経費面においても,いわば中島教授の個人的研究費の範囲内でなされている。又,これまでの中島教授の経歴や研究歴(甲1053)から言っても明らかなように,中島教授自身は自治体等から依頼を受けた上での研究や執筆がほとんどであって,その意味においてもその調査内容が中立性をそこなうようなものでない。 4 既存水利施設の活用 水の利用については,変更計画書では「既存水利施設の老朽化」「台地上畑の用水手当皆無」とされ,そのことが事業を必要とする最大の根拠となっている。 しかしながら,以下の地域の現地調査の結果や,地域の農家の認識ではその ような事実はほとんど認められないというのが実際のところである。 @ 上原田地区(人吉市) この地区は北部の山塊,つまり山の尾根が張り出したその一番先端に当たる俗にいう畑作台地であり,農作物としてはタバコ,芋類,サトイモ,栗,桃,飼料,家畜のえさ等が作られている地域である(甲1056,甲1057の1〜3)。 この地区にダムからの用水を総延長で21キロ以上も非常に大きな管で引っ張ってくるというのは荒唐無稽ともいうべき大げさな事業である(甲100,甲1051)。それは,コストの面でもそうであるし,又,これだけの大げさなものを作る必要があるのかという意味においてもそうである。上原田地区は台地の上にあるが,西側に馬氷川と万江川が流れている。その上流部から水を引くという方法をとれば,21q以上も引っ張ってくるということは必要ない。それだけのコストを使うのであれば,よりコストの安い万江川とか馬氷川からの導水も当然可能である(甲1051P40)(中島熙八郎証人調書(第1回)65項〜69項,74項)。中島教授の試算によると,馬氷川からの取水とした場合,総延長距離で3.2q,計画の実に約1/7である。 国営事業計画においては一応,計画書の中に総括的にどういう作物を作るのかということが一覧表として出ているが,例えば上原田地区のどの場所でどういうものをどれだけ作るのかという詳細の計画については出ておらず,用途,目的等あいまいなままの計画である。 また,川辺川水系潅漑計画概算事業費計画書(甲1051P47,資料1−1以下)によると,馬氷川の上流から水路を引いて,上原田地区の最上部の一番高いところまで水を持ってくると,どれ位の経費がかかるのかについて,1億7800万円という試算がなされている。国営川辺川の事業計画の場合のコストは,国営事業に関しては,計画書によると,本体工事だけでも340億であり,少なくとも10分の1とか20分の1位の経費で足りるものである。(中島熙八郎証人調書(第1回)74項〜78項) A 下原田地区(人吉市) この地区は川沿いの平垣な水田地帯であり,農作物としては水田は米,そして表作を中心にしてタバコ,畑地の方では一般的な野菜と栗である。 もともとは水田の60%が湿田,40%は水に事欠く水田だったのが,1966年から2年かけて60%の湿田の乾田化,そこからの余剰水とタメ池,馬氷川からの給水を合わせ,残り40%の水田への配水を確保し,恒久的な問題の解決に成功している。その後,1983年より下流,西側の瓜生田地区の区画整理事業にあわせて,さらに井堰,水路の整備を進め一層の用水の充足を実現している(甲1058)。 平成11年7月8日付検証調書添付の一審被告指示説明書の図面Tの第1ブロックについては,組合内で節水調整を行っているという指摘があるが,本来農業をやる人たちが大事に水を使う,いざというときに備えて,常に節水に努めるというのは当然のことであり,あえて異とするに足りない。 同第2ブロックについては,図面Tブロックの余り水を引く用水形態になっているという指摘がある。しかし水は本来高いところから低いところに流れるのであって,いったん上流の水田に入った水が下流に流れて,下流にある水田を潤すということは当然のことである。 同第3ブロックについては,この地域は馬氷川,わき水,タメ池の水,更には非常に備えて,井戸水,多様な水源を組み合わせて,恒久的に稲作が出来るような工夫を,苦労を重ねながらやってきたという歴史がある。 同第4ブロックでは,1から4のブロックの中では最も用水不足を来たしているが,ここは排水路の水とか井戸水を揚水しており,多様な水源を複合的に使いながら,一滴の水も無駄にしないということでやっているところである。 甲1059の1は余り水が流れてきている水路であり,甲1059の2はわき水を集めてきている水路である。この2つの水を用水路を通して下流部に配っている(甲1059の3)。 乙181添付の「馬氷川掛水田,用排水路図」にいう排水路というのは,排水であると同時に,用水路でもある。井戸からのポンプアップについては,水が足りないときの非常時ということで,念のために井戸は残している。これは第4ブロックの最南部であり,第4ブロックの一部である(中島熙八郎証人調書(第1回)99項〜113項)。 乙210添付の別添20の4ブロックについては,上から用水のいわゆ る余水を集めて,それから台地からのしみ出し水を集めて排水路を通して下にも落とす,用水路を通して下にも落とすというように最大限使っている。 梅雨時期の干水用の井戸は幸いにして近年使われることなく済んでいる。梅雨時期の干水用の井戸というのは,たとえ空梅雨のときでも水が最も必要とされる田植えの時期に備えて掘られたものである。井戸水は本来,非常時に使うものとして位置づけられており,定常的に使うことはコストの面で問題がある。乙210P45をみると,あたかもすべての井戸が働いているように見えるが,これを使わないと農業が出来ないというようなことでは全くない。すぐ近場まで川から水が来ているのであり,近場に流れている用水からの分水ということで十分対応が可能である。下原田地区についてはこれ以上の措置は全く必要がない(中島熙八郎証人調書(第2回)191項〜220項)。 B 六角水路について(相良村) 通称六角水路は相良村六藤に位置する水路式のチッソ川辺川第2発電所対岸に頭首口を持つ,延々およそ10qにわたる用水路である(甲1056,人吉市・球磨広域図)。その水量は通常時毎秒約1tもあり,毎秒1tの水を常に運んで地域を潤している(甲1051P36)。この量は国営川辺川土地改良事業で計画されている通常の最大用水供給量6.97tが3010haを供給対象にしていることと比べ,いかに豊富な量かが分かる。既存施設の老朽化ということについては,中島教授が現地を調べられた結果や地域の農家の方々の認識では,そのような事実はほとんどなかった。 問題があるとすれば,第1に事後の内貼り補強が出来ていない,主に橋状の箇所にコンクリートの劣化による傷みがかなりみられること,第2に大量の降雨時に台地斜面や道路の側溝からの雨水,土砂が流入して,水路の水がせき止められて溢水すること等であるが,これらについては十分に対応が可能である(甲1061の1〜3,乙181添付の写真1ないし4)。 主に橋状の箇所にコンクリートの劣化による傷みが見られるが,短期的にはひびとか穴があいた部分については接着剤とセメントモルタルを併用して水漏れは止めることが出来る。長期的にはコンクリートのブロックについていくつかに分割できるようになっており,その最も痛んでいる部分を新しいものに入れ替えるとか,ヒューム管といって土中に埋めて下水などを流すようなコンクリート管に差し替えるなどの方法で根本的に修復は可能である。 又,防災機能との関係では,土砂流というのは基本的にいえば防災の対象になることなので,これは水路を管理されている水利組合の責任というよりは,むしろこの地域の行政の責任である(甲1051P33〜P35)(中島熙八郎証人調書(第1回)121項〜136項)。 すなわち,六角水路については事業計画に言われる老朽化=廃止(川辺川ダムからの水への切り替え)という論理の,社会通念からかけ離れた「飛躍」ではなく,大事に手をかけながら出来るだけ長く使い続けるというまともな論理による対応が求められ,またこれが可能である。 次に,六角水路の活用などによる高原台地の用水確保ということが指摘できる。事業計画では台地上畑の用水手当は皆無とされているが,六角水路の豊富な用水の活用によって,少なくとも一部についての改善が可能であると考えられる。 たとえば,余水を標高の高い農地にポンプアップすること等(中島熙八郎証人調書(第2回)252項〜256項)。 防霜の関係では,高原台地の茶園に川辺川ダムの水を確保することが必要だとする。確かに防霜対策は毎年3月下旬から4月下旬にかけて1ヶ月半程度は必要であるが,現在の防霜ファンで必要にして十分である。 これに対して,水を撒くことによる防霜については,土質の関係から,余り水を撒くと茶の根が腐るというようなことも起きてくるのであり,多大な費用を投じたことによる効果という面でははなはだ疑わしい。 ところで,川辺川ダムによる利水に頼らない方法であるが,高原台地については,既存の水利権を買うという方法によって部分的にポンプアップ して谷を経て水を台地上に揚げる施設を作り,その水を使うという方法で経費を試算すると大体10億円である。これに加えて,上原田,須恵村,多良木村について既存の水源を使って水が足りないとされているところに対して,最も近場から水を引いた場合の経費は14億6000万円であり,国営川辺川の国営事業に関して本体だけでも340億円かかることを考えると,格段に低コストで済む(甲1051P47〜48,中島熙八郎証人調書(第1回)142項〜146項)。 C 八城迫果樹団地(多良木町) ここでは,柿川という川が台地の西側に流れており,その最上流部に砂防堰堤がある。そこの上流部を土砂を排出して堰堤そのものをかき上げすることで水をため,この団地にその水を水路で引っ張ってくるという方法が考えられる。 事業計画では配水の距離17q以上を広域農道に敷設される巨大な導水管と揚水ポンプ,ファームポンドによって行われることになっているが,これに比べると,上記方法の方が費用も格段に少なくて済む。熊本県下には本来砂防ダムとして作られたものから水を取っている事例が何ヵ所もあるのであり,そのような前例があるということは可能性ありと評価できるものである。 D 阿蘇地区(須恵村) この地区では,梨園を中心とする西側の樹園地,畑については「暫定ファームポンド」が設置され供用されている。必要があればこの暫定ファームポンドの拡充−池の容量増,ポンプの増強などで対応できる。東側については地下水の利用,あるいは豊富な松ヶ野川に水を求めることも考えられる。この場合だと配水距離は3qとなり,計画の10q余の3分の1で済む。 E 鷺巣地区(深田村) この地区では,区画が狭く,「表土」が皆無に等しい。こうした荒地を農地とすること事態無謀である。この地区では現状でも農業は出来ず,水をよそから引いて持ってくる必要性はない。 5 以上のとおり本件の事業の必要性はなく,本件事業変更計画は違法である。 1 費用対効果とは @ 費用対効果とは 費用対効果は,もともとアメリカでダム建設などの水資源開発の公共事業に対する実際的評価手法として開発され,その後,経済学の「費用便益分析」として論拠付けを与えられた概念である(甲1071P1) 公共事業においては,民間企業のような収益による財務分析ができない。公共事業は収益を前提にせずに,社会的便益あるいは公共性が問題とされるからである。したがって,事業の経済的妥当性を評価する場合,当該公共事業の社会的便益と社会的費用を比較してその経済的効率性を分析するのである。 すなわち,その社会的費用に比して社会的便益が大きいとき,その事業の効率性は高いと考えられる。 この分析手法は,多くの公共事業において採用されるべきものであり,欧米諸国ではかなり古くからこの手法が法律で義務付けられてきた。しかしわが国ではこれが法的に義務付けられる例は多くない。近時はさまざまな公共事業にこの手法が取り入れられているが,これらは必ずしも法的に義務付けられているわけではない。その中で,土地改良法は,法令によって費用対効果評価を義務付ける数少ない例のひとつである(国営事業に関して土地改良法87条2項,3項,8条2項,3項,同法施行令2条3号,同法施行規則15条4号)。 A 土地改良法における費用対効果の意義 上述のとおり,土地改良法は土地改良事業に関し明文で費用対効果評価を法によって義務付けている。これは,土地改良事業が一般に公共性を有すると考えられる事業である一方で,事業に参加する個々人の財産権の制約を常に伴うものである点で,明確な社会便益性あるいは公共性を厳格に要求しているものと考えられる。 だからこそ,土地改良事業においては,費用対効果評価は事業の基本的要件であり,この要件を満たさない事業は違法であり,この違法判断は司法審査の対象となるのであり,そしてさらに記述のとおりその評価は羈束裁量行為となるのである。 2 費用対効果は変更計画においても土地改良事業の要件 @ 一審被告の主張 一審被告は,費用対効果は変更計画の要件ではないと主張する。その理由とするところは,土地改良区,農業協同組合等または三条資格者,市町村の行う土地改良事業の変更にあたっては土地改良法48条9項,95条の2第3項,96条の3第5項,48条9項(48条9項を準用)は法8条を準用するのに対し,国営あるいは県営の事業の変更計画について規定する土地改良法87条の3第6項は同法8条4項を準用していないというものである。 