象山神社境内での徳さん

象山神社と菩提寺

信州浪人徳さんが案内させて頂きます。よろしく !!!

神社大鳥居
象山神社
高義亭
煙雨亭
省けん録の碑石
望学賦の碑石
桜賦の碑石
誕生の屋敷跡

象山神社は、象山誕生の地に隣接して立ち、本殿は桃山式流造りで拝殿と共に総檜で建てられ、社務所,斎館、絵馬殿、水屋、宝庫等の建物が備わっています。

神社大鳥居、真直ぐに参道が延びる

拝殿の前景、本殿は奥にある

誕生跡地の碑石

誕生地跡で碑石が建ち、屋敷の址が良く判り井戸も其の侭残されている

高義亭


象山最後に居住した家で長州の高杉晋作や土佐の中岡慎太郎等と会談した家、当時のまま現存する唯一の建物で部屋には興味ある品々が展示されている
観光客も立ち入ることが出来る

煙雨亭


京都上洛の際移り住んだ三条木屋町の家の茶室で京都より移築された
鴨川に臨み京都一円が見渡せ眺望も良かったこの家を煙雨楼と呼び親しむ
許可なくしての立ち入りは禁止されている

望岳賦(ぼうがくのふ)の碑石

象山自筆の書を刻したもので昭和47年に東京高円寺の修道院の庭内で発見され此処に移設された碑石

象山31歳の夏の作
神田お玉が池に塾(象山書院)を開き門弟等に教える傍ら、各界各層の名士等と親交を深め、江戸一流の名士に名を連ねていた希望に満ち高揚していた頃の賦で、天空に聳え立つ富士山の雄大で崇高な姿を賛え、自分の抱負と大志をこれに寄せて作った韻文

桜賦(さくらのふ)の碑石

象山50歳の春の作
幕藩に逆らい信州松代に蟄居謹慎をさせられている身でありながら、世相の余りの乱れを嘆き憂慮し悶々とした日々送っていた頃の賦で、皇国の名花桜の花の美しさを賛え、人知れず深山の奥に空しく散つていく山桜を自分に例え、はるかに勤皇の大志を述べた忠勤の心を訴えて作った韻文
(※ 時節は幕藩体制の非難も愈々高まり、桜田門外での井伊直弼の暗殺事件や吉田松陰の死刑などあり混沌としていた)

省侃録(せいけんろく)の碑石 *侃の下に言あり

この碑文は省侃録の中の一節で、つとに有名な言葉として広く知られています。

 「余年二十以後、乃ち匹夫も一国に繋りあるを知る、
      三十以後、乃ち天下に繋りあるを知る、
        四十以後、乃ち五世界に繋りあるを知る。」

象山44歳松代聚遠楼にて執筆
入獄中は読み書きが禁じられていたので、獄中記として、自身の反省と行動や思想を子孫に伝える為に録した物で、生前中は公には秘されたが明治4年に勝海舟によって世に発表された。

蓮乗寺
佐久間象山の墓

蓮乗寺  松代町松代の御安町にあります

佐久間家累代の菩提寺で日蓮宗の名刹、祖父一学、一子恪二郎等も此処に眠る。
象山は京都花園の妙心寺大法院に葬られているが、大正11年に菩提寺の此処に分葬された。

蓮乗寺・真田六連銭の紋がある立派な寺

墓碑には「象山佐久間の墓」と刻まれている

神社境内に在る建物や碑石の一部

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