『若き人へのメッセージ』
第1号 『算数教師知的生活のすすめ 子どもと教材を見る目を豊かにする法』 2011.05
第2号 『教育に夢とロマンを 教員人生をふりかえる』 2012.06
第3号 『教育に夢とロマンを 教具・ネタを考える』 2012.09
第4号 『教育に夢とロマンを 先人・斉藤喜博に学ぶ』 2013.01
第5号 『教育に夢とロマンを フィンランドの教育を知る』 2013.02
第6号 『教育に夢とロマンを 元帥・遠山 啓に学ぶ』 2013.02
第7号 『教育に夢とロマンを 授業づくりを考える』 2013.04
第8号 『教育に夢とロマンを 東井義雄に学ぶ』 2013.03
第9号 『教育に夢とロマンを 20年前の教育最前線』 2013.03
以後の予定
第 号 『教育に夢とロマンを 』
『資料研究』
第1号 『鈴木筆太郎研究』研究 05.8
第2号 『公文方式』の研究 05.8
第3号 『習熟のあり方』の研究 06.11
第4号 『整数のわり算』総集編 07.7
第5号 『新学習指導要領を考える』 07.12
授業づくり通信
第1号は、1994年1月です。
今後のこと [2005年8月17日記]
このところ『通信』を作ってはいるが、発送していない。それは、いろんな集会のレポートとして『通信』を編集することが多く、目新しく授業のことを書くことが少なくなっているからだ。まあ、今後もそんな形が続くことになる。また、来年3月の「小学校集会」で、退職を記念?して、講演させてもらえることになったので、そのレポートをこの『通信』の最終号にすることに決めた。
そこで、以後は、『資料研究』という形で、通信活動をしようと考えた。 早速、この夏を発刊した。
第1号 『鈴木筆太郎研究』研究
第2号 『公文方式』の研究
このような形で、随時出し、出した後の追加資料は、「第○号の△」の形式でまとめていくことにしたい。 どこまでできるかな?
そして、2006年5月記
『授業づくり通信』は、139号 2350ページを持って、終刊としました。
ここ1~2年は、いろんな研究会のレポートとして書いてきましたので、重複記事も多く、きちんと発送もしませんでしたが、これまた紙の使用は10万枚は軽く超えたことにまります(「学級通信」「文集」「各種資料、プリント」などを加えると、1教師で50万枚くらいにはなりそうです)。今、書庫に1セット並べてみましたが、確かに膨大なものになりました。 まあ、そこそこ努力したのであります。
さて、年ごとに合本にしたものがあります。 1冊100円+送料で よろしければ、お分けします。本音は、家の中の整理・整頓のため、処分したいので、引き取ってもらいたいのです。
東数協&関数協・春の研究大会 IN TOKYO 2007.4.1 by WATANABE
『私の探求してきた算数教育 ~~人間として、教師として、授業に生きる~~』
講 演 原 稿
愛知から来ました渡辺です。名前に「靖」、靖国神社の靖です。つまり、戦中派なのです。退職してちょうど1年経ちました。今は、再任用は辞退しまして、週1回、大学で非常勤講師をし、あとはボランティアガイドとして、博物館・明治村と人間博物館・リトルワールドに行っています。歴史学・文化人類学という分野です。この1年間 いい人生体験ができました。また、2月から、「ナベちゃんのおもしろ教室」という「数楽のひろば」を立ち上げました。あと、サークルとかがありまして、結構いそがしく過ごしています。もちろん、現職の時のように時間にしばられることは少なくなりましたので、幸せ気分一杯というところでしょうか。 このことは、「早く退職すると楽しいですよ」というメッセージを送っているわけではありません。実際に子どもとのかかわりが少なくなると本当に寂しいものです。くれぐれもお間違えのないように。は、「私の探求してきた算数教育」というとても立派なテーマを野町さんと市川さんからいただきました。私としては、立派過ぎるので、レジュメにありますように、「人間として、教師として、授業に生きる」とサブを勝手につけることにしました。
それで、「はて、探求してきたことってあるのかな?」と振り返ってみましたが、結論は出ませんでした。 ただ、先日送られて来た「AMIの眼11号」の巻頭言に、関数協委員長の和田先生が書いてみえること、つまり「 」と「 」の指摘です。これに痛く感動しているということだけ、先にお話しておこうと思います。
話をもとに戻します。
私は、「数学教室」にも書いていますが、デモシカ教師です。しかも数学ド素人です。その私が、こうして皆さんの前に立っていること自体不思議なことなのです。どうしてこうなっているのか、なってしまったのか??? そこに「探求とかかわる」ことがあるのではないかと考えたのです。
まずは、「デモシカ教師を奮起させたこと」として、人との出会いです。みなさんにもきっとすばらしい出会いがあるように、私にもありました。
生い立ちのなかで言えば、これはあとで知ったのですが、幼稚園の時の祖父江省念園長は、節談説教の大家でした。また、当時、「おにいちゃん、お兄ちゃん」と呼んでいたのが、後にNPOの児童虐待ネットワークをしていた祖父江文宏さんでした。教員になったすぐには、「ぞうれっしゃがやってきた」」の小出隆司さん。2人で喫茶店の片隅でサークルをしていました。そのあと私は、教科書裁判支援運動にかかわるようになったのです。そして、裁判支援の講演会で算数教科書批判をしていた時、愛知数教協の初代委員長になった杉本繁三さんに「愛知数教協を結成したいから、力を貸してくれないか」と誘われたのが、数教協に足を踏み入れるきっかけとなりました。まあ、これと同じ頃ですが、浜松で、1泊2日1500円の研究会があることを知って、出掛けました。動機は、教科書批判をするためには、やはり理論がないとねえ。ところが、デモシカの私にそんなものがあるはずありません。資料3(5ページ)に書いたように、学生時代に、遠山先生の「算数の教え方」たった1冊読んだことがあるだけです。批判をするために、学問の世界からすれば、不純なことから、私の自主研修は始まったのですが、この時の研究会こそが、東海地区協の0回大会といわれるものです。講師陣は、遠山先生始め、森さん、銀林さん、榊さんなど蒼々たる顔ぶれでした。銀林先生の「現代化の話」などさっぱりわかりませんでした。今もそのときのテープが残してあります。なにしろ、運悪く、いや運がよかったのか、会の始まるぎりぎりに行ったら、一番前しか席が空いていなかったのです。つらかったです。わからない子の気持ちがよ~く分かりました。印象に残っているのは、交流会の時、「愛知は管理が強くて、たいへんです」てなことを言ったのでしょう。そしたら、先ごろ亡くなられました千葉の木村さんが「歴教協なら大丈夫だわ」と言われて、「へえ??? なんで・・・」と思ったものです。
こういう昔話をし出しますと、日が暮れてしまいますが、遠山先生に初めて声を掛けられたのは、佐賀の嬉野大会に初参加でしたが、このとき夜行列車で同じになりまして、朝、嬉野駅前の食堂で朝食をとったときです。遠山先生はしゃれた名前のものを注文されました。田舎者の私は、カタカナの料理といえば、カレーライスしか知りません。このとき、お口に合わなかったのか「君のようにカレーライスにしとけばよかった」とポツリと言われたのです。「へえ、こんなお偉い先生でも こんなことを言うんだ」と感激してしまったのです。これが、遠山教に染まっていくきっかけなのです。「元帥も人間じゃわい!」とね。
ほんとうに、人の出会いとは不思議なものです。またそのときの一言は不思議な力も持つものですね。例えば、私が高校時代物理を勉強しなくなったのは、勇気を出して質問した時に「だって、そうだろう・・・」と言われた一言なのです。何気ない言葉ですが、私の心にはぐっさっときたのです。教師ってこわい仕事だと思います。
ところで、私の教員生活は、書くまくりです。今は、パソコンも使いますが、まさに「紙の弾丸」です。学級通信・職場通信・を始め、レジュメにちょっと書き出しただけでも数知れません。
振り返ってみると、これは、小学校時代に受けた教育の所為です。私の小学校は、村立の名古屋郊外の西春日井郡楠村です。ここで、1年生から毎日日記を書かされました。担任が毎日赤ペンを入れてくれました。校長先生が 学期に1回全校生徒の日記に赤ペンを入れました。今じゃ、こんな校長さんは居ませんよね。いや、福井の藤崎さんがそれに近いかもしれませんがね。今もその日記は大切に保存してありますが、いわゆる「生活綴り方」教育だったのです。おかげで、書くことにはそれほど苦痛をもたなくなっていったようです。教員になって、初めて会った民間教育団体に所属している人といえば、日本作文の会の人です。日記指導と文集づくりは、私の指導の根幹でした。
レジュメに書いてある・開校百周年記念誌「戦争表現にはブラジャーが必要か」「日の丸掲揚問題」というのは、ここは東京ですから触れておきたいのですが、2年間の研究指定校が終わった翌年、開校百年誌をつくることになりました。教員4年目のことです。私が、戦中・戦後の部分を受け持つことになり、「ある教師の昭和史」の荻野末さんや中津川の教育史、東京の宮前小学校の校誌、歴教協の山本典人さんが苦労なさった校誌などを参考にして書いたのですが、印刷に出す直前になって「恵那の教育は偏向している」「岩波新書の本は、左翼的だ」「戦争中の教師は、真面目に努力していた。まちがったことはしていない」などと言って、書き換えを要求してきたのです。いや、書き換え要求ではなく、「書き換えたから了承しろ」とね。校長・教頭・教務で私を取り囲んで、つるし上げの団交みたいなものですよ。そこで、「戦争表現にはブラジャーが必要か」とパンフを作って大喧嘩をした事件です。このころは、絶対に高学年は持たせてくれませんでした。
「日の丸」についても3度の闘い?を体験しました。1度は、そのために担任以外の仕事はすべて剥奪され、孤立化させられました。ここでは、卒業式に関してだけ少し触れておきましょう。それは、今、名古屋はフロアー式全盛ということです。東京でフロアー式の卒業式が当たり前の頃、名古屋では、どう闘っても許されませんでした。正面に日の丸、日の丸を背に校長さんが証書を渡すステージ式を あの手この手でね。「証書は、舞台の横に立って、アメリカの海兵隊のように・・・・」「正面でお辞儀をしたとき、スカートが短いとねえ・・・」とか「舞台の正面に、子どもたちの大作品を飾りたいのですが・・・。日の丸は袖に移動しますからね」など、やりましたが、新聞に「日の丸を出さない学校がある」と叩かれました。ちゃんと、袖に出しておいて「出してない」と攻撃されないように配慮していなのに、すっぱ抜かれたのです。出してあるのにね。見えないだけなのにね。 結局、フロアー式にはできませんでした。ところが、東京でフロアー式の卒業式が次々潰されていくのと比例して、名古屋では逆に広がっているのです。 ただ、私は、東京で起きたことは、10年後に名古屋で起きるというふうに感じていますから、今後 どうなっていくのかわかりませんが、私の勤務校だった所も先日の卒業式は、卒業生の数が180人ほどあって、スペースがとれないからステージ式に戻さないとねえとの話があったのですが、なんとかフロアー式でやりぬいています。 東京では、日の丸・君が代でたいへんですが、柔軟に対応して頑張ってください。最後に書いてある「ぼくら どんなに つらくとも 友を売るまい 心を売るまい」です。本当は「蛍の光」も問題ですよね。
教科書研究も、私の原点です。教師2年目の年から、猛烈に職場の仲間とやりました。単元ごとに分析をして、まとめました。デモシカでしたから、まあ、必死に学びました。 学生時代より夜遅くまでがんばり,<社会>70p<理科>96p<算数>89P<国語>113P<道徳>31pとまとめあげ、<公民>はYWCAのお母さん方と行ないました。鉄筆を持って、ガリきりですよ。 いずれにしても、教材研究として、教科書研究は欠かせないものであることを学ぶことが出来ました。こうしたものを教科書会社に持って、質問に行きましたから、教科書会社とのつながりもできました。内緒の話ですが、啓林館から「サークルに会議室を使ってください」と言われるほど仲良しになりました。今の啓林館教科書に、やっとタイルが登場したり、比例から比という指導展開になったり、学習日記というまとめ方、数多くの数教協ネタが発展教材に入ったりしてきたのは、私への退職祝いプレゼントだと勝手に思っています。 実際はそうでなくても、そう思っておいたほうが、気分がよいですからね。
このように私は、教育運動の一環として、批判するために教育内容の学びを始め、批判するだけで実践がいい加減ではちとまずいな、だから、しっかり実践もしなくちゃあというようなものだったのです。 先のレッテル張りについても、払拭するのは実績です(近頃、どこかの国の首相が 支持率低下は気にしないで、「実績、実績」というのと同じにしないで下さいよ)。 一番よいのは、世間様の認めるもの、中身はどうだっていいのです。ちなみに、百年誌のときは、私の投稿記事が新聞に載ったときですし、担任以外の仕事を取り上げられていたときは、クラスの子が「急いでも、きちんと見ます みぎひだり」で交通評語日本一になったからです。まあ、運がよかったと言えるかもしれません。
さて、教員生活の中で、私は、3度 研究指定校に当たりました。教員1年目の学年末、校長さんから「研究指定校をやるように、教委から話があった」との報告がありました。これに対して、「押し付け研修は、子どものためにならない」と、職員の中から反対の声が上がりました。夜遅くまで、指定校を受けるかどうかで職員会議が開かれました。最後は、投票になり、1票差で受けることになりましたが、私は、「言われないとできませんから、指定校は受けた方がよいと思います」という発言に「おまえ、何年教員やっとるんじゃ」と暴言をはき、私は、すっかりにらまれるようになりました。折角、学閥本流の、保証人は県校長会副会長というエリート教員は、道を誤ることになったのです。 でもまあ、ここから、先ほど申したような猛学習が始まったのですから、たいへん有難いことだったと言えましょうかね。
