神露淵のお妃さま
姫御前岳と夫婦岳
福岡県黒木町
姫御前岳と柚の木谷集落
福岡県黒木町から熊本県山鹿市(旧鹿北町)に入る県境の柚木谷から見上げたところに、おにぎりを据えたような山が3つ並んでいる。真ん中が姫御前岳(514b)で、左が雄岳(532b)、右側が女岳(595b)と呼ぶ。
神露淵集落
そう聞けば、お姫さまが勇ましい姿の雄岳と柔らか容姿の女岳を従わせているようにも見える。
上記写真の姫御前岳の後ろ側が神露淵という地域(黒木町大字木立)にあたる。神露淵の集落は、矢部川支流の田代川の更に枝川沿いにあり、そこには里人が安産の神さまと崇める「姫御前神」を祀る祠が建っていた。
後征西将軍夫人が山奥に
時は、日本の権力構図が真っ二つに割れた南北朝時代の終わりの頃。
六左衛門は柚木谷の住人で、一帯を取り仕切る顔役であった。2日前、突然旅の姫と侍が現れ、矢部村への道筋を尋ねた。
「矢部の里へは、鹿牟田峠を越えて行けば近いのじゃが、今は不穏な空気が・・・。見たところ、お女中は身重のようだし、無理はしなさんな」
「そうはいかぬのじゃ。こちらにおわすは、矢部におられる後征西将軍のお妃さまでな。一刻も早う矢部の里までお連れせねばならぬ」
後征西将軍といえば、後村上天皇の皇子である。親王(皇子)は、九州探題の今川了俊軍の攻撃を受け、八代(現熊本県)のお城から逃れて、天然の要塞をなす三国山麓(肥後・豊後・筑後の境)に陣を敷かれた。妃も、太郎・次郎の供侍を連れて親王の後を追った。その時妃は、間もなく臨月を迎える体であった。
六左衛門夫婦は、突然目の前に現われた旅の一行の身分を聞いて、仰天した。
旅の途中で産気づく
「それがしの名は太郎、あちらにおるは次郎と申す兄弟でござる。お妃を守ってやっと柚木谷までたどり着いた次第」
六左衛門は、太郎の咳き込んだようなものの言いように、不審を抱いた。そこで家人に耳打ちした後、お妃に向かって頭を下げた。
「畏れながら、不肖六左衛門、妻ともどもお妃さまをお送りいたしましょう。私めにとりまして、このあたりの山道は我が庭のようなもの。敵に気付かれぬ獣道をご案内申し上げまする」
早々の旅立ちとなった。樵風の男が一行の跡をつけていることに、兄弟はまったく気がつかなかった。雄岳への急坂を登りつめ、だらだら坂を下り始めたその時、妃が座り込んだ。急に産気づいたのである。山中でのこと、さすがのハツもウロウロするばかりだった。
赤子は死産で、母親も虫の息であった。
「親王のお子を産めなかったことが悔しい。わらわが死んだ後、世の女子に、お産の災いが及ばぬことを願うのみ。もう一つ、八代より運びし物を、必ず矢部の親王に届けるよう」
妃は言い残すと間もなく息絶えた。
「今だ!」、兄の太郎が次郎に目配せすると、六左衛門夫婦の背中を力いっぱい押した。夫婦は、まっ逆さまに谷底へ。
太郎・次郎は、雄岳の峰から矢部を見通す場所に二つの穴を掘り、その一つに妃と水子の遺体を埋めた。もう一つの穴には兄弟が八代の城から背負ってきたモノを。彼らはそれが、南朝再興のための軍資金となる莫大な財宝であると信じて疑わない。兄弟は、ほとぼり冷めて運び出そうと、妃の墓を目印にして埋めたのだった。その一部始終を、六左衛門の命で跡をつけていた家人の樵が見ていた。
后は「安産の神」に
里に降りてきた太郎と次郎は、待ち伏せしていた屈強な男たちによって、あっさりと斬り捨てられた。殺害の現場を目撃した樵の通報を受けた六左衛門の手下であった。
写真は、六左衛門夫婦の墓
時を経て、神露淵の住民は、六左衛門の妻ハツが産褥とした岩を「お産岩」と呼び、粗末にすると難産の災いを招くと伝えあっれるようになった。また後の世の女が無事出産できるよう言い残した妃を「姫御前」と崇め、安産の神として祠を設け、祭りを欠かさなかった。
そんな良成親王の妃を、命を賭して守ろうとした六左衛門夫婦は、心の鏡と敬われた。そこで、太郎・次郎に突き落とされた崖を「六左衛門落とし」と名づけ、夫婦の墓も建てた。この墓、今も民家の石垣の傍に仲良く寄り添って立っている。
さて、強欲の太郎・次郎が埋めたという財宝はいったい何処に?、本当にそれは財宝だったのか?。この謎解きは、後の世に先送りしたほうがよさそうだ。(完)
産褥:出産のとき産婦が用いる寝床。
姫御前伝説の地・神露淵は、黒木の市街から田代川(矢部川支流)沿いに2キロほど南下したところにある。姫御前岳や雄岳などを水源とする小川の岸辺に民家が建ち並んでいる。親切な奥さんに、六左衛門夫妻の墓まで案内してもらった。
「神露淵」という地名からして、何とも神がかりを感じる。男岳と女岳を従えた姫御前岳を、親王夫人と六左衛門夫妻に例えた知恵もさすがである。しかも、難産で亡くなった夫人を、安産の神さまと祀る里人の気持ちも、山奥ならではのことだろう。
案内してくれた奥さんも言われていたことだが、そんな姫御前伝説や民間信仰の伝統も、少しずつ薄れてきつつあるとのこと。
六左衛門夫妻の墓があるお宅の奥さんが、「ここには、まだまだたくさん伝説がありますよ」とおっしゃっていたから、改めてもう一度伺わなきゃ。
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