伝説紀行 鉄砲用水 筑紫野市 古賀 勝作


http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/

作:古賀 勝

第329話 2008年03月16日版
再編:2017年11月19日

   プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です
             【禁無断転載】
        

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢(とし)居所(いばしょ)なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしばだ。だから、この仕事をやめられない。

門構えは小さいほうがいい
本道寺の用水路

福岡県筑紫野市


本道寺集落の棚田群(07年9月撮影)  

 筑紫野市の北東部、太宰府市との境をなす宝満山(829.6b)とその南側に聳える大根地山(652b)の谷間に「本道寺」と呼ぶ集落(大字名)がある。筑後川に通じる宝満川の最上流地域だ。そこには40世帯200人が住む。
 宝満山に向かって段々畑が重なり合っている。その深い谷間を宝満川(源流)が流れ、そこから用水を引いて水耕が営まれる。いまでこそ不思議に思わない光景だが、ずっとむかしには、低い川から高い棚田へ水を引くことがいかに大変なことだったか。

棚田に水が欲しい

 江戸時代、このあたりに七郎兵衛と名乗る鉄砲撃ち(狩人)の老人が住んでいた。村人は、彼のことを「千匹爺さん」と呼んだ。狙った獲物は絶対にはずさないことからつけられた愛称なのだ。
 爺さんにとっても村にとっても頭がいたいのは、田んぼに水が引けず、米を作れないことだった。
「奉行所にいくら頼み込んでも、そげな(こま)か村んこつにいちいちかもうてはおれん」ち、冷たかこと。せめて爺さんの鉄砲が、わしら百姓の役にたってくれればない」と、七郎兵衛さんの前で愚痴るのは庄屋の徳右衛門。


山裾に佇む神社

「・・・・・・」、そんな時、爺さんは決まって黙り込む。
「そうたいね、いくら千匹爺さんでん、川の水ば低かとこから高っかとこに流すこつはでけんもんな」
 庄屋の何気ない一言が、爺さんの目を輝かせた。
「谷間の川の水ば、段々畑の一番高っかとこに流し込めるかどうか、考えてみまっしょ」写真は、吉木方面から望む宝満山

 いきなり爺さんが大声で叫んだものだから、言いだしっぺの庄屋の方がびっくり。

木魂で立体図面を描く

 七郎兵衛さんは家に帰るなり自慢の火縄銃を取り出して、川辺に向かった。慌てて後を追う徳右衛門の前で、銃を空に向けて一発ぶっ放した。
「ずどーん」と、けたたましい音が谷間に響き渡った。しばらくしてその音が宝満山の方から木魂(こだま)になって返ってきた。しばらく経つと今度は、木魂が大根地山に当たって、またこちらに戻ってくる。
 七郎兵衛さんは、川を登ったり下ったりしながら、鉄砲撃ちを繰り返した。徳右衛門は、爺さんが引鉄(ひきがね)を引くたびに、木魂が返ってくるまでの時間と方向を口の中で繰り返した。
 鉄砲撃ちが終ると今度は、鉄砲の音と木魂の時間差を計算して、本道寺周辺の立体的な工事計画図面を作り、奉行所に持ち込んだ。
 しかし今回も、役人は決まり文句で門前払いしようとする。そこに上級役人が口を挟んだ。
「その図面は、そなたらの思いつきで()いたのではなかろうの」
「滅相もございません。実は・・・」、徳右衛門が、これこれこういうわけだと説明した。
「ほう、鉄砲の音でな。それで、その鉄砲を撃った者は確かな腕であろうな?」
「これなる老人は、100匹の獲物を1匹たりとも打ち損じない鉄砲の名人でして・・・」
 徳右衛門の自慢話を黙って聞いていた上級役人。「城の重役に相談してみる」ということにあいなった。

ハタケ田に宝満の水が

 ハタケ田と陰口を叩かれた、段々畑に水を引く土木工事が始まった。工事には、村人が総動員された。最初は、自分らの水田ができると言って喜んでいたものが、そのうちに先の見えない難工事に不満が噴出すようになった。その都度七郎兵衛さんは、仕留めた猪の肉をご馳走して励ました。やがて水路は完成し、澄んだ水が2町歩の段々畑の最上段に注がれ、2段目、3段目へと気持ちよさそうに流れ落ちていった。


写真は、七郎兵衛が鉄砲で測量した、竜岩キャンプ場付近

 しばらく経って、いつかの上級役人が、完成した水路の具合を見にやってきた。そこに七郎兵衛さんと徳右衛門が呼び出された。
「藩としても、鉄砲による測量方法はありがたかった。そのうち殿さまも視察に来られて、七郎兵衛に会いたいとのこと。その前に拙者から褒美をと存ずるが、望みの物を申してみよ」
「それでは・・・」
 爺さんが一歩前に出た。
「家の前に小さな門を造ってください」
「せっかくなら、大きな門がよかろうに」との役人の問いに、「いえいえ、私ら村のもんは目立たず、質素でいきたいもので・・・」と、切り替えした。

褒美は小さな門

 役所からの帰り道、徳右衛門が爺さんに尋ねた。
「どうして、門は小さいのがよかとかい?」
「何度工事を頼んでも、門前払いが続いたでっしょが。役所とは、本当は百姓の言うことなんちゃ、真剣に聞く耳ば持っとらんとですよ。じゃけん、お城の殿さんに仕返しばしてやろち思うて」
「そんなら、わざわざ通りにくか門ば造らんでも…」
「殿さんがわしの家に入るのに、小さか門なら否が応でも馬から下りて腰ば低うせにゃならんじゃろ。そん時わしは、殿さんば見下ろすこつになるとたい」
 果たして、七兵衛さんの思惑通りにことが運んだかどうかは記録が見当たらない。それでも本道寺村の者は、七兵衛さんの鉄砲撃ちの見事さを忘れまいと、出来上がった水路のことを「鉄砲用水」と名づけたそうな。その水路は、今確かめることはできない。また村では、七郎兵衛さんの気持ちを汲んで、撃ち取った鳥獣の供養のために、「猪鹿塚」を建てた。この塚、今日も旧道脇に残っているそうな。(完)

 主人公の爺さんの正確な名前は、平嶋七郎兵衛という。夏休みともなると、たくさんの子供たちで賑わう竜岩自然の家付近の谷が、七郎兵衛さんが鉄砲を撃った舞台だといわれる。
 訪ねた時、岸辺も棚田も彼岸花が真っ盛りだった。筑後川の源流の一つ、宝満山の麓は、刈り入れも済んで静かに佇んでいた。
 これまでにも、いくつもの棚田や農業用水を確保する話を取り上げてきたが、このような源流の山間地にも利水の切実さがあったのだ。農民の苦しみや訴えになかなか耳を貸さない役所の体質は、この時代も同じだったのかと思うと、憂鬱にさえなる。自分たちで知恵を働かせて、暮らしを守るしかない。そんなことを教えてくれる、貴重なお話ではある。

ページ頭へ    目次へ    表紙へ