理科の指定校。「探求の科学」全盛期でしたから、「這いずり回る理科、反対!」と2年間暴れまわりました。科教教や仮説に出会ったのもこの時期です。成城小学校で、板倉さんや新居さんの「量分数のすべて」という授業書にも出会いました。問題解決学習の問題点を指摘して論陣をはりました。とても、有意義な研究指定校でした。
なにしろ、私の研究指定校は、ちっとも苦にならない楽しいものでした。2度目は、ゆとり教育の指定校です。受ける前、校長さんから「反対するかどうか」の打診がありました。私は、即座に「受けましょう」と言いました。正直、普段の実践を少し膨らませただけの取り組みで、十分でしたので、私の意のままに進みました。普段の実践を教委に認めさせようと張り切って取り組みました。その一部は、雑誌『教育』に「ゆとりへの挑戦」と題して書きました。まあご存知の方はいらっしゃらないと思いますが。
3度目は、新学力観のときです。これも楽しかったですね。反対派に回られると面倒になるとの思惑があったのでしょう 教科部会の長を仰せつかりました。私は、猛然と「教科指導部たより」を発信し、60号までいきました。裏情報は「知的生活をおくるための教育日記」として100号発行しました。 授業の三角形とか、問題解決の過程とか、授業論ぽいことは、ほとんどこの時期にまとめあげたものです。たいへん意味のある取り組みができたと思っています。官民両方のことが見通せるという強みを身につけることができました。感謝です。そうそう、ちょっと前 公聴会でのさくら発言が問題になりましたよね。あんなのは研究指定校なんかでは当たり前ですよ。私のときにも、教科部長が全体会での質問を受ける役割でしたから、「先生、質問をお願いしておきましょうか」なんて親切にいってくれました。でも、「結構です」と受けあわなかったら、叱られました。まあ、ここで、中心になった方はみなさん出世していかれましたが、私だけはヒラのままでしたけどね。
いずれにしても、愛知では、組合は数教協の実践を行なうのに、妨害はしますが手助けをしてくれません。ですから、子どもや親を味方につけねば、実践が成り立たないのです。子どもや親の納得する授業をする。納得させる授業にするために奮闘することでした。学級の子は、どのクラスの子よりもよくできるようにする。考える力をつける。中学受験にもばっちり合格させる。私は、いつも年度始めの学級懇談会では「日本一の学力のあるクラスを目指します」と宣言してきました。 そう、そうなるためには、量の理論に乗っとった算数の授業が欠かせないという結論だったのです。「応用問題に強くなる量の指導」と書いてあるではありませんか。
また、あとでも触れることになりますが、数教協の実践は理解・わかることが最大のテーマでして、習熟とかテストをどう作っているか等のことは あまり語られません。競争原理の乗っかることはタブーですからね。でもねえ・・・・。 2月の全国研究会議の席上で、ちょっとそんなことを発言したら、冷たい視線がぐさりときました。私の考えは、数教協では少数派であることを自覚しています。少数派は慣れていますから・・・。
何故、そう思うようになったのかと言えば、私の教員生活を取り巻く環境です。愛知はご存知のように管理教育のメッカです。愛知数教協の組織をみても、小・中・高と上にいくほど会員数は多い。全国の傾向とは全く逆です。小学校はがんじがらめです。ところが、最近 全国が愛知に近い形になりつつあることを聞いて、愕然とするわけです。
それは、実は、東海近畿には、小川太郎・本山政雄が中心になってできたサークル合同研究会というのがあって、その代表者会で、この前亡くなった岸本裕史氏といつも顔をつき合わせていました。彼の口癖は「民教連の活動家の子弟で 一流大学を出ている奴は少ない」「いない」とまで豪語していました。暗に、わかることを強調するサークルに対する批判です。これに、私は、反発していましたから、数教協の実践は受験学力をも乗り越える確かなものであることを示さなくてはいけない。受験などでも実績をあげなくてはならないのです。幸いに、愛知の私学は、民間教育にかかわっている人が多く、大変助かっていますし、受験の内容も、愛知と東京では全然違いますしね。
あえて言いますが、あの教育再生会議が実践例として示すようなことは、おままごとです。百人一首なんて、わがクラスは完璧です。教え子から、中学での「カルタ大会に優勝したよ」とか、上位独占です。読書指導だってばっちりです。あんなことは、教師が自分の発想でやることであって、「精の・・・」で一斉にやることじゃありません。押し付けられたら、異なるネタで対抗し成果をだすことです。それが、考える力のある教師のすることです。数教協、いや民間教育団体の財産は、十分対抗できる内容があると、私は信じています。
こうしたことが、スムーズに積み上げてきたかと言いますと、そうではありません。資料の2ページにあるように、少しずつ勝ち取ったこともでてきましたが、ジレンマは大きくなる一方でした。 なにしろ、いろいろなところへ顔を出していましたので、私のあずかり知らぬところで、名前だけが広がっていったようです。その割には、授業はさっぱり。 でも、あちこちから「授業を見せてほしい」との依頼が来るようになる(静岡・愛知・京都・滋賀・岐阜・・・山野下さんや加藤さんまで来るようになってしまいました)。一大事です。確かに、地域で、公開講座の取り組みをよくしていましたし、親には「いつでも見に来てください」と学級開放はしていましたが、全く普段の授業に自信はありません。
こうした授業に、デモシカ教師の目が、いくようになってきたのは、
早い時期(1976年)から、明治図書の桜井さんが「算数教育」に原稿を書かせてくれましたおかげです。地方版的なようなものにはよく書いていましたが、全国版の雑誌には書いていませんでした。本当に実践の積み上げのない時代からねえ。正直、テーマをもらってから、自分の実践を振り返って書くという状態でした。図々しく書いていくうちに、実践の有り様も考えるようになっていきましたが、実践テーマをもって、授業を積み上げる実力なんてありませんから、「数学教室」の原稿は書かないようにしました。恥ずかしくて書けなかったのです。桜井さんには100本近く書かせてもらいましたか。資金的にも有難かったです。めちゃ、教育雑誌をとっていましたからね。
書くということが、いかに大切なことであるかが分かりますが、失敗もあります。例えば、「集合論の批判を書け」と言われて、新聞の投稿欄に顔写真付きで書きました。何もわかちゃあいませんから、ホイホイと書いたのです。あの小平邦彦氏の集合論批判なのです。私、小平さんがどんな人か全然知りませんでした。当時1976年5月・30年前で、原稿料は3万円ほどもらって、新聞ってもうかるのだなあなんて感心してました。そう、先に言いました新聞記事とは、これのことです。親の間にも、「すごいねえ」って、話題になりますから。
それと、授業そのものに目が行くようなきっかけをつくってくれたもう一人は、やはり愛知教育大学の子安潤先生です。いつも言いますが、20年ほど前から、「あなたの○時間目の授業の価値は どこにありますか」と執拗に問うてきました。みなさんは、ちゃんと「1時間目は○○○です。2時間目は○○、3時間目は○○。・・・6時間目は○○。」と答えられるでしょうが、私はただただ口こもるだけでした。これが、ずっと続いたのですから、そりゃあもうノイローゼにもなりかねません。 でも、なりませんでした。「算数がイヤになったら、国語・社会・理科・・があるさ」という調子でしたから。しかし、これは、とても大切なことでした。授業の成果主義から、少しずつ授業論を考えようになったのですからね。
このように、私は、まだまだ受身的な学びの世界にいましたが、1986年を節目として、私の生活はかなり大きく転回しました。
1986年11月に 初めて「法則化批判」の通信を作りました。その2号で、
「法則化運動の担っている役割は何か。臨教審後の教育界で、国鉄における動労と同じ役割を演じるための準備であると。向山氏は、その尖兵の役割を着々と果たしていると思われるのである。(この予測は数年後に明白になるであろう)」とぶちあげました。
改めて言いますが、この1986年は、『日本の民間教育』という雑誌が休刊となり、『ツーウェィ』が創刊になった年であり、日教組が分裂・国民教育研究所が解体の道を歩み始めた年でもあるのです。もちろん、初めは「法則化」をそれほどまでに追うつもりはありませんでした。ご存知の「三修」(石黒・大森・岩下)のひとり岩下君とは6年間同僚でありまして、その彼を気づかってのことでしたし、遠山先生をはじめ、民間教育の実践家へのののしりという向山洋一の挑発に乗ったまでのことです。みなさんから「あなたのライフワークですね」なんておだてられ、10年ほどお金と精力を使いました。妻からは「郵便局の回し者か」なんて嫌味も言われたりしました。
なにしろ、手当たり次第に、法則化の連中、言葉が悪いですね、法則化の方々にも通信を送りつけ、論争めいたことをやりあいました。おかげで、全国誌に名指しで「渡辺の子ども観は・・・」と批判されました。有名になったものです。 私自身の授業もいい加減では許されなくなりました。いい緊張感のなかの10年間であったと思いますし、数教協の諸先輩の実践を改めて追試したりすることができました。数教協の実践が、法則化算数よりも優れていることを実体験しておかないと、批判しても迫力がなくなりますからね。
これに飽きて、やり始めたのが授業づくり通信です。初めの構想は、すぐれた実践の交流の場をつくることを考えていました。また、教科研の授業づくり部会の変節に対する抗議の意味もありましたが、構想だけでうまくいきませんでした。結局、日頃の私の実践を公表する場となってしまいました。毎月、16~20ページだての通信でしたから、ページを埋めるのがたいへん。「ページをうめるために、実践をしなくちゃあ」というような本末転倒のような状態に陥ったりもしましたが、退職まで、意地で続けました。1000ページの目標が2350ページにもなったのですから、自分を褒めてあげたいです。 まあ、自分の実践の公表の場と化したのですが、実は授業記録をとっているのと同じことになり、価値ある取り組みであったと思っています。
こうした中から、「基礎学力と基本学力は分けて考えよう」なんてことも思いつきました。
日数教の論文の中に、基礎的事項・基本的事項という言葉があったことを思い出し、(実は追求したのですが、さっぱり見つかりませんでしたが) 学力という言葉とくっ付けて使っているうちにごちゃごちゃになり、訳が分からなくなりました。まあそこは、現場人はそれでいいんですよ。ちゃんと、理論付けてくれる方がお見えになりますからね。銀林先生です。あとは、おまかせすればというか、ちゃっかりそれに乗っかればよいのです。ところが、意外と広がりませんでした。これは、我々現場の、実践家の責任です。学力論争に上滑りしないように基礎学力・基本学力を分けた実践例を一杯示すことができなかったことです。そのことは、文科省の「評価規準」にも遅れをとることになったと思います。せめて「ノリ準でなく、モト準で」くい止めねばならなかったと反省しています。現場で、自由な実践がどんどんしにくくなってしまったからです。
資料を見てください。先ず資料7です。
≪資料7≫ 私が、「基礎・基本」にこだわったわけ
文科(部)省は、戦後ず~と「基礎・基本の重視」を唱えてきた。しかし、それは建て前であって、現実は(現場)どうでもよかった。少数の超エリートさえ育成できれば、事は足りる。つまり、義務制の教師の仕事は「子どもたちに“分をわきえよ”と指導すること」に他ならなかった。「基礎・基本」「すべての子をわからせる」という教師として当たり前のことをしようと考えるのは、悲しいかな、施策に反発することになる構図に他ならないのですから、さみしいですね。
以下の文は、「授業づくり通信」に書いたものです。
●2001.8 基礎・基本と系統学習について
聞くところによると、基礎と基本を分けて論議することについて、柴田義松氏が「・・・それぞれの教科において基本的な内容を精選すれば、前に学んだ基本的内容が後の学習の基礎となります。同一の内容が、基本となり、基礎ともなるという系統性が、教科の本来の指導のあり方ではないかと私は考えるのです。」「教科は、本来このようにして系統的に指導されるべきものですが、教科内容の研究がそこまで十分にゆきとどいているとはいえないのが実状でしょう。」と、ヴィゴツキーの有名な『思考と言語』を引用して異議を唱えているそうだ。
まあ、従来の教育学からすれば、そうでしょう。基礎・基本を今更分けたりするのは意味ないかもしれないが、スパイラル学習とか三浦つとむの「上り下り理論」にも示されているように、繰り返し?のなかで、子どもたちの認識が深められていくと考えるのは常識でしょう。それを前提として、基礎・基本論は進められているものと思っています。だから、「系統性」にしても、学問の体系に依拠すべきなのは当然です。私はヴィゴツキーの難しい理論はわかりませんが、彼の主張する『発達の最近接領域』=子どもたちが発達するためには、基礎(学び)の周辺をより豊かに耕さねばならないという論には甚く心酔しているのです。そのため、当然の帰結として、管理体制とぶつかることにもなったりします。「自由」のないところに教育はないのですから。