A 一審被告の主張に対する反論 しかしながら,上記の差異は,事業計画を策定する手続の差異に基づくものである。 すなわち,一審被告が主張する土地改良区等の行う土地改良事業においては,上記に記載されるそれぞれの者が事業を行うのに都道府県知事の認可(市町村が行う場合は都道府県知事の同意)が必要とされ,その認可(同意)の手続に際し自ら計画を策定し,その事業計画の適否に関する決定を受けなければならない。土地改良法8条の規定はその適否の決定を受ける際の手続を定めたものである。特に同法8条4項の規定は適否の判断基準を示しており,認可申請にかかる土地改良事業は政令で定める土地改良事業の施行に関する基本的な要件に適合するものでなければならないとしているのである(同項1号)。これを受け,土地改良法施行令2条は,土地改良事業の施行に関する基本的な要件を次のとおり定めている。 一 当該土地改良事業の施行に係る地域の土壌,水利その他の自然的,社会的及び経済的環境上,農業の生産性の向上,農業総生産の増大,農業生産の選択的拡大及び農業構造の改善に資するためその事業を必要とすること。 二 当該土地改良事業の施行が技術的に可能であること。 三 当該土地改良事業のすべての効用がそのすべての費用を償うこと。 四 当該土地改良事業の施行に係る地域内にある土地につき法第三条 に規定する資格を有する者又は当該土地改良事業の施行により造成される埋立地若しくは干拓地につき農業を営むこととなる者が当該土地改良事業に要する費用について負担することとなる金額が,これらの者の農業経営の状況からみて相当と認められる負担能力の限度を超えることとならないこと。 五 当該土地改良事業が法第七条第四項 に規定する土地改良事業である場合において,次に掲げる要件に該当すること。 これにより,必要性を欠く事業,費用対効果の要件を満たさない事業等については認可されないこととなる。 そしてこれは変更計画においても同様であり,このため上記土地改良区等の行う土地改良事業では変更計画の際にも上記同法8条が全面的に準用されているのである。 これに対し,農林水産大臣,都道府県が行う土地改良事業は別の手続が取られる(同法85条以下)。これらの事業が三条資格者の申請に基づくものであることが同じであるが,土地改良事業の申請があった場合,農林水産大臣あるいは都道府県は,その事業計画の適否を決定し,これを適当とする旨の決定をしたときは,自らが土地改良事業計画を定めなければならない。したがって,適否を受ける手続を定めた同法8条が準用されないのは当然である。その代わり,上記計画の策定に当たっては専門的知識を有する技術者の報告に基づかなければならないとする同法8条2項と,その調査には,当該土地改良事業のすべての効用と費用とについての調査を含むものでなければならないとする同条3項の規定を準用し(同法86条2項),さらに当該の土地改良事業計画は,これに基づいて施行される土地改良事業が同法8条4項1号の政令で定める基本的な要件に適合するものとなるように定めなければならないとしている(同法86条3項)。 変更計画においてもこれは基本的に同様であり,農林水産大臣あるいは都道府県知事は自ら変更計画を策定するものであり,その際の手続として上記同法8条2項及び3項を準用する(同法87条の3第1項,第6項)。同法86条3項は手続を定めたものではなく,計画の適合基準を定めたものであるから,これはおよそ農林水産大臣あるいは都道府県知事の策定する計画の適合基準となるものであり,計画を変更する際の手続について定めた同法87条の3がこれを準用していないからと言って,この適合基準を離れてよいということにはならない。 むしろ,同法87条の3第6項が同法8条2項及び3項を準用していることは,まさに同法86条3項の適合基準がここにも適用されていることを示している。同法8条2項及び3項が定める調査の報告は,当該土地改良事業のすべての効用と費用との比較及びこれらの算出基礎を記載しなければならないものとされている(土地改良法施行規則15条5号)。これらは適合基準を判断する資料以外のなにものでもない。 したがって,「土地改良事業計画が基本的要件に適合していなければならないことは,事業主体を問わず,また,当初計画か変更計画かを問わず,すべての土地改良事業計画に妥当するものであって,国営または都道府県営の土地改良事業の変更計画だけが基本的要件に適合することを要しないというわけではないことは当然というべきである」とした原審判決は全く正当なものである。土地改良事業変更計画が基本的要件に適合しているか否かは計画の適法要件となるのである。 そしてその適合性の判断が羈束裁量となることはすでに前述したとおりである。 3 本件事業の費用対効果(宮入興一証人尋問の結果) 本件変更事業計画が費用対効果の要件を満たしていないものであることは,すでに2002年4月23日付控訴人ら準備書面において詳述したところである。以下簡潔に要点をまとめる。 @ 費用対効果の算出 公共事業における費用便益分析では,収益ではなく,当該公共事業から生じる社会的便益(B)と,直接事業費を含む社会的費用(C)とを比較し,BがCより大きい場合,すなわち,B−C>0またはB/C>1の場合に,事業の実施が是認される。投資効率の計算式は次のとおりとなる。
「妥当投資額」は以下の計算式で求められる。
「年総効果額」を「還元率」で除すのは,公共施設の耐用年数中,毎年同額の年総効果額が得られるものと想定し,この年総効果額を現在価値に引き直すのに一定の割引率を使って換算する方法が一般に経済学ではとられるからである。また,還元率に建設利息率を乗じてこれに加えるのは,事業費の一部に農家負担を伴い,かつ,事業着手から一部効果発生までの年数の間,農家負担に先行投資の建設利息がかかるからである。 「廃用損失額」というのは,従来使用していた有用な施設が事業のために無駄となるために,その損失分をいい,これを効果額から控除する。(以上甲1071P13〜14,第1回宮入証人調書51〜57項) A 一審被告の計算 一審被告の計算によれば妥当投資額は616億7200万円である。これを一審被告の計算による換算総事業費616億4800万円で除すと,その投資効率は1.0036となる。これはかろうじて費用分析評価をクリアする数値である(甲1071P14,表3,第1回宮入証人調書58〜59項)。 上記算定において,「年総効果額」のうち最も大きなウェイトを占めているのは「作物生産効果」である(甲1071P15,第1回宮入証人調書61項)。この算定の基礎が少しでも揺らげば,投資効率は1を下回ってしまう。 しかし,この数値が客観的な数値に基づかないものであることが,宮入興一証人の証言で明らかになった。 B 本件変更計画の投資効率は1を下回る〜宮入興一証人尋問の結果 ア 客観的に妥当な根拠を欠く計画作付面積 本件変更計画における妥当投資額の算定においては,年総効果額は41億5600万円とされており,うち作物生産効果は34億8600万円と年総効果額の83・9%を占めている。主要作物別に見るとメロンが17億3300万円とその49.7%を占めている。 このメロンの計画作付面積は現況の240ヘクタールから560ヘクタールへと大きく増大することを見込んで計画されている。しかし,この見込みには何ら客観的根拠は示されておらず,農家の減少傾向,生産者の高齢化及び後継者難,産地間競争等の農業情勢や,同様の時期の他の目標数値に照らしてみても,この見込みは「楽観的な推定」「淡い期待」「甘い期待」にすぎないものであることが明らかである。そして,この作付面積の増加見込みがわずか1%減少しただけでも投資効率は1を割り込んでしまう。このことは,他の主要作物,例えば,なしと茶についても言えることであり,これらを検討すれば投資効率はもっと低下することとなる。 すなわち,一審被告が算定した妥当投資額は過大な評価に基づくものである。(以上甲1071P14〜19,第1回宮入証人調書60〜129項,第2回同人調書107〜125項,同153〜項) イ 一審被告の主張への反論 一審被告は,上記のような検討に対して,本件変更計画の法的手続開始時点で入手し得る統計データは,平成3年産のデータまでであり,平成3年までのメロンの作付面積は,球磨農業グランドデザイン(平成元年3月)(甲1093)によるメロン生産の見通しとほぼ一致しているから,本件計画が計画作付面積の基礎資料としてこれを採用したことは合理的であるとしている(甲225)。 しかし,宮入証人も証言しているように,グランドデザインの数値は,努力目標であり,計画の算定に用いるべき客観的指標とは異なる(第1回宮入証人調書62〜85項,甲1071P17)。計画数値にはより客観的な数値検討が必要となる。さらに,一審被告の変更計画はこのグランドデザインの数値を,グランドデザインが平成7年までの目標値として設定しているのに対し,これを根拠なく平成16年までそのまま増加し続ける前提で使用している。しかも畑かん施設の整備によりその伸び率がさらに増加することを具体的検討もなく前提としている。このために変更計画での計画作付面積はあまりにも過大なものになってしまっている。 他方,熊本県球磨事務所が1994(平成6)年3月に出した「球磨地域農業計画」によれば,メロンの作付面積の見通しは大幅に下方修正されている。上記一審被告の見解は計画当時はこのような資料を見ることができなかったというものであろうが,この計画には親計画としての熊本県農業計画(平成5年3月)(甲1105)が存在しており,翌年の見直しの基本的な指針はここで策定されている。本件変更計画とこの熊本県農業計画は,資料収集期間としてはほぼ同じ時期に行われたものである。本件変更計画策定時において調査を尽くしていれば,この下方修正に至る資料を一審被告においても収集できたはずであり,計画の基礎となる数値をもっと客観的に把握することは可能であったといわなければならない(第2回宮入証人調書149項)。 ウ 妥当と考えられる作付面積 では,1993(平成5)年当時としてより妥当なメロンの計画作付面積はどのように算出され得るか。 宮入証人はこの点に関して,いくつかの試算を提示している。@仮に平成元年のグランドデザインの数値を前提としたとしても,これが平成16年まで伸び続けるとは到底考えられず,平成7年には伸び率がストップして平成16年に至るとすると,この場合の増加作付面積は変更計画よりも35.3%減少し,その投資効率は0.8734にまで落ち込む。Aこれに変更計画が言うように畑かん施設の整備により作付面積設備の増加が見込めるとしたとしても,その場合の投資効率は0.9180にとどまる。B変更計画当時にも資料収集により分析可能であった「球磨地域農業計画」での数値に基づいて同様の推計を行うと,増加作付面積は41%減少する。これが本来妥当な数値と言うべきであろう。この場合投資効率は0.8521にまで落ち込む。Cこれに同様に畑かん施設の整備による作付面積増加見込みを上乗せすると,投資効率は0.8977となる。(甲1164,第2回宮入証人調書158〜162項) いずれの数値も,到底法定要件である投資効率1の数値には満たないものばかりである。 4 結論 以上のとおりであるので,本件変更計画は,土地改良事業の基本的要件である費用対効果の分析においてその適合基準を満たしておらず,違法な計画である。 およそ農民であってかんがい用水に反対する人はいない。何故ならば,水は太陽の光や土と同様農業に必要不可欠なものであるからである。しかしながら,現代の農業は,経費を抜きに生産は出来ない。そのコストの中には土地代はもちろん,水代も含まれるのである。 したがって,現在のかんがい施設のほかに別のかんがい施設が必要なのかどうか,必要だとしても自らの農地に水を引き利用する経費がいくらかかるのかは,現代の農民にとっては最大の関心事である。 それは,国営・県営・団体営という形の工事費用だけでなく,施設の維持管理費用,さらにはダムの水を取水する費用も含めた受益者負担額の総額が問題になるのである。 したがって,農民が負担することになる受益者負担の総額が明らかにされること(情報公開)が前提である。本件では,それがちゃんと明らかにされたかどうか,農民を騙す形で行われていないかが問題である。 1 原判決は,次のとおり受益者負担問題について,一審原告の主張を否定する判断行っている。しかしながら,以下の裁判所の判断は土地改良法の解釈も含めて明らかに誤りであり,取り消されるべきである。 2 本件用排水事業の費用 @ 原判決の判断(要旨) 公告された書面である「国営川辺川土地改良事業(農業用用排水・農地造成・区画整理)における事業費の負担区分の予定および地元負担の予定基準」と題する書面(乙31)には,本件事業のよう排水事業の三条資格者の負担がないことが明示されている上,法90条の規定による負担金の納入方法について,関係市町村は,同条項の規定により,熊本県が三条資格者に対する負担金に代えて当該市町村にこれに相当する額として負担させる金額を,熊本県に対し負担する旨定められているのであるから,本件変更計画を前提とする限り,熊本県が同条2項に基づいて直接に三条資格者から負担金の徴収をする余地はないというべきである(P169〜170)。 A 原判決の誤り いわゆる受益者負担を三条資格者にさせるかどうかについては,法90条で(熊本)県にその権限が与えられており,一審被告には与えられていない。