伝説紀行 鶴の墓 大宰府市 古賀 勝作
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
大宰府市(榎寺)
昌泰4年(901)に菅原道真が大宰府で幽閉状態におかれた場所が、現在の榎社(大宰府市通古賀)だといわれる。静かな境内を一歩外に出ると、けたたましい西鉄電車の軋み音が耳底を揺さぶる。 飛騨の匠が筑紫に降りた ときを申せば、寛永年間(1624〜44年)である。
「ここは・・・?」 彫った鶴が羽ばたいて 藤五郎は、親方に弟子入りして以来ずっと、仏像の製作に明け暮れてきた。やっと独立を許されたとき、年齢は既に40を超えていた。そんなある日、小川で小魚を啄んでいる鶴を見て閃くものがあった。 菅公の傍で眠りなさい 「見たこともない変な鳥が飛んでいる」と怪しんだ地元の猟師が、矢を放ったのである。相当の腕前らしく、矢は鶴の右の羽を貫通した。よろける体を必死に立て直しながら、鶴は今来た東シナ海を東に向かった。陸地に入って安堵したのか、鶴は急降下して鷺田川に落ちて息絶えた、と言うわけ。 鷺田川は、大宰府市外を流れる中小河川のこと。寅吉が藤五郎と出会ったあたりは、宝満川を水源とする御笠川と合流するすぐ手前ということになる。「鶴畑」という小字命が残っていることから、「鶴の墓」もまんざらでもないような気がする。 本サイトのアクセス統計を掲載するようになって2年以上たつが、「鶴の墓」が初めてベスト12に入った。飛騨と筑紫と上海を結んで、鶴は素晴らしいお話を恵んでくれた。今後も多くの読者が集まってくれることを願うばかりだ。(2019年01月06日) |