いずれにしても、柴田氏は現場の実態がみえていないらしい。つまり、たとえば、「読み・書き・算」における計算を基礎学力と決め付けることに抵抗があり「基礎」「基本」と分けることは時代に逆行した提起であると批判しているようです。 しかし、とかく現場では、「計算」と言えば、公文や落ち研のレベルです。(民教連も同レベルかもしれないと、最近思っていますが・・・)。計算指導の内容分析がなされないで、「計算=基礎」。行き着く先は繰り返し学習・ドリル・数打ちゃ鉄砲も当たるなのです。これを職場から打破していくためには、きめ細かな教材分析が不可欠なのです。「基礎とは何か」「基本とは何か」を考えて、授業づくりをしていく必要があるのです。「基礎」「基本」をひとまとめにしているようでは指導のポイントは明確になりません。
かつて、愛知教育大の子安潤さんは、私に「その教材の歴史的価値は何か」としつこく迫りました。それまで1時間1時間の授業の価値を厳しく考えていなかった私は、困ってしまいました。まさに、現場教師の弱点を見据えての仕掛けだったと気づかされました。
そこで、計算指導で具体的に考えてみると、「計算ができるようになること」「計算ができること」「計算がわかること」とは違います。また、「計算力」と言っても人によって、「答えさえ出せればよい」「活用できることまで視野に入れて考える」のか捉え方はずいぶん違います。銀林先生は、基礎学力の例として、「計算力」を挙げていますが、中学以降では計算力は獲得されてしかるべきですから、はっきり基礎学力と言えましょうが、小学校では計算力を獲得していく過程に着目して「基礎」「基本」を分けて分析した方が指導のポイントも明確になると考えるのです。銀林先生の「21世紀はいかに基本学力をつけるかが勝負どころである」とは、計算指導においては、10進位取り原理とかアルゴリズムとか応用問題とかを重視して論理的思考力をつけるような授業展開をしろと言うことだと理解するのです。
だから、私は、指導の順序として、基礎的事項が先に扱われることもあるし、基本的事項が先に扱われることもある。いつも、基礎→基本とはかぎらないと思っています。
授業づくりの観点からも 「基礎」「基本」は分けて考えるべきです。
教材の精選の観点からも 「基礎」「基本」は分けて考えるべきです。
時間数減の観点からも 「基礎」「基本」は分けて考えるべきです。
それから、1年後になりますが、また書きました。
●2002.7 算数における基礎・基本の重視
「基礎・基本の重視」というごまかしの文科省の姿勢に対して、◎基礎と基本は分けて考えるべきである。◎分けて考えることによって、教材の重要度は明らかになり,真の精選も可能となる。という提起は、残念ながら、なかなか受け入れようという雰囲気が出てきていない。基礎と基本とを分けて考えてみることによって初めて、「評価規準」が「基準」として機能すると思うのであるが、世の動向は《読み・書き・計算》のレベルに止まり(新指導要領の立場から見れば、算数を計算のレベルに止めた)、なんと30年前の落ち研がもてはやされる事態となった。完全にTV・マスコミにやられてしまったのです。
かつて、NHKの『お母さんの勉強室』で、星野和夫さんと岸本裕史が対決し、《東海・近畿教育サークル合同研究集会》で亀谷義富さんが「落ち研批判」のキャンペーンを張り(私が「公文批判」をした)、算数の学びの楽しさとは何かを追及し、一定の成果を得ていたと思うのですが、再び「落ち研」(名称を「学力研」と変える)が学力論争の主導権を取ってしまったのです。
「計算力は大切だ」という単純明快な主張は、確かに受け入れやすい。繰り返し繰り返し訓練すれば、一定の目に見える成果も出る。公文の主張と変わりません。また、計算特訓だけならば、教師の指導力不足も関係ない。ちょっとしたマニュアルさえ身に付ければ、誰だって同じように出来、同じような結果が得られます(まさに、公文教室の運営マニュアルと同じなのです)。子どもたちも「丸がもらえることはこの上ない喜び」ですから、一見“算数大好き”となります。《好きこそものの上手なれ》とはうまいこと言ったものです。
しかし、これで、“考える力”は付くのでしょうかね。ここを触れもしないで学力云々するのは止めたほうがよいと思うのですが、官も民も抜け出られない実態は憂うべきことです。21世紀の日本に未来はなくなると断言できてしまうほど重大なことだと思うのですがね。 最近の明治図書としては珍しく良心的に編集している柴田義松氏の『教科の基礎・基本と学力保障シリーズ』でさえ、基礎・基本の内容を一派一絡げにしている。従来の形と変わっていないのです。
※ ただ、この著の中で、鈴木一巳さんだけは、以下のように基礎的な学力と基本的な学力を区別している。
今一度,言いたい。「基礎」「基本」を分けて考えてみるということは、教材を固定的にとらえてしまうことではない。教材を見直し、授業の質を高めるために必要なことなのだ。 ひょっとすると私だけの課題かもしれないが、1時間1時間の授業の意義・価値を常に問い詰めながら、授業を組み立ててきたのかという反省でもある。1単元の意義や価値を考えてはいたが、1時間1時間の授業まで常に考えて教室に出向いていたのかと自問すれば、自信を持って“YES”とは答えられない。「全教科担任制の小学校では無理ですよ」と言いたくなってしまいます。ただ、「基礎」「基本」を分けて考えてみると、今 流行の『評価基準』もバッチリ設定できてしまいます。
ところで、「基礎」と「基本」を分けるという提起に対して、一番の批判は基礎的事項が、次の教材のときには基本的事項となったり、基本が基礎になったりすること。つまり、基礎・基本は固定して位置付けられる性質のものではないので、わざわざ分けることにエネルギーを使う必要がないという見解であるが、授業が動き、教材が動くものであるかぎり、「基礎」「基本」も位置付けが変化するのは当然です。授業を見直し、授業を変革するためには、「基礎とは何か」「基本とは何か」を分けて考えてみることが、授業づくりの上ではポイントになると考えるのです。
また、授業の中で、子どもたちの認識の過程を追い求める場合も、認識の各段階を分析する場合も、きめ細かなチェックをするべきでしょう。そのチェックこそ「基礎とは何か」「基本とは何か」と考えることに他ならないのです。
まあ、今後は授業の中で「評価基準」づくりをしていけば、自ずと「基礎」「基本」のことを考えざるを得ないと思いますが・・・・。
またまた1年後、PARTⅢです。
●2003.8.18 算数の基礎・基本について PARTⅢ
早くも『総合的な学習の時間』の破綻が明らかとなってきた。それは、学力低下論争によるところが大きいとみられる。そこで、急浮上したのが『基礎基本の重視』。振り返ってみれば、『基礎基本の重視』は、どの指導要領のときにも謳われている事項である。つまり、今回、変に盛り上がったのは、「学力低下」問題がマスコミを通して、世の親を不安がらせ、不況の続く産業界が便乗したわけです。 徹底して便乗したのが、おち研(学力研)隂山英男であり、割を食ったのが法則化の向山洋一ということになるのでしょうかね(「百マス」の創始者・岸本裕史の内心はどうか知らないが、そこそこうまくやっているようですね)。 文科省も、教育技術のマニュアル化という手間を省き、教育技術もいらない、パソコンでのプログラム化も容易な「百マス」という鍛練主義を薦めるのです。<教育技術を尊重しないのは、民営化への道でもあると思う>
※
学力研では、今 脳科学を持ち出して、ワイワイ理論化を図っているが、『心』の問題と関わって、ぼちぼち「生活点検」運動を再び持ち出すことでしょう。あの山口小では実施しているのですから。
※
「生活点検運動」は、これも百マスと同じ頃、藤原義隆が唱え、関西ではブームになったものです。「百マス」と「生活点検」はセットなのです。
さて、こうした状況が進行している現場で、『基礎・基本』を考える時の指標は何か。 私は「基礎と基本を分けて考える」ことが大切だと考えるのですが、提起されて、3年。「基礎学力」「基本学力」という言葉が少しずつ市民権を獲得しつつあるのかなとも思うが、あまり注目されることもなく、現在に至っている。
ただ、考えてみるにつけ、“学力低下”の現実は受け入れられるようになったが(「学力低下を唱える」こと自体、民間側から批判を受けた)、「基礎と基本を分けて考える」ことについては、私の捉えかたが目の前の授業を意識しすぎて、基礎学力=基礎的事項→評価基準、基本学力=基本的事項→評価基準というニュアンスが強すぎるため、「学力論に馴染まない」と見られているようです。しかも、基礎学力・基本学力にあたる事項を具体的に単元ごとに示さないものだから、現場の要求とも合致していなかったようです。
確かに、現場の泥臭さが滲み出ているため、格調が高くないのは事実であるが、術=基礎学力、学=基本学力、観=生きて働く力、という学力の位置付けはなかなかのものであると思っている。
さらに、2年後です。
● 2005.9 再び≪基礎・基本≫を問う
学力論争は、すっかり低調になってきた。各種の「学力調査」からの読み取り方は、官民では好対照?となった。
文科省は、子どもたちの学力が落ちてきたと騒ぎ、矢継ぎ早に現場の締め付けを開始し、「ゆとりを見直す」「総合学習を再考する」「全国学力テストを行う」「各校の教育内容をチェックする」などと、現場教師の責任に転嫁して、教育内容の統制・教師の締め付けを強化し、「習熟度別(能力別)学級」こそ学力向上の道だとばかりに押し付けている。学力世界一のフィンランドの文部大臣トウーラ・ハータイネンさんが「能力別クラスはつくっていない」「教育の平等を保障し、教育の質を高め、学校の裁量を大きくしている」と日本記者クラブの会見で述べているのと全く逆な筋書きなのだ。
ところで、民間側の論調は、学力が落ちていることはあまり問題にしない。問題にすることは、文科省の土俵の乗ることになるからであろうか。2極分解が強まり結果として順位が落ちたという論である。つまりは、中教審路線の為せる技というわけだ。確かに、一部エリートさえ育てれば、あとはどうだって構わないという国民の共通教養を保障しない施策・国民の教育権を認めない施策が2極分解を拡大してきているのは事実である。しかし、それでは、親の信頼・支援は得られない。学力問題では、わが子ができるところを目にしなければ、親が教師を支援することはない。まあ、そのあせりなのでしょうか。学力とは「読み・書き・計算」の域を脱しない教師たち。文科省の方が「考える力」を強調する始末。どうなっているのでしょうかね。
みなさん、体育同志会の出原さんが言う『異質協同の学び』こそが、子どもたちの真の学力保障になることを裏付ける実践を、各教科で積み上げていきませんか。
● 2005.10 再び≪基礎・基本≫を問う 、その後
早々と隂山氏は、広島での公立小学校での実践をほっぽりだして、立命館小に転籍するという報道が大々的になされた。まだ、半年以上前なのにねえ。内定したとしても公表するのは差し控えるべきではないだろうかね。それが今 勤務している学校への礼儀というものである。信頼関係のないところに教育は成り立たないぜ。 ※立命館小学校のこと・・・百マス・朝学・暗唱、辞書引き・・
結局のところ、先の学力論争は、相変わらず「基礎・基本の重視」とは言うものの、教育内容には入り込まず、掛け声だけ。なんの進展もなく、国民の共通教養=市民的教養という視点での論議にはなりませんでした。数教協に出番がなかったのは当たり前のことで、私も現場人として、首を突っ込んでやろうと思って動いたつもりが、くだらぬ論争の周辺をウロウロしているだけでした。 格差社会を助長する政策の国家では、当然のことかもしれませんが、これからも、忘れずに基礎・基本問題を追究し、価値ある授業を創り出していかないといけないと思います。数教協の責務です。
最近は、≪習熟≫についての発言をし、全国大会でもAMIサロンを2年間やらせてもらいました。まあ、関心のない方が多いとは思いますが、少しだけ付き合ってください。私は、親の支持・支援を得る一番の早道は習熟問題だと考えていますし、「百マス」に対する怨念があるものですから・・・。 ≪資料8≫17ページです。
○ 再び≪理解・習熟≫を問う 〔2005年9月〕
『たのしい授業』の7月号で「ドリルは楽しくなくちゃあいけない」という論調で、習熟を取り上げている。数教協の全国大会で「習熟のあり方」というテーマでサロンを展開したが、つまるところ、「楽しくなくちゃあ、やっても意味無い」ことに落ち着いた(落ち着かせた)。 そうしたことを、私は「心の教育を無視しない習熟指導の筋道を明らかにしなければなりません」と言ってみたのであるが、そんなことは、30年も前、1978年に「理解と習熟」として遠山啓は述べている。「わかる」だけでなく「できる」もしっかり取り組むべきだとね。
なのに、「百マス計算」を必死にやっている民主的教師もわんさといる。数教協にも「理解は量の理論、でも習熟は百マス」という輩も居なくはない。教育学者さんが「お止め」と言っているにもかかわらずなのだ。まあ民主的教師の力量は、ストップウォッチのレベルということなのだ(百マスの授業を参観した学生さんが言ってたっけ。「時間内にできなかった子はどうなるの? 答え合わせはないし、プリントもやりっぱなしでした。あれでいいのでしょうか」とね。聞いた範囲では、授業になっていないと思います。同じ教師として、恥ずかしいです)。 競争主義を煽り、考えるヒマを与えない授業法に現を抜かす教師に民主教育を説く資格はありません。だから、向山洋一にも、官制研の教師からもバカにされるのです。理解と習熟を念頭においた指導を常に心がける教師でなくてはいけません。それが、教師の仕事です。 ここでも、やっぱり『異質協同の学び』を叫びたい!
○再び≪理解・習熟≫を問う、その後 〔2005年10月〕
今夏の全国大会で「習熟のあり方」にのろしを揚げてみたけれど、私の属する東海地区数教協は≪知恵の輪≫にはまっている。分かるためのネタ探しに奔走している。でも、12月の研究会議に“習熟のあり方”について、シンポジウムをやることになった。みんなあまり乗り気ではなかったが、新委員長に遠慮したのかな?