また,後述するように熊本県は乙31の予定負担基準に土地改良法上同意したのでもない。したがって,乙31の書面があることから熊本県が法90条2項に基づいて直接に負担金の徴収をする余地はない,という原判決の判断は明らかに誤りである。 3 本件事業で新設された施設の維持管理費の負担 @ 原判決の判断(要旨) 本件事業によって新設される施設の維持管理は,本件事業とは別個の土地改良事業として,後に設立予定の土地改良区によって行われることとなっているのであり,このような維持管理事業の位置付けや進捗状況からすれば,維持管理についての説明(既存の土地改良区(例えば,百太郎溝土地改良区)による賦課金よりも低額となるよう関係市町村において検討・調整が行われていることー引用部分)の程度であっても,本件の同意取得手続きに違法があるとはいえない(P167〜168)。 A 原判決の誤り 原判決は,前@程度の説明でよいとするが,そのような説明は次のとおり一切存在しない。 多良木町役場耕地係長松崎啓一は,多良木町における説明会についても参加したものであるところ,パンフレット(乙46)の予定管理のランニングコスト,維持管理費用について負担金についてどうなるか聞いていない(同人平成14年5月30日調書298項)と証言している。 その上で,同人は,「土地改良区を設立した後のことを私は聞いていませんでしたので,その負担について話はしていません」(同上299項)と明言している。したがって,同人は国営の施設が壊れた場合の負担についてわかりませんでしたので説明はしていない(同上301,302項)と証言している。 次の証言からも明らかなように,松崎証人は説明会のあった平成6年当時,維持管理費用は只であると理解していたが,平成14年の時点では「維持管理費」は「土地改良区を設立した上で決まると思います」(同上306,307項)と述べたものの,その内容は具体的には分からないし,電気代が要るとは聞いていないと証言している(同上308〜315項)。 ちなみに,百太郎溝は多良木町に存在(熊本県大百科事典・熊本日日新聞社P697)している。 以上のとおり,既存施設百太郎溝よりも低額の負担しかからないなどと説明したという原判決の判断は,担当者自身が否定しており,誤りである。 4 県営・団体営等の関連事業の負担 @ 原判決の判断(要旨) 三条資格者としては,関連事業の同意取得手続きにおいて関連事業による費用負担の程度も考慮に入れて,賛否を表明することができるのであるから,関連事業による費用負担については,基本的には関連事業の手続きにおいて説明されるべき事項であるということができ,また,本件変更計画の段階では,関連事業の費用負担問題については未だ決まっていなかったのであるから,本件変更計画の段階で関連事業の費用負担の問題を説明するとしても,その説明の内容・程度には自ら限界が存在するというべきである。 したがって,被告が関連事業の費用負担についての具体的な説明をしなかったからといって,これをもって,関連事業を含めた一切の費用負担がないとの誤解を与えるような不適切な説明であったということはできない(P166〜167)。 A 原判決の誤り 原判決は,本件変更計画の段階では関連事業の費用負担問題についていまだ決まっていなかったことを上げているが,次のように費用負担問題は決まっていたが公表されなかっただけである。 すなわち,本件はそもそも変更計画の問題である。本件の当初計画は昭和59年であり,本件変更計画は10年後の平成6年である。したがって,当然関連事業の費用負担問題の検討は済んでいるはずである。 この点は,平成7年4月6日の本件変更計画に対する異議申立てに係る口頭による意見陳述の中で,九州農政局山下管理課長は,関係農家の負担金については試算しているが公表する予定はないが,県営・団体営については負担額が早急に示されるよう指導している,と述べている。しかしながら,県営・団体営についてはついに負担金については明らかにされていない(乙50の3P1)。 要するに,負担金について試算はあるが公表しないとするのが一審被告の立場であり,原判決の判断は誤りである。 5 川辺川ダム建設の事業費の受益者負担 @ 原判決の判断(要旨) ダム建設事業は,特定多目的ダム法に基づいて建設大臣により実施されるもので,本件事業とは別個のものである上,右負担金は本件事業に参加することによって必然的に生ずるものでなく,関連事業を経て負担者になるかどうかが決まるというべきであるから,被告が説明するにしても,負担者となる可能性がある旨指摘する程度にとどまるのであって,右ダム建設事業の施行者でも負担金の徴収者でもない被告が,本件変更計画の手続きにおいて,右負担金の説明をしていないからといって,本件同意取得手続きに違法があるということはできない(P168〜169)。 A 原判決の誤り しかしながら,国営川辺川土地改良事業変更計画概要書(農業用用排水―乙27の1)の「(6)費用の概要」には,「関連事項・その他」に「川辺川ダム負担金」として31億5500万円と記載されている。これは,県営や団体営と同じ扱いであり,本件変更計画を前提にして同じ三条資格者が水を引いた場合の水代の問題にすぎない。しかも,変更計画の概要は法87条の3第1項で同意の対象である。 原判決の判断は土地改良法に反するものであり,誤りである。 なお,一審被告によれば法87条の3第1項の公告すべき事項として「変更計画の概要」のほか「その他必要な事項」があり,そのいずれかに基づき川辺川ダム負担金が公告され,同意の対象となったことは明らかである。しかも,この川辺川ダム負担金は総額が定まっており,かつ農業用用排水の対象面積も決まっているのであるから受益者負担額を三条資格者に明らかにすることはできたし,法律上も明らかにすべきであった。 国営川辺川土地改良事業変更計画(以下本件変更計画という)について定めた土地改良法第87条の3第1項には,その要件として「三条資格者の3分の2以上の同意」のあることが規定されている。もとより,この同意は変更計画に対する同意であり,その同意の対象は次の通りである。 第1に,当該変更計画の概要である。 第2に,予定管理方法等を変更する必要があるときは変更後の予定管理方法 第3に その他必要な事項 その上で,同法は上記の事項を公告して同意を得ることと規定されている。したがって,公告された本件変更計画概要,予定管理方法等は,同意の対象となる。 一審被告は,水代はいらない(受益者負担がない)などとして三条資格者から同意署名を取得したが,同意取得時に制度上受益者負担はあったのであり,受益者負担がないと思って同意した三条資格者は錯誤により同意したものであり,その同意は以下のとおり無効である。 1 受益者負担についての一審被告と県との見解の相違 @ 一審被告の説明義務 一審被告(農林水産大臣)は,第五準備書面で「予定負担基準」(乙31)を法87条の3第1項の「その他必要な事項」に当たるとして公告したことを自白した。一審被告は,これまで錯誤については要素の錯誤かどうかを争っており,その意味では同意の対象になるかどうかを争ってきたといえる。しかしながら,今回,一審被告は受益者負担については法87条の3第1項に基づいて公告したことを認めており,同意の性質が合成行為であるところから,少なくとも一審被告の説明義務の範囲内に受益者負担問題があることに問題はなく,これについて客観的に誤った説明をすれば違法性があり,詐欺・錯誤の問題となることは明らかである。 A 熊本県は予定負担基準を受け入れていない。 なお,一審被告は,「予定負担基準」の農家負担については,用排水事業はなく,農地造成事業は事業費の2.5%,区画整理事業は事業費の5%となっているとして,「これら変更計画概要書,予定負担基準については,一審被告が本件広告手続き前に熊本県知事と協議(回答書は乙第33号証)を行い,熊本県知事は関係市町村長と協議を行っている(これは公知の事実である)」(第五準備書面P42)と」主張している。 しかし,一審被告は法87条の3第4項の協議について申し入れた内容である「平成5年11月19日付け5構改B第1146号」については自らが所持しているにもかかわらず控訴審の結審になろうとするのに書証として提出していない。これでは協議事項は不明である。また,熊本県の回答も単に協議について異議がないとするだけで協議内容を具体的に明らかにしていないのであって,協議事項は不明である。 また,熊本県が法87条の3第5項の市町村との協議をしたかどうかも明らかでなく,ましてや用排水事業の農家負担を求めないことについて関係市町村長と協議したという事実はなく,そのような公知の事実など存在しない(該当日前後の熊本日日新聞にも関連記事は存在しない)。それどころか,以下に述べるように熊本県は農業用用排水の受益者負担については法90条2項によるとの立場を崩していないのである。 本件変更計画の関係市町村議会が受益者負担を各市町村議会が負担するとした決議をしたのは平成4年から平成5年3月にかけてである(乙128)しかしながら,これは法90条10項による決議ではない。法90条9項では,熊本県が政令に基づいて市町村に受ける利益の限度で負担させることが出来るとされ,これを受けて負担する具体的金額は市町村の意見を聞いた上で決めるとある。熊本県がその手続きをしていないことはまさに公知の事実である。 ところで,熊本県知事と農水大臣が協議したのは平成5年11月19日である。法87条の3第5項によれば,熊本県知事は農水大臣との協議の前にあらかじめ関係市町村長と協議しなければならないとなっている。しかし,その事実は立証されていない。 なお,熊本県知事は平成5年9月1日付で九州農政局長あてに「国営土地改良事業に関する地元負担割合について」を送付している。これを九州農政局で受け取ったのはなぜか平成5年9月28日である(乙127)。時期的に考えと,手続上は熊本県知事が関係市町村と協議をした後のことであると考えられる。 この回答は,熊本県が法90条2項によって地元負担者から徴収すると断っているところから,予定負担基準(乙31)を前提にした法90条9項・10項による関係市町村負担条項によらないという意思を明確に九州農政局に表明したものである。 ところで,熊本県知事の提示した負担割合及び予定負担基準との比較は次のとおりである(乙127,乙31)。 国 県 地元 (予定負担基準) 農業用用排水 60 28 12 なし 農地造成 70 22.5 7.5 2.5 区画整理 41.1 30 28.9 5 以上の熊本県知事の見解は現在に至るも変更されていない。 B 熊本県知事が予定負担基準を受け入れなかった理由 熊本県知事が予定負担基準に同意しなかったのは,乙127の県知事の書面からも明らかなように,県の負担割合は,国営川辺川だけでなく,国営菊地台地,国営羊角湾にも共通する問題であったからである。 すなわち,負担割合が国営川辺川だけが極端に減るからであり,熊本県としては採りえない方針であったからである。 以上のとおり,熊本県は予定負担基準に同意していないことは明らかである。ちなみに,法87条の3第4項の協議は同意までは要求していない。これは,同法第7項では市町村申請にかかる国営土地改良事業を変更する場合には関係都道府県,市町村の同意を要求していることからも明らかである。 いずれにせよ,一審被告は現在では,受益者負担金を実際に徴収するまでに90条9項,10項の手続きを取ればよいとの主張(第五準備書面P43)に後退し,一審原告の主張を事実上認めている。 2 一審被告の説明の内容 @ 主要工事費用 一審被告は,本件変更計画の用排水事業の主要工事について受益者負担が無いとか,水代がいらないと三条資格者に対し説明してきたと主張し,当時者間でその限りでは争いはない。 すなわち,少なくとも同意署名をした全ての三条資格者が,同意署名をする際に,推進員および関係市町村の同意署名を集めた担当者ら(以下推進員らという)から利水事業の主要工事費用について受益者負担がないと言われて,これも前提に同意するかしないかの意思表示をしたことは明らかである。 これは,熊本県の決めるべき受益者負担の問題を一審被告があえて三条資格者に説明したのであるから,当然客観的根拠が必要である。しかし,一審被告はその根拠を全く説明していない。 この点は,錦町の職員久保田邦康証人も,土地改良には受益者負担はあると思っていたが,なんらの根拠もなく「事業所なり,組合なりに,説明会で聞いています」(同人の調書P241,244)ということで,一審原告の主張を裏付けている。 A 管理運営費用 一審被告は,管理運営費用も含めて水代はいらないと言って三条資格者に対し説明してきた。少なくとも推進員らは三条資格者に対し同意署名を求めた際には管理運営費用も含めて水代はいらないとして説明を行なったものである。 ところで,一審被告は第五準備書面にて,本件パンフレットには施設の維持管理の実施主体として土地改良区が記載されており,三条資格者から維持管理費の質問があった場合には,後に土地改良区を設立して賦課金が徴収される旨の説明を行っている(P43),と主張している。