猿の悲劇
日猿宮の由来
うきは市(旧浮羽町)
高見の日吉神社
旧浮羽町(現うきは市)の北部に、高見という地名が見える。筑後川を跨ぐ昭和橋から南に800メートルほど下ったところだ。古い町並みが連なる旧道では、古刹や由緒深そうなお宮さんを数多く見かけた。そぞろ歩きが嬉しくなるスポットでもある。
その一角に、古い鳥居を構える日吉神社があり、境内には楠木など古木が所狭しと立っていた。このお宮さん、一名「日猿神社」とも呼ぶそうな。そう言えば、比叡山麓の日吉大社のことを広辞苑では「ひえじんじゃ」と読むように書いてある。「日猿(ひえん)神社」もそんなことに関わりがあるのだろうか。それでは、日猿の「猿」は?。日吉神の遣いとして、猿が信仰の対象になっている神さまだとは聞いたことがあるのだが…。
若者が小猿を殺した
江戸時代のこと。このあたりに百姓の徳兵衛さんが住んでいた。彼の心配ごとは、収獲間近の農作物を猿に食われて怒る村の若者たちのことだった。
「森におる猿ば、1匹残らず袋叩きにして殺さにゃ気がすまん」と、いきまいているのは、若者頭の欣次である。
「猿は神さまのお遣いじゃち言うから、そげな無茶なことばしちゃいかん」と、徳兵衛さんは説くのだが…。
ある晩、夜回りしていた若者が、柿を取って食っている猿を捕えて殺してしまった。
「こりゃ、まだ子供の猿じゃなかか!」
徳兵衛さんが駆けつけたときには、道端に死体が放り出されていた。
「可哀想に。こん猿にも親がおろうに、どげん悲しんでおるこつじゃろう」、徳兵衛さんの啜り泣きがいつまでも続いた。
泣く親猿まで殺した
雨期がきて、徳兵衛さんの家では、子供まで狩り出しての田植えが始まった。
「おやじさん、最近夜中になると『うぉ〜ん』ち気色の悪か声が聞こゆるばってん、ありゃ何じゃろない?」
欣次が、徳兵衛さんのところに相談にやってきた。
「そう言えば、隣の婆さんも同じことば言いよったが…」
そこで徳兵衛さん、欣次を従えて寝ずの番をすることにした。
「うぉ〜ん、うぉ〜ん」、いかにも悲しそうな声である。気付かれないように近づいてみると、楠の上で猿が目をグシャグシャに濡らして泣いている。よく見ると、そばには子供の猿が2匹、これまた悲しそうに泣いていた。
「あの時の小猿の母親と兄弟ばいの」
徳兵衛さんが、気の毒そうに見上げているその時である。そばにいた欣次が石を拾って投げつけた。よほど打ち所が悪かったのか、石は親猿に命中して地上に叩きつけられ、絶命した。慌てて降りてきた2匹の小猿が、親猿にしがみついて震えながら徳兵衛さんと欣次を睨みつけた。写真は、高見地区の旧道
高見地区の佇まい
祟りは田んぼを襲う
欣次は、小猿も殺してしまおうと棒切れを振り上げた。
「おっかさんと兄弟まで殺されて泣いちょるち言うに。やめとけ、欣次!。お前たちだけでも生き延びろ」と、徳兵衛さんが小猿たちを逃がしてやった。
それから間もなくして、高見の村に大雨が降り出し、植えたばかりの早苗がすべて流されてしまった。
「猿の祟りじゃ」
徳兵衛さんは、殺された猿の親子の遺体を彼らの棲家である森の中に埋めなおし、社を建てた。せめてもの供養のつもりだった。欣次や村人も、惨い仕打ちをしてしまったことを悔い、毎年7月19日を祭日と決めて、神前にご馳走を供えるようにした。それからも、田植えの時期になると雨は降ったが、程よい按配の降り様で、村人も胸をなでおろしたそうな。そのお社が、現在集落の中心部に構える「日吉神社」(日猿神社)だと。
その後、夜の決まった時間に2匹の猿が墓の周りに現われるのを、村の衆が目撃したとも伝えられる。(完)
日吉神社について
全国に3800もの分社を持つ日吉神社は、明治維新時の神仏混合廃止以前は「山王神社」または「日枝神社」と呼ばれることが多かった。そこから始まる「山王信仰」は、猿を神の遣いだとして崇める。もっと言えば、近江国(滋賀県)にある日枝山そのものを信仰の対象としていたようだが、後に「比叡」の字があてられ「比叡山」になったのだという。大津市に建つ総本山の日吉大社は比叡山の延暦寺の鬼門に当たり、天台宗を守護する役目を担っているそうな。全国の山王社や日吉神社も、凡そ、天台宗の寺を護る役目を負っているようだ。(明治維新後の神仏分離で、その関係も解消された)
旧浮羽町は、耳納連山と筑後川に挟まれた静かな山村である。平野部には、ぶどうや柿・桃などふるさとを代表する果実が道行く人々の食趣を誘う。
小さな子供を背負った女性に、日猿神社の場所を尋ねたがご存じなかった。そこで資料の写真を示すと、「ああ、日吉さんのことね」と、すぐ近くのお宮さんを教えてくれた。そんなに広くない境内に、猿田彦の巨石や小さな祠がぎっしり詰まっている。
神社の周辺を網の目のように縦横に走る道路は、乗用車の離合もままならぬ狭さだ。くっつきあって暮らす人々の心の拠り所として、日猿神社がぴったりの気がした。境内に立つと、そんな印象を持たせてくれる。
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