日本の学力問題は「わかる」ではなく「できる」でしか論じられない。親も「できる」でしか、教師評価をしない現実がある。文科省が強調する「生きる力」とか「確かな学力」は、曲がりなりにも「生きて働く力」「生かす力」「考える力」であって、「できる」だけを強調しているわけではないのに、「できる」だけが大手を振って闊歩している学力問題で、世界の流れとも乖離しているのです。このような世界から孤立した潮流をまともにする取り組みが、≪理解・習熟≫を問うことなのです。教育界は、政治と同じ轍を踏んではいけないのです。
○しつこく≪理解・習熟≫を問う、 〔2005年12月〕
意味ある「習熟活動」とは何ぞや。いやいや以前どなたか(右左見さんだったっけ)が“由緒ある○○”と称して実践報告してたことを思い出すが、「由緒ある習熟活動=水道方式」の有り様を問い直してみたいものだ。
というのは、『授業と評価』が一体であるように、『理解と習熟』は一体のもの。 ところが、日本の教育界では、『評価』や『習熟』だけが、しばしばひとり歩きをする。 ひとり歩きほど、危険なものはない。「到達度評価」しかり、「わかる算数」しかり、「百マス計算」しかり、「量の理論」しかり、「通学路」しかり、「夜道」しかり、・・。一方、『(学習)(生活)集団』も、(小泉自民党のごとく)他言を許さず、「考える力」を統制し、猪突猛進でこわい。
さてさて、『水道方式』を始め、『岸本方式』『隂山メソッド』も習熟・定着の一つのマニュアルに過ぎない。ところが、近年『岸本方式』『隂山メソッド』が再び隆盛を極め、『水道方式』が土木分野に図書分類されてしまう事態をどう考えればよいのだろうか(若い教師には『水道方式』を全く知らない人も多い)
それは、マスコミ対策の差では片付きません。日本の伝統的学力観が“基礎基本の重視=読み・書き・計算(そろばん)”という枠から抜けられないでいるからです。つまり、『理解と習熟』と言いつつも、掛け声ばかりで『理解』が抜け落ちた指導=授業のレベルでしかないからです〔以前、入鹿荘?とかの研究会議で「公教育は、学習塾に負けた」と称してみましたが〕。この『理解』が抜け落ちた授業が罷り通る現場にどう対応していけば、よいのだろうか。(悲しいことに、30年来変わっていない。むしろ、マニュアル化はひどくなっている)
しかし、「基礎・基本の重視」という掛け声と同様、「習熟」も、事がはっきりしているために、数教協内では、あまり問題視しない人が多い。会員は問題視しないが、全国大会をみても明らかなように、教育界では大きな問題になっている。教育内容面からも、教育運動面からも、それでいいのかな?ということである。
教師が「量の理論」で武装した時、『水道方式』は理解と習熟の一体化した指導法としての輝きを持つ。例えば、計算の習熟では、「型分け」の手法はごく一般的なことになったが、「型分け」の視点 そこに「量の理論」が・・・・。
このあたりの主要論文は、「資料研究の研究」のNO,3で「習熟のありかた研究」としてまとめてみました。機会があれば見てください。
だいぶよい時間になりました。今回の「探求してきた」というテーマに対して、私のやってきたことは、時の状況に流されっぱなしのものであり、どうしたら子ども・親の支持が得られるか、また、時勢に押しつぶされないようにするには どうしたらよいかというものであったように思います。そのとき、私を助け、あと押ししてくれたのが「量の理論」であったということです。
最後に、4ページの「まとめ」の部分を読んで終わりたいと思います。
『いつでも何でも精いっぱい 素早く正しくにこにこと 用が済んだらサッサと次へ』をスローガンに突っ走った教員生活であった。幸せなことに「ナベちゃん」「ナベちゃん」と呼ばれ、しばしばカッカする私を「ナベちゃん、今日のおなべの湯加減、どうですか」と素敵に慰めてくれる子どもたちに囲まれての日々であった。卒業式の日には、手づくりの≪卒業証書≫をプレゼントしてくれ、「仰げば尊し♪の歌詞は、嫌いだ」と言って憚らない私に、「仰げば尊し わが師の恩・・」と歌ってくれた。また、父親までがわざわざ言葉を贈ってくれた。 PTA会長は祝辞で、“生きている鳥たちが生きている飛び回る空を あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは 目をとじてごらんなさい 山が見えるでしょう 近づいてごらんなさい こびしの花があるでしょう・・・・」と、笠木透さんの「私のこどもたちへ」を独唱してくれたこともありました。
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私も小学校教師生活を卒業したが、「愛知民
教連」の再出発や「あいち民研」設立準備とい
う時期に愛知の教育運動に関わる機会があった
ように、今後も「バイパス理論の再構築!」を
目標に キャラバン隊を組織して、崩壊する日
本の教育に歯止めをかけたいと思っている。
都知事選、たいへんですが、あと1週間 がんばってください。
愛知の知事選も負けてしまいました。愛知も自公の候補が当選したのですが、過半数をとっているわけではありません。私は「是非、統一して闘うべきだ。そうしないと、犬山の教育改革もポシャッてしまうぞ」と喚いていたのですが、ダメでした。でも、犬山の教育委員は、新しい市長の圧力に屈せず「全国学力テスト」不参加を決定しました。本日も犬山の地で「全国学力テストで、教育は再生するか?」という集会が開かれています。こうした学力テストについても、資料6の12ページに触れていますように、名古屋では戦後ず~と続いています。どう対処してきたのか、どう対処すべきか、私なりの見解がありますが、今日のところは・・・・・。いずれにしても、こうした骨のある人が教育委員であるうちはよいのですが、首長は、教育委員をどんどん差し替えてきますからね。そうでしょ、東京のみなさん。やっぱり、頭をかえなくちゃあね・・・。
以上、厳しい教育状況のなかで頑張っておられる東京の先生方のお役に、少しでもなれば幸いです。
小学校集会 in NARA by WATANABE 2006.3.25
講演・豊かな学びを子どもたちに
====教師として知的生活を送るために====
0.戦中派教師・総退場
1.出会いをつくる
・人との出会い
・雑誌との出会い
・研究会との出会い
2.授業の三角形から分かること
○ 50・60年代
○ 70・80年代
○ 90年代
○ 21世紀
3.小学校教師の特権を生かす
・不退転の論理
・ゆっくり 急ごう
・発達のための土台づくり
・数教協のひきつけるもの
・「わかる」「できる」「生かす」「楽しく」
・数教協は、系統学習を棄てたのか
・「基礎学力」と「基本学力」
・「理解」と「習熟」
・他教科とのかかわり
4.夢とロマンのある教師へ
『いつでも何でも精いっぱい 素早く正しくにこにこと 用があったらサッサと次へ』
“バイパス理論に立ち戻って、カリキュラムづくりを!”
『授業づくり通信』NO,133号
日本福祉大学の教職入門 2005.6.25
『教師の仕事と生きがい・働きがい』
⑥自然認識を豊かなものに
0、何が、私をそうさせたのか
○飽きもせず、知的生活を続けるには・・・・・・
1970年代「通塾率は、教師不信のバロメーターである」
1986年 「法則化運動は、国鉄問題における動労の役割と同じである」
1990年代「公教育は、学習塾に負けた」
1999年 「基礎学力と基本学力を分けて考えよう」
1、学力低下問題は、なぜ起きる
○子どもたちの学力は 今
・
作られた「学力低下」・・・・教科書神話
・
「基礎・基本」ってなんだ?
2、授業を創る
○子どもの願い、親の願い、教師の願い
・わかる授業・できる授業→楽しい授業→考える授業 →生きて働く授業
・意味理解と習熟問題について
・生きる力・確かな学力? 授業の三角形
・ここにも 教師
そこにも
あそこにも 集団
そして どこにも
算数がある 子ども 教材
3、夢とロマンのある教師
・ 教師が楽しくなくちゃあ、子どもは浮かばれぬ
『授業づくり通信』NO,134号 数教協全国大会AMIサロン
習熟のあり方を考える
[大会要項レジュメ]
0.現場では
今、小学校では、少人数指導・習熟度別(能力別)が押し付けられ、数教協を始め民間教育の自主編成プランが実践しにくい状況にあり、幅を利かせているのが、20数年前の岸本方式である。
・?山メソッド《100マス計算》
・斉藤メソッド《音読》
1.理解と習熟
“わかる・できる・楽しむ”学びを保障し、・考える力・生きる力を育む学習過程を創り出すことこそ教師の仕事である。
問題解決の図式 授業の三角形
・「基礎学力」と「基本学力」を分けて、教材を見直す。
・総合学習で、生きて働く算数力を培う。
2、習熟のあり方
21世紀の数教協が、「国民の教育権=学力保障」の中核に居続けるためには、子 どもも親も支持し、成果の見える「異質共同の学び」を示すべきである。
・かけ算九九 ・九九の暗唱《下がり九九》
・九九カルタ
・九九学習スキル
・たし算・ひき算 ・150マス計算
・10回たし・10回ひき
3.以上のような提起のあと、討議を深めたい。
◎ 2001年3月号は、基礎・基本に関する資料を集めて編集。
以下にある評論のテーマ一覧
2001.8 国語における基礎・基本を考える
2001.8 基礎・基本と系統学習について
2002.2 基本学力を支える「総合学習」に・・・二宮金次郎を通して
2002.5 評価基準について
2002.5 通知表の変化
2002.5 初めての絶対評価
2002.9 2002年夏の世間を垣間見る
2002.10 「心のノート」を考える
2002.10 絶対評価への転換をどう考えるか
2002.10 「少人数学級」と「小人数学級」
2002.10 授業感想を書く
2002・11.15 社会科の授業を考える
2002.11.20 道徳の授業を考える
2002.11.23 新学習指導要領と学力
2002.12.30 研究指定校の授業記録に学ぶ
○特集タイトル・総合学習をささえる算数・数学 『数学教室』2002年2月号
基本学力を支える「総合学習」に
・・・二宮金次郎を通して 渡 辺 靖 敏 ( 愛知 )
0. はじめに
数教協においての「総合学習」の取り組み・実践交流は、かなり出遅れてしまった。遠山啓の「総合学習」の意図を考えることもなく、「総合的な学習の時間」への批判だけが先走っているようにさえ思う。また、学力低下問題や学級崩壊などにエネルギーを削かざろう得ないというのもわかる。しかし、「総合・・・」にも何らかの見識を持ちたいと言うのが現場の声である。
もちろん、『数学教室』誌上にも「総合」に関わる実践がいくつも発表されている。ただ、私は「○○先生だから、できる」「△△地域だから、できる」という偏見や僻みで見てしまうのだ。私の勤務校のように都市のど真ん中の所では「到底できない特殊な実践」というと語弊があるけれども・・・。
つまり、なんとか「総合」として、どこでも、だれでもできる、ごく一般的なものにネタを求めて,算数の素敵さを味わいたいと思うのである。ちなみに、私は「総合的な学習の時間」に対しては、年間105~110時間のうちの一定時間は学校や学年テーマに関わる取り組みにお譲りして、個人(担任)裁量の時間を極力確保するようにすべきだと考えている。だから、ここでも担任裁量の時間に、どんなことに取り組むべきかという観点での提案である。
※『ゆとりの時間』導入のときと同じ発想(『教育』1980年11月号)
1.何ができるか
私の若い頃は、管理教育として名高い愛知でも、嫌がらせやいじめを受けながらも投げ込み教材をやっている人はどこの学校にもいた。ところが、今や皆無に近い。だから、『ゆとり』の導入のときと同様に、「総合の導入で、投げ込み教材をする時間保証がなされた」ととらえれば、わくわくするではないかと思いたい。少なくとも、学級担任制の小学校ではそう考えることが可能である。数教協の実践活動の中で培われてきたものを数楽にするチャンス到来、私にとっては最後の花を咲かす好機とも言えるのある。
2.何をこそしなければならないか
というものの1時間単位での数楽ネタはいろいろあるものの、数時間分まとめた展開プランとなると限られ、新たに練り直さねばならない。また、昨今の学力低下問題を考慮するとき、「基本学力」を支える「基礎」の底上げを図るような総合学習を仕立て上げたいものである「基礎学力」「基本学力」の定義については銀林提案による)。
そこで、『数学教室』7月号でも提起したことを膨らませてみる。
《展開構想》 8時間+α時間
| その1 道徳 (1時間) あの人は だあれ? |
その2 算数 (1時間) 二宮金次郎からメートル法へ |
|
| その3 算数・調べ学習 (3時間) 単位の歴史を調べる |
その4 算数・作業 (1時間+α) 単位換算器を作ろう |
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| その5 算数 (1時間) 二宮金次郎の量率グラフ |
その6 社会 (1時間+.α) 社会を見るグラフ |
|
その1 あの人はだあれ?(堀場正孝さんの実践をもとに)
導入として、「二宮金次郎」について知っていることを発表させる。ところが、あまり知っている子はいない。そこで、以下の発問をする。
| [質問1]みなさん、アブラハム・リンカーンを知っていますね。アメリカの大統領で奴隷解放に力をつくした人です。ところが、日本にもリンカーンがいる? 「日本のリンカーン」と言われた人がいたのです。さあ、それはいったい誰でしょう? | [質問2]二宮金次郎はどんな人ですか? 知っていることを発表しなさい。 | [質問3]では、なぜ金次郎像が校庭にあるのでしょうか。また、金次郎像はいつからあるのでしょうか。 |
| [質問4]たいへん古くて、何か今の時代にあわないような気もするのですが、なぜ今でも残っているのでしょうか。どう思いますか。 | [質問5]では、なぜ、二宮金次郎は「日本のリンカーン」と言われたのでしょう。わかりますか。 | |
その2 二宮金次郎からメートル法へ(小西豊さんの実践をもとに)
| [質問1]二宮金次郎は、どのくらいの身長だったと思いますか。 (1)160cmくらい (2)170cmくらい (3)180cmくらい |
[質問2]二宮金郎は、どのくらいの体重だったと思いますか。 (1) 70kgくらい |