しかし,すでに述べたように多良木町耕地課係長松崎啓一証人はそのような説明をしたことはないし,維持管理費についてどうなるのか聞いたこともない,と証言している(同人の調書P285,298)のであって,松崎証言が本件の争点が明らかとなった控訴審で平成14年5月30日に行われたことからしても,一審被告の主張は事実に基づかない主張である。また,この点は,多良木町在住の東秀行も説明会で多良木町に水を引くのにお金は一切要らないということを妻が聞いたことを証言しており,松崎証言を裏付けている(同人の調書76項)。 すなわち,全ての三条資格者が,同意署名をする際に,推進員らなどから用排水事業の管理運営費用について受益者負担がないと言われてこれも前提に同意するかしないかの意思表示をしたことは明らかである。 B 関連事業費用(県・団体営) 一審被告は,県・団体営の関連事業費用も含めて水代はいらないと言って三条資格者に対し説明してきた。少なくとも推進員らは三条資格者に対し同意署名を求めた際には県・団体営の関連事業費用も含めて水代はいらないとして説明を行なったものである。 すなわち,全ての三条資格者が,同意署名をする際に,推進員などから県・団体営の関連事業費用について受益者負担がないと言われて,これも前提に同意するかしないかの意思表示をしたことは明らかである。 なぜならば, 三条資格者は既存施設で用排水を確保しており,新たに水代がいるような事業に参加することはまずありえないからである。 C 川辺川ダム負担金 一審被告は,川辺川ダム負担金があるという説明は一切三条資格者にしていない。錦町職員久保田邦康も川辺川ダム関連費用についてははっきりした説明を受けたことはないが,お金はいるなと思っていた(同人の調書P247)と証言しており,一審原告の主張を裏付けている。 一審被告が推進員らを通じて行なったのはこの川辺川ダム負担金をも含めて水代がいらないという説明である。事実,一審被告が説明に使ったというパンフレットにも川辺川ダム負担金は記載されていない。 すなわち,全ての三条資格者が,同意署名をする際に,推進員などから川辺川ダム負担金とは明示せず全ての水代がいらない,すなわち受益者負担がないと言われて,これも前提に同意するかしないかの意思表示をしたことは明らかである。 第5 「水代はいらない」として行った同意は錯誤による意思表示である 水代がいらない,受益者負担がないとして同意した者は全て錯誤による意思表示であり,その同意は錯誤により無効である。 1 まず,一審被告が本件変更計画につき自ら水代はいらない,受益者負担はないなどと言って推進員らを使って全三条資格者の同意を求めて回ったと主張していることは争いのない事実である。 したがって,水代がいらない,受益者負担がないと思って同意した事例は少なくともその全てが表示されたものであることは疑いない。また,国営事業の水代がいらない,と同意した者もその全てが表示されたものであることは当時者双方に争いは全く無いはずである。すなわち,これらの事例は一審被告の側の推進員が水代がいらないと説明したことに対してなされたものであり,それに対する同意であるから当然表示されたと評価できるからである。 2 次に,水代がいらないなどということは,本件変更計画に対する同意に関してはいわゆる法律行為の要素の錯誤である。 すなわち,法87条の3第1項で公告される事項として予定負担基準が含まれることは一審被告も第五準備書面(P42)で認めている。したがって,予定負担基準が同意の対象になることは同項の認めているとこである。同意は合成行為であり,公告される事項たる負担割合は当然に同意という法律行為の要素に該当する。 ちなみに,およそ土地改良事業における受益者負担は三条資格者にとって,自らの農業経営を経済的に成り立つかどうかを判断して計画に同意するかどうかを決めるのであるから,まさに同意という法律行為の要素そのものである。 3 ところで,錯誤による意思表示とは,意思表示の生成過程に表意者の主観と現実とのくいちがいが(錯誤)があるため表意者の意識しない表示と真意の不一致を生じている意思表示をいう。したがって,錯誤があるかどうかは当該意思表示がなされた時点で判断すべきことである。 そして,本件変更計画の同意署名をとった平成6年11月3日までの時点では,土地改良法上「水代がいらない」,「用排水事業につき受益者負担がない」ということはなかったのであるから,錯誤が成立する。 ちなみに,国営土地改良事業において,主要工事の費用負担が現実のものとなるのは計画に対する同意取得の段階ではなく,@都道府県が自ら負担する部分の支払方法は事業実施年度の翌年度からであり,A本件で問題になっている三条資格者が負担すべき部分の支払方法は事業完成年度の翌年度から利率を年5分とする元利金等年賦支払の方法である(土地改良法施行令52条の2第1項1号・「土地改良法解説」第4回改訂版P300)。 したがって,もともと計画に対する同意取得時に受益者負担があるかどうかは,現実に負担を課されているかどうかではなく,法律上負担することになっているかどうかという制度上の問題であった。 すなわち,土地改良法90条は原則として三条資格者の受益者負担を定めており,例外として同法9項,10項の要件を満たせば関係市町村が受益者として負担をし,三条資格者が負担しないという制度になっている。 そこで,三条資格者の受益者負担がないというためには,同意取得時に土地改良法90条9項,10項の要件が満たされていたことが必要にして不可欠ということになる。しかし,本件変更計画ではその要件は満たされてなかった。ちなみに,平成3年以前には法90条9項10項は制定されておらず,受益者負担は制度上当然であった。したがって,平成3年以降同意取得の時点で受益者負担がないというには法90条9項10項の要件を備えていることが必要である。 そこで以下,客観的に受益者負担が存在するかどうかを検討する。 本件変更計画に関する事業については,次のとおり同意取得時において客観的事実として制度上受益者負担があった。 1 主要工事費用 主要工事費用につき三条資格者に受益者負担があることは平成6年11月当時客観的事実であった。 土地改良法90条は本件変更計画などの費用負担に関する規定である。同法90条1項で一審被告は都道府県に対し費用の一部を請求することができるとなっているところ,本件変更計画に関して,一審被告が県に主要工事費用の一部を請求する方針であったことは争いがない事実である。 しかしながら,土地改良法90条では,一審被告から請求を受けた都道府県がその一部を受益者たる三条資格者に請求するか(同条2項・4項・5項),利益を受ける関係市町村に請求するかどうか(同条9項,10項)はその選択に任されている。 土地改良法90条9項,10項が新設される平成3年以前は,当然のことではあるが,国営土地改良事業に受益者負担は付き物であった。その時点までは,都道府県は,次の3つのルートを選択して三条資格者に受益者負担を求めることができた。 @ 直接三条資格者に請求するか(直接ルート;法90条2項) A 間接的に関係市町村を経由して三条資格者に請求するか(市町村ルート:法90条5項〜90条6項で三条資格者に請求) B 間接的に関係土地改良区を経由して三条資格者に請求するか(改良区ルート;法90条4項〜法36条1項で三条資格者に請求) これらは,いずれにせよ三条資格者に受益者負担を求めるルートの違いにすぎず,受益者負担は当然の前提である。原判決は,法90条5項の規定を誤って解釈したものである(「土地改良法解説」第4回改訂版P309)。 したがって,受益者負担がないというためには,平成3年に新設された法90条9項,10項の要件を満たす必要がある。 しかしながら,熊本県は平成6年11月3日までに,土地改良法90条9項により関係市町村にその受ける利益の限度での請求する意思を表明しておらず,かつ熊本県議会は法90条1項による負担金について市町村がその受ける利益の限度で負担すべき金額についての法90条10項の議決をしていない。 法90条9項,10項に定める市町村の負担金の支払方法については,当該負担金が当該国営事業によって利益を受ける市町村による受益者負担という性格を有することから,三条資格者の負担金の支払方法と同一の方法によることとされている(土地改良法施行令52条の2第1項1号,3項2号,5項,7項及び8項,53条の3並びに53条の4「土地地改良法解説」第4回改訂版P310〜311)。 したがって,熊本県が三条資格者に受益者負担を求める意思を表明できるのであれば,当然に同じ受益者負担をする関係市町村に対して請求する意思を表明することは可能であり,熊本県議会もまた議決をすることが可能である。 しかし,本件では,熊本県知事は法90条2項による受益者負担方式を選択しているのであり,本件変更計画の主要工事についての三条資格者の受益者負担は,同意取得の時点では制度上存在していたのである。 すなわち,熊本県知事は,平成2年5月23日付け九州農政局長あて書面(乙126)でも,平成3年の土地改良法改正後の平成5年9月1日付けの九州農政局長あての書面(乙127)でも,土地改良法90条2項により三条資格者から受益者負担を徴収する立場を表明している。そして,この立場は平成6年11月当時も,さらに現在までも変わっていないのである。 ところで,被控訴人は,本件事業については予め熊本県と協議したので問題がないかのように主張している。 土地改良法87条の3第4項によると,「・・土地改良事業計画の変更をするには,農林水産大臣・・は,あらかじめ,・・公告をする前に,その公告をする事項について,国営土地改良事業にあっては関係都道府県知事と・・協議しなければならない」と規定し,同法5項ではその場合都道府県知事は予め関係市町村長と協議しなければならないとしている。 しかし,熊本県知事は土地改良法90条2項により三条資格者に請求する立場を変更すると表明したこともなく,また一審被告や関係市町村との協議でこの立場を変更すると確認したこともない。 2 管理運営費用 管理運営費用は受益者たる三条資格者の負担をもとに賄われるものであることは平成6年11月当時客観的事実であった。 国営川辺川土地改良事業変更計画概要書(農業用用排水・乙第27号証の1)には,@主要工事計画として揚水機と用水路(4頁),A基本計画として,特定多目的である川辺川ダムから最大6.97/sを取水し,これより地区内に導水するために,導水路(5.9 q),幹線水路(13路線42q),揚水機場(2ヶ所)等を建設し,農業用水の安定的確保と供給を図る(7頁),B揚水機(原動機)の台数は25(ほか2台)で用水路が管水路・トンネル・ファームポンド(11箇所)・水管橋(P9,10),C管理の要領として,造成された施設及び用水の管理については,今後受益地を一体とする川辺川土地改良区(仮称)を設立し,当該土地改良区で操作規定,維持管理計画を定めて,維持管理の万全を期するものとする(P11)との記載がある。 上記概要書では,現況として用水状況について,「水田約1300haの用水施設(井堰,ため池等)の大半は老朽化が進み,規模が小さく点在しており,維持管理に多大な労力と費用を要しており,しばしば用水不足を生じている(6頁)としているにもかかわらず,効用の箇所では維持管理費節減効果では平成3年度価格で9400万円のマイナス効果となっている(P12)。相当多額の維持管理費用を要することは明らかである。 こうした効果を計算しているにもかかわらず,概要書の管理の要領の箇所には上記で検討したとおり,管理費用についての各年毎の記載はない。 いうまでもなく川辺川土地改良区(仮称)の設立は土地改良法によってなされるが,その組合員とは,「土地改良区の地区内にある土地につき第3条に規定する資格を有するものは,その土地改良区の組合員とする」(法11条)と当然加入の趣旨が規定されている。そして,定款の絶対的記載事項として経費の分担に関する事項があげられている(法16条1項,5項)。 要するに,維持管理費用は本件変更計画の三条資格者が負担する予定となっているのである。 3 県や団体営の関連事業につき三条資格者に受益者負担があるのは平成6年11月当時客観的事実であった。 団体営の場合の負担については前項でのべたとおり当然である。 県営については,土地改良法91条により国営の場合とほぼ同様の規定がある。 熊本県はこの点で本件変更計画の関連事業につき,三条資格者に受益者負担をさせないとか,関係市町村に受益者負担をさせるとか言明したことや,そのような協議を一審被告や関係市町村と協議して確認したことはない。 したがって,平成6年11月までの時点では,三条資格者の受益者負担は制度上はあるということになる。 4 川辺川ダム負担金 川辺川ダム負担金が三条資格者にあることは平成6年11月当時客観的事実であった。 なによりも,一審被告が計画概要書にこの事実を掲載したことが,川辺川ダム負担金が三条資格者に課されていることの最大の証である。 特定多目的ダム法第10条1項は,同法第9条が「多目的ダムの建設によって著しく利益を受ける者がある場合において,・・国土交通大臣・・都道府県知事は・・・ダムの建設に要する費用の一部を負担させることができる」と規定しているのに反して,「・・流水のかんがいの用に供する者は,・・負担金を負担しなければならない」と例外のない義務を課され,かつ同10条2項は「負担金は都道府県知事が徴収する」と知事に徴収を義務付け,その方法は条例を制定してするとしている(同条3項)。 