[問題1]フランスメートル法というのは、いつ頃作られたと思いますか。 (1)18世紀 (2)19世紀 (3)20世紀 |
| [問題2]尺貫法は日本では昔から使われていましたが、フランスで作られたメートル法を日本でも用いようと、法律によって定めたのは、いつだと思いますか。 (1)1868年[明治1年](2)1891年[明治24年](3)1921年[大正10年](4)1946年[昭和21年] |
[問題3]それでは、日本で小学校の教科書メートル法をとり入れたのはいつ頃のことだと思いますか。 (1)1891年[明治24年](2)1905年[明治38年](3)1912年[大正1年](4)1925年[昭和1年] |
[問題4]さて、高知県の場合には、二宮金次郎の像の高さで一番多かったのは次のどれだと思いますか。 (1)60cm |
| [問題5]さて、それでは、日本で最初に小学校で「タキギを背負って本を読んでいる」二宮金次郎の銅像を製作したのは慶寺丹長(けいじたんちょう)という人です。このときの銅像の高さは、どのくらいだったと思いますか。 (1)90cm (2)100cm (3)130cm (4)180cm (5)200cm |
[問題6]どうして、慶寺丹長さんは、その高さにしたと思いますか。 (1)ちょうどキリのいい高さだったから (2)像の下の台の高さと、像の高さを加えるとちょうど二宮金次郎の身長180cmになったから (3)メートル法を普及させようと思ったから (4)たまたま鋳造するときの型が1メートルのものしかなかったから |
[問題7]慶寺丹長さんが、二宮金次郎の銅像をピッタリ1メートルにしたのは、その当時に盛り上がりをみせたメートル法を普及させるというはっきりした意図があったのです。それでは、どうして、そんなことを思いついたのだと思いますか。 (1)子どもたちに1mを視覚的に実感してもらい、1mをみて二宮金次郎を思い出してもらうため (2)メートル法を普及させことは国の方針であり、それに従うことがいいと思ったから (3)メートル法を普及させ、製作に対して国から多額の助成金が出されたから |
| [問題8」1891年(明治24年に日本で初めて度量衡法ができ、1921年(大正10年)にメートル法に統一する度量衡法の改正がありましたが、その後制度上メートル法が完全実施されたのは、いつだと思いますか。(1)1946年[昭和21年](2)1951年[昭和26年](3)1959年[昭和34年](4)1966年[昭和41年] | [問題9]現在でも曲尺は売られています。現在はメートル法を実施しているから、法律違反ではないでしょうか。 (1)こっそりと売っているのでよい (2)1尺相当のところに10/33メートルとメートル法の表示をしているので違反ではない (3)法律違反である |
※ さら詳しく知りたい方は高知の小西豊さんに問い合わせて下さい。 |
※この1メートルの金次郎像については、妹尾河童著『少年H』・上巻p.184にも「ニノミヤキンジロウという人や。みんなの手本になるようにと、どこの学校の校庭にも、立っているんですよ。銅像の高さがちょうど1メートルに作ってあるから覚えとくとええわ」と出てくる。
●その3 単位の歴史を調べる
生活と結びついた単位を紹介しながら、単位に対する興味を高め、自分たちの調べてみようと言う気持ちを醸し出す。福岡県数学教育協議会編集の「単位のはなし」等は大いに役立つが、インターネットを始め、単位に関する雑学の本もいっぱい出版されている。調べ学習と称して、人類の英知が単位を生み出したことを学ばせたい。また、下のような度量衡にも目を向けて、生活との結びつきを深める。
※1坪=1人の人間が1日に食べる米がとれる田畑の面積
1畝=1人の人間が1月に食べる米がとれる田畑の面積
1反=1人の人間が1年 に食べる米がとれる田畑の面積
●その4 作業・単位換算器を作る
単位の仕組みに気づいたら、道具《単位換算器》を作らせ、いつも身に付けさせ(筆箱の中に入れおき,大いに活用させる。活用しなければ、ムダ。
●その5 二宮金次郎の量率グラフ(亀谷義富さんの実践をもとに
さらに、二宮金次郎から量率グラフに切り込みたい。『数学教室』別冊「実験数学のすすめ」内の亀谷実践が参考になる。1823年に量率グラフを描いていることだけでなく、そのグラフの分かりやすさには驚かされる。
●その6 社会を見る眼を養う(松崎重広さんの実践をもとに)
松崎さんの実績のひとつに『量率グラフ』の活用により産業構造を見事に視覚化する実践がある。五年生の社会科を大変革させてしまった『社会を見直すメガネ』国土社、『楽しい授業』1984年6月号)。
3.どんな力を培うか(評価
「指導と評価の一体化」は、現指導要領の強調ポイントのひとつではあるが、「総合・・・」でもおざなりにしてよいというものではない。教師に対する信頼度を高めるにも評価抜きでは覚束ない。
では、どんな力を目指すのかと言えば、小学校段階では、量の「基本学力」に迫る「基礎学力」を培う展開を考えたい。こうした構想をいくつも広めあうことは数教協のよき財産から新たな財産を生み出すことに他ならない。
授業づくり通信・2001年10月号
| ・「小学三年生大研究」の原稿 ことば遊びをしよう,4けた区切りを学ぼう、おもちゃの広場をつくろう、かけ算九九カルタであそ ぼう、 ・「教育」七月号を読む |
授業づくり通信・2001年11月号
| ・名数研、算数実態調査の分析 ・のんびり散歩を楽しむ ・努力点中間発表会 ・基本学力を支える「総合学習」にーーー二宮金次郎を通して 、 |
授業づくり通信・2001年12月号
| ・学芸会 ・算数授業、4年「面積」 ・秋の行楽地 ・この人、だあ~れ? お札の人物伝 |
授業づくり通信・ 2002年1,2月合併号
| ・総合と基礎基本にかかわるものを集めて編集しました。1377~1424ページです。 ・1月、2月に続いた報告に対応できるようにしたのです。 |
授業づくり通信・ 2002年3月号[P.1425~P.1435]
| ・絵本づくり ・百人一首 ・分数論議が なぜ燃え上がらないか ・どうみる学力問題 ・「学問のすすめ」を検証する ・数教協・全国研究会議 |
授業づくり通信・ 2002年4月号[P.1436~P.1460]
| ・新学期・新指導要領を迎えて ・どんな授業記録をとるか ・学力研の実践報告を読んで ・TTより ・韓国旅行 |
授業づくり通信・ 2002年5月号[P.1460~P.1471]
| ・評価基準について ・通知表の変化 ・ウィルス騒動 ・ちょいと越前までドライブ |
評価基準について(5月号より再掲)
昨年度末以来、現場では「新しい学習指導要領で、学校が変わる。子どもたちに“生きる力”がめきめきついてきます」「変わらない 変わります 変わる 変われば 変わろう」とキャンペーンがすざましい。
私も、実は以前からむのたけじの詞集『たいまつ』から、「変えようと自分から考えて 努力しなければ 変わらないもの、 自分で変えようと考えて 努力すれば 変わっていくもの,それが、人間、その生活、その考えである」を好んで使っているが、自己変革なんてものは押し付けられてするものではないし、できるものではないと思うが、「評価規準、評価規準」とやかましい。
これも、サークルで話し合っているうちに、学校によって温度差がかなりあることがわかってきた。
J校は、単元ごとに、いや時間ごとに評価規準を書き上げさせ、1項目ごとに児童名と対応させた累積簿を準備させている。まあ、教師はチェックマンと化さねば、不可能な代物です。予想される授業は、型にはまった授業で、将来的には衛星放送で全国一律の授業、そして、教師の仕事はチェックすることとなるでしょう。つまり、計画どおりの授業展開でなくてはチェックが困ります。指導要領を最低基準として展開するような授業、子どもが自由に課題を持って発言するような授業ではチェックが追いつきません。文科省が言っていることを忠実にやろうとすればするほど矛盾が大きくなるのです。 でも、「ほうれんそう教師」の多い愛知では、この路線の学校が多いのです。まあ、私の勤務校も似たり寄ったりですが、統制・管理がそれほど厳しくないのが救いです。
勿論、私は「評価基準」はどうでもよいと考えているのではありません(私は、あえて「評価規準」ではなくて「評価基準」と書くようにしています)。S43年に京都府教委が到達度評価を提起して以降 関心を持ってきました。当然,評価基準も出ていました。だから、「何を今更」という気持ちが強いのです。更に,10数年前より、愛教大の子安さんから「その1時間の授業の価値はどこにあるのか」とずっと追及を受けていましたから、「指導と評価の一体化」を考えれば,評価基準なんて当たり前のことです。
今、問題点と思うことは、学力低下と関わって、どのような授業を創り出していくのかということです。授業をすれば、評価がついてきます。評価のために授業をするのではありません。こんな単純なことを忘れて、「評価規準,評価規準」と叫ぶ輩は不適格教師のレッテルを貼ってもよいと思うのですが、貼られるのは私なのです。
通知表の変化(5月号より再掲)
通知表についての話が今年度は異常に早くからあった。「絶対評価」に変わることからであろう。ただ、名古屋では通知表を学校独自で作っている所はひとつもない(私が教員になった頃は飯田小1校が作っていたが)。教育委員会が作成したものをすべての学校が採用することになっているのである。おそらく、こんな県はないでしょう。愛知県内でもないのですから。確かにたてまえは学校作成が原則ですが、今や押し付けなのです。
この通知表も変わるのが当然ですが、H13年度とH14年度のものを比較してみると、A4版に大きくなり、総合的な学習の時間の記述欄が毎学期分ある事が目立つ。総合的な学習の時間について、1年に1度ではなく学期ごとに書くのは至難の技です。まあ、多忙化政策の一貫でしょうが、総合的な学習の時間を教科として位置付けようとする先取りでしょう。抵抗しているのは私だけですから、押し切られてしまうでしょう。
それより大きな問題点は、評価の観点でしょう。今までも,到達度評価をするには、観点があいまいであるという弱点がありました。例えば,国語では「話すこと」と「書くこと」が同じ項目、「聞くこと」と「読むこと」が同じ項目でしたから、何とでも解釈できました。 それを国語は5項目にするなど、改善と言えましょう。 しかし、観点の項目に優しさがありません。「話す能力・聞く能力」「書く能力」「読む能力」と指導要録がなるにしても、直接 子どもや親の目に触れる通知表の記述がこれでよいのでしょうか。
「書く能力」△、「読む能力」△、「観賞の能力」△と記されると、なんだか引導を渡されたように思えないでしょうか。今や,成績処理もパソコンでやるのが小学校でも流行ですから、人間性なんて無視。子どももモノ扱いですから、こんな観点の記述でも構わないのでしょうが、やはり もっともっと人間教育にこだわるべきです。(「評価規準」ではなく、「評価基準」であるべきと考えるのも同じこと。「学級編制」は「学級編成」。「子供」は「子ども」でありたいのです)。
だんだん見えてくる21世紀の教育は、人間味の欠如でしかない。人を愛し、平和を愛する教育の理念をどんどん打ち壊していく政策は、まさに戦争への道に他ならない。「自分の課題をもって」と言いながら思考を制限し、「人権尊重」と言いながら人をモノ扱いし、「最低基準」と言いながら自主編成を認めない。田中真紀子の「やれやれと言っておきながら、スカートを踏んでいる。振り向けば、実は・・・・」とは名言であると思えますね。
初めての絶対評価、 感じた問題点
このように、私自身は、従来と何ら変わらない方法で評価をするという立場ですが、現実の職場の中は混乱しているというべきかな? 矛盾点は多々ある。
◎各校でワイワイやってきた評価規準が反映されない通知表
曲がりなりにも各職場では,評価規(基)準のことが話題になった。それは、授業づくりとのかかわりで論じられるべきことであったのに、指導の前に評価ありき。つまり、指導要領の要約・単元目標の要約に必死で、「評価がひとり歩き」の感が強い。 指導と評価の一体化に目がいっていない。
当然のこととして、通知表の改善にはつながらない。形式は指導要録とそっくりになった(観点項目がその例)。「こうすれば、指導要領の開示請求をされても動ずることなく対処できる」というのが教委の本音でしょうか。でも、本来、指導要領と通知表では、作成目的が違うはずではないのかな。
それに、7月ともなると、評価規準なんてどこかへ行ってしまって、今や「総合的な活動の時間」の所見をどうするかに関心は移っている。
◎評価規準はどう設定されたか、
本来、評価規準をどう設定するのかは、授業をする教師個人に任せられるべきものである(評価基準)。ところが、「学年で作成しろ」「設定しろ」の強制は、学年の指導内容・指導順序・指導進度までも統制する役割を担うことになった。 おかげで、日本標準の「評価規準」は馬鹿売れとなった。また、見向きもされていなかった10年前の市研究会の「評価規準」が水面下でもてはやされている。 つまり、「規準」作成だけなら、教科書は内容削減しているだけだから、十分その古いもので間に合うのだ。その存在を知らせないで、強制するから、ますます多忙となる。(「参考にしたら」と紹介すればよいのに、校長や教務は自分の能力の程度が露見するのを恐れてか言わない)。開かれた討議の場が保障されていないと、評価規準は、指導内容の規制にしかならない。 ※到達度評価をするとすれば、評価規準がなくては成り立たない。その規準は与えられるべきものではなく、授業する人たちの共同討議で設定されるべきですが、その討議が成り立たない愛知の現場では、残念ながら評価規準=規制規準となってしまうのです。(規制であってはならないという願いを込めて、基準と書くようにする)
◎自主編成を阻害する
指導要領=最低基準とは何なのか。 評価規準・絶対評価のねらいは、自主編成活動、民間教育サークルの自主研究活動に規制するものとの結論が出てくる(名古屋市のトアイライトスクールと学童の関係みたいなもの)。本来、評価規準と規制とは無縁のはずなのだが、私の周辺の教育環境ではそうなる。
それは、ひとえに評価権を現場教師が放棄しているからです。今までの観点別の達成度評価のときでさえ、人数割り振りを報告して校長の許可をもらい通知表に転記するのです。