なお,同法施行令12条では工事費用の10分の1を負担額として,同令14条で「負担金は,元利均等年賦支払の方法により・・支払わせるものとする」として支払方法も限定されている。 以上のとおり,建設予定の川辺川ダムから流水をかんがいの用に供する者,すなわち本件の3条対象者は川辺川ダム負担金の支払いを義務付けられ,熊本県知事がこれを徴収することになっている。 本件変更計画は,川辺川ダムに本管を接続することが前提であり,その接続に要する費用は当然生じるもので,かつその負担金の支払いが義務付けられている。そして,その接続工事そのものは農林水産省と国土交通省の共同工事ともいえるもので,熊本県知事を通じて受益者負担額の請求を求めているものである。 ところで,一審被告は,熊本県知事が実際に負担金を徴収するには条例を作ることになるが,その制定するか否かは「農業情勢等の諸般の社会経済的事実を前提に」県知事,県議会の判断による(第五準備書面P45)と主張している。しかし,この見解は,熊本県知事が多目的ダム法に反して負担金を徴収しないことを前提にした議論に過ぎず,県知事や県議会が違法行為をすることを前提にしたものであって,主張自体違法なものである。 以上のとおり,水代はいらないとの一審被告の説明は嘘であり,水代がいらないとしてなされた同意は錯誤により無効である。本件変更計画は3分の2以上の同意は存在せず,違法であり取り消されるべきである。 そして,農林水産省は土地改良法については主管庁であり,本件変更計画について制度上受益者負担があることを知っていたのであり,受益者負担が無いかのように装ってなされた本件の同意取得手続きは詐欺行為であり,全体として違法である。 1 「3条資格者の3分の2以上の同意」の法的意義 @ 人権保障と合成行為論 土地改良法は,土地改良事業計画の策定・変更の必要的成立要件として,「3条資格者の3分の2以上の同意」を規定している。ここで3条資格者とされる者は,事業が実施されれば,個々人の財産権,営業の自由,生存権などに直接的影響を受ける立場の人々である(中川義朗証言調書19項)。本件利水事業に参加する者は,一定程度の経済的負担を伴い,また土地の処分や利用について,制約が加えられることになる。経済的負担に耐えられなければ,離農(廃業),転職ということもあり得る。また逆に,計画変更によって事業から除外される者は,こうした負担からは解放されるものの,水が来ないことになり,これを期待していたとすれば,将来の農業経営に影響することは必至である(もっとも実態は,除外されるのであればありがたいというのが大方の本音である)。 こうした人権の制約は,本来であれば人権享有主体である一人一人の了解がなければできないはずである。それを,3分の2以上の同意でよしとするのは,例外的取扱である。3条資格者となれば,事業に反対であっても,他の者の同意によって事業に強制参加させられるのであり,これを実質的に合憲とする根拠は,土地改良法1条の趣旨に合致する高度の公共性の存在と,個々人に対しては適切な「告知と聴聞の機会」を保障し,その上で,過半数ではなく「3分の2以上」が当該事業の実施・変更に同意したという事実の存在である。 なお,この点について農林事務次官通達「国又は都道府県が行う土地改良事業の開始手続等について」(甲1054P303,308)には,「3分の2以上の同意が施行地域全域で満たされていても,不同意者が一部地域に偏在する場合には,事業の円滑な実施,事業完了後の施設の維持管理,負担金又は分担金の徴収等に支障を来たすこととなる。したがって,この同意は市町村別及び大字別においても3分の2以上の同意率となるようにする必要がある。また,一体事業の場合にあっては,その一体事業を更生する各事業(中略)ごとに上記同意率を確保する必要がある。」と指摘していることが重要である。すなわち,3分の2以上の同意が,当該事業が実施される地域の合成された意思表示と言い得るためには,当該地域全体の総意と言うに足りる実質的裏付けが必要であるということなのである。 このような実質的意義を前提に,「3条資格者の3分の2以上の同意」の法的性質を検討すれば,それは行政法学的に言うなら,私人の公法行為の一種である「公法上の合成行為」と考えられる。複数人の同一方向に向けられた共通の意思表示が,それらの個々の集合という意味を超えて,別の一つの意思表示を合成し,これが有効に成立すれば,国や地方公共団体に対し,一定の応答をなすべきことを義務づけるのである。本件では,これが成立すれば,本件変更計画を実施すべきこととなり,その結果として,同意しない3条資格者をも事業に強制参加させることにつながるのであるし,一般国民の納めた税金を投入する事業として合理化できるのである。 A 原判決の誤り この点に関連して原判決は,「3条資格者の同意は,もともと,3条資格者各人が個別に変更計画に対する賛否を表明するものであって,株主総会における議決権の行使のように,他の3条資格者と協議したり議論したりしてすることが予定されているものではな」いと述べ(原判決P130),結果として3分の2以上の同意がありさえすれば,同意取得手続から外されていた3条資格者がいたとしてもかまわない趣旨の判断を下している。 しかしながら,原判決のこの判断は,全くの誤りである。 まず,原判決は,3条資格者の同意の法的意義をどのように理解しているのであろうか。国(農林水産大臣)と個々の3条資格者との合意(契約)と捉えているのであれば,同意しない3条資格者をも事業に強制参加させる根拠とはなり得ない。会社設立のような合同行為と捉えても,同意しない者が事業から外れられないことを説明できない。合成行為と捉えて初めてこのような他者への拘束力が認められるのである。 「実質的にみても,まず,自己の農地などについて,集団的・組織的に改善し,農業の合理化・近代化に資するための土地改良事業計画について,対象地域の3条資格者間において協議や相談を重ね,その上で計画を立案し,国の『認可』を受けるというのが土地改良事業の原点であ」り(甲1050P8),それ故に,地域農業の合理化・近代化のため,事業に反対の者の財産権等の人権をも拘束する土地改良事業が許されることになるのである。上記農林事務次官通達(甲1054P303,308)の指摘の中で,大字単位で3分の2以上になることを要求するのは,大字単位での地域の総意を創る作業を前提とし,その上で全体の総意を創ることを求めているのであって,当然三条資格者間における地域農業の集団的な合理化・近代化に関する協議の存在が必要なのである。 B 合成行為論から見た厳格な成立要件 ア 「3分の2以上の同意」は厳格に検討されなければならない 上記のとおり,本件における「三条資格者の3分の2以上の同意」が持つ法的及び実質的意味に鑑み,その存否については厳格に検討されなければならないことは当然である(中川義朗証言調書21項)。他者の人権制約を合憲とするに足りる合成行為が有効に成立するためには,3分の2は最低限必要な数字であって,わずか1名でもこれに足りない場合は,意思表示は合成されず,無効となる。当然の前提として,三条資格者になる要件が統一的準則によって明確に定められ,その結果として分母となる3条資格者の数は明確にされていなければならないし,分子となる同意の意思表示の有効性は,個々に厳密に検討されなければならない。 イ 計画概要書添付の必要性 個々の同意の意思表示が有効となる前提として,「何に対する」同意であるのかが明確にされなければならない。すなわち,合成行為は同一方向に向かう共通の意思表示の合致であるから,意思表示の内容あるいは対象が共通でなければならないのである。土地改良法施行規則61条の9,同9条2項所定の同意署名簿に添付すべき書面(計画概要書)は,その意味ではまさに署名者のなした「同意の対象」であり,意思表示の同一性を示すためのもの,すなわち「意思表示の共通性を形式的に担保する」ためのもの(甲1050P7)と考えるべきものである。この規定を訓示規定と解釈するのは,「余りにも便宜的な解釈」(中川義朗証言調書52項)であり,「同意署名簿と物理的に一体的でなければならない」ことを「明確に法的な効力,義務規定」として定めたものなのである(中川義朗証言調書同項)。 したがって,パンフレットで代替できる類のものではなく,これが添付されていなかった本件同意署名簿は,そもそも本件変更計画への同意の意思表示が集積したものと評価することはできず,本件の合成行為は不成立となるのである。 ウ 告知と聴聞の機会の保障 それだけに止まらず,そもそも同意者数という数字を問題にする前提として,三条資格者全員について,適切に「告知と聴聞の機会」が保障されたことが認められる必要がある。 例えば,地方自治法74条所定の「条例の制定改廃の請求」について,有権者の50分の1以上という要件を検討する場合,有権者数は厳密に特定されるし,その50分の1の署名の有効性判断も厳格になされる(同法74条の2,3)。もしも1名でも不足すれば,この条例制定改廃の直接請求は認められない。本件との違いは,この直接請求によって直ちに署名者以外をも拘束する条例が制定改廃されるわけではなく,首長による公表と地方議会における討議が予定されているという点である(同法74条2,3項)。事業に同意しない3条資格者をも拘束する本件利水事業の計画変更が問題となる本件では,「三条資格者全員に対する告知と聴聞の機会の保障」がなされたか否かという点が,3分の2という数字とは別に,もう一つの重要な要件として厳格に検討すべきことが理解されよう。それがまさに,「同意取得手続」の問題であり,これが適正手続きに従ったものと言えるか否かであり,その中核が,下記のとおり「告知と聴聞の機会の保障」なのである。 エ 三条資格者の漏れ ところで,本件の審理を通じて,本来同意を得るべき三条資格者として取り扱われるべき者が,多数,同意対象者から漏れていたことが明らかとなってきた。どの程度の数が漏れていたのかについては,正確に把握することは不可能な状況である。 三条資格者の漏れがあった場合の取扱については,全国土地改良事業団体連合会出版の「土地改良法関係質疑応答集」(土地改良法研究会編著・平成2年3月発行)(甲109)によれば,それ以外の三条資格者の100%の同意が得られていたとしても,「同意者名簿に重大な誤りがあったことから再度所定の手続を経ることが必要であると解される。」とされていることからも明らかなように,それだけで手続が違法となり,結果に影響がなくとも手続をやり直すべきとされる重大問題なのである。 この問題は,一審原告の原審における最終準備書面(第六の二)や控訴理由書(第三の四の1)において詳細に述べたところであるが,「三条資格者の3分の2以上の同意」の法的性質を合成行為と捉え,また下記のとおり行政手続における適正手続保障に独立の価値を認める立場に立つことによって,その違法性と原判決の誤りがさらに明確となったと言える。 2 「同意取得手続」の法的意義 @ 同意取得責任者 土地改良法87条の3第1項は,土地改良事業の計画変更においては,その三条資格者の3分の2以上の同意を取得すべき責任者を農林水産大臣であると明確に定めている。当初計画が申請事業として,申請者側に責任があるとされていることとは異なる。すなわち,本件計画変更における三条資格者からの同意取得手続は,行政の責任において行われる行政手続の問題なのであり,3分の2以上の同意の存在と,告知と聴聞の機会を保障することは,行政の責任においてなされなければならないのである。 A 行政手続における適正手続保障の意義 現在,行政活動に対し,その実体的結論の正当性・適法性のみならず,手続的正当性・デュープロセス論が適用されることについては争いないところである。その内容としては,ア 告知・聴聞, イ 理由付記, ウ 文書閲覧, エ 処分基準の設定, という4原則が妥当する。本件においてもこれらが適用されるべきは当然である。その中でも,不利益を受ける国民に対する告知と聴聞の機会を事前に与えることが,法の適正手続保障の核心をなすこともまた,世界的に承認されているところである。その意味でも,本件においては,三条資格者全員に対する統一的で適切な事前の説明が不可欠になるのである。 3 司法審査のあり方 @ 行政訴訟における司法の役割 行政事件における司法の役割としては,権力分立の原則・法律による行政(法の支配)のもとで,憲法と法律に照らし,行政活動の違法性の有無をチェックすることを通して国民の権利利益を保護し,もって行政の適正な運営をはかることにある(行政事件訴訟法1条)すなわち,行政紛争の法的解決を通じて,行政活動を法的視点から監視し,憲法の定める民主主義・人権保障を実質的に実現するのである。 本件においては,それが三条資格者個々人に対する人権問題であること,及び一般国民の納めた税金をつぎ込む公共事業の問題でもあることに鑑み,憲法的視点に立脚し,土地改良法等の関連法規を厳密に適用し,もって個人の権利利益の保護と行政の適正な運用を確保することが求められるのである。 A 一審被告の立証責任と厳格な審査の妥当性 上記の通り,本件計画変更における三条資格者からの同意取得手続は,行政の責任において行われる行政手続の問題なのであるから,その成立要件となる三条資格者の3分の2以上の同意の存在と,三条資格者全員に対して告知と聴聞の機会を保障したこと等の同意取得手続における適正手続遵守の事実は,行政の責任において立証されなければならない。すなわち,有効な合成行為が成立した事実については,一審被告側に立証責任があるということなのである。 そして,一審被告の立証責任がつくされたか否かの判断においては,行政訴訟における司法に期待される役割に鑑み,厳格な審査に服すべきである。 この点について,いわゆる行政裁量論が問題となるところであるが,その根拠となる本件における「専門性・技術性」については,「中学校の教育程度で判断できる」(甲1050P4)ものである。そもそも,本件については,三条資格者が同意するかどうかの判断を下すことができることが,同意の有効性の前提となるはずである。司法判断が不可能であるというのであれば,そもそも素人である三条資格者には,その当否の判断ができようはずがない。そうであれば,まさに意味もわからずに同意したということになり,そのような同意が有効とは到底言えないであろう。 行政手続の審査についても,原審判決の採用した「法87条の3第1項の趣旨に照らして著しく適正を害し,その趣旨を没却すると認められるような瑕疵がある場合に」限って変更計画を取り消すという立場は,行政に極めて広汎な裁量の余地を与えることとなり,適正手続保障の原則を著しく軽視するものとなり,不当である。例え実体法上の結論に影響しなくとも,行政手続自体に独立の価値を認め,適正・公正な手続を履行しなかったというその1点だけで,直ちに手続上の瑕疵として行政活動が違法性を帯び,少なくとも取消し,その瑕疵が重大かつ明白であれば,無効となると解すべきである(最判昭和60年1月22日,大阪地判平成元年9月12日等参照)。特に本件における3条資格者全員に対する告知と聴聞の機会の保障の重要性に鑑み,このような適正手続重視の姿勢こそが司法判断において求められているものと言えよう。 B 一審被告の立証命題と立証構造概観 以下において個別具体的論点について論じる前提として,一審被告の同意取得手続に関する立証構造について概観すれば,個々の三条資格者が同意したことについて,各人の署名・押印のある同意署名簿が提出され,その成立の真正であることに関して個々人の調査報告書が提出され,また同意署名簿がどのようにして作成されたのかに関し,同意取得の統括責任者である藤本宣彦と,実際の各市町村における同意取得担当者らの陳述書と証人尋問の結果がある。一審被告の立証は,基本的にはこれに尽きるのである。 本来,同意取得手続に関して一審被告が立証すべき命題としては, a 全ての三条資格者に対し, b 国の責任において,国営事業だけでなく,関連事業まで含めた説明を c 関連法規に従い,統一的準則の下で,同一内容でなした上で, d 一人一人の三条資格者本人が,民法上の意思表示理論により有効な同意をなした事実 と考えるべきであり(甲1050P8〜9参照),これが厳格に立証される必要がある。もちろん,その他の関連法規上の各要件,例えば同意署名簿に計画概要書を添付する等の要件を適式に具備していることは当然の前提である。 しかし,一審被告の上記立証構造では,この各立証命題を厳格に立証されてはいないのである。それどころか,一審被告の提出した各証拠によれば,同意取得手続における違法性は,極めて明白になったと言うことができる。以下において具体的論点に即してさらに論じることとする。 1 法87条の3第1項と説明義務 法87条の3第1項は,国営土地改良事業を変更する場合,あらかじめ次の事項を公告して,三条資格者の同意を取ることを求めている。 ア 変更後の土地改良事業の計画の概要 イ 変更後の予定管理方法等 ウ その他必要な事項(なお,一審被告はこの中に「予定負担基準」(乙31)も含むと第五準備書面で自認している) この趣旨は,同意の対象となる事項をあらかじめ公告して,これに同意を求めるものであり,したがって,公告事項が同意の対象となることは当然である。これは,同意の法的性格を合成行為とするところからも当然の結論である。 ところで,本条について定めた施行規則では,三条資格者が同意するかどうかを判断する一助として同意署名簿に公告した事項を記載した書面を添付しなければならないと定めている(施行規則61条の9,同規則9条2項)。これは,公告事項が同意の対象になることを前提にした施行規定である。 以上のことから,一審被告はあらかじめ法87条の3第1項で公告すべき事項を公告した上で,これを同意書名簿に添付した上で同意を取るべき義務があるから,少なくとも公告された事項を同意書名簿に添付した上で,その内容たる変更計画の概要等を三条資格者に十分に説明すべき義務がある(甲1054P303)。 2 三条資格者に関する事項と説明義務 @ 同意署名簿の形式 ところで,本件同意署名簿の各頁の冒頭には「同意書」との表題に続き,「土地改良法第87条の3第1項の規定に基づき,平成6年2月8日付け公告のあった国営川辺川土地改良事業(農業用用排水)の計画変更に同意し,署名のうえ押印します。」等との文言が印字されている。 そして,その下に,a権利区分欄(当該三条資格者の有している権利が所有権か所有権以外の権利かを区分する欄), b三条資格者の住所氏名欄,署名押印欄及び,c区分欄{当初計画から継続して事業に参加することになるのか(継続),変更計画によって新たに事業に参加することになるのか(新規),変更計画によって事業に参加しないこととなるのか(除外)の区別を表示する欄}が設けられている(乙64〜66)。 A 同意署名簿の最小限の必要的記載事項 本件同意署名簿において,権利区分欄,三条資格者の住所氏名欄,署名押印欄及び区分欄が記載されているのは,上記変更計画の概要等の全体的な説明を受けて,個々の三条資格者の権利内容(所有権か所有権以外の権利か)や継続(継続して事業に参加することになるのか), 新規(新たに事業に参加することになるのか),除外(事業に参加しないことになるのか)の区分を十分理解させて,事業に同意するか否かを三条資格者へ判断させる為である。 すなわち,自己の権利が所有権であるか,事業に参加するのか,その形態内容がわかっていなければ,同意するか否かの判断が適切になされないからである。 この点は,法87条の3第1項からも当然導かれる。 まず,法87条の3第1項は「第三条に規定する資格を有する者」と規定しており,同意署名者を特定しなければならない。特に,農村にあっては同姓の者が近くに住んでおりこれを区別して特定するためにも住所・氏名を明記した参加資格者欄は,三条資格者として参加する資格を有する者であるかを特定する必要不可欠な記載事項である。 土地改良法3条自体が三条資格者を所有者と権原に基づいて耕作などする者と分けており,特に権原ある者がいても所有者が一定の要件を満たせば三条資格者になれるところから,権利区分欄は,三条資格者がいかなる権利(所有権か所有権以外の土地利用権分)を有する土地について事業に参加するのか,負担金の帰属主体は誰かを示す重要な記載事項である。特に,農村にあっては自作地の外に小作地を持っているものも多くその区別のためにも,参加資格者欄は三条資格者として参加する資格を有する者であるかを特定する必要な記載事項である。 法87条の3第1項は,変更計画に関する規定である。したがって,新規にあっては新たにこの事業に参加させられるかどうか,除外・継続は変更計画の中に含まれるのか,はずされるのかという意味でいずれも個別の農地についての同意を法は求めており,事業区分欄,三条資格者が継続して事業に参加するか,新規に参加するか,参加しないことになるのかを判断する上で必要な記載事項である。 3 本件パンフの記載不備 一審被告は,本件パンフ(乙46)を配付して説明したと主張している。 しかし,本件パンフが三条資格者の全員に対し,もれなく配付されたことの立証はなされていないうえに,その記載内容にも,次のような不備がある。 すなわち,本件パンフは,「1,事業の実施状況2,事業計画変更の内容3,農家負担の軽減4,施設の予定管理」の4項目についての結論が簡単に記載されているだけである。よって,上記第11Bイ計画概要書添付の必要性で詳述したとおり,本件パンフをもって,上記施行規則61条の9,9条2項に規定する添付文書とすることはできない。また,個々の三条資格者の権利内容や事業区分(継続・新規・除外)についての説明は,一切記載されていないので,本件パンフの配付を受けただけで自己の権利内容等を理解することはできないのである。 1 本件事業における同意取得手続きの実態 被控訴人の調査報告書(乙242〜248)によれば,下記市町村の同意取得手続の際,いずれも上記各区分についての記載が全くなされていなかったことが判明した。 なお,一審被告が主張する,下記市町村の同意者数は,次のとおりである(乙64の1,乙65の1,乙66の1)。 (用排水) (区画) (造成) 人 吉 市 652名 312名 166名 多 良 木 町 711名 135名 122名 須 恵 村 247名 40名 75名 深 田 村 313名 120名 71名 合 計 1923名 607名 434名 すなわち,上記4市町村の同意取得手続は,同意の対象となる事業及び計画を同意取得前に特定することができない,いわば白紙の状態であったのである。 よって,上記4市町村については,単に同意書(乙64〜66)のみで,三条資格者の真意に基づく同意はもちろん,そもそも同意があったことを認定することはできない。 なお,一審被告は,同意者名簿に,権利区分」欄,「参加資格者」欄,継続,新規,除外の「区分」欄などを設けることまで要求されておらず,同意者名簿は同意者が同意の対象である国営土地改良事業の変更計画について賛成の意思を有することが明確になってさえすればよいとする趣旨であり,同意者名簿に同意の対象となる事業及び計画を特定するに足りる記載があり,かつ,これに対する賛意が同意者名簿の記載上明らかである限り,同意の効力が認められると主張している(第5準備書面P28〜29)。 しかし,三条資格者が自己の権利内容や事業区分の内容等が不明のまま,単に署名押印しただけでは,変更計画の内容とそれが自己の権利等へ具体的にどのような利害(負担金等)を持つかもわからずに署名したにすぎず,到底「賛成の意思」を表明したことにならない。 従って,同意者名簿の記載上「賛意」が明らかであるとも言えない。また,一審被告も上記権利区分欄等を記載しなければ三条資格者の理解を得られないことがわかっているから,現実に本件同意者名簿に上記権利区分欄等の記載をし,錦町や山江村においては,同意取得を行う前に上記「権利区分」欄等への記入を済ませていたのである(同準備書面P10,P25)。 結局,上記4市町村以外の錦町・相良村・山江村の同意者数(同意署名簿のみで算出した数)は,次のとおりである。 (用排水) (区画) (造成) 錦 町 394名 143名 77名 相 良 村 619名 198名 84名 山 江 村 481名 395名 26名 合 計 1494名 736名 407名 この同意者数を修正後の三条資者総数である用排水4009名,区画1468名,造成879名を分母として,同意率を計算すれば,用排水37.27%,区画50.14%,造成40.30%となる。 2 説明義務の不履行 原判決は,「権利区分欄や区分欄への記入が同意取得後になされた場合においても,同意取得担当者は,同意取得時に,三条資格者に対し,・・・・・当該三条資格者の土地が除外地,継続地,編入地のいずれに該当するのかについての説明を付していることがうかがわれる」と認定している(153頁)。 しかし,三条資格者(上記4市町村居住者)に対し,各権利と各事業の各区分の内容を,十分に同意取得担当者が説明したことの立証は,なされていない。むしろ,次の証言内容等からすれば,上記説明が徹底せず,自己の権利内容等を十分認識しないまま署名した三条資格者が圧倒的に多数であったことがうかがわれる。 @ 人吉市 丸山善利 証人調書 (89〜92,205,210) 乙第64号証の1の1枚目を示す 89 これは同意署名簿ですが,その同意の署名押印については,このような書面で署名押印していただいたということですね。 はい。 90 同意署名簿に署名押印していただいた際なんですが,そこには参加資格者の住所氏名および区分欄という欄がありますよね。 はい。 91 同意署名簿に署名押印していただいた際に,いま挙げた参加資格者の欄,区分欄は記載されていましたか。 空欄でございました。 92 そうしますと,いま挙げたような事項に関しては空欄のまま記載してもらい,空欄のまま署名押印してもらって,そのあとの欄は後ほど記載したということですか。 はい。 205 市のほうで書いたというのは,ほかにはどこかありますか。 参加資格者の住所氏名と区分欄でございます。 210 先ほどの主尋問の話によりますと,同意書を持って署名押印してもらうというときには,参加資格者の住所氏名欄は書いていかないで回ったと,こういうことでしたか。 はい。 上記の証言のとおり,人吉市では,三条資格者のうち,用排水を例にすれば 652名という多数者へ署名を求める際に,区分欄等が空欄の白紙であり,署名後同市の担当者である丸山善利らが勝手に空欄に記載したことが明らかである。 