※名古屋では、「一覧表提出」と言って,通知表作成の1週間程前に個々の子の成績を一覧表にして提出し、校長の承認を得た後、通知表作成をするのを原則とする。つまり、一覧表でチェックして訂正させるのであるから、評価権は校長にあることになる。t
この一覧表では、さすがに教委も観点別につけた人数を集計しろとは指示していないのに、各職場では強要しているのです。つまり、到達度評価の意識はないのです。このように教師の仕事を放棄し続けている現実から、今回の「絶対評価への変更」というのは形式だけの話にしかなりません。
戦後の五段階相対評価→到達度評価→達成度評価を一連の流れの中で絶対評価をとらえるべきです。絶対評価は戦前への回帰ととらえるのはちと疑問です。さらに感じているのは、70.80年代の『楽しい授業』時代に育った活動家教師の理論武装の仕方が甘かったということでしょうか。授業崩壊・学級崩壊から逃げ出す活動家の哀れさは、いくら理屈をつけてみても教育運動にはマイナスにしかならない。
◎学力低下に対応できない
今の私の関心事・「基礎・基本」の問題は明らかにならないし、「学力低下」問題に対して説得ある理由付けができない。
この1学期、算数の授業は悲惨であった。 前学年の教科書に載っている、つまり1年遅れの単元であったり、前年にすでに学習した繰り返しの重複単元であったりしたから、子どもも教師も意欲が沸くはずがない。こんな状態を放置しておいてよいものでしょうかね。
授業づくり通信 NO.101 2002年 9月 |
夏休みの間にどれほど研修できたかなあ。いや、教師にとって「夏休み」はもはや存在しない時代になったと考えた方がよさそうである。「夏休みは、集中して研修できる貴重な期間である」とか「研修活動は、教師の命綱である」とか「1時間の授業には1時間の教材研究が必要である」(文部省の言)とかいう認識は過去のものとなった。全く文科省は支離滅裂、何を考えているのか、思いつき的で、何を言い出すか分からない。つまり、21世紀の日本の教育政策には夢もロマンもありません。ですから、教師自身が自立し、教師自身の夢とロマンを実現するために、よい授業づくりをしていかなくてはなりません。いかなる抵抗にも屈しないで・・・。
そんな折、香川の石原さんが『教師が元気になる数学の授業』という興味ある報告をしていました。(いつもなら、コピーで紹介するのですが、私の肝に銘ずるためにも打ち直します)
[疲れない算数の授業とは・] [疲れる算数の授業とは・・]
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こうした疲れない授業にするには変な教育観を捨てることだというのです。
※変な教育観を捨てるとは、①文科省のお役人の脳味噌の中だけで存在する絵空事に惑わされない。②できるようにしなくっちゃあ、分からせなくっちゃあと思い過ぎない。③見栄えのよい授業から決別する。
さらに、目指す楽しい授業を創り出すには、
①シナリオを描く
・教材研究内容を物語として描く
・授業書形式で全体を構成する
②どんな学力を付けるか明確にしておく
・基本学力・・基となる方法や考え方や知識
・基礎学力・・できる分かる
・学習力・・・学び方とか学ぶ楽しさ、体験的な知識や発見の体験
このように石原さんは主張しています。同感です。楽しい学校・学級・授業を創り出すために、やるべきことはいっぱいあります。正念場にきています。
ところが、近頃、いろんな集会での“民主的教師”のガンバリズム否定の発言が気になります。管理体制を利するようなガンバリをする必要はさらさらありませんが、今、戦後民主主義が危機に瀕している時にガンバラズして何時ガンバルのか。「よしゃ!」と勇気付けるような刺激的な話を聞きたいのに、「情勢が悪い。自分の体をいたわって置いた方がよい」と言うような言は、感心できない。慎むべきである。まあ、内輪の中で冗談めいて話すことはあるでしょう。お互い年齢を重ねてきていますから、無理はできませんからね。しかし、やる気を削ぐことにつながりかねない言はどうかと思うことがしばしばある。
これも、文科省の現場を知らない官僚が、いかにも行政を推進しているかのように、「夏休みを分散させるように、秋休みをいれたらどうか」「暑い中で補習をするのもたいへんだから、教室にエアコンを入れてもいいですよ」「学力低下を防ぐために、達人を招いたらどうですか」「学習支援に学生や親の手助けを借りたらどうですか」「朝の読書はいいですよ」「居残り学習もやりなさい」等、思いつきばかりで、うんざりだ。
根本は教師です。なのに、教師の学ぶ意欲の沸くことは禁止、禁止。
例えば、「自宅研修を認めない」。教師が家庭にいる時は休暇ですからね。研修となれば、1冊でも教育書を読むでしょうが、休暇ともなれば「読んでやるか」となる。夏休み中、出勤しても研修に相応しい場があるのか。家庭の方が快適に研修できるのだ。本当に、教師の心を見ていない。特殊業務であることが分かっていないのです。管理だけでは、教育は成り立ちません。
2002年夏の世論を垣間見る(2002.8.16)
8月14日に、NHKスペシャル『海上自衛隊はこうして生まれた』という番組を見た。自衛隊の機密文書に基づくものであったが、日本国民として愕然とするものであった。今まで「自衛隊は軍隊ではない」と、国が繰り返し答弁してきたことは全くのウソ。創設時から「旧海軍の再建」として位置付けられており、各世代の海上幕僚長も平然とそう認識していると言って憚らない。防衛庁長官もである。だから、昨今の自衛隊海外派兵など規定の事項。つまり、1950年の朝鮮戦争のとき、掃海艇を出しており、戦死者も出していたのである。全く国民には知らされていなかったことが、報道された。裏を返せば、こうした番組を放送できる世の中になったことの恐ろしさ・・・・。
同じように、世論が為せるのであろうか、「第11回あいち・平和のための戦争展」に対して、今年度「もうひとつの戦争展」(つくる会)が、同じ期日に、同じ会場で行われた。唖然としてしまう行為である。[次頁にチラシ2種掲載]
私も久しぶりに出かけることにした。「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦なんて存在しない」「731部隊の生体実験なんてしていない」等、どのように訴えるのかを知りたかったからだ。折りしも、愛媛県の公立中学で「つくる会歴史教科書」が採択されている(15日)。
予想以上に人が入っている。おじいちゃんが孫に自慢げに説明しているグループもある。年をとると、戦争体験者も郷愁の気持ちに陥る者と実体験を何とか伝えておきたいと思う者に大きく分かれるようだ。正に日本の正念場=岐路である。
それにしても、手づくりの平和展に対して、金がかけてある分、見栄えはする。会場前の看板からしてそうだ。1階に吸い取られる。チラシをみても分かるようにほんわかムードの中で、日本軍に都合のよい資料だけを掲示し、日本軍はアジアの人々を解放したのだと宣伝する。そして、「東京裁判」で復讐のシナリオが演じられたというのだ。うわさでは知っていたが、このように主張するのかと恐れ入りました。あの青島幸男訳『七分間の奇跡』そっくりであった。こうして、1階の「もうひとつの戦争展」だけを見て、3階の「平和のための戦争展」を見ないで帰ってしまった人はどれくらいいるのであろうか。
このように堂々と設定するのを許す潮流があることの恐ろしさは、ただ事ではない。国民総背番号制にしても、個人情報の秘密を守ると言っておきながら、留守宅のポストにポイと投げ込んでおく配布の仕方でいいものであろうか。世帯一派一絡げの知らせ方にも個々人の尊厳を守ろうという姿勢は感じられない。もはや、基本的人権の守られない日本にどんどん落ちていく。歴史は繰り返されるとすれば、平和ボケの後に来るものは・・・・・
授業づくり通信 NO.102 2002年 10月 |
昨年と同じことを繰り返してしまいました。腰痛の再発です。
実は、9月に入ってから、仮説の松崎さんから仕入れた『ハローソング』が頗る好評で、子どもたちは乗りまくっています。10カ国の挨拶をあっという間に覚えてしまいました。私は、国際理解教育・外国語教育を率先して実践しているわけです。子どもたちの様子を見れば、『ハローソング』の購入費1000円は安くつきました。(また、いつか詳しく紹介しましょう)
その明るく楽しい雰囲気の中、運動会をたきつけました。つまり、「短距離走」や「台風の目」での必勝をもくろんだのです。「短距離走」では34組中の半数で1位をわがクラスで占める。「台風の目」でも1位になろうというわけです。2度ほどの練習では、5戦3勝2敗。それほど甘くはありません。学級の人数の多いわがクラスは不利ですが、いろいろ策を授けました。でも、それをやるかどうかは子どもたちが考えることです。「うちのクラスが勝つ」と大口をたたいて他のクラスも煽っていた私は、前日の夜は心配で眠れなくなるほどでした。そのためか、運動会当日は体が重くてね。でも、ギャアギャアと年を忘れて応援していました。「短距離走」や「台風の目」も予定通り勝ってくれました。感激です。わがクラスのスローガン『いつでも何でも精いっぱい 素早くただしくにこにこと 用が済んだらサッサと次へ』の成果です。
こうしてご機嫌な日でしたが、もう昼頃から腰が痛くて、しゃんと立っていられないのです。腰を曲げてヒョコヒョコ歩いていましたが、だんだん耐えられなくなっていました。バンザイをやりすぎたのでしょうね。
家に帰ったら、1年前と同じ。動くのが辛くなってダウン。おかげで、折角の3連休中の予定もパー。ただ、養生の仕方がうまくなったのか昨年のようにどんどんひどくなるのではなく、徐々によくなりつつあります。まあ、よかったのか悪かったのか つらい日々を送ることになりました。
『心のノート』を考える
文科省が全国一斉に配布してから6ヶ月。「やっと」と言うか、「早くも」と言うか、『心のノート』の問題が話題になるようになり、雑誌等でも取り上げられるようになった。全国的には、かなりの強制力をもっているのであろう。
ただ、名古屋(愛知)には、道徳の副読本として愛知県教育振興会編集の『明るいこころ』なるものが1958年から存在する。そのためか、教委も『心のノート』の使用を強制していない。つまり、道徳の時間に『明るいこころ』と『心のノート』の2冊とも使うようには指示できない。「『明るいこころ』を使用してもらえば結構です」という姿勢と思う(内心は『心のノート』を迷惑な配本と思っていると推測する)。文科省に対しては、『明るいこころ』と『心のノート』の対比表を作り、義理を果たすという態度である。
また、市の伝達講習でも「活用については、活用の手引きを参照してほしい。また、活用にあたってはプライバシーに注意してほしい」「『心のノート』の使用状況調査は文科省でもしないし、やってはならないものだ。使う使わないについて強制したものではない。『明るいこころ』と併用して活用することがよいのでは」と話があったそうだ。
今後、前言を翻すことのないように願いたいものだ。
※ここで『心のノート』が配布されるから、『明るいこころ』はいらにい。今後、一切採用するのは止めよう。公費節減になると運動したらどうなるのであろうか。戦略的には面白いと思いますがね・・・・・
ところで、私が、副読本『明るいこころ』批判をしたのが、1972年。誰も手をつけていなかった。組合の大会で『明るいこころ』批判をすると、執行部は大慌て。「そんな話は聞いたことがない」と受けあわなかった。しかし、今『明るいこころ』批判を展開した時のようなエネルギーはない。道徳の授業のネタはいくつもできて、副読本に頼らなくても学習活動が成り立つようになり、どなたかがやってくれるだろうと思うからだ。
ただ、近年は子ども虐待などすさまじい。大人の心が病んでいる(大人の心が破壊されるように導かれてきた)。このような国では困ると誰もが思う。心の病んだ国において、心の教育が不必要だと声高に叫ぶ人はいない。ここに『心のノート』が入り込む余地がある。見事な連携=思想統制という他はない。つまり、現場では『心のノート』を使わざるを得ない状況になるのは目に見えている。「どう使うか。使えるか」も早急に分析をしておくべきなのは当然のことである。だが、掲載した資料をみても、現場で活用できる批判の展開は見られない。
教科研9月例会より「絶対評価への転換をどう考えるか」
久しぶりに(7月例会にも珍しく参加してたっけ)参加しました。
報告は、愛知到達度評価研究会の武田さんでした(レジュメは次頁)が、指導要領程度のレベルではエート教育にならないし、最低限の国民の共通教養にも値しないと考えている私には、意外に思えることもいくつかありました。
また、教員になってから、相対評価の通知表批判を繰り返して、S43年7月に出された京都の到達度評価を金科玉条のごとくに思ってきた私は、到達度(達成度)評価の観点導入の延長線上で今回の絶対評価をとらえていましたから、よき方向への転換と位置付けていたのです。ところが、「そのようにはとらえない」という話でした。ちと納得がいかなかったです。まあ、いつも紛らわしき言葉は拡大解釈して、都合のよいように使っていた方が現場では組み易しと考えている[日和見主義者]渡辺の感じ方と言えばそれまでですがね。
例えば、到達度評価と絶対評価のちがいは「学力保障の立場に立っているかどうかだ」と主張しても、絶対評価の側の人は「私たちは学力保障の立場に立っていません」なんて言うはずありません。昨今の学力低下論争をみれば明らかです。
また、「絶対評価では評価の基準づくりが授業づくりとは独立して検討される」と主張しても説得力がありません。「指導と評価の一体化は前指導要領の時から説いているのをご存知ないのですか」と反論されればそれまででしょう。民間の教育運動の中で育まれてきた財産も、文科省はうまくつまみ食いをしているのです。「総合学習」しかり、「生きる力」しかり、「自己表現力」しかり・・・です。
結局のところ、私には、到達度評価と絶対評価のちがい、どうもわかりにくいかったです。相対評価でもなく、絶対評価でもない、第3の評価法として登場した到達度評価です。30年前には到達度評価を口に出したら「相対評価と絶対評価しかない」と怒鳴られましたが、今や到達度評価という言葉もつまみ食いされているのです。だから、到達度評価も本筋は押さえながらも、あいまいにしてどんどん使っていった方が得策だ思うのですがね。まあ、そんなことはプライドが許しませんかな?