なお,濱田正實,野和夫,廣田光治の各陳述書(乙256,乙257, 乙259)は,いずれも上記本人が作成したか不明であるうえ,反対尋問を経ていないので,証拠に価値はない。 A 多良木町 ア 松崎 啓一 証人調書(118〜123,141,142) 118 今度同意取得に回りますよね,町のほうで はい。 119 そのときには同意署名簿には記入したものを持っていくんですか,それとも事業組合から受け取ったままの状態で持っていって,名前を書いてもらうんですか。 はい。 120 そうすると,白紙の状態で持っていって書いてもらう,こうなるわけですか。 はい。 乙第64号証の3の694ページを示す 121 下から2段目,判子がしてあって,その下の名前がちょっと読めないんですけれども,その右側に福井という判子があるから,福井さんという人の署名が多分,下にあったんだと思いますけれども,この人の欄を見ると,署名があって判子があって,ほかは何も書いていないという状態ですよね。 はい。 122 これは正に白紙の状態で持っていって,名前を書いてもらって判子を押してもらうから,こうなるわけですね。 はい。 123 そうすると,権利区分で所有権の欄に丸が付いていたり,住所氏名が書いてあったり,それから継続とか新規とか除外の区分に丸が書いてありますよね。これは同意署名をもらった後に町のほうで書き込んだと,こういうことになるんですかね。 はい。 141 白紙のものを持っていって,同意署名をもらったと,こういうことですね。 はい。 142 そうすると,この白紙を見ただけではその人が継続なのか,新規なのか,除外なのか,何も分かりませんね。白紙見ただけでは分かりませんね。 はい。 イ 東 秀行 本人調書(32〜34) 32 そうすると,奥さんのほうから,公民館で説明があって松崎さんが寮に来られたんで署名しとったよと,そういう話を聞かされたことはないということですね。 はい。近ごろ聞きました。 33 それで,先ほどの話だとびっくりされたと。 はい。 34 びっくりされたというのは,あなたの気持ちとしては,どういう事だから,びっくりされたんですか。 私としては,もう,水も豊富にあるし,水を引くことになれば金もいるし,現在は,米作っても,自由化になっとるし,水はいらんと。 ウ 石崎 亨 本人調書(14〜20,79,80) 乙64号証の3の618ページを示す。 14 これは同意書という書類ですが,618ページの一番下に 石崎亨というふうに書いてあるんですが,この字はあなたの字ですか。 違います。 15 印鑑が少しかすれてますが。 印鑑もこんな印鑑は持っていません。 16 そうすると,名前も印鑑も違うということなんですね。 はい。 17 だれがこの名前を書いたか,心当たりありますか。 全然わかりません。 18 この同意書というのは,平成6年ごろ,さっきあなたに伺ったことで言えば,半田から豊橋にあなたが住所を移したころに集められたようなんですが,平成6年ごろに多良木町の役場とか土地改良の組合等から愛知のほうに何か連絡があったということはありませんか。 ありません。 19 一切ないということですか。 はい。 20 この同意書という書類自体ね,初めて見たのはいつごろですか。 今年の初めだったと思います。 79 先ほどもきかれましたけれども,同意書という書面を見たのは,去年の秋ごろに送られてきてからということですか。 はい。去年の暮れから今年の春だったと思います。 80 それまで,御自分が計画変更に同意したという扱いになっているということは御存知ではなかったんですか。 全然知りませんでした。 上記証言のとおり,多良木町では,用排水を例にすれば711名という多数者に対し,白紙の同意署名簿を持っていって署名を求め,
権利区分欄や事業区分欄の丸印は,署名後同町の担当者である松崎啓一らが勝手に書き込んだことが明らかである。また,三条資格者本人(東秀行,石崎亨ら)に対してもその権利内容のみならず,本件事業そのものの説明をしていなかったことも明らかである。 なお,深水勉の陳述書(乙260)は,本人が作成したのか不明であるうえ,反対尋問を経ていないので,証拠価値はない。 B 須恵村 ア 伊津野 幸一 証人調書(85〜87,235〜237,331,332) 85 三条資格者の方から同意を取る際に同意署名簿に署名押印していただくことになるんですが,その同意署名簿は署名押印を取る際には,どのように記載されていたか分かりますか。 署名を取るまでには,様式の上のほうには印刷した部分がございましたが,取るまでには白紙状態だったと思います。 乙第69号証の4を示す。 86 これは実際に須恵村で使用された同意書という書面ですか,今の話によりますと,この一番上にあります説明文に関しては,このとおり記載されていたということでよろしいですか。 はい。 87 あとその署名押印する際ですが署名押印部分以外の部分に関しては,記載されていたのですか。 同意取得時点では記載されていませんでした。 235 具体的にどのような説明をされましたか。 説明をしたのは覚えておりますが,中身については覚えておりません。 236 説明はしたけど,中身については覚えていない。どういう意味ですか。どういうことについては説明した。例えば金額とかそういうのは分からない。何について説明したけど覚えてないんですか。どの部分について覚えてないんですか。 分かりません。 237 分からない,分からないのに,何で説明したというのが分かるんですか。説明したかどうかも覚えてないんじゃないですか。 分かりません。 331 同意取得に回るときに,今ずっと示された書類ですけども,住所や氏名の欄とかは,或いは除外とか継続とか,そういった欄は白紙の状態で回られたと,こういう答えでしたよね。 はい。 332 そういうふうな白紙の状態で同意取得に回ってもいいんだと,あなたのほうはこういう認識だったわけですよね。 はい。 イ 西野 啓介 証人調書(18〜23) 18 ところで,証人自身は,この同意書という書類ですけれども,これを御覧になったことはありますよね。 はい,昨年の8月だったと思います。 19 昨年8月に初めて御覧になったんですか。 はい。 20 それよりずっと以前,平成6年くらいに,そういった書類を見た記憶はありませんか。 いいえ記憶はありません。 21 だれかがそういう書類を持って証人のところに来て,署名してくださいというような形で署名を集めにきたという記憶はありませんか。 それもありません。 23 あるいは利水事業の計画変更の関係で,証人の農地については継続して事業に参加するんだというふうになった,そういう説明を聞いたことはありますか。 それもありません。 上記証言のとおり,須恵村では,用排水を例にすれば247名という多数者への同意取得時点において,署名押印部分以外の記載がない白紙の状態あり,署名後同村の担当者である伊津野幸一らが勝手に記載したことが明らかである。 また,三条資格者西野啓介らに対する説明内容を担当者自身が全く覚えておらず,到底十分な説明をしていなかったことも明らかである。 なお,万江一彦,愛甲明生,溝口親男,平野正見の各陳述書(乙265〜268)は,いずれも本人が作成したか不明であるうえ,反対尋問を経ていないので,証拠価値はない。 C 深田村 吉松 一郎 証人調書(33〜35,39〜41,44,45,167〜170,174〜176,219,220) 乙第64号証の5の67ページを示す。 33 これは用水に関します深田村の同意書,冒頭にあなたの名前が書かれているですけれども,これを持って各家を回って同意の署名を頂いたわけですね。 はい。 34 この書面自体はどちらからもらったものですか。 役場からもらいました。 35 そのときに,参加資格者のところに住所氏名というのが書かれてますけれども,ここのところについてはもう書かれてましたですか。 いや,書いてありませんでした。 39 そうすると,区分のところも書いてなかったんじゃないんですか。人が,どなたが書かれたか分からないから書いていないでしょう。 ・・・・・はっきり覚えてません。 40 住所と名前が書かれてなかったという記憶はあるわけですね。 はい。 41 そうすると,証人は3条資格者の方のところに行って,あなたの土地は継続です,除外です,どの土地が継続か除外かというふうに説明されたんですか。 書いてあったと思うんですけど,はっきり覚えてません。 44 あんまり詳しくは覚えていらっしゃいませんか。 はい。 45 説明される際には,どういう内容を説明したかということについてはどういう記憶ですか。もう一回,現在の記憶に従って話していただけますか。 いや,もう覚えておりません。 167 この同意書を持って回られたときは,先ほどの証言の確認ですけれども,参加者資格欄の住所と名前というのは空白だったと,何も書いていなかったということでしたね。 はい。 168 それから,右側の区分の欄の丸印ですね,これも付いていなかったわけですかね。 思い出しません。 169 この土肥さんの書かれている欄を見ると右側,全然丸が打っていないですよね。 はい。 170 だから,そういう状態で持って回られたということは間違いないんじゃないでしょうか。 はい。 174 あなたは陳述書の中にも出てきますけれども,説明の内容は余りよく覚えておられないんでしょう。 はい。 175 記憶されていないんでしょう。 はい。 176 菊池さんところに行ったときも2時間ぐらいいて,いろいろ雑談されたということみたいですけれども,雑談の内容というのはダムのことも,ダム本体のことに関しても話をされたんでしょう。 よく覚えておりませんけど,ダムの話も長い時間おったので,出たのではなかろうかと思うくらいです。 219 水というのはただなんですか,ただじゃないんですか。 ただじゃありません。 220 ただじゃない。あなたはそういう説明をしたんですか。 記憶にないです。 上記証言のとおり,深田村では,同意書を持って回った際に,用排水を例にすれば313名という多数者へ三条資格者欄の住所と名前および区分欄が空白の状態だったことが明らかである。また,説明内容を担当者である吉松一郎らが覚えておらず,三条資格者への説明義務を尽くしていなかったことも明らかである。 なお,樫山保,橋口誉,田原修太の各陳述書(乙269〜271)は,いずれも本人が作成したか不明であるうえ,反対尋問を経ていないので,証拠価値はない。 3 いわゆる「代筆」問題 @ 「代筆」問題とは 「代筆」問題とは,本来三条資格者本人に署名・押印させなければならない同意署名について,三条資格者本人以外の者に,署名・押印させた場合を指す。 同意署名は,三条資格者本人が,本件変更計画についての説明を受け,その内容を十分に理解したうえで行うものである。したがって,本人の了解がないもとで,三条資格者以外の者が同意署名を行っても,同意があったことにならないのは当然である。 また,同意署名は,三条資格者本人が,自ら署名し,自らの印鑑を押捺することによって,筆跡ないし印影によって,三条資格者本人が間違いなく同意をしたことを確認することができる。ところが,「代筆」があった場合には,三条資格者本人の筆跡と異なるため,三条資格者本人が本当に同意をしたのか否かを同意書名簿自体から確認することはできない。 さらに,普段三条資格者が使用している印鑑を用いて,同意書用紙に押印がなされたとしても,そのことから直ちに三条資格者本人の同意があったと推認することはできない。同意取得担当者が,三条資格者の家族に三条資格者本人の印鑑を押させていることがあるからである。このような場合,三条資格者本人の了解のもとで押印が行われたことをうかがい知ることができなければ,同意があったと認定することはできない。 A 「代筆」の実態 多良木町の同意取得担当者である松崎啓一証人は,一審原告代理人の質問に対して,以下のように証言している。 (質問) その場合に,家族が署名することもあったということですよね。 (答え) はい。 (質問) それは問題ないんですか。 (答え) 私は夫婦だったら,生計も一にしておられるし,経営も一緒にしておられる,耕作もですね。ということで,夫婦であったらいいという判断をしました。 (質問) それは町としての方針なんですか,あなた個人の判断ですか。 (答え) 私です。 (松崎啓一証人調書165〜168項) このように,松崎啓一証人は,独自の判断で家族に「代筆」させており,以下の証言から明らかなように,三条資格者本人の意思確認を行うという重要な手続を怠っている。 (質問) 仮にそういう場合ですね,本人がいなくて奥さんからしてもら った場合,後から本人に確認する必要があるかどうか,これはどうですか。 (答え) 分かりません。 (質問) 要するに,あなたはしていないということね。 (答え) はい。 (松崎啓一証人調書272〜273項) 松崎啓一証人のように,家族に「代筆」させるケースは,他の市町村でも堂々と行われており,例えば,相良村の同意取得担当者である友田政春証人は,熊本地方裁判所で行われた証人尋問の際,裁判官質問に対して,次のとおり証言している。 (質問) 本人がいない場合に,家人に代書してもらったケースとして,先ほど川辺さんの話が出ていましたけれども,それ以外にもそういうケースはあるんですか。 (答え) 一,二件あったと思います。 (質問) 名前などは記憶していませんか。 (答え) 記憶しておりません。 (質問) その家の家族が,その本人に了解は取っているのかどうか,それは確認していないということになりますか。 (答え) こちらから確認はしておりません。 (友田政春証人調書602〜604項) 山江村の同意取得担当者として証言した桐木正男証人は,一審被告指定代理人の質問に対して,以下のとおり,証言している。 (質問) 署名押印につきまして,3条資格者御本人以外の方から署名押印をいただくというふうなことはございましたか。 (答え) はい。 (質問) どういう場合ですか。 (答え) 例えば,老人,身体障害者,あるいは字が書くのが苦手,あるいは畑で仕事をしていて手が汚れていて,今,どうしても字が書けませんと言われた方につきましては,代筆いたしました。 (桐木正男証人調書(第1回)83〜84項) 桐木証人は,三条資格者本人の同意を取ったうえで,「代筆」を行ったと弁解していたが,一審原告代理人に次の質問に対して馬脚を現し,本人の同意を取ったという弁解が偽りであることが露呈した。 (質問) 2ページ,下から2行目。今の被控訴人代理人からの質問と同じ問題ですけれども,本人から代筆を依頼され,同意の意思を確認し,了解を得た上で代筆をしたことはあると。こうなっていますね。 (答え) はい。 (質問) 代筆について,すべて,そうですか。 (答え) そうです。 (質問) あなたが担当した人の中に,同意の時点で亡くなっていた方がいましたね。 (答え) はい。 (質問) 本人からどうやって代筆の依頼を受けるんですか。 (答え) 本人からは受けられませんので。 (質問) 本人から受けたと,あなたの陳述書にあるでしょう。 (答え) ・・・・・。 (質問) しかも,死んだことに気が付かなかったというふうにさっきおっしゃったね。 (答え) はい。 (質問) いつも,本人確認していないんじゃないんですか。 (答え) していました。 (質問) じゃあ,どうしてそういうことが起きるんですか。 (答え) 分かりません。
(桐木正男証人調書(第1回)477〜484項) 桐木正男証人は,老人,身体障害者,あるいは字が書くのが苦手,あるいは畑仕事で手が汚れている者などについて,「代筆」を行ったと説明しており,山江村ではその数が大量にのぼっている。 ところが,錦町の久保田邦康証人は,300件くらいの三条資格者を単独で回ったことを証言しているが,病気で手がかなわない,字か下手という三条資格者についても,全て本人に署名してもらったと説明しており,農作業で手が汚れているから書けないと申し出た三条資格者は1件もなかったと証言している(久保田邦康証人調書251〜258項)。 このように,山江村では,確たる理由もなく大々的に「代筆」が行われており,その結果,同意署名簿に署名をした覚えがないという三条資格者が大量に発生するという事態を招いている。 また,錦町の同意取得担当者として証言した久保田邦康証人は,「代筆」の実態について,以下のように証言している。 (質問) 柚留木靖子さん,靖子さん自身は宮崎に行っておられたんでしょう。 (答え) はい。 (質問) 宮崎に行っている靖子さんに電話連絡か何かで同意についての意思確認はされましたか。 (答え) いえ,しておりません。 (質問) それから,桑原啓泰さん,この方は,やっぱり不在だったんですよね。 (答え) はい。別のところにおったと思います。 (質問) 啓泰さんには,電話か何かで意思確認しましたか。 (答え) いえ,しておりません。 (質問) 最後に,桑原トミ子さん,この方は亡くなられていますよね。 (答え) はい。 (質問) 娘さんの多田トヨ子さんという方がおられるんですけれども, この方が,お母さんの字じゃない,同意書の字がトミ子さんの字じゃないと言われているのは御存じですか。 (答え) はい,それは知っております。 (久保田邦康証人調書219〜224項) さらに,錦町の同意取得担当者として証言した丸山善利証人は,同意取得担当者が,「代筆」をしていたという驚くべき実態を証言している。 (質問) あなたは陳述書の中で,内布静さんに言及されてますが,これはそのときの担当者であった事業組合の方,坂田尚禧さんから代筆したんだということを聞かれたわけですね。 (答え) はい。 (質問) 人吉市での勉強会や事業所の中で,代筆するにしても,同意を取りに行った人が自分で名前を書いていい,と言われたことはありますか。 (答え) ・・・そこのところは・・・。 (質問) いや,言われたことがあるかないか。記憶にありますか,ないですか,ということです。 (答え) 記憶にありません。 このように,同意取得担当者のなかには,なぜ同意書名簿に三条資格者の「署名」欄がわざわざ設けられているかという意味を全く理解しない者が存在し,このような担当者が,安易に「代筆」を行って同意取得の数だけを揃えていたという実態が明らかになっている。 B まとめ 以上のように,「代筆」は,各市町村で日常茶飯事として行われており,三条資格者本人の意思確認は全く行われていない。 したがって,「代筆」された同意署名に関しては,同意署名があったことを裏付ける立証が行われていないものとして取り扱われるべきである。 4 「同意書用紙」問題 @ 「同意書用紙」問題とは 一審被告が,三条資格者の同意があった裏付けとして提出している同意署名簿は,「同意書」という表題の同意書用紙を綴ったものである。1枚の同意書用紙には,三条資格者6名が同意署名を行う欄が設けられている。 同意署名は,変更計画の概要が公告された後に取得しなければならず,変更計画の概要が公告される以前に取得された同意署名は無効である。 したがって,同意書用紙は,いつ同意取得が行われたかが分かるように,公告年月日が記載された書式が用いられなければならない。また,同意書用紙は,法定の期限内に,権限ある担当者によって同意取得が行われたことが分かるように,定型書式が用いられなければならず,期限外に同意取得が行われたとか,同意取得担当者が勝手に用紙を作成して同意取得を行ったという疑いが挟まれないよう配慮しなければならない。 A 複数存在する「同意書用紙」 山江村の同意取得担当者として証言した桐木正男証人は,同意書用紙には以下の3通りのものが存在することを認めている(桐木正男証人調書(第2回)107項以下)。 a. 公告年月日のうち「2月」と「8日」の間隔が広い用紙(乙64の7 P268など) b. 公告年月日のうち「2月」と「8日」の間隔が狭い用紙(乙64の7 P343) c. 公告年月日のうち「平成6年」と記載されるべきものが「平成 年」 と空欄になっている用紙(乙64の7P326) まず,上記a.,b.の2種類の用紙が存在する理由は明らかでなく,いつ,誰が,何の目的で異なる形式の同意書用紙を作成したのか明らかになっていない。 次に,上記c.の「平成 年」と空欄になっている用紙(乙64の7P326)に関して,一審被告は,平成15年1月17日付第五準備書面のなかで「公告年月日をワープロで印刷しようとして失敗したので印字し直し,失敗した印字を抹消する際に,誤って,抹消する必要のない『6』の数字をも抹消してしまった」と考えるのが合理的であると説明している。 ところが,平成6年の「6」の部分周辺には,失敗した印字は存在しないのみならず,そもそも間違いでもない平成6年の「6」を抹消する理由がない。この点について,桐木証人自身も,以下のように証言している。 (質問) 写しのほうを示します。日付の欄を見て下さい。これは,平成6年とあるべきところが,平成6が落ちていますね (答え) はい (質問) 要するに,平成6が最初から印刷されていない別の紙があるということですね (答え) いいえ,そういうことはありません (質問) あなたが,平成6年という,6の数字を自分で消したことがありますか (答え) それは記憶にありません (質問) 原本のほうを示します。平成6年の「6」に,消した跡がありますか (答え) ここは,消してあるんですかね (質問) 平成6を抹消する,何か意味があるんですか (答え) いいえ,それは何もないと思います (質問) 考えられないでしょう (答え) はい (質問) わざわざ平成6を,間違いでもない数字を抹消することは考えられませんね (答え) はい (桐木正男証人調書(第2回)111〜117項) 「平成6年」の「6」の部分を抹消した合理的な理由は,次のように考えるべきである。 a. 同意書用紙には,もともと「平成5年」と印刷されており,そのままでは無効になるので,「5」の数字を抹消した。 一審被告は,「平成5年 月 日」と印刷した「同意書」が現存することを自ら認めている(乙272の1〜3参照)。 b. 同意書用紙には,もともと「平成6年」と印刷されていたが,公告前の平成5年段階で同意取得を行う際,「6」を抹消した。 この可能性は,後述する「公告前同意」問題と密接に関連するものである。 失敗したので印字し直したとする一審被告の説明は,作り話以外のなにものでもなく,このような荒唐無稽な言い訳をしなければならないところに,「同意書用紙」の深刻な問題点が浮き彫りになっている。 B いわゆる「公告前同意」問題 「公告前同意」問題とは,平成6年2月8日に変更計画の概要が公告される以前に,三条資格者から同意署名を取得した問題である。 錦町の同意取得担当者として証言した久保田邦康証人は,一審被告指定代理人の質問に答えて,一部の推進委員によって「公告前同意」が取得された事情を,次のように説明している。 (質問) どのような理由で,そういうふうに公告前に同意取得がなされたんでしょうか。 (答え) 平成5年8月時分に,変更計画の集落ごとの説明会をしました。そして,そのときに,同意取得を農繁期が終わった11月くらいには始めてくださいと。そのころには,概要公告が終わるでしょうということで推進委員さんにお願いしておりました。そして,同年の平成5年10月1日に推進会議を開きまして,そこで,推進委員さんに用紙を配付しまして,先ほど申し上げましたように,農繁期が終わった時分にお願いしますというようなことで,大ざっぱな期間を定めておりましたが,中には,まだこちらがゴーサインを出す前に推進委員さんが自発的にスタートしたものがありました。 (久保田邦康証人調書27項) 久保田邦康証人は,「公告前同意」について,同意署名簿を全部回収して役場のほうで焼却処分したと説明している(久保田邦康証人調書29項)。しかしながら,平成6年1月29日付毎日新聞(甲第82号証)には,錦町耕地係の内部資料にするつもりだったという相反するコメントが掲載されており,同証人の証言はにわかに措信できない。 また,久保田邦康証人は,全部回収したと説明しているものの,「公告前同意」を回収した時期,回収した推進委員名,回収した三条資格者の数など具体的な数字は一切記録されておらず,「全部回収」したことを担保する証拠も全くない。 錦町の「公告前同意」問題は,「同意書用紙」の管理が杜撰であったことを端的に示している。 C まとめ 一審被告は,いつ,だれが,どのような目的で幾種類もの「同意書用紙」を用いたのか全く説明していない。 一審被告は,「平成6年2月8日」という公告年月日が印刷されているということを理由に,公告後に同意取得が行われたと主張している。しかし,実際の公告日以前に「平成6年2月8日」という公告年月日が印刷された「同意書用紙」が存在していたとすれば,「同意書用紙」の記載を根拠に,公告前に同意取得を行っていないとは言えない。 このように,複数の「同意書用紙」が存在することから,いつ同意取得が行われたのか,どの用紙を用いたものが正式の同意署名か一切分からなくしている。 5 以上のとおり,白紙状態の同意書であった人吉市ら4市町村では,三条資格者に対する説明義務を履行していなかった。三条資格者は,何に同意したか理解しておらず,同意の効果意思はない。よって,上記4市町村について同意があったと認定することはできない。 また,農林事務次官通達「国又は都道府県が行う土地改良事業の開始手続き等について」(甲1054)によれば,3分の2の同意は大字単位で備わっているべきだとの指摘もなされている趣旨からすれば,全体としての3分の2の同意の具備だけでなく,少なくとも各市町村単位における同意者数を証拠に基づいて認定すべきである。なぜならば,事業の施行地域内にある土地に係る3条資格者の3分の2以上の同意が施行地域全体で満たされていても,不同意者が一部地域に偏在する場合には,事業の円滑な実施,事業完了後の施設の維持管理,負担金又は分担金の徴収等に支障を来たすこととなるのである。 人吉市ら上記4市町村についての同意取得手続は,上記のとおりいわゆる白紙の同意書が,三条資格者に対し提示されたことが,当事者双方にとって確定している。従って,上記4市町村の同意者合計(用排水1923名,区画607名,造成434名)については,一審被告が提出した同意署名簿(乙64の1〜7,乙65の1〜7,乙66の1〜7)のみで同意があったと認定できないことは,繰り返すまでもない。 また,白紙の同意書を補充すべき説明内容についても,上記4市町村の各担当者の証言からも明らかなように,到底三条資格者に対し,権利内容や事業区分の内容を十分説明し尽くしていないことが明白である。 従って,上記4市町村の上記同意者数を本件変更計画の同意者と安易に認定した原判決の事実誤認は明らかである。 |