2002年11月号
『少人数学級』と『小人数学級』 2002.10.26
一時、よく言われたが、文科省がやっと『少人数学級』に統一してきたようだ。ほんの少し前までは、「学級の定員はもう少し少ない方がいい。少人数学級にすべきだ」と言うと、「小人数ですね」と念押しがあった。「いや、少人数です」「いや小人数」とくだらぬ所で貴重な話し合いの時間が使われていた。私は、この二つの言葉には大きな違いがあると考え、こだわってきた。
ところが、今 ここに来て、「少人数も小人数も、どちらも同じことだ」と、その本質をあいまいにして『少人数』を持ち出した文科省には策略があると思う。文科省は、まず学級の定員を減らす。その後、習熟度別編成を行わせようという二段構えとみた。つまり、民意を反映させ《低学年から随時30人学級に》する地方自治体が多く、「違反だとは言いにくい」ので認める。しかし、増学級分の予算措置はしない。まあ「少人数学級」は、概して親からの評判もよいので、「高学年になっても続けるべきだ」となる。予算措置に窮する自治体は国に泣きつくと、やおら国は「習熟度別編成をするなら・・」と条件をつける。こうして『少人数学級』の中身を『小人数学級』へと持っていくのです。まあ、私の<ものごとを曖昧にして実利をとる>という常套手段?が文科省に逆どりされたみたいなもので感じが悪い。
ところで、現在も各教委は教委の意にそぐわない研究には金を出さない。そのため、小学校では習熟度別(能力別)・教科担任制・小人数・学級解体・地域支援・・を採り入れる(採り入れざるを得ない)。
例えば、「少人数学級」も低学年のうちは、学級解体をして各学級同レベルで編成をしている場合が多いが(これも評価や指導法の観点からは極めて問題が多い)、高学年になると、急に習熟度が多くなる。学習集団の学びあいの観点を欠落させた能力別編成の方がやりやすいとなる《教材研究や指導法研究不足の教師からよく出る》。そして、算数に興味を示していると、「低位の方、お願いね」となる。こうなると断りきれません。
ただ、そこで奮闘しても低レベルばかりの子どもたちでは、知的な刺激が少なく、なかなか指導の成果が上がらないものです。学習集団を崩壊させておいて指導効果もあったものではありませんが、ここで引き下がるようでは民間教育=数教協の実践の質が問われます。塾学力や岸本方式や公文式をのさばらせるだけです。子どもたちに真の学力=思考力を保障するために頑張らねば・・・。
「少人数学級」に何を求めていくのか。明快にしておかねばならない。
授業感想を書く 2002.10.11
多度西小から、指導案・授業記録・検討会記録などを送ってもらいました。いい研修の機会を与えてもらったという気分です。一番興味をひいたのが、校長さんのまとめです。大変貴重なものだと思います。
さて、授業は5年の『面積』です。若干の感想を書いてみます。 長方形の面積の公式=たて×よこ ・ 平行四辺形の面積の公式=底辺(よこ)×高さ(たて) です。長方形を特殊、平行四辺形を一般ととらえることは容易です。
つまり、 面積→ 線を積む
体積→ 面を積む
「積む」となれば、底辺×高さ です。長方形もよこ×たてで構わないのです。そして、面積とは、長さ×長さ、m×m=㎡ のイメージをもたせたいとずっと思っていました。
今回、ペイントローラーで出発ラインとゴールラインを決めておいて、平行四辺形を描かせようとするのは理にかなったことだと思います。「移動する」ことが子どもたちを連続量の世界へ導くことになるからです。
ただ、この体験(ローラーで描く)を実施するのは意外に難しく、それに替わる様々な手立てが考えられてきたのも事実です。
・太陽に封筒をかざす。 ・面積図パネルを作る。
・巻尺式にテープを使う。 ・ゴムひもを使う。 など 苦戦が続く。
※こうした体験させることは重要だと思っています。特に高学年では手を抜きがちですが、高学年だからこそ、 すべての子を授業の舞台に乗せるために重要な作業だと考えるのですが、数教協内では論戦になります。先の沖縄の全国大会の折にも、あの著名な松井幹夫さんとやってしまいました。
このペンキぬりがどのように行われたのか、少しわかりにくかったです。指導案の中の「途中で傾けてはいけない」という指示の意味をつかむのに時間がかかりました。子どもたちの描いた図の記録を見て、「出発ラインとゴールラインの間を傾いて移動させてはいけない」ってどういうことなのか、素直に「むらなく塗る」ように指示して、均等分布を強調しておいた方がなんて思いました。
でも、 長さはみんないっしょ、スタートとゴールの長さは?
どのグループが、どの図形が一番大きいかな?
の2つの発問に対して、ゆきちゃんがずばりと答えている。これはすごいことだけれど、あの10種の複雑な形から「はばが同じ」という確認がすんなりできるとは思えません。話し合いだけではすこし不安です。
※出発ラインとゴールラインは決まっていても、ローラーの幅に注目する子はそれほどいないもの。ラインの位置にローラーを合わせるのに夢中ではなかったでしょうか。指導案ではローラーの幅よりラインは長い。
※ローラーの幅に着目できていないとしたら、移動の長さを問うても、複雑な形から、瞬時に「いっしょ」と見抜けるかな? 授業では見抜いているけど・・・・。
次時に確認の作業をやられるようですが、等積変形の作業は面積概念を培う有効な手立てのひとつです。是非やられるとよいと思います。ゲーム化しても面白いですよ。
いずれにしても、14人の子どもたちが大活躍をしていたでしょうね。多度西小の実践の特徴は、実体験を基に概念形成を図るところにあるように思います。つまり、全員の子が実体験を基に認識形成をしていくのですから、すべての子が同じ授業の舞台に立っているのです。このしあわせ(多人数であると、全員に実体験させたくてもできない)を活かさぬ手はないと思います。この舞台を出発点に、個々の認知過程に着目することこそ教育実践の本質であることに自信を深め、研究を推進していかれることを願うのです。
口幅ったいですが、「指導と評価の一体化」は、先の指導要領改定の時に急に文部省が言いかけました。ところが、新学力観に幻惑されて脚光を浴びることもなく眠っていた(指定校発表のとき強調してみたのですが)が、今回の絶対評価導入と共に再び「指導と評価の一体化」の言葉が言われるようになりました。各現場には「指導と評価の一体化」を言わないと、研究じゃないみたいな雰囲気がありますが、私は「指導をしていれば、評価はつきもの」「考えていないほうがおかしい」「何を今更言ってるのか」と嘯いています。どこまでも子どもの側に立った研究でありたいですからね。
資料を送っていただいたお礼まで 渡 辺 靖 敏
授業づくり通信 NO.104 2002年 12月 |
この『通信』も今年最後の号となった。まあよく続いているものだと我ながら感心してしまいますが、現在は多分に続けることにだけ生きがいを持っているのかもしれない。続けることがボケ防止にでもなれば、子どもたちも少しはしあわせ気分で学校生活を送れることでしょう。そのためにも・・・・・。
さて、2学期は相変わらずの忙しさであった。学校五日制となり、学校行事等の見直しが始まっているはずではあるが、「何が変わったのか」不明確なまま。「学校も変わらねば・・」と言う掛け声の中で消えて行くのは、右脳にかかわるものばかりではなかったか。
例えば、「学芸会や作品展は古い。総合学習の結晶としての学習発表会であるべきだ」との主張が駆け巡った。私の勤務校も例外ではなかった。その結果、分けのわからぬ展示物。模造紙(愛知ではB紙という)に学習成果?を書き、掲示する。それならば、教室の窓にでも張り出し、常時学校を開放して参観願えば良いのです。体育館を使う必要もないというものです。展覧会から学習発表会への変更の内実は、「掲示できる代物にならない」と教師が逃げる。子どもも嫌がる。その結果なのです。決して、作品製作のための時間確保が難しいからではなく、やる気の問題なのです。(学習発表会準備でも、めちゃ授業を潰し、時間をかけている)。
こうした結果、子どもたちの表現力は確実に低下する。絵(平面)を描く力がどれほど落ちているのか、恐ろしい程である。5年生で描かせていても悲しくなってくる。だから、発想としては貧弱なものだが、徹底して描かせる機会を設けねばならないのです。つまり、「うちのクラスは描けない」「今の子は描けない」「絵の具の使い方も知らない」と子どもを罵っていても子どもたちを救えないのです。指導要領の欠陥を補う気概を持たねば、子どもたちを守れないのです。
学習指導案から見えてくるもの 2002.11.10
1学期から研究交流をさせてもらっている多度西小の竹中校長先生から、研究発表会の資料を送っていただきました。6月に初めて訪問してから、私は少人数学級の魅力に取り付かれています。発表会でも、そのよさを前面に出されるとよいと思います。
※ただ、私の3度の研究指定校の公開授業の体験では、大勢の見知らぬ参観者のために、子どもは思わぬ反応をするものですが、気にしないで先生方が日頃から考えてみえる指導展開をされればよいと思いますね。
世の中、授業展開の上では「自分の考えを持たせ・・」とか「課題の設定を・・」とか盛んに言いますが、子どもに根ざし、子どもの思考を大切にする学習では、それらはすべて内包されているのです。「自分の考えを持たせ・・」「課題の設定を・・」のために、子どもたちに体験させ、体験の中から、子どもたちの興味・関心・意欲を引き出す展開を工夫しているのです。ですから、参観の視点もそこに定まり検討されるべきですが、授業検討会になると、とんでもない観点からの質問も出るのも常、やっかいなものです。でも、9日のNHKの5時間討論「どうする日本の“学力低下”」をみても、多度西で取り組んでいることが本流ということです。惑わされることは何もありません。
※ なお「問題解決の過程」と「問題解決学習」の区別、「評価規準」と「評価基準」も区別して討論に望んだほうがいいのではなんて思います。
少し指導案を見ての感想を書かせてもらいます。
◎1年「ひきざん」/13
繰り下がりのあるひきざんは、結構むずかしい単元ですが、子どもたちに確実に理解させねばならない重要教材です。本時のポイントは、減加法のよさを気付かせ、いろいろ使ってみたいというやる気を持たせることでしょう(評価規準)。
さて、子どもたちに操作をやらせようとすると、「3から9は引けない。どうしよう?」ということになります。第一難関です。タイルで言えば、カンづめタイルからビンづめタイルへの置き換えです。タイルの結集作用の問題ですが、話し合い活動によって突破されるようですね。多度西の仲間なら大丈夫でしょう。
第2関門は、操作の中から、減加法のよさを見つけ出す場面です。当然①数えひき ②減々法 ③減加法が出てきます(足し算で5-2進法をやっていると、④の方法が出てきます)。 13-9ですから、意外と減加法の子が多いと思いますが(一般的には①の数えひきが多い)、①②の子をどんなことを根拠に納得させるのか、とても興味のあるところです。 5-2進法の立場からすると、13-9は特殊型です。13-4とか13-6などに発展した時にも通用する根拠がみつかると最高ですね。
◎ 4年「面積のはかり方と表し方」2/13
量の4段階指導は、今や文科省も認める価値あるものです。しかし、実際の指導では、理論どおりにいかないことがしばしばです。特に、個別(任意)単位から普遍単位へのつながりがすっきりしません。それは、子どもたちに普遍単位を必要とする場面に追い込めず、単位の押し付けになりがちだからです。
その点、今回 普遍単位をも広さくらべを通して導入を図るという指導上の目新しさがあります。つまり、世界に交易の発達という歴史的事実から共通単位=普遍単位の必要性を説くという従来の子どもの実態にそぐわない無理を解消しようという点です。 ただ、直接比較・間接比較・個別単位と進んできたとき、普遍単位による広さくらべは体験・発想・思考という点で少し新鮮さに欠けるように感じます。うまく成功するといいですね。
ロープの活用については、つい岐阜の亀井さん発案の“エジプトひも”を想定してしまいます。彼は、12mのひもを操って図形指導をしますが、何かつながるものがありそうで興味深いですね。
◎ 6年「形の大きさの表し方を考えよう」6/14
あらゆる立体に共有できる公式「底面積×高さ」を獲得させてやろうという壮大な構想に感服しました。多くは1?という量感をつかませる程度の体感をさせて公式の導入(たて×よこ×高さ)を図ってしまうからです。しかもアルキメデスの世界を味わわせてやろうなんて、小憎らしい授業ですね。
ただ、水を使って測定する時の心配事ですが、メスシリンダーという器具は正確に量れすぎます。「だいたい同じ」「近い数字」で納得しない子どもが出た時どうするかを考えておく必要はあります。多くの参観者がいる時、がんばりすぎてくれちゃうとね。つまり、算数は正確にやることを常に追求していると思っていたら、「だいたいでいいよ」では、子どもたちは混乱してしまいます。認知心理学から追及されてしまいます。
いずれにしても、教育課程全般からの交流が図られるようで、実り多い研究会になるといいですね。13日、楽しんでください。
以上、勝手なことを書きました。お赦しください。 渡 辺 靖 敏
社会科の授業を考える 2002.11.15
13日に、新任研修のまとめとなる授業研究があった。3年生の社会であったが、参観させてもらうことにした。私は、彼女の研修担当でもないが、教科指導のあり方を考えてみようと思って参観を決めたのです。今年度の新卒さんは3名。他の方は生活科と体育をやられた)。
さて、私は、1,2年の社会科が無くなってからの3年生の社会はやったことも見たこともないのです(10年前の指定校では高学年の社会でしたので)。つまり、社会科を初めて学ぶ子どもたちに社会科の楽しさや学ぶ価値をどのように教えるべきかを考えて取り組んだことがなく、興味ある参観でした。
単元は『スーパーマーケットではたらく人』の11/14で、スーパーマーケットの見学メモをもとにスーパーマーケットの売り場の工夫について話し合い活動をするのです。評価の観点は「売り場には、買う人の立場にたった様々な工夫があることに気付くことができる」(知識・理解)でした。※こうした内容は、かつては2年生の学習課題でした。
ところで、近頃の社会科は本来の社会認識をどう培うかという課題から遠ざかっているように思えて仕方がありません。かつての奥西・山下論争以降、すっかり社会科は堕落してしまい(こんな言い方をすると、社会科を追究している人の反感を買うかな?)、『どうころんでも社会科』(清水義範)的発想で事たれりなのでしょうか。低学年社会科を廃止し、高校あたりでは社会科解体が進む中で、「小学校の社会科の目指すところはどこなのか」「何をこそ教えねばならないか」・・私のもやもやは続いている。
話を戻して、授業は 今 流行の体験学習(スーパーマーケット見学)を思い出しながらの話し合い活動です。授業の流れは、
① OHPのスーパーマーケットの写真から、見学の様子を思い出す。
② 売り場の工夫を書き出す。
③ 売り場の様子と工夫を発表する。
④ 売り場の様子を5種類の工夫に分ける。
⑤ まとめ
でした。記入用の学習プリントを周到に準備したオーソドックスな流し方ですが、東山の子は、筑波の有田和正の授業のようにはいきませんが、結構答えてくれます。ですから、あまり周到なプリント準備ワークシート)は授業をマニュアル化し、一見うまく流れているようで盛り上がりに欠ける授業に陥る危険性があるのです。
②でも、「工夫という視点をどうとらえるのか」少し分かりにくいなあと思っても、どんどん書いて くれます。「バーゲン」「タイムサービス」「賞味期限」「外国産」・・など、予定されていない発言も飛び出します。メモ魔の東山の子ですからメモばかりしていて、全体を見ていないという弱点があると思っているが)、
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という5つの教師のおさえたい工夫はスムーズに拾い上げることができました。
ただ、④で工夫をシールで色分けした時、「その他の工夫」が一番多くなっていたのは何故かを考えてみたくなりました。(シールは非常に効果的でしたが、色分けしたことによる個々の子の認識の仕方の追及は弱かったよ。この時間内では無理かもしれませんが)。つまり、教師の考えた工夫は実質4種類であるけれども、子どもたちの視点はもっと幅広かったと言えないだろうか。もっと言えば、教師の立場は売る側に固執し(指導要領?に従い)、子どもは消費者の立場という図式が表面化していたと。
例えば、「売り場の配置の工夫」があまり出ていなかったのは何故か。“野菜売り場”は入り口に近く、“肉や魚売り場”は奥の方というのも理由があろう。配置は、それぞれの店により違いは大きいと言えども、共通性の部分もある。「何軒も見学しないと比較できないから、3年には無理」と簡単に片付けてもらいたくないなあ。
なにしろ、毎週毎週日曜のスーパーマーケットの様子をみていると、庶民は特価品だけをねらい、スーパーをはしごする人も多いのです。だって、スーパーマーケットの広告1枚のあるなしでてき面に客足は違うのです。それが庶民のくらし。そのエネルギーはすごいものです。
「安売りのものは前においてある」とは限らない。店の奥の方に置いておけば、客足は延びる。買ってくれるチャンスは増えるのです。店の人は、消費者の立場に立っているように見せかけて、その実、「売らんかな」の精神がすべての物流を決めていくのです。店で働く人のことばかりでなく、《賢い消費者》につながるような展開も念頭において展開するようにしていきたいものだ。 新卒さんにいきなり指摘するようなことではないかもしれないが、社会科の使命として、忘れてはならないことだと考えている。
それにしても、学習内容削減を御旗に、見事に市場・小売店という地域に蜜着した店の扱いをないがしろにしている。(5年から伝統工業を葬り去ったのよりはましかもしれないが)。教科書・指導要領は最低水準であるから、教師は発展的に積極的に取り上げればよいといっても、しっかり教材研究をしていないとできないことである。「やれやれと言っておいて、スカートの裾はちゃんと踏みつけている」のが常套手段なのは全然変わっていないのです。
道徳の授業を考える 2002.11.20
筑波大附属小の渡邉達生さんが『道徳授業通信』というのを出して見える。その初期から読ませていただいているが、結構興味深いものである。先日、本当に久しぶりに28号が届いた。(いつまで通信費を払ってあるのか記憶になく、未払いで『通信』を切られているものとばかり思っていました)。
実は、最近『心のノート』批判が活発になってきたが、実践的な批判はほとんどなく、論争も巻き起こらず、『心のノート』が道徳副読本として一人勝ちになる日も近いであろうと思っている。いくら批判をしても、遠山文科省大臣は無視する。なぜならば、学力問題の5時間討論(11月9日・教育テレビ)でも、大臣は質問者とは決して目線を合わせないことに気付いたからです。聞くふりをしているだけで何も聞こうとしていない、ポーズだけ。これが小泉内閣の特技ですからね。
話を戻して、『心のノート』を初めて見た時、この『道徳授業通信』の過去の主題設定は、『心のノート』にとても似ていると言うのが卒直な感想でした。 今回の28号も『公正・公平を求める心』です。『心のノート』の80・81ページを使いますが、主たる資料は光文書院道徳副読本5年『仲間はずれ』です。『心のノート』は2次的資料としているので、内心、ほっとしました。だって、とても面白く道徳の実践が読めるなんて、そうあるものじゃありませんからね]。
但し、渡邉達生氏は『心のノート』を決して否定する立場ではありません。どうしたら、活用できるかと工夫しています。
私も追試のような形でやってみました。
右のような写真を見せ、何に見えるかを問います。「くつ」が一番先に出てきました。内心、「え っ、どうして」と思いましたが、次々発言させました。様々に言いました。筑波の子よりもたくさん出てきました。そこで、「実は、ある所で、『靴の字に見えるのですが、他には何に見えますか』と問うと、意見が出にくくなってしまったそうです」と話すと、「そんなことはない」「関係ない」と言い張るのです。渡邉さんのようにペットボトルや水筒の例、商品名の例なども付け加えたりしましたが、「先入観でみてしまう」ということが、なかなか理解できませんでした。まあ、教室内で起きる出来事を例に説明を加えたら、なんとか、しぶしぶ? 分かったような顔をしました。
そして、『仲間はずれ』のお話を読ませました。何処にでも起きているような話でしたから、割と乗ってきました。 早とちりや思い込みによって、偏見の眼で見てしまうという愚かな行為をしがちです。口では「公正・公平に」なんて言えますが、なかなかできないものです。考えさせるきっかけにはなったと思います。
教科研11月例会「新指導要領と学力」 2002.11.23
9日に教科研の例会で「学力の基礎を鍛えどの子も伸ばす研協会」の人から報告があるというので、東海地区数教協のホームページ掲示板に「数教協は最近の学力問題にきちんと取り組んでいないのではないか」「そのため、学力問題の討論にもお呼びがかからないのではないか」「指導法研究団体に成り下がっているのではないか」と少しアジってみた。
その後のホームページ掲示板は少し活気が出てきた。
さて、例会の方ですが、あまり特色のある報告ではなかった。 以下・レジュメ
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何森さんが指摘していたことは、何も深まらなかった。以前、増島さんからいただいた『山口小学校の取り組み』という研究冊子を読み返して意気揚揚と出かけたのですがねえ。
それにしても、子どもたちの学力低下はすさまじい。これは、現場教師の共通した認識だ。1年上学年に繰り上げられた内容でも、大した出来ではない。これを「文科省の方針だから、できなくても仕方ない」で終わってよいものであろうか。(もちろん、文科省はできなくてもよいとは言いません)。また「学力内容の違いだ」と批判の矛先をかわそうとしたところで、何の慰めにもならないのです。教師の良心として(多分に学習塾に対抗意識があるかもしれませんが)、子どもたちに確かな学力をつけていかねばなりません。
2003年1月号
研究校の公開授業の記録に学ぶ (2002.12.30)
多度西小から、詳しい授業記録・協議会記録、そして、竹中校長のコメントを送っていただきました。すぐ私なりの感想を書こうと思っているうちに学期末、ずいぶん間延びしてしまいました。
さて、竹中校長のコメントはなかなか厳しいものです。授業規律と学習内容の両面から指摘されています。
◎ 例えば、1年の授業では「一言でいって授業規律ができていないと思います」と指摘されています。そこからは、多くの参観者に取り囲まれて普段とは異なる反応を示し、多くの参観者の手前 強く注意できずに悪戦苦闘する教師の姿が浮かんできます。教師として辛い場面です(場数を踏めば、そんなことはなくなると思います)。ただ、少人数でも(だからこそ)仲間が共に知恵を出し合い高めあっていけることを多度西小は追究しているのですから、「聞く」「話す」姿勢は学習集団が成り立つかどうかの重要ポイントです。大学生、いや私の勤務校の職員会議でさえ『おしゃべり症候群』が蔓延っている世の中、先ずは「他人の話を最後まで聞く」姿勢を小さいうちに身に付けさせていきたいものです。(私は、もう30年ほど前に2度1年生を担任しただけでその後やっていません。今の子ども事情とはずいぶん違うことは確かです)
授業内容としては、減加法のよさを知ることにあったと思いますが、子どもたちの中にストンと落ちるところまではいかなかったようです。繰り下がりの引き算の第1時ですからやむを得ぬところです。私は、数え引きや減々法がよいと思う子はずーとそれを押し通させればよいと思っています。減加法を押し付ける必要はないのです。つまり、減加法でないと困るのは2位数同士の計算が入ってきてからなのです。だから、この段階で減加法のよさを知ることはかなり難しいことで押し付けになってしまいがちになります。ここを乗り切るには、子ども間の話し合いとタイル操作だと思うのです。(ここで、タイルをみかんなどの具体物と同等のものと教師が捉えていてはダメ。また、タイルの結集作用と言われる操作活動を生かさないとね。カンヅメからビンヅメへ、ビンヅメからカンヅメへの操作の重要性)
◎ 4年生の面積の授業は、たんたんと進んだようです。さすが4年生ともなると場を考えて行動します。また、授業展開が4段階指導の各段階で、「広さくらべ」という作業をさせ、子どもたちに規則性を発見させていくという立場がはっきりしていることも子どもたちに安心感を与えていると思います。ただ、事前にも触れたように各授業の展開が同じことの繰り返しという新鮮味のなさがどう反映するかという危惧も、うまく乗り切られたようでよかったです。
学習展開として、竹中校長が「『16mのひもを使って一番大きな長方形or正方形を作ろう』という問題提起のなかで、この作業をさせる方法もあるがどうか」と指摘されています。認識の過程としてとても重要なことだと思います。先に「同じことの繰り返し」と書いたこととも関わりますが、子どもたちがどのような意識で作業をしているのかを考えれば、普遍単位の段階での広さくらべですから、問題意識を高めてもよかったと思います。 (その時は、様々な組み合わせは出てこず、すぐみやこちゃんの意見に焦点化され、作業の面白さは減ってしまう。また、正方形の場合が最大面積になるというのは5年生で扱いますから、今回の形でも。こだわれば、意識だけは持たせて作業をやらせれば、より質の高い授業になる)
◎ 6年生の「立体の体積」の授業の検討会では、いろいろ意見もあったようですが、今の子どもたち事情(塾や通信で知っている)の踏まえれば、「教科書通り忠実にやっています」では子どもたちは学校の授業を大切にせず、知的魅力も感じてくれず、学級崩壊に繋がりかねません。だからと言うのは、本末転倒しているようですが、現実は、現場教師が魅力ある授業づくりを心がけることは不可欠です。その点、この授業構想は素敵です。
実際の授業では、作業のなかで、子どもたちが考える過程で『底面積×高さ』に気付いています。それをどう公式としてまとめ上げていくか(次時の課題)です。つまり、作業の中である子が気付いたことをどう共有の認識に築き上げていくかということでしょうか。学習集団づくりとしての大きな課題になります。また、教師実験の数値が108ではなくて、122であったことはまずかったですね。液量で操作する時のむずかしさです。子どもたちは「2mmの誤差が、こんなにもちがうなんて」と驚きを示しているのでほっとしますが、認識形成の上では大いにこだわっておいた方がよいと思います。(子どもたちが実験をして出た誤差と、教師実験で出た誤差では、ずいぶん意味が違いますから)
ところで、最近出た『ふしぎな数のおはなし』という本の中に、「牛乳パックのふしぎ(容積を導く公式と現実の違い)」の項があり、1000miの牛乳パック容器は7×7×19.5=955.5になっている。何故?と・・・。 こんなことも話題にしてやると生きた思考になっていくのではないかと思います[総合学習?]。
◎ 『総合的な学習の時間』の扱い方についても各分科会で意見交流がなされています。私は、とかく『総合的な学習の時間』については否定的な立場ですが、現実には週3時間もあるわけですから、どう扱うか重要です。それを「パワーアップを総合的な学習としてやることは、ちょっとどうかなと思う。・・・ただ、計算練習に使うのはダメ」と言う指導主事の画一的な発言には抵抗を感じます。生活科でもそうですが、もっと教師集団の創意ある取り組みを支援すべきです。「〇〇はダメ」式の発想からは、子どもが生かされる総合学習は成り